我が名は安国
「全軍、止まれ!」
やや細身ながら背の高い将軍が、歩む兵たちの前で馬の脚を止めた。
「兵士として、戦場に出てきたのならば、死と向き合え!」
兵士たちの間に緊張が過る。
「孔融様に推薦してもらって、俺たちはここに立っている!敗北も、撤退も許されない。
逃げたならば、一族一生の汚名を浴びよう!」
そう、彼らは強大な敵ー呂布ーに立ち向かう他になかった。呂布に敵うとされた二人の勇将は、既に敗れた。
これ以上の敗走をしたならば、我が陣営、反董卓連合軍は呂布を恐れるあまり、戦すらまともにできなくなってしまうだろう。
北海太守、孔融の立つ瀬もなくなってしまう。
「一つでも多くの首級をあげよ!死ぬのなら、目の前の敵を道ずれにせよ!死を乗り越えて、褒美を、命を勝ち取れ!」
(この男は裏表が無い。)
本当に真っ直ぐな男だ、と張文奉はこの時も実感していた。
先の黄巾賊の乱の時、張奉は彼の下で戦ったのだが、彼はなんと黄巾賊の大将に接触を試みたのである。
「大義ある暴動ならば、俺が太守に申し入れる。しかし、略奪するために北海に襲来したのなら、容赦しない!」
彼は前線の黄巾賊の若者の武器を鉄槌で打ち落とし、そう伝えたのであった。
この言葉が黄巾賊の将軍に届いたか届かなかったかは分からない。しかし、結果は良く無かった。
(いや、今はそんなことはどうだっていい。)
「文奉、安文!」
「「はっ!」」
「俺は呂布と直接戦う。文奉は騎兵隊20騎を、安文は槍隊80名を指揮せよ。」
「「了解!」」
(一兵卒じゃなきゃそんな行動はできんよ。)
たった一騎で敵の総大将めがけて突っ込むというのだ。こんな話があるだろうか。
鉄槌を空に向け、男は大きく息を吸った。
「全軍ーー、突撃ーー!」
「「「おおーーっ!」」」
およそ100名の兵が進軍を始めた。
(また無事で会えるといいな。)
淡い願いを抱きつつ、張文奉は鞍を蹴った。
戦場に出てどのくらいの時が流れただろうか、頭の中はこれから対峙する人物のことていっぱいだった。
飛将軍、呂布。当代、最強の男だと聞く。自分の鍛えた腕が果たして通用するのだろうか。
(考えるのは苦手だ)
無意識に出くわす敵兵を散らし、気づけば彼は呂布を視界に捉えていた。
「名のある将とみた!」
「我は相国に仕えし、飛将軍呂奉先なり!」
(すごい殺気だ)
できるだけ何も考えずに敵と戦ってきたが、今日はよく思考が回る。
見た目に反し彼の鉄槌は速かった。直撃を免れなかった者はまさに字の如く吹き飛び、武器を以って受け止めた者を武器ごと打ち砕いた。
これまで、無事に受け止めた者など居なかった。
「思ったよりも速いな。」
「次は殺す!」
「やってみよ。」
何度も打ち合った。無意識に彼は本気だった。目の前の男は何度仕掛けようが防いだ。
周りの兵たちは誰一人この戦いに介入しようとしなかった。それぞれの持つ将が、最強だと信じていたし、その相手と同等に渡り合っていたためである。
「息があがっているぞ。」
「っ…!」
「今度は我の戟を防いでみよ。」
三日月のような武器から繰り出される一撃は速く、重かった。三日月は彼の身体を徐々に、少しずつ傷つけていった。
(死ぬのか、俺は)
初めてそんな弱音が、というよりまともな考えが頭をよぎった。
(生きるか死ぬか、って、こういうことだったのか)
彼は凄まじく強かった。戦場で部隊を率いる実力も、本人の武術の実力も高かったこともあり、彼は死を意識するような機会が無かった。だから、何も考えずに戦ってくることができた。
(考えながら戦うのは難しいな)
そう思ってから、また彼は無意識に敵の攻撃を防いでいた。実のところ、彼には三日月の動きは見えていた。
ふと、猛攻が止んだ。
「面白い、お前の名を知りたい。」
彼は一瞬、何が起きたか分からなかったが、口は考えるより早く言葉を発していた。
「我が名は安国!飛将軍を射る男だ!」
鉄槌を手に、彼は再び考えることを放棄した。
作品No.1