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「来週いっぱいで一気にベースを仕上げる。担当は多少大雑把だがこの通りだ」


 十階大会議室。三〇人ほど収容可能なここは、主に上層部向けのプレゼンテーションに利用される。その他、大人数を集めた説明会や、案件ごとの進捗会などで利用可能時間の殆どが埋まっているため、会議室の予約を取るのが困難だ。したがって、当日に空いていたのは非常に珍しいといえた。

 二〇〇インチのプロジェクタスクリーンには、今日の午前中に作成した分担表を映し出されている。この表示までの間に、プロジェクト概要、アーキテクチャ構成案、業務フローについての概略を説明している。

 なお、役割は次のとおりである。


 『営業』平岡結衣。パッケージソフトウェアの価格設定と費用回収計画、独自開発部分の価格設定、契約関連と、プレゼンテーション資料の作成を担当。


 『技術設計』七瀬明菜。トールハンマーのアーキテクチャ設計、開発費用算出。


 『業務設計』篠田圭一。業務フローのFit&Gap、業務効率化による効果の算出。


 『上記以外』大槻直哉。基盤設計(基盤、MWの選定、導入費用)、開発体制、スケジュール、全体費用算出。


「プレゼン資料のスケルトン(骨組み)は平岡が準備済。ページごとに割振りをしているので、それに基づいて作業を行うことになる」


 平岡結衣、七瀬明菜、篠田圭一は、投影された画面を見つめている。


「以上が本件の概略と今後の役割分担だが、ここまでで何か質問は?」


 会議室は木目の長テーブルがコの字型で配置されている。丁度口が開いているところが、プロジェクタの画面が投影される箇所だ。そこに僕が立って説明していて、それ以外の三人は、それぞれの辺の中央に座っている。平岡と明菜、僕と篠田が対面で、四者を線で結ぶと正四角形になる配置だ。

 昔のプロジェクタであれば部屋を暗くしなければ見えなかったが、最近のものは部屋が明るくても問題なく見えるため、それぞれの表情ははっきりと伺える。

 面白そうに笑みを浮かべる明菜、腕を組んで難しそうな顔をする篠田、目線をこちらから外さず特に表情らしい表情を浮かべていない平岡。


「トールハンマーを入れる前提とするため、前回プレゼン資料は全廃し、必要なエッセンスのみ承継。資料としては十分見られるものになっているから、業務フローについてはそれを参考に組み立ててほしいのが一点。あと、今ここにいる四人は、一先ず本件の専担という扱いで、各部署とは合意済。篠田については事後承諾ということになって申し訳ない。現業の引継ぎは個別に部署内で連携してほしい」


 パソコンを操作し、次のスライドを映す。


「最後にスケジュールだが、年始に社内向けのプレゼンを行い、その後RFPに対する回答と顧客向けのプレゼンが予定されている。で、期間的にも厳しいのもあって、冒頭言ったとおり、来週中にはベースを仕上げて、そこからプレゼン向けに資料を整形。実際の契約は先方の予算では来期に計上されるはずなので、四月となる見込みだ」


 特に三人の表情に変化はない。


「そういえば、今更だがそれぞれは面識があるのか?」


 その言葉をきっかけに僕以外の三人が顔を見合わせる。数秒、変な空気が流れた。

 平岡と篠田は同期ということもあって、互いに顔を知らないわけじゃない。明菜は年次は下であるものの、技術部としてそれなりに顔が知られている。


「篠田さんとは過去何件かご一緒したことがあります。平岡さんとは、打合せでは何度か同席したことはありますが、本格的に絡むのは今回が初めてです」


 口火を切ったのは明菜だ。普段のタメ口は潜めて、外向けの口調だ。それだけで、大体の距離感は理解できた。


「平岡と篠田は……まあ同期だからいいか。とりあえず、ここにいるメンバはしばらく一緒に仕事をすることになる」


「今回の案件は――」


 平岡だ。そこまで口に出して一呼吸おく。視線を一手に引き受ける時間を確保するためだろう。


「当社の次期主力商品の開発も狙いとしてあります。トールハンマーを捻じ込んできたのは上層部だけど、営業部としては、それに乗っかって一気に市場占有率を高める計画を策定します。色々要求することもあるかもしれませんが、よろしくお願いします」


 そう言って軽く頭を下げる。さらっと言ったが、これが実現すれば全社戦略にも影響する大規模なものだ。

 この構想は、今日の昼、平岡に話をしたものだ。共通化可能な箇所を最大化、汎用的に構築することで実現する。フレームワークと共通処理群をSOA(Service-Oriented Architecture:サービス指向アーキテクチャ)としてパッケージング販売する計画。業務に特化した箇所のみ個別に開発を行い、それ以外の箇所はパラメータ制御、或いはオーバーライドすることで業務仕様を実現する。極力独自開発機能を抑制することで、汎用性を持たせ、保守性を向上させるのだ。

 そういった意味で、明菜と篠田の連携が非常に重要になってくる。両者がどこまで歩み寄って、落としどころを探れるかが今回のプレゼンの肝となる。


「まあ、大丈夫だろう。細かいのは持ち帰って確認するが、大筋は理解した」


 篠田の口調は柔らかい。きっと青写真が既に頭の中にできあがっているに違いない。


「私も大丈夫です。概要は既に大槻さんから頂いていましたし、後は細部を詰めて、開発効率化を目線にブラッシュアップしていけば問題ないはずです。二日程度あれば、かたちになると思います。素案レベルで齟齬が無ければ二日後に篠田さんとすり合わせができれば、あとはプレゼン向けに見せ方の問題だけです」


 伊達眼鏡を直しながら、明菜も問題なしとの回答。


「今日が木曜日だから、月曜だな。 ――篠田、月曜に個別に打合せを入れていたと思うが、その時間をこれに充てよう。もともとこの件に関してだったが、調整がすんなりいったからな」


 午前中に証券開発二部へ赴いた際、部長と直接交渉した結果だ。部長より上のレベルで事前ネゴ済ということもあって、割とすんなり要求が通ったかたちだ。


「もう少し言うと、来週の後半に」


 そこまで言って、スライドを切り替える。『旅のしおり』という表題が画面の右端からスライドインしてくる。続けて、日時、場所、目的がアニメーションで表示される。

 プレゼンテーションソフトは、こういった加工が容易だ。通常、顧客に提出するものは紙で印字するため、こういったアニメーションは行わないのが通常だ。しかし、大人数相手にプレゼンテーションする場合は、必要な個所を最初に隠しておいて、後からインさせるのは効果的だ。

 例えば、棒グラフを最初は並べて置いて、それぞれの数字を説明する。その後に、大きな矢印を表示させ、グラフから読み取れるトレンドを図示する、といった使い方。もしくは、前年度と今年度の数字の対比を行う際に、今年度の数字を後から表示させる、という使い方もよく見られる。この場合、初めから全てを見せると、そちらに意識が集中してしまうということを防ぐ目的で使われる。

 ちなみに、今回はそのどちらにも属さない。単純にアニメーションを入れたかった、というだけの処理であることを補足しておく。


「――合宿を行いたいと考えている」


 平岡と明菜は呆れたような失笑を浮かべ、篠田はスケジュール帳と画面を見比べて小さく息を吐いたように見えた。





*****


「大槻、あの子とは長いの?」


 端折られすぎて、何を聞いているか理解するのに若干の時間を要した。


「あの子っていうけど、年は確か同じくらいだぞ。あいつは中途入社組で、入社直後に色々面倒みてそれからだから五、六年くらいになるか」


 平岡が小さく何か呟いたが聞き取れなかった。


「もともと技術畑を歩いていて、前の会社が倒産したらしい。それで探してたどり着いたのがうちって訳だ。結構小さい会社だったから、それこそネットワークの配線から契約まで何でも御座れ、って感じだったらしい。うちにきて、好きなことに専念できるって喜んでいたよ」


 うちの会社はキャリア採用(中途採用)に随分前から力を入れている。離職率はそれほど高いわけではないが、外注比率――プロパー(当社正社員)と、派遣会社等、協力会社から来てもらっている外注要員の比率――を下げることで、社員スキルの向上と運営の安定化を狙っている。

 それでも当社から転職して離れる者もそれなりにいるため、キャリア採用は通年募集している、というのが実態である。


「どうして?」


 平岡にどうしてそんなことを聞くのか尋ねる。


「……ごめん、何でもない。それより、スキルは大丈夫なのよね?」


 今日はグレーのセットアップに、薄ピンクのブラウスを合わせている。胸元に小さく光るネックレスの先端には王冠が付いているが、赤く光るそれは明らかに浮いている。たまにこういう自分の印象とアンマッチなアクセサリを付けるのだが、『趣味よ』といって改善の兆しが見えないのが残念だ。


「今の技術部から彼女を抜いたら瓦解する、とまでは言わないがトップランナーの一人に違いはない」


 言葉のとおり、彼女は卓越した技術者だ。

 炎上したプロジェクトは、統合マネジメント部の指揮下に入ることがある。部内での解決が難しい場合に、全社的な組織体として一時的に『特別対応室』が組成されるためだ。これはあらゆる案件に優先して対応がなされ、その際に技術部や関連開発部から必要なスキルを持った要員をアサインすることになる。

 明菜は消防隊員――火消しにあたって特別に徴収される要員の俗称――の常連で、過去幾度となく窮地を救ってきた実績がある。場合によっては構造そのものの見直しが入るが、どのようなケースにおいても彼女は的確だった。


「随分と信頼しているのね」


「優秀な人間だ」


「わたしは?」


「……優秀な人間だ」


 同じ言葉を繰り返す。事実、平岡結衣の実績を表わすのにこれが尤も相応しい表現だろう。何せ、営業成績はここ数年、社内で三位以下に転落したことがない。不況下においても予算の達成率二〇〇パーセントを下回ったことのない怪物だ。


「……それだけ?」


 うっすらと口角を上げて訪ねてくる平岡だが、話しているこの間にも当然時間は過ぎていくわけで、実はこの後もすぐに予定が入っている。基盤を担当すると言った手前、役割はこなさなければいけない。何となく欲している言葉に察しがつかないわけじゃないが、残念ながら今はオンタイムだ。


「さて、実はLH技研の基盤セールス担当が提案書を持ってロビーに来てるんだ。今回の件の概算見積りを見るんだが、一緒に来るか?」


 サーバ機器のハードは、さすがにうちの会社でも製造まではしていない。信頼性やコスト、実現したい機能を比べて、必要なところに発注するのだ。この辺の価格折衝は僕が担当だ。

 その言葉に聞き覚えがあるのか、平岡がはっとする。目が小さく輝いている。


「もしかして蕎麦屋の出前の人?」


 蕎麦屋の出前という言葉がある。

 これは、期限を超過した事案について担当者に聞くと、今やっています、若しくは、もうできます、というような安直な返しをする事例を指す言葉だ。平岡との話の中で何回か登場している、狭い範囲で(主に不名誉な意味合いで)名が売れている担当者だ。

 もっとも、仕事はできる部類に入るし、何だかんだ言ってデッドラインを過ぎるぎりぎり手前できちんとしたものが出すから重宝している。今日の朝電話したときも、『今できたところです!』とか威勢のいい返事が返ってきた。『もうバッチリですよ! ご期待には添えると思います』なんて言葉だけをみると薄っぺらな表現だが、本当に自信がある時だけ言う言葉であることを知っている。


「よく覚えてたな、そうそう、彼のこと。折角だから一緒に来る?」


「うーん、ちょっと待って。この後の予定は……っと、大丈夫ね。お邪魔していいなら」


 ベージュの革手帳に目を通して答える。


「一応、こっちは平岡と僕の二人。一階応接室だから、歩きながら先方の情報だけ簡単にインプットしておくよ」


 LH技研、正式名称はラグジュアリーアンドヒューマン技術研究所という、創業三〇年のIT勃興期に出来た会社だ。年間総売上高は三,〇〇〇億円、サーバ機器の製造と販売を手がける、国内におけるサーバ機器販売では四指に入る大手だ。実際はサーバ以外にも手広くやっている。うちの会社と競合するエリアもある一方で、こういうかたちで協業することも多い。うちの会社との付き合いはそれほど長くないが、それでも僕が入社したころにはすでに取引があったようだ。


 先方の担当営業の名は藤宮一郎という。年齢は僕と平岡の二つ下だが、大学時代から研究室のサーバ構築やネットワーク構築などをやっていたという、何故営業職をやっているか首を傾げるほどに詳しい人材だ。

 だからだろう、こちらの話はその場で理解してくれるし、無理なことは無理とその場で言ってくれる。なかなか貴重な存在なのである。価格面では他の競合とそれほど差別化できていないが、そういった面も含めて僕が担当する案件での採用率は群を抜いて高い。もちろん、顧客側もLH技研を初めて入れるようなケースは、そのハードルは非常に高くなる――顧客から見て初めての場合は、契約面や信頼面から、登記簿も含めて厳しい審査や煩雑な手続きが行われる場合がある――ため、その場合は、別の会社を利用することもある。幸いにして、今回の案件では、LH技研が過去に導入実績があるということが分かったから声を掛けたのだ。


「先方は、藤宮君と森下課長という彼の上司が来ているはずだ。森下課長は生粋の営業でね、数字やトークは抜群に上手いヒトだ。といっても、印象は八百屋の親父みたいなのを思い浮かべればそんなに外れてない。そんなわけで暑苦しい二人が相手だから、平岡が来てくれて実は助かる」


 平岡は仕事モードに入っているのか、小さく先方の名前を何度か復唱している。


「藤宮さんと、森下課長、藤宮さん、森下課長……と、オッケー、覚えた。それにしても準備がいいね、さすが!」


「そりゃ、前回のプレゼンで出した数字って過去実績だろ? もうちょっといけそうな気がしたんだよ、多分保守費用も含めてトータルで提案させると、一割から二割は減らせるんじゃないか」


 その分、開発費用に回せるし、利益率も上がるだろう、と付け加える。


「優しいなあ、感動で倒れそうだよ」


 その時は介抱するよ、と言ったらただのエロオヤジの烙印を押されるのだろうか。逡巡したが、何も言わないことにした。


「俺は腹が減ったよ」


 代わりに、前後の脈絡にまったく関係のない、それでいて意味もない返しをした。





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