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 開発コード「15023-0320 基盤リプレイス案件(仮)」、これが今回ターゲットとする案件だ。先頭の2桁が西暦の下二桁、次の3桁が担当部署、最後の4桁がその年の通番となる。即ち、2015年の証券開発2部担当の320番目の案件ということだ。その後に続く「基盤リプレイス案件(仮)」は一時的に付けられる名称で、正式契約したときに改めてプロジェクト名称が割り当てられる。通常は顧客側でも同様にプロジェクト名が命名されるため、それに合わせることとなる。

 規模にして三十億円、工数は三千人月(一人月とは一人が一ヶ月労働した場合の作業量を指す。システム開発においては、通常これが規模を示す単位となり、一人月幾ら、というかたちで契約が交わされる)。これは大規模プロジェクトと言って差し支えない規模の案件だ。


「普通、この規模なら専担――案件専任の担当者――付けるのが普通でしょうに、お陰で久しぶりにてんてこ舞いなのです。とりあえず年内は資料の内容を完成させて、来年初にプレゼンを意識した資料にブラッシュアップする。後は勝つためのプラスアルファをどれだけ盛り込めるか、だね」


 ラムチョップを口で引き千切りながら平岡が言う。


「まあな、それについては来週初に篠田と約束しているから、そこで色々ヒアリングするつもり」


 公園で行われていたのはチュニジア博で、僕らは十九時に仕事を切り上げて素材の味を存分に生かした料理に舌鼓を打っているところだった。テーブルにはラム肉、野菜、空豆を用いた料理が並んでいる。あれもこれもと、オーダーした結果だ。

 見た目は辛そうな赤にもかかわらず、非常に優しい味わいのものが多く、素材の味が前面に出ている。それに合わせるチュニジアビールも軽快な飲み口で、既に三杯目に突入している。


 周りは人でごった返していて、特設の小さなステージでは楽器の演奏と合わせて踊りが披露されている。弦楽器と笛に似た楽器の奏でる音は、少し離れた場所で聞いているここにも心地よい音量で響いてくる。


 公園の木々の合間から、大手町のビルが頭を出している。僕の会社も上層階が見えており、昼前に打ち合わせした会議室は灯りが付いていたように見えた。さすがにこの距離では中に人がいるのかの判別は難しい。向こうからもこちら一人ひとりの区別は付けられないだろう。


「どうしたの?」


「いや、まだみんな働いてるのな、って思っただけ。こんな時間から飲むのって久しぶりだからさ」


「ああ、ここから自社が見えるものね」首を後ろに捻って少し上を向く平岡。「本当だ、全フロア電気が付いてる」


 時計の短針は既に八と九の間を示している。普段なら、ここから最後に一つ二つのタスクを終わらせるためにエナジードリンクを補給する時間だ。

 今日から僕が参画するということで、この場は二人だけのささやかなキックオフという訳だ。


「今年ももう終わりだけど、あっという間だったなー。何でこう一年ってこんなにも早く過ぎるのかな」


「それだけ充実してるってことだろ?」


 仕事に忙殺されるのが充実というならば、と心の中で付け加える。確かにこの不況から脱却しようとしている最中に、その波に乗れているというのは会社的には良いことなのだろう。今年度は前年度比で一五〇パーセントの売上げを見込んでいる。しかし、社員数はそれに比例して増えていないのが、僕らが忙殺される最たる要因だ。


「三〇を控えると、ちょっと考えるのよね。いつまでも出来る仕事じゃないしさ、体力的にも」


 平岡に社内で浮ついた話は聞いたことが無い。社内で彼女と接点が無いということもあるかもしれない。上手くやっているのか、本当に無いのかは分からないが、月に一、二回飲んでいる時にもそういった話が及んだことは無い。


 演奏が止み、今度は女性四人によるアカペラが始まる。静かに始まった音楽に、周りも僅かにしんとなる。


「ちょっとビール買ってくる、何かリクエストある?」


 僕は同じのを、と答えると彼女は席を立ち人の群に向かっていく。すぐに紛れて見えなくなった。


『カクテル中心かな、あんまり他は飲んだことなくて』と、彼女は言った。初めて一緒に飲んだのは、お客さんも含めての小さなパーティ会場だった。部長に承認を貰ってから、先方と数回の打ち合わせを重ねての契約。

 最初から最後までやり遂げた、という思いもあって喜びもまた大きかったに違いない。一〇人ほどの参加者だったけれど、これまでの謝辞と、これからの決意を表明した彼女は、どこか誇らしげだったのを覚えている。

『……今後とも弊社ともどもよろしくお願いいたします』そう締めくくって、深々と頭を下げた彼女に、惜しみない拍手が送られた。顔を上げて目線を僕に合わせてくる彼女。僕は彼女から最も遠い位置から、少しだけ笑みを浮かべることで応えた。あくまでその場の主役は彼女だった。


 ――まったく、何がカクテル中心だよ。その後に二人で飲むようになってから分かったことの一つだ。今でも外仕事だとそういったお洒落な飲み物を中心に飲んでいるかは不明だが、僕と飲むときはビールか焼酎かウィスキーか日本酒かワイン。つまるところ、カクテル以外は何でも有り、更には酒量も大の男に引けを取らないほど飲むのが彼女だ。一度だけ聞いたことがあるが、その時の答えはこうだ。

曰く、『だって、料理と合わないじゃない。わたし的には、お肉を食べているときに一緒にジュースを流し込むのは気持ち悪くて。大槻もそう思うでしょう?』だそうだ。カクテルをジュースと形容する時点で、何かが間違っている。『わたしみたいな女子は、多分だけどカクテルを傾けている方が受けがいいんだよ』


 ポケットからマールボロを一本取り出し口に咥える。百円で買ったターボライターは、ジュッと勢いのある音を立てて、先端を焦がす。彼女の前ではほとんど吸わないが、先程から体が欲しがっていた煙を体内に入れると、ゆっくりと吐き出す。

 一度酒の席で吸って、嫌な顔をされたことがある。僅かに目をそこに向けられた程度で、直接言われた訳ではないが、それ以来、彼女の前では何となく控えるようにしているのだ。


 チュニジア博も終わりに近づいてきたのか、帰り支度をしている人が増えてきた。四人組のアカペラが終わって、その次が最後の演目だったようだ。今は最後の締めくくりとして、ジェッパと呼ばれる原色を使った民族衣装を着た妙齢の女性が挨拶をしていた。


 人だかりの中から白のコートが出てくるのが見えて、携帯灰皿で煙草を揉み消す。両手に紙コップを持って、人を避けながら僕のところまで辿り着くと、両手に持っている内の一つを差し出してくる。


「今日はこれで終わりだって。ちょうど私でラストだったみたい、ラッキーだね」


 はい、と言って差し出されたそれを受け取って一口付ける。今日の気温は八度といっていたから、食べ物が無くなって人が捌けてくると急に寒く感じる。これで都合四杯目となるビールはキンキンに冷えていた。


「うん、美味しい!」


「なんか昨日から飲んでばっかりだな」


「私はさ、嬉しいんだよ。大槻ってやっぱりできるよね、色々。負け無しとか常勝とか最近言われてるけど、結局のところ自分一人じゃ何もできない。まあ、魅せ方とか小手先の技術は相当なものだとは自負してるけどね」


「要点を素早く把握する技術、それを効果的に見せる技術、その二つは突出しているってことが今日改めてよく分かった。さすがだよ」


 仕事の上で最も重要なのは、本質が何かを見極めることだ。それ以外の枝葉末節はそれほど重要ではない。彼女はその点でいえば抜群だった。手持ちの武器が少なくても、戦闘に耐えうる武器に昇華させるのは、決して小手先の技術なんかではない。枝葉を幾ら研いでも経営者には太刀打ちできない、一発で見破られてしまうのが現実だ。あくまで本質は何か、それを理解して相手が求めるかたちに整形することが勝利へと繋がるのだ。そしてそれはこれまでの彼女の実績が示しているとおりだ。


「それにしてもさ、やっぱり大槻とこんな仕事の話するのって、変な感じ」


 中身が半分まで減ったコップの両端を右手で摘まんで、中の液体が回るようにコップを揺らしながら彼女は言った。その行為はワインを空気に触れさせるためであって、決してビールに行うものではない。酒の席で彼女が時折行う癖のようなものだ、さらに言うと、酔ってくると遠心力が大きくなるのも特徴だ。

 これまでも会社の話は一緒にいるときはしていたのだが、それはどこか別の世界のように聞こえていた。知っている名前や部署が出てくるけど、実際に見たわけでもない。そう、例えば大学の同期とお互いの仕事の話をしているときの感覚に近い。『今度の社内コンペ、うちの部からは私が選ばれてさ』などと言われたときも、『初めて部下を付けられたんだけどどうしたらいい?』と相談されたときもそうだった。

 あくまで飲み友達の感覚で相談に乗ったし、相手もそう思ってたに違いない。第三者の意見を聞きたいときの、うってつけの相談役が僕だった。

 そんな僕と急に一緒に仕事をすることになるのだ。僕の方こそ違和感がある。


「今までだってしてたろう……社内コンペに出すネタ探しとかさ、仕事といえば仕事だっただろ? まあ、酒飲みながらだったけどさ」


 口に出したのは同意ではなかった。変な照れが邪魔をしたのだ、少し余裕があるところを見せたかったのかもしれない。


「そりゃ、そうなんだけどさー、コンペはある種のお祭りみたいなもんだからね。ついでに、真面目な意見なんて一つくらいしか出さなかったじゃない」


 この後には『ただし』が付く。彼女はその一つを以って入賞までしたのだ。僕の所属する部には、それこそあらゆる部署の問題点から経営層の抱える課題、リスクまで情報として入ってくる。彼女には、営業と経営を近づけるためのシステム改善案と業務改善案を幾つかのストーリーを織り交ぜながら提案したのだ。できるかどうか、という点は置いておき、個人的に企画書を書いてもいいと思ってるネタの一つだった。

 彼女はそれを持って、営業部長や関連部署を回ってそれらしい資料を作り上げ、結果、金一封を手にしたのだった。


「でもあの時にちょっと悔しいなって思ったのも本当。私の考えてたのなんか結局は部分最適にしかならなかったし」


「すまん、ちょっと嫌味だったな……さて! ラムでも喰らうか!」


 残ったラムソーセージを一気に頬張る。外気に晒されて冷たくなったソーセージは、しかし中の方はまだ少し暖かかった。あれだけあった料理は、すべて二人の胃袋に吸収された。



「ちょっと歩かない?」


 公園の灯りも一部は落ち始め、暗がりの中で彼女の顔色はよく見えない。テーブルの上に散らかった皿を纏めて、空になった最後の紙コップも含めて手持ちのビニール袋に纏めて突っ込む。


 公園の出口に向かって進む人の波に逆らって進む僕ら。夜になると公園は二〇メートル置きにある灯りだけが頼りになる。真っ暗な公園は、僕ら以外にはほとんどいなかった。先程までの喧騒とは打って変わった静けさに、耳がすこしおかしくなる。僅かに遠くからざわざわした音が聞こえるのみだ。


 日比谷公園の中ほどにある公園まで、なんとなく二人とも黙ったまま進む。ブランコやシーソーといった定番のアイテム、鉄を加工してできた用途が分からない遊具は、少なくとも僕が小さいころには存在しなかったアイテムだ。

 東京のど真ん中にあるにも関わらず、ここは隔離されている。車の通る音も聞こえない。周りは木々に囲まれ、更にその周りはビル群で埋め尽くされている。


「うわ~! 懐かしいね、ブランコとかさ」


 急にテンションが上がる彼女。中学以来やってないなー、などと言って駆け寄っていく。僕もそれに続いた。

 久しぶりに腰掛けたそれは、膝を折っても、爪先が地面に着くんじゃないかというくらいに低かった。少し漕ぐと、革靴の先端に少し土が付いていた。その隣で彼女はいわゆる立ち乗りの姿勢で、大人にあるまじき全力さを発揮していた。僕の顔に向かって、彼女の匂いが前後から叩きつけてくる。


「気持ちいいよ! ほら!」


 暗がりの中でも、彼女が楽しんでいるのが声から分かる。少し経って満足したのか、僕と同じようにブランコに越し掛ける彼女。

 空を見上げる。空気が澄んでいれば、東京でも星がわずかに見えるのだが、今日は生憎雲が掛っているようで何も見えなかった。


 こんな真冬の、それも夜だというのにランニングをしているのか、目の前を通り過ぎていくランナーを二人で追い掛ける。途中、こちらを見て会釈されたので、慌てて二人で変な笑みを浮かべて頭を少し下げる。寒くないのかな、と言って笑う僕ら。


 先ほどの喧騒はもう完全に聞こえなくなっていた。


「大槻はさ、まだ彼女と付き合っているの?」


 唐突に平岡がぽつりと言った。

 彼女というのは、同じ会社に勤める三つ下の後輩で総務課の鈴木莉子という。僕がまだ技術部にいた五年前に、新人として配属されたのが彼女だ。僕は彼女のOJTを担当する先輩社員として任命されて、何をするにも一緒に行動していた時期がある。

 それから二年後の春に、告白は彼女の方からだった。僕の何が気に入ったのかを聞くと、『働いている姿が格好よかったんです』そう彼女は言ってくれた。

 どう返そうかと一瞬悩んだのだが、悩むことが何も無いことに気付いて、事実だけを返す。


「去年末に別れたよ」


 別れたのはそんな大層な理由ではなく、ただ忙しくなって会う時間がほとんど取れなかっただけだ。段々すれ違いが多くなっていって、たまの休みも電話が鳴ってすぐ会社に向かう僕に、彼女がいよいよ耐え切れなくなった。ただそれだけだ。『分かってます、自分も同じ会社だから。でも』クリスマスも過ごせないなんて、そう続けた彼女は小さく泣いた。付き合うときに約束した、イベントは一緒に、というのをことごとく反故にしたのは全て僕の責任だ。

 統合マネジメント部は、生半可な技術ではやっていけない。社内のあらゆる部署に、プロジェクトを守る最終砦として普段は執行しない介入の『権限』を持っている。そのお陰で僕は統合マネジメント部に異動以来、気の休まらない日々を送っている。


 平岡には付き合い始めた頃に一言だけ漏らしただけだ。それ以後、平岡からこの類の話が振られたことはない。僕もあえて触れる話題でも無かったから喋ってはいない。


「そっかー、可愛かったのに、勿体ないことしたね」


 小さく笑って彼女は言った。茶化すような言い方をしているが、本質的に平岡は優しい。

 けれど、まるで見たことがあるような言い回しは少し気になった。いや、確か最初に技術部に出入りしていたときに何回か顔くらいは合わせているはずだ。けれど、その時は付き合っていなかったから、やはりどこかで見に行ったに違いない。


「前に一度、社内で二人を見かけたことがあるんだよ。ずいぶん距離が近かったから、あー、あの人なんだって思った。総務はたまに行ってるから、それ以来目につくようになっちゃって……ごめん」


 歯切れの悪い回答。

 社内恋愛は多分どこでもそうだろうけど、かなり多い。外に出会いを求めるほどのアクティビティや情熱を持っているのはほんの一握りだ。専ら彼女とのやり取りは社内メールやメッセンジャーを介して行っていたが、たまには偶然を装って休憩所で一緒にいたりもした。どうやらその際に距離を誤ってしまっていたらしい。


「いや、それより、そっちはどうなんだよ」


 五年来の付き合いだが、この手のことを聞いたのはこれが初めてだったように思う。何となく聞いてはいけないような気がしていたのかもしれない。もしかしたら「いるよ」という回答を知らずに避けていたのかもしれない。酔った勢いが半分だったし、平岡も普段と違う雰囲気だったから、としか言えない。

 僅かに沈黙が支配する。

 今の訊かなかったことにして、と口を開きかけたとき、彼女の方が一瞬早く言葉を発した。


「直哉」


 名前を呼ばれた。

 彼女の小さい口から紡がれたその名前は、それが僕を識別する言葉だと直ぐに理解できなかった。僕は口に出しかけた言葉を完全に引っ込めて、彼女の言葉を待つ。そこから更に三〇秒ほど経過すると、彼女の頭がだんだんと地面に向かって下降していく。


「ごめん、気持ち悪くなってきた……ブランコ漕ぎ過ぎた所為かな、世界が回ってる」


 彼女はそう言ってふらふらと公園の脇の方に歩いて行って、ベンチにへたり込む。僕もそれに追随して彼女の隣に腰を下ろす。

 彼女の肩を取って、そのまま頭を僕の膝に乗せる。彼女は何も言わずに横になってくれた。彼女のきめ細かい髪が顔にかかっているのを、指で掬って耳に掛けるようにして後ろに流す。

 目を閉じた彼女は少し苦しそうにしていたが、程無くして穏やかな寝息が聞こえてきた。


 どういう意図で僕の名前を呼んだのかは聞けなかった。


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