天災の恋
この世界に生きる人間は神様から一つだけ能力をもらう。
その能力は小さなものから大きなものまで様々で、大きな能力をもらった人は神様から強く愛されていると考えられ、強い能力者ほど高い階級に居た。
「てめぇ、ふざけんなよっ!」
能力はA~Dに分けられ、俺はAクラスに所属しているのだが、高い階級に居る代わり、面倒な仕事を回される。今回も警察が手を焼いている怪盗を追いかけろと言う命令だが、はっきり言ってこの怪盗、ちょこまかちょこまか逃げやがる。
というか怪盗なんて、名探偵とかそう言う奴らの仕事だろうが。何で俺がと思う。
「義賊か何だか知らないけどなっ! 能力使って犯罪侵している時点で、その金は薄汚れてるんだよっ。つーか、地面を走れ。地面を」
何故か屋根の上を走っていく怪盗を追いかけながら俺が叫ぶと、コツンと紙が頭にぶつかった。
どうやら怪盗が投げてきたらしい。こんな紙で攻撃するという事はないだろうと思い、丸められた紙を開くとそこには『やーだよ』と書いてあった。
「やーだよって、これだけの言葉なら喋れっ!!」
なんなんだよもうとムカつきながらも、俺はひたすら追いかける。怪盗の背後から竜巻作って攻撃をしてみるが、ひょいひょい逃げてしまって全然ぶつからない。
もしかしたらこの怪盗は予知能力を持っているのかと思うが、こればかりは聞いてみないと分からないことだ。でも【やーだよ】すら、紙で書いてくる相手と、会話が成立するとは思えない。
「だから、逃げるな、畜生――。へ?」
追いかけてどこかのショッピングモールの上に着地した瞬間だった。底が抜けたのは。
どうやらガラスでできたそこは、俺の重みを想定していない造りだったらしい。俺は悲痛な音を立てて割れるガラスと一緒に、崩れた穴の中へ落ちる。
「てめーの仕業かっ!!怪盗っ!!」
落ちながら叫ぶと、プラカードがみえた。
『ちがうよ。ただの建物の老朽化。じゃーね』
「だから話せ、会話しろ、ちくしょうっ!!」
最初から予定していたとしか思えないプラカードに、やっぱり予知系の能力に違いないと俺は腹を立てつつ、自分が助かる為に体の下に風の塊をつくる。
それでも衝撃をすべて吸収することはできなくて、俺はそのまま気を失った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
次に目を覚ましたのは、その建物の中でだった。
「うっ。……ここは――」
あー、体中痛い。あの怪盗。次見つけたら、ぶっ殺す。
そんな事を考えながら、体を起こす。
「待って、動かないで」
俺にそう声をかけてきた少女は、黒髪を1つに縛った子だった。化粧っ気がまったくない子だ。服装は、清掃業者のもの。……もしかして、俺はこの子に助けられたのだろうか。
「アンタは――」
お礼を言わなければ。そう思って声をかけようとしたが、それを遮られた。
「何処かへ移動するなら、この上でガラスの破片を払って」
「……えっ?」
あれ? おかしいな。
普通ならここで、怪我をしているから動かないでとか、大丈夫?とか、気分が悪くはないかとかという言葉が来るのではないだろうか。なのに、何か今、すごくショッパイ言葉が聞こえたような……。
「そのまま歩かれるとガラスの破片が飛び散るからすごく困るの」
やはり、聞き間違いではなく、やさしさが欠片もこもっていない、まるで上司のような言葉だった。何?俺<清掃業務なわけ?
いや、確かに君と俺の間に何の関係もないかもしれないけどさ。
もう少しあるだろうと思いつつ、でも、もしかしたらちゃんとお約束事はあるかもしれないと、最後の期待を込めて尋ねる。
「助けてくれたのか?」
「いいえ。ただそこに転がしておいただけ。掃除の邪魔だから。まだ移動しないならそのままでいいけど、でも移動するなら新聞紙の上でガラスの破片を落としてからにして」
残念。ここに居たのは、心優しい女神ではなく、仕事の鬼だった。
まあ実際、俺もそれほどひどい怪我というわけではない。軽い脳震盪は起こしただろうけれど。
「……はぁ。君はここの清掃員なのか?」
「そう」
不愛想に答えられて、俺はがっくしと気落ちした。一応柄が悪いと警戒されるかと思い、アンタではなく君と言ってみたのだけど、そっけない。
世間様が俺に厳しい。
それでも、仕事場を荒らした俺が悪いと諦め、新聞紙の上ででガラスを払い落とす。思ったよりついていたようで、バラバラと新聞紙の上でガラスが跳ねた。
「少し屈んで」
そう言われて屈むと、頭を触られる。
最初は何をされているのかいまいちピンと来なかったが、少ししてガラスを取り除いてくれているのかと気がつく。さわさわと優しく髪の毛を触られると、まるでなでられているかのようでドキドキする。
俺の周りの女子は、基本的に雑なのでこんな風に優しく取り除いてくれる人などいない。なので、耳に手が当たるたびにゾクリとしてしまってなんだか困る。コイツはただ単に仕事をしてるだけなんだと自分に言い聞かせながら息を吐いた。
「なあ。ここに俺以外の人は来なかったのか?」
「いいえ」
ある程度取り除いたらしく、離れた女に俺は訪ねた。どうやらあの怪盗は、俺が落っこちたのを見届けたらそのまま立ち去ったらしい。
まあ、追いかけらているのだから当たり前か。殺しは今のところしていないし、俺をあえて襲う事もなかったみたいだ。
「そっか。せっかく掃除してたのに汚して悪かったな」
怒っているからそっけないのではないかと思い至って、俺は謝る。すると女は、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をした。
キョトンという音がよく似合うような顔は、先ほどまでの冷静さが抜け落ちて、どこか幼く見えた。
「貴方はAクラス?」
「まあな」
「私はDクラス。謝る必要はない。それに掃除が仕事だから、問題ない」
「待て待て。AクラスだからDクラスに謝らなくてもいいとかおかしいだろ。そんな事言う奴がいるのか? だったら、俺がそいつをぶん殴るから」
どんな理論だ。
確かにAクラスは優遇されているが、だからといってDクラスに対して理不尽なことをしてもいいというわけではない。
それともこの子はそんなことをされているのだろうか。
理不尽な事をされている姿を想像すると、少しムカついて、俺は右手で左手を殴った。
「殴らなくていい。それが普通だから。Aクラスは天災。何があっても仕方がない事」
「いやいや。普通じゃないって。それにどうやら俺は、Dクラスの君に助けられたみたいだし……って、おい。残念そうな目で見るなよ。俺はなぁ――」
何故かすごく可哀想なものをみる目でみられて、俺は少し悲しくなった。確かに助けてないって言ってたけどさ。いいじゃん。少しぐらい夢見させてくれたって。
「出口は、C館にある従業員通用口か、あそこの穴。じゃあ、新聞紙を片付けるから」
あ、相変わらず愛想のない奴め。
そう思ったが、新聞紙に手をかけられたので俺は諦めて新聞紙の上から退く。仕方がないか。相手にされないし、俺もここでグダグダしていると、上司に怒られそうだ。
そう思い移動しようとして、立ち止まる。はて。そもそもここはどこで、C館というのはどっちだ?
天井から落っこちたのでさっぱりわからない。かと言って、再び天井から出るには、少々高すぎる。できなくはないが、俺の能力で空を飛ぼうとすると、この辺り一帯が大惨事になるだろう。
「えっと。従業員通用口がどこか分からないんだけど」
「……案内する」
「仕事が終わるまでここで待ってるよ。アンタが帰る時についでに案内してくれ」
これだけ仕事優先の女なのだ。まるで俺がAクラスだから案内させるという感じは、嫌だと思い俺は自分から辞退した。
何と言うかこう、AクラスだからとかDクラスだからとかという考え方は、俺はあまり好きじゃない。そもそもAクラスとかDクラスとか、同じ能力で優劣を決めるのではなく、種類によって決めるのだから、俺的には変な感じなのだ。俺みたいな風を操る能力者同士で競い合うならまだしも、おおよそ土台の違うものと優劣を決めるというのはなんだか狂っている気がする。神様だってそんな優劣を考えて能力を与えているわけじゃないと思うんだけどなぁ。
「分かった。少し待ってて。急いで終わらせるから」
そう言って、女はテキパキと掃除を始めた。
壁にもたれながらその様子を見ていたが、能力をまったく使わない仕事というのも珍しいなと思う。まあ使えない能力とされているのがDクラスなのだから、そういうものなのかもしれない。
「なあ、手伝おうか」
「いい。これは私の仕事」
手持無沙汰でそう声をかけると、あっさり断られた。
相変わらず不愛想だ。俺もとうの昔に、彼女に対して印象を良くしようとするのを諦めた。たぶん俺が敬語でしゃべろうが、いつも通り喋ろうが変わらない気がする。
「アンタ高卒?」
「ええ」
「働いて何年目?」
「2年」
とりあえず返事をしてくれないわけではなく、質問に対しては答えてくれる。
「この辺に住んでるの?独り暮らし?」
「そうよ……貴方は?」
しばらく質問を繰り返していると、初めて俺に対しての質問が返ってきた。何だか、こう、中々懐かない猫がこっちを見てくれたような気分で嬉しくなる。
「俺はちょっと離れてるな。今日は仕事でここまできただけで。ちょっと人を追いかけてたんだけどさ、ヘマして落っこちたんだよ。おかげで服も裂けてるし。本当に最悪。最寄りの駅とかこの辺りある?」
「……ここからは少し離れてる」
「そっか。タクシー呼ぼうかなぁ。上司も交通費ぐらいケチらないよな……って、うげっ。ケイタイ忘れたっ!最悪」
自分のついてなさに少しへこむ。
今日の運勢絶対最低だったんだろうなと思う。
「私の家は駅から近いからそこまでなら乗せてく。後、その格好で電車に乗るのは迷惑行為だから、家でシャワーを浴びていって」
「えっ? いいのか?」
というか、シャワーって……いや、言わないでおこう。たぶん彼女に下心とかはまったくなさそうだ。ここで機嫌を損ねて、駄目と言われるのは、俺としては困る。
「ええ。待っていてもらっていたから」
そう言って、彼女は清掃道具を片付けながら俺に言った。いや、待っていてもらったって、俺が案内される方なんだけどな。
しかし気にしていないようで、スタスタと歩いていくので俺もその後ろをついていく。
夜のショッピングモールと言うのは、昼と打って変わって静かだ。これだけ広い空間に誰もいないというのは、何だか寂しさを感じる。
「なあ、この仕事してて寂しいとかないわけ?」
「寂しい?」
「ほら、もっと賑やかなところで働きたいとかさ」
「……無理だから」
「無理って何だよ」
しかしこの話は嫌だったようで、女はだんまりだ。諦めて俺も無言のままついていく。折角懐いてくれた感じがしたのに、急に離れた気がした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
案内されるままに俺は女の車に乗り込んだ。
乗り慣れているようで危なげなく運転する。
「悪いな。なんか、車まで出してもらって、家でシャワーまで借りる事になっちまって」
「大丈夫。ついでだから」
ついでねぇ。
ついでというには、ちょと余分な事が多い気がする。……先ほど機嫌を損ねたようだが、ちゃんと車に乗せてくれるし、不愛想ではあるが、いい奴ではあるのだろう。
しばらく車から流れる音楽を聴きながら、外を見ていたが、空で稲妻が光っているのがみえた。そしてその隣で炎が上がる。
「うわっ。今日も誰かが派手にドンパチやってるな」
Aクラスにいる自然能力系は、俺も含めて血気盛んな奴が多い。なので、こうやって町中でバトルするものもいる。
Aクラスの能力によって町のものが壊れた場合は、天災とされ、国からの援助金で直す事ができる。ちょっと甘やかしすぎではないかと思うが、Aクラスは国の防衛にも貢献し、何かあった場合は強制的に派遣されるので、まあその恩恵に対するお返しなのだろう。
「って、おい。迂回しないのかよ」
「大丈夫。稲妻と炎だったら車に物が飛んでくることはないから」
いや、そうだけどさ。
「でもさ、戦闘中に車が走ってると、目障りだって攻撃する馬鹿も居るだろ。……その、Aクラスって、血の気の多い馬鹿がいるのは確かだからさ」
情けない限りだが、Aクラスは馬鹿が多い。俺も含めて。なので、ああいう時は近づかない方が得策だ。
「私の能力なら問題ない」
そう言えば、この女の能力ってどんなのなのだろう。
Dクラスの能力者は周りにいないので興味がある。じっと観察していたが変化がなくて俺は首を傾げた。ただしばらく車が走った所で、外にいる能力者が俺らを全く気にしていないのに気が付く。
まるで俺らなどいないように。
「すげぇ……本当に何にもされなかったな」
「私の能力は【無関心】。影を究極に薄くする能力だから。今は貴方の額に私の血をつけさせてもらったから分かりにくいと思うけど」
「血?」
「私の血をつけると、その対象物も影が薄くなるから。でも血がついていない状態で、私がこの能力を発動させていれば、貴方は私にまったく関心がなくなっているはず。ただこの能力はそれほどすごくはない。殺意を持ったら一瞬で解けるから」
そんな能力があるんだ。
初めて聞く能力だ。俺の周りには今聞いた能力とだぶった能力を持っている奴を聞いた事がない。世の中広いなぁと思う。
それと同時に、やっぱり落ちてきた俺に何もしてなかったわけじゃないんだと知る。
能力同様に俺に対して無関心っぽいけれど、血を付けて落ちてきた俺を隠してくれたのだろう。きっと誰かに追われているのかもしれないと考えて。やっぱりいい奴じゃないか。
「そっか、やっぱりアンタが俺を助けてくれたんだな。ありがとう」
「ど……どういたしまして」
それから俺は、最近の事や、テレビの話題などを振ってみて会話を楽しんだ。……いや、楽しんでるのは俺だけか?
相変わらず返事は淡々としたもので、分かりにくい。ただ、喋れば答えてくれるので、嫌われてはいないのだと思いたい。
家についた俺はそのまま彼女へ部屋へ行き、風呂を借りた。ささっと洗って外に出ると、タオルと男物の清掃員の作業着があった。ちゃっかり借りてきたのだろう。
流石は冷静女だ。
「風呂、ありがとうな。そういや、名前をまだ聞いていなかったな。俺は――」
「別にいい。今日かぎりの知り合いだから」
仲良くなれたと思ったのに、返ってきた言葉はそっけなかった。
くっ。何となく分かったか、部屋に男を入れる割に、警戒心が強い。質問には答えるが、能力の事以外では自分から自分の事をしゃべったりしなかった。
「寂しい事言うなよ。ここから始まる恋だってあるかもだろ?」
自分で言ってみて、少し照れくさくなる。でも、人の出会いってそんなものだろ。
「私はDクラスだけど?」
だから、何でそこでクラスが関係するんだ。意味が分からんというか、コイツの警戒心の強さは、この卑屈さにあるのではないだろうか。
「だからさ、Dとか関係ないって。それにアンタの能力は少なく見積もり過ぎだと思うぞ」
俺は彼女の能力と同じ能力の持ち主なんて見たことがない。ただ単に、同じ能力者がいないから、使い勝手が分かりにく能力ってだけではないだろうか。
使い方次第では、絶対凄い能力だと思う。
「そんな事ないから。お風呂に入ったなら、帰って。作業服は、この会社に送ってくれると嬉しい」
あくまで俺を排除しようと考えているらしい。
なんだか能力の所為でと言うのが、歯がゆいというか、腹が立つ。俺自身が嫌だとかそう言う理由じゃないのだ。
しかし、手渡された名刺を見て俺はにやりと笑った。
「ふーん。影路綾ちゃんか」
「そこは気にしなくていい。上に書いてある住所が会社だから」
「綾ちゃんと影路ちゃんのどっちがいい?」
俺は彼女の言葉を無視して質問を続ける。ニコニコと笑って見守ってると、彼女が先に折れてため息をついた。
「影路で」
ちぇ。苗字か。
でも苗字でも呼ばせてくれるのは進歩だ。
「Ok。影路ちゃん。俺は佐久間龍だから龍って呼んでくれればいいから」
「佐久間さん。ではさようなら」
って、おい。速攻かよ。
まあ名前交換で来ただけ良かったと思うか。それに会社の住所と電話番号も分かったから、彼女が何処で仕事をしていても遊びに行ける。
「影路ちゃんはつれないな。まあ、でも。男が夜中に独り暮らしの女子の部屋にいるのは色々不味いだろうし、帰るわ。またな」
振りかえしてはくれないかもなと思いつつも、手を振ると、小さくだが影路ちゃんも手を振った。奥ゆかしいというか、戸惑いながらっぽい手の振り方が可愛くて、俺はさらに笑顔で手を大きく振った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
しばらく影路に付きまとったおかげで、だいぶんと影路との関係も砕けてきた。最近は、呼び捨てで呼び合う仲だ。
そして僅かだが、影路は俺の仕事を手伝ってくれるようになった。最初は半ば強引だったが、最近はお願いをすればほぼ二つ返事で手伝ってくれる。
一緒に影路と働けるのは、とても楽しい。影路は色々予想を斜め上に走っていくので、見ていて飽きないのだ。時折、無茶をし過ぎて心配にもなるけれど。
「佐久間、キモイ」
「なあ、明日香。俺に対する優しさとかないわけ?」
「バ●ァリンあげようか?」
「いや、ソレ半分は優しさっていうけど、半分は薬だからな。そして俺がそれをもらった所で、お前からのやさしさじゃないからな」
同じ職場で働いている明日香が俺を見て、冷たいまなざしを向ける。
冷たいまなざしは、影路ので十分貰っているから、もういらないんですけど。
「今日は綾と一緒の仕事だからって、デレデレしすぎよ。鬱陶しいわね。この間逃げられた怪盗が相手なんでしょ? また失敗しても知らないから」
「嫌な事言うなよ……。ってか、いつの間に影路の事名前呼びしてるわけ?!」
あれ? おかしいな?
俺の方が早く出会って、早く仲良くなったはずなのに、いまだに苗字呼びなんですけど。
「そりゃ、親友だもの」
「親友ですと?! えっ? 明日香さん? いつの間に?」
あれれ? おかしいな?
俺の方が、影路の職場へよく遊びに行ってるんだけど。でも、俺、いまだに苗字呼びされてる……というか、よく考えたら明日香は最初から名前呼びだ。
おっと。待て待て。今、俺が一番影路と仲良かったんだよな。部屋でシャワーを借りた仲だもんな。
「いつの間にって。まあ、ちょっとした共通項もあったしね……。ちなみに、綾の手料理も食べた事あるから。勿論、綾の部屋で」
「な、何で俺もその時誘ってくれないわけ?!」
俺は助けられた日以来遠慮して、影路の家に行ってないのに。なのにどうして明日香は影路の家に行き、手料理までごちそうになってるんだろう。
「まあ、女同士、積もる話もあったのよ」
「俺、その時だけ女になる! 龍子ちゃんでいいから」
そう言うと、明日香は深くため息をついた。
そのまなざしは、冷たいと言うより、生暖かい。
「本当に馬鹿よね。まあ、股間のものを切るだけの勇気があったら呼んであげるわ」
酷い。
今の言葉で、俺はきゅっと縮こまる。ほんの冗談なのに。……いや、影路の料理を食べたいのは冗談じゃないけどさ。
「とにかく、さっさと仕事に行ってきなさいよ。でもって、ちゃんと綾を守ってよね。あの子、本当に馬鹿みたいに仕事頑張っちゃうみたいだから」
「分かってるよ」
言われなくったって、ちゃんと守るつもりだ。
俺はバイクに乗って、怪盗が予告を出した場所へ移動する。
今回怪盗が馬鹿正直に予告場を出したのは、美術館だ。展示品の王冠を狙ってやってくるらしい。……というか、本当に目立ちがりやというか。予告状を出すとか、お前はアニメの見過ぎだと言ってやりたい。
バイクを置き、警備体制が敷かれた中へ入ると、すでに影路はそこにいた。
「影路、遅くなった」
「大丈夫。予告までの時間はまだあるから」
影路は警備の隅の方でのんびりとしていた。というか、手もち無沙汰な様子だ。
「色々警備体制は教えてもらったか?」
「えっと。まだこれからかな。ほら、佐久間と一緒に聞いた方が説明も二度手間じゃないし」
……言葉に出しては言わなかったが、どうやらDクラスだからと言うのを理由に、真面目に扱ってもらえなかったようだ。
「えっと私はまだ何の成果も見せてないから、信頼されていないのは当たり前なの。分かる? 信頼は仕事を続けて初めて得るものだから」
俺がムッとしたのが伝わったらしい。影路は慌てて付け足した。
「分かったよ。じゃあ一緒に聞こう」
影路はいつでも冷静だ。それは俺と出会った時から変わらない。理不尽な事にも怒らず対処を考える。それは俺が持っていないもの。
能力の種類なんかですべてを測るのはやっぱり間違っていると俺は思った。
◇◆◇◆◇◆◇
最終的に、影路は【無関心】能力を使って王冠の隣に立つという事になった。
ただ能力を使ったままで捕まえるという作業は影路的に難しいという事で、発信機を怪盗につけるという役目だ。
影路の能力は、殺意と言うより害意や強い感情で揺らぐものらしい。無関心とは反対の感情が弱点とは……いつでも冷静な影路らしい能力だと思う。これが俺なら、まったく使いこなせなかっただろう。
「影路。無理はするなよ」
「大丈夫」
……影路の大丈夫ほど信頼ならないものもないんだけどな。
そう思いつつも俺は影路から離れる。ここにあるのは偽物だ。怪盗の事だし、それぐらいの事は気づき本物が入った金庫の方を襲うだろう。
というわけで、俺は金庫の方の警備に回された。
例え間抜けにも怪盗が偽王冠の方へ行ったとしても、影路は発信機をそっと怪盗の体に付けるだけだから大丈夫だと踏んで。
しかし、予想外の事が起こった。
ジリジリッと警報機が鳴る。どうやら怪盗は偽物の方を捕りに行ったらしい。俺はその音が鳴った瞬間、展示場所へ走った。
今度こそ捕まえてやると意気込んで。
しかしそこにあったのは、カードだけだった。
「影路?」
誰もいない。影路さえも。
何で? 影路の血を事前につけているので、俺が影路に気が付かないはずがない。なのにいない。
俺は偽王冠があった場所に刺さった手紙を手に取る。
『王冠は手に入れた。ついでに僕の為に作ってくれたレプリカも貰っておくよ。ありがとう』
「ありがとうじゃねーよ!!」
本当に神経を逆なでしてくれる野郎だ。
「金庫の中身は?!」
「ありますっ!」
「えっ? あるの?」
確認した瞬間、とる作戦かと思ったのに。もう確認したらしい。しかもあるのかよ。
「はい。あります。捕られてません」
「……発信機見せて」
警察が走って俺に見せにやってくる。発信機はすでに美術館の外を動いていた。影路が発信機を取り付けるのを失敗するとは思えない。やると言ったらやる奴だ。
……まさか一緒についていったのか?
「とりあえず、王冠はちゃんと守っておいて」
そう言って俺は走ってバイクをとりに行き、追いかける。エンジンをふかして、風をタイヤの下で固めると、その上を走らせた。一気にビルよりも高く駆け上がる。
ずいぶんと離されてしまっているので、道路を無視してショートカットするしかない。ただ風を操り、地面のない空中をバイクで走るのは神経を使うので長くは使えない。
しばらく走らせて、俺は発信機を付けたタクシーを見つけ、タクシーのフロントの上に着地した。ガリガリっとタイヤがフロントに傷をつける。
そしてそんなフロントガラスの向こうに影路の姿を見つけ俺の血圧が一気に上がった。
「てめぇ。影路を返せ!!」
『危ないよ』
そう怪盗が紙を見せた瞬間、タクシーが急ブレーキをかける。
いきなりのブレーキで俺は車から振り落とされかけたが、風を集めて横転しないようにバランスをとった。
「何しやがる。今回は見逃してやるから、影路を置いていけっ!影路を人質にすんじゃねぇ!」
ふざけるな。
偽物つかまされたからって、人質をとるなんて。コイツはもっと義賊みたいなやつだと思ったのに。
『やだよ。この王冠は、僕のものだから』
「王冠?」
俺との会話は決めているかのように文字を書いたスケッチブックを見せる。
確か王冠はまだ捕られていないはずで――。
『この子は僕と居た方が幸せだよ』
「勝手な事言うな!影路に先に会ったのは俺だてーの!」
影路を誰もいないあのショッピングモールで最初に見つけたのは俺なのだ。
『まだ、苗字呼びのくせに』
「みょ、苗字呼びはあだ名だ!! 下の名前を呼んだから偉いんじゃねーよ」
自分で言って何だかしょっぱくなってきた。畜生。勝手に俺の心の傷を抉りやがって。というか、なんで知ってるんだよ。
『この子はDクラスを理由に正当に評価されないんだよ。そんな中にいても不幸だ。でも僕ならこの子の力を使ってあげられる』
確かにその通りだ。
Dクラスと分類されてしまっている影路にとってこの世界は生きにくいだろう。こっちに引っ張り込んでおいてなんだが、ただDクラスというだけで、何も知らない奴が影路を馬鹿にしている姿を何度か見た。
「でも職業選択の自由は私にある。勝手に人の職場を決めないで欲しい」
気絶しているのかと思った影路が、ぐいっと拳銃を怪盗に押し当てた。
怪盗はペンを取り出すとスケッチブックの白い部分にサラサラと文字を書く。
『あれ? 無関心の能力を使うと殺気をこっちに向けられないんじゃなかったっけ?』
「別に能力は使っていない。貴方が佐久間と話している間に準備しただけ。この拳銃の安全装置がちゃんと外れているかどうか、自分の体で試してみる?」
『止めておくよ。分かった、今回はちょっとお姫様を口説くには強引過ぎた』
「口説くっ?!」
「佐久間黙って。この人はたぶん、佐久間の動きだけ予知してるから。どの範囲かは分からないけれど」
影路に言われて俺は黙った。なるほど。だから俺の言葉に的確な言葉を文字で書いて見せてきていたのか。
『今日は撤退するよ。レプリカの王冠は返そうか?』
「持ってけ。とりあえず、俺は影路を返してくれればそれでいいから」
ひらひらと俺が手を振ると、怪盗は恭しく影路を車から降ろした。
そして、そっと手の甲に口づけをする。
「殺されたいらしいな」
『やだなぁ。ただの挨拶じゃないか』
スケッチブックでコメントを見せられ、俺は余計に腹を立てたが影路が俺の方へ来てギュッと手を握ったので攻撃するのは諦めた。
というか、俺の動きを読まれているなら、こちらも体勢を整えてコイツに向かうべきだ。
俺は影路と一緒に、フロントガラスにヒビの入ったタクシーが遠ざかっていくのを見送った。
◇◆◇◆◇◆◇
「えっと、つまりあの怪盗の能力は、【喋る】事と関係するというわけ?」
「たぶん。その辺りに発動条件か又は能力停止条件があるのだと思う。そうでなければ筆談なんてしないはずだから」
後日、俺は影路と一緒にこの間の一件を話していた。
「まあ確かに。俺の時はすでに言葉が書かれてたけど、影路の時はわざわざその場で書いていたもんな」
「予知系能力は万能じゃない。限りなく可能性の高い未来を見るだけ。でもそれもとても限定的なはず。精度が高いほど、条件も厳しくなるし」
「何で影路は予知能力について詳しいんだ?」
影路って予知能力者じゃないよな。
この世の中に2つの能力を持っている奴がいるとは聞いた事ないし、たぶん違うはず。
「ここにある本に書かれてるよ。予知能力者はある程度数が多いから、研究が進んでるし」
「あっ……そうなんだ」
すみません。本を読まない男で。
影路は意外に勉強好きだ。というか、能力が使えないのだからといい、別の部分で補おうとする。恐ろしい奴め。
「そう言えば、怪盗から手紙が届いた」
「はあ?!」
影路はなんてことないようにそう言うと、手紙を取り出した。
確かにそこには怪盗のいつものサインが入っている。
「この間の恨みつらみが書いてあるけど。読む?」
「よ、読む。読むから!」
恨みつらみって、何が書かれてるんだ。
手紙を読み進めて、俺は無言になる。……なんだこれ。
「私が使えない事は分かってるのだからいちいち書面に書かなくてもいいのに。王冠を手に入れられないようにしたのが、よほど悔しかったらしい」
えっ。いや。
影路さん。それ、たぶん違いますよ。
手紙の内容は、影路がこの組織に居ても意味がない、こちらへ来るべきだという事が永遠に書かれている。……ぶっちゃければ、プロポーズのようなものだ。
君が欲しい的な。
「というか、王冠、やっぱり欲しかったのか?」
「うん。でも最初から私が仲間の方に発信機を付けておいて、それを警察に渡しておいたから、駄目だったみたい」
「仲間に発信機?」
「佐久間が来るまで暇だったから、能力発動して、1人1人不審な人はいないかチェックしていたら、警察手帳が偽物の人がいたから。その人に発信機を付けておいたの」
いつものクールさで、影路が何てことないように暴露するが、まったく何てことなくない。
「マジで? 何で言ってくれないんだよ」
「だって、佐久間の動き予知されてる可能性が高かったし。この手紙で、王冠は手に入らなかったことが書かれてるから、今伝えた」
お、恐ろしい。
自分がどれだけ凄い事をやったのか、分かっていないところが恐ろしい。あの怪盗に盗ませなかったのは、たぶん影路が初だ。
「な、なあ。ここに僕のころに来いとか書かれてるけど、行かないよな?」
手紙には、影路の力が欲しいと書かれている。
影路は以前、そう言う言葉に弱いのだと自分から言っていた。
「……佐久間は私が必要?」
「当たり前だろ?!」
「なら、行かない。今は佐久間が主人公の物語を見ている方が楽しいから」
良かった。
怪盗にザマアミロと言う前に、ほっとする。何だか彼女に捨てられるかどうかの瀬戸際にいる男の気持ちが分かった気がする。
「そういや……明日香が、影路の事、綾って呼んでたんだけどさ」
「うん。綾は私の名前だし」
「えっと……俺はその。綾と呼んでも……って、めっちゃ嫌そうな顔するなよ」
凹むから。
仲良くなれたと思ったのに。どうしてそう言う顔をするんですか、影路さん!
「だって、あだ名なんでしょ?」
「は?」
「仲がいい人には、あだ名で呼ばれたい」
あだ名?
少しして、怪盗に言った言葉を思い出す。いや、あれは、その場の勢いと言いますか。
「佐久間。駄目?」
「駄目……じゃないですよー」
ははは。うん。仲がいい判定されただけでも喜べ俺。
「良かった」
にっこりと笑う小悪魔に、振り回されっぱなしの俺は天災とはまさに影路みたいなやつの事ではないかと思った。