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 二十歳のときに大学を中退して四年。定職にも就かずその場その場のアルバイトで生活を続けている。

 でもまあ女だし、いずれは結婚して家庭に入って、なんとかなるかもな。そんな甘え腐った思考を武器に笑っているが、そんな甘え腐った思考を掲げているせいか恋人と名のつく相手はかれこれ七年ほど居なかった。つまり、高校生のとき以来。こちらの方面もそのときの欲求を晴らす相手で食い繋いでいるフリーター生活だった。

 職が無くて恋人が居ないからと言って生きていけないわけではないのが、却って良くないところだろう。必死にならない。「いつか」や「誰か」がそのうち来ると思い込んで、ただ日々を投げ捨て続けている。これで良いのか、これが良かったのか。自問も、飽和状態で、取りとめもない。とりあえず生きている、生きていられる。じゃあいっか。結局はこれに尽きた。

 それに、これと言った趣味も浪費癖も無いから、生活できる最低賃金さえもらえれば苦心もしないし、満足とも言える。

 二四にもなって散漫で子ども染みた思考を繰り広げていることに我ながら呆れたりもするが、呆れたところで何かが起こるわけでもない。自分を変える意思も無いのに、上っ面だけ方向転換しても身体が追いつかない。

 家賃を振り込んで残高が一万円を切ったところで、心に焦りも浮かばない。仕方ない、そろそろ仕事を探すか。考えることはそれだけだ。

 駅に設置された出張のATMをあとにして、下ろしたばかりの三千円を手に、まず向かうのはコンビニだった。たった一日だけ我慢を強いられただけで気が狂いそうになるあたり、すっかりニコチン中毒と言って良い。なぜこんなものに手を付け始めてしまったのか、そんなことも覚えていないのに。これは、一方では浪費だろうが、個人としての価値は、それぞれだ。馬鹿にされようと、鼻をつままれようと、吸いたいから吸う。気遣いも遠慮も、したところで死ぬときは死ぬ。加点方式で延命されるほどシンプルなゲームじゃない。

 店先に灰皿が無かった。適当なファミリーレストランに移動して喫煙席を選び、ドリンクバーだけを注文して、久方ぶりの一服。ただいま。お帰り。下らない妄想に、ひとりほくそ笑んだ。

 スマートフォンでアルバイトを探す。何でもかんでも掌で検索できる世の中が、良いか悪いかはわからない。便利には違いないが、賢くなるわけではないだろう。でも、だから、どうした。頭の良い人間が何かを創造し、頭の悪い人間がそれを利用する。ほかの人がどうかは知らないが、溢れんばかりの情報のうち、取捨選択を行うくらいの知恵は持っている。なら、それで良いじゃないか。わからない言葉を辞書で引いたり、社会を知るために新聞を読んだり、そういう紙媒体での収集が偉いわけじゃない。根本は、知ろうとする意欲だ。それのあるなしの話であって、どうやって、何でそれを得るかは、大した問題じゃない。

 しかしどれだけそれらしい詭弁を繰り広げてみても、ドリンクバーを三回往復しても、煙草を間断なく吸い続けようと、これと言って良いアルバイトが見つからない。

 スマートフォンを放って、両手で口を覆う。溜息が漏れる。

 良いアルバイトの条件とはなんだろうか。時給が高いことか。作業が簡単なことか。それとも「アットホームな現場」であれば良いか。「二十代の女性が活躍している」場所であれば良いか。もっと現実的に、保険に入れることか。私にとってのそれはなんだ。

 目を閉じる。暗闇に、どこかの主婦たちの会話が耳を突く。お隣の誰それさんが。息子の学校の。不倫が。なんとか。かんとか。

 たくさんの人の中にまみれていると、よくもそんなに話すことがあるなと思う。明日はこれを話そうかしら、なんてメモに書きとめてでもいるのかと思うほど、口の回転が止まることが無い。よく喋る人も、全く喋らない人も良しとされない社会だから、難しい。適度、とか、普通、とか、そういう言葉が私にはよくわからない。一日につき百五十単語喋ればちょうど良い、百だと少し少ないかな、ああ、でも二百は行きすぎだよ。そういう風に、誰かが査定してくれれば良いのに。話をしなくたって生きていけるのに、話さないやつは気味悪がられる。弾かれる。個性もクソもあったものじゃない。私はあなたとは喋りたくないと感じるから喋らないのに、喋ることを強いられる。笑顔を強いられる。誰のためでもない、私の人生なのに。

 接客はなしだな。日々移り変わる客を相手にへらへらしていられる自信が無かった。こんなどうでもいいことで自分を卑下しなくてはいけないなんて、本当に下らない。

 明るい人間は好かれる傾向にある。これは統計ではなく、印象の話だ。誰にでも分け隔てなく、初対面であろうと気安く、よく笑い、よく相手を気遣える人間。そういう人間は、相手から好かれる。しかしそれは単純に、相手にとって都合が良いと言う話ではないのだろうか。「都合が良い」と言ったって、別に悪い含みは無い。単純に「楽しい」と思わせてくれたり、幸福を与えてくれるという意味だ。いやもちろん、悪い含みを持つ場合もあるのだろうが、こんな思考遊びでさえ悪い方向に考える必要はない。どうせ、誰に覗かれるわけでもないんだから、好きに考えたほうが良い。そのほうが、私には都合が良い。

 私は決して明るい人間ではない。むしろ暗いほうだという自覚もある。これまでのアルバイトだってなるべく人と関わるような職種は避けてきたし、それが自分にとって楽で、相手にとっても都合が良いのだと思っている。よく、やる気の問題だと根本から否定されるが、どうしたって人には向き不向きがある。そして往々にして、それは本人の思考においてどちらに傾いているか、という話で、周囲から見て「向いている」「不向きである」と判断することではない。にこにこ、愛想よく「いらっしゃいませ」と声を上げることは、私には向いていない。それを誰かに「もっと笑いなよ」とか「大きな声で」と言われたところで、急に「向いている」に変わったりはしない。やる気があっても、苦手なものは苦手だし、苦手だと感じている時点でやるべきじゃない。もう、みんな大人なんだから、可能性なんてないし、人格だって早々変わりはしない。自分にはできる何かを、できない人もいるのだと言う理解が大切なのだ。それで、理解した上で、やっぱり「必要ない」と感じれば、切り捨てれば良い。そんなことでいちいち泣いたり、悔しがったり、喚き散らしたりするほど、私だってもう若くない。ああ、そっか。じゃあ次を探すか。生きられないし。それくらいだ。

 それでは、工場か、と思って検索を掛けてみるが、なかなか近場に募集しているところが無かった。生活できる程度の最低限の稼ぎのために、長らく乗っていない人まみれの電車に乗らなくてはならないのかと思うと、それだけでもう吐きそうだった。

 メロンソーダを、ストローで啜る。緑色の液体が口内から胃へ下りて行く。

 メロンソーダの存在意義はなんだろう。それは私の存在意義と、どう違うのだろう。たくさんの人に必要とされている分、メロンソーダのほうが世間的に価値のあるものなのかもしれない。私が居なくて、泣いてくれる人は居るかもしれないが、困る人は居ない。メロンソーダの支持率はどうだろう。

 大抵、仕事でもそうだ。どれだけ求人が溢れていても、その中で私個人を求めている場所は無い。当たり前の話だ。彼らは私を知らないし、私も彼らを知らない。知らない人を求めることなどありえない。でも、それでも働き始めたって、最初にそうやって思ってしまっていると、どうせ私が抜けたらほかの人を補充するだけの話で、ちょっと研修が面倒くさいなとか、シフトを組むのに苦労するなとか、その程度しか思わないのだ、と悲観的になってしまう。私だから良いとか、私だから悪いなんて、思われていると思うのが、自惚れだ。そう、本当に、誰だって良い、誰にだって埋められる穴が、世の中には溢れている。

 かといって、必要とされたいわけじゃない。前に言ったとおり、私は誰かのために生きているわけではない。私がひとまず生きていたいから生きているだけ、そこにどんな価値も意味も付随しない。生命とはそのくらい単純明快なものだし、そうだと認識するべきなのだ。なんだって良いや。

 あと一本煙草を吸ったら家に帰ろう。

 そう決めて火をつけたところで、スマートフォンが揺れる。電話だった。

「もひもひ」

 咥え煙草のまま応答を待つ。

「おう、なんだその声」相手は、高校のときの同級生だった。「久しぶりだな」

 平日の昼下がりだ。となると彼もこれと言った定職に就いていない仲間かもしれない。ちょっと嬉しい。と思ってすぐに、何年ぶりになる異性にいきなり電話を寄越してくるとは、どういう用件だろうか、と考えた。ホテルに行こうとか、金貸してくれとか、そういうよからぬことだろうか。まあ、前者であれば付き合ってやっても良いかな。貞操観念なんて、ふたを開ければそんなもんだ。

 などとグルグル思考を回転させていると、

「お前今、なんか仕事してる?」

 想像から少しだけ逸脱した質問が繰り出された。

「いや、今はニートだよ。でも探してはいるから、不完全ニート」

「ニートに完全とか不完全とかあるのか?」少し笑ってから、「いやでも、ちょうど良かったよ。もし良かったら、仕事しない?」

「なに? 何の?」

「何の、と言われると難しいな」

 唸るような声音に、追撃を繰り出す。

「あんたの職場に欠員が出たとか? っていうか働いてるの?」

「俺? ああ、まあ。働いてるよ」煮え切らない言い草だ。「俺のことは良いんだよ」

「ちなみにそれ、保険とかつくの?」

「保険?」予想していなかった単語らしい。「……は、つかないかな」

「えー」

「いやでも、凄い楽。凄い楽すぎて、しかも給料は破格」

「怪しすぎるでしょ」

「でもお前には向いてると思うよ」ああ、来た。「だってお前人と話すの得意だろ?」

 高校生だったとき、私は他人の評価を恐れていた。何かを諦めたり、悲観的になるには、まだ若かった。一丁前に努力をして、不向きなことを向いていることに変えようと、躍起になっていた。友達を百人作ってみたり、イベントには積極的に参加して、周囲を巻き込むような人間になろうと、とにかくどうでもいいことでも声高に叫んでみたりして、今からして思えば、あれは周囲から見れば痛々しい人間に映っていたかもしれない。

 その無理が、大学生になって祟った。急に世界が大きくなって、私の努力は空回りとしか見えなくなった。だから、止めた。もう、何も考えず、なるべくお互いに不干渉な存在であろうと、自分を矮小なものへ、どんどんと落として行った。それを苦しいと思ったことはないし、後悔もない。たまたま、そういう時期が来て、そういう選択をしたと言うだけの話で、別に、何も感じはしない。

 それを、彼は知らない。

「別に」

 言葉を吐き出したら急に口の中に苦い味が広がって、慌てて煙草を吹かす。何も考えるな。

 相手はそんなことを全く気にしなかった。気付かなかった、では無い。それが電話越しに伝わる。息を吸い込むのが聞こえた、それだけだったけど。

「まあ良いや。とりあえず、話だけ聞いてくれよ。楽って言うのもな、仕事内容が、ある人と話すだけ、っていう、凄く簡単、簡潔なものなんだよ」

「ある人って?」当然疑問はそこに集約される。「変態?」

「違うよ」笑ってから、「いや、大きく外れても居ないけど」

「どういうこと? なんか、いやらしい会話でもすれば良いの? そういう仕事? 斡旋?」

「違うって。なんて言うのかな、その人、今三十手前くらいの男の人なんだけど、少し変わった人でね」

 変わっている、なんていう言葉が私は嫌いだった。だってそれ、何様のつもりだよって。

「ああ、そう」

 自然、そっけない返事になってしまうが、それこそ全く気にしなかった。

「気難しいと言うのか、何を考えているのかわからないと言うか」

「そういう人って、周囲の人間を馬鹿か何かだと思っているんじゃないの? 話すのは、その人の意思なの?」

「うん、まあね。その人が、誰かと話したいから、この仕事が成立している。可笑しな話だけどね」

「可笑しいと言うか、やっぱり怪しい」

「別に、肉体関係を迫られたりはしないよ。そういう人じゃない」

「知ってるわけ?」

「まあね」その一言で一度会話を区切ったつもりらしい。「ともかく、会ってみるだけでも良い。というか、実際採用されるかは会ってみないとわからないしな」

「要するにその人本人に審査されるってわけ」

「まあなんと言うか、面談だな」

「言い様だね」

「大体のことはそうでしょ」で、とまた無理やり区切る。「どうする?」

「給料次第」

 正直に言えば、なかなか魅力的ではある。話をすることは嫌いだが、それも当たり前の話だが、相手による。私は入れ替わり立ち代り現れる見ず知らずの人間や、話したくないと思うような人間とは話したくないだけであって、別に誰彼構わず無口で居るわけでもない。それは、今電話をしていることからも理解されよう。

 相手が話の通じる人間で、私にとって都合が悪くなければ、会話だけでお金が発生するなど、願ってもいない話だ。こんな好条件はほかに無かろう。

「一日四時間、日給二万」自信満々な声音が、明確にこちらに流れてくる。「どう? 破格だろ?」

 破格どころか、異常な給与だ。

「本気?」

「金を出すのは俺じゃないけど、うん、彼は本気だろうな」

「金持ちなわけ」

「そうだな。何をしているのかはよく知らないけど。金持ちの考えることは良くわからんよ」

 話を聞きながら、言いたくもないのに、

「確かに変わってる」

 口を突いて出てしまった。

「とりあえず話進める感じで良いかな?」

 彼が言うので、了解の旨を返す。

 三日後に、都内で落ち合うことになった。二万がぶら下がっていれば、人にまみれた大嫌いな電車にだって乗れてしまう。

 大抵、変わりたいと願わなくても、いつの間にか変わっているものだ。多分。

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