016.I Will Remember You<忘れられない味>
夕食用仕込みで余ってしまった地鶏の腿肉。
カレンダーを見ていてふと思い出したユウは、肉厚の部分を包丁で開いて薄くしてからスコップのようなミートハンマーで更に叩いていく。
『パタン、パタン、パタン』
これは肉の繊維を柔らかくしてサイズを大きく見せるための下処理だが、Tokyoオフィスのキッチンでユウがこれを行うのは珍しい。
バッター液にくぐらせパン粉をいつものトンカツより厚めにつけると、フライヤーで濃いキツネ色になるまでしっかりと揚げていく。
出来上がった薄くて大き目のチキンカツは、しっかりと冷ましてからラップをして冷蔵庫にしまう。
翌日の夕食時。
他のメンバーがユウが作った揚げたてのモチ粉チキンを旺盛な食欲で平らげている光景の中で、ユウはじっと自分の目の前の皿を見つめている。
Congohトーキョーでは滅多に使われる事が無いメラミンの定食皿に乗せられた薄くて冷めているチキンカツ。千切りのキャベツと小さくカットされたトマト。付け合わせの妙に赤い色のスパゲティ。普段のユウが作る献立では、あり得ない素っ気ない盛り付けだ。
ご飯や味噌汁もメラミンの食器に盛られているが、こちらも事前に配膳されていたのか湯気が立っていない。
普段は使う事が無いウースターソースをカットされたチキンカツにかけると、メラミン樹脂の箸を持ってゆっくりと味わうようにユウは食べ始める。
いつもと違う彼女の様子に食卓のメンバーは気が付いているが、特にユウに声を掛ける者は居ない。
ユウの前職である航空防衛隊では、平時であっても年間数名のパイロットが殉職する。
彼女の父親もそんな一人だったが、ユウ自身が遭遇した事件のように編隊パイロットがほぼ全員殉職するような事態は滅多に起こるものでは無い。
ユウは部隊パイロットの唯一の生き残りでありながら、部隊葬にも参加を許されずメンバーを送る事も出来なかった苦い思い出がある。
だが彼女は部隊の同僚達と雑談の折りに交わした約束があった。
空で亡くなったメンバーの供養は、そいつの好物を囲んで明るく楽しく思い出してやろうと。
いつも予算不足で食材の調達に苦労していた隊員食堂のチキンカツ。
予算が無くてもブロイラーを使うのは頑なに拒否していた食堂の料理長が、部隊員の実家である養鶏所から仕入れていた鶏肉を使って嵩ましで作っていた手間のかかるメニュー。
スクランブル出動の際にも、大勢のパイロットが食堂にわざわざ取り置きを頼んでいた。
冷めても独自の味わいで人気があったこの揚げ物はユウの好物では無かったが、スクランブル帰還後に他のパイロットと一緒に食堂で食べた記憶はしっかりと残っている。
しっかりと冷たい衣は、口にすると薄い肉の旨みとソースの味が浸透した独特の味がする。
ハムカツの旨みに近いのだろうか、フライドチキンやナゲットの厚みとは正反対の食欲を誘う味なのである。
コックピットの緊張した空間から解放され、地に足がついた休息の時間。
食卓カバーを持ち上げて冷めた定食を目にした瞬間、大袈裟だが生きている実感が湧いてくると同僚の一人は言っていた。
日常が戻ってくる、それはいつもの食卓に戻ってきたこの瞬間だと。
「ユウ、もっとチキンが欲しい」
マリーの一言で現実に引き戻されたユウの瞼から、ほろりと一筋の涙が流れた。
「ああ、今キッチンで揚げてくるからこれでも食べてちょっと待っててね」
目元を手の甲で拭ったユウは、一切れだけ口にしたチキンカツの皿をマリーの前に置くと立ち上がってリビングを出ていく。
多めに仕込んであったチキンはまだ冷蔵庫に入っている。
そして彼女の日常はこの場所にあって、頼れる沢山の仲間達が居る。
「おまたせ!」
大皿に盛ったモチ粉チキンをテーブルに置きながら、ユウは明るい口調で言った。
「ユウ、この薄いチキン、美味しいね」
「うん、これはちょっと違う味わいだけど、ソースが絡むと旨いな」
「ユウさん、これは別の日のメニューで改めて食べたいですわね」
レイは口には出さないが、頬張ったチキンカツを咀嚼しながらユウに小さく頷く。
彼は従軍歴が長いので、メラミンの食器を見てユウの想いを他のメンバーよりも直感的に理解してくれたのであろう。
(これで皆の供養になったよね……きっと)
チキンカツの最後の一切れを味わいながら、ユウは心が軽くなっていくのを感じていたのであった。
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