生きたがり
僕は死にたがりとよく言われる。
僕は友人に「人間が生きる意味」について聞いたり主張したりする、そのため死にたがりと呼ばれるのだ。
確かにその通りかもしれない。僕は生きる意味が分からなければ、生きている理由はないと思っているからだ。だから必死に考えている。
だが皆んなは考えることを止めている、思考を停止し感覚のまま生きている。
それがとても動物的で許せない、人間が生きる意味は動物的であるはずがない。
僕は『思考できる人間が生きる意味』を知りたいのだ、子孫を残すなどという全動物に共通する答えは所望していない。
神はなぜ人間に知能を与えた、それはただの娯楽だったのか?違う、意味があるんだ、子孫を残すだけだった動物にわざわざ知能を与えた意味が。
だから僕は色々やった、スポーツ、勉強、逆立ち、歌う、仕事、恋、キス、結婚、エッチ、育てる、寝る。
だがどれをやっても人間が生きる意味は見つからなかった。
「それが人間の生きる意味じゃない?」
そう誰かが言った、僕は意味が分からなかった。
「自分が生きる意味を考えて考えて考えて考えて考えまくって色々と模索し、体験して、経験して、それが人間の生きる意味なんじゃない?」
それが人間の生きる意味?
「だってあなた、人生楽しかったでしょ?」
もちろん、楽しかった。
「なら別にそれでいいじゃない、人間が生きる意味って自分が決めるものじゃない?幸せに思えたのなら、あなたはもう答えを見つけているはずよ」
そうか、僕はもう知っていたのか。
「もし違っても、神様にでも直接聞きに行けばいい、でしょ?」
そうだな、それがいい。
「それじゃ、先に行って神様と話して来てね、私も後で聞きに行くからさ」
分かった。
僕は生きる意味を求めて必死に生きてきたのだ、それが答えだった。
僕は死にたがりではなかった。
僕はどこまでも生きたがりだったのだ。




