此日
「名前負けね、完全に。こんなつもりじゃなかったのに」いつだったか、母親が真面目な顔をして私にそう言った。
ただの気の合う友達。
卒業式に告白、なんてオチも無く。
あたしはフリーター
あいつは大学へ進学
腐れ縁ともサヨナラして、満開の桜を背負って別々の道を歩き出す予定だ。
「アンタ、フリーターって。カタカナだからカッコいいと思ってるんじゃないでしょうね」
落ちこぼれの私を蔑むように、半ばあたしを投げ出した母親が用も無いのに部屋へ訪れてはそう吐き捨てる。
飽きないのだろうか。
あたしは何も答えない。何を言っても通じないと勝手に決め込んで、フリーターもあたしが決めた道だ。
進学校だった為親にも教師にも反対されたが、あたしはあたしのやりたい事を見つける為にフリーターになりたいと思ったのだ。
大学進学を目標に入学したあたしを変えたのはあいつだった。
「はい」
聞きなれた着信音が鳴り、ワンコールであたしは電話に出る。
『なにシケた声してるん?』
「うるさい」
母親はいつのまにか居なくなっていた。
ああ、弟の塾の迎えの時間だからか。
「なに?私忙しいんだケド」
母親の懲りない嫌味の八つ当たりか。少々キツく言ってやる。しかし、そいつは怯まずに、にゃはは。と楽しそうに笑い、言葉を続けた。
『ちょっと、今から出てこれない?』
「こんな夜に女の子を外に出すのー?信じられなーい」
『ハイハイ。お迎えに上がります、姫。勿論お家までお送り致しますから』
「解ったわ、待ってるから早くして頂戴ね」
姫なんて見たこと無いから知らないけど、取り敢えず使ったこともないような丁寧語で言うと、またそいつはにゃはは。と面白そうに笑って電話を切った。
お風呂にも入ってあとは寝るだけだから、部屋着だ。
これはあんまりだろう、と理由を付けて、箪笥の引き出しを引っ張る。
迷うのも馬鹿馬鹿しいが、もうこうして夜な夜な二人で会うこともないだろうと思うと自然と気合いの入った服をチョイスしてしまう。
誕生日に貰ったネックレスをして行こうか、義理チョコのお返しに貰ったブレスレットをして行こうか。
卒業の記念だと言って貰ったピアスをして行こうか。
こんなに沢山のモノを貰い、あげてきたのにあたし達は恋人じゃない。
周りはそれを不思議がり、私も少し不思議がった。
私はあいつの事を好きだ。だけど、私がその一方的な気持ちをぶつける事によって、あいつのにゃはは。と言うふざけた笑い声を聞くことが出来なくなるのは嫌だった。
周りは、あいつもあたしの事が好きだと言った。多分そうなんだろうと、あたしも思う(自意識過剰だろうか)
理由だってちゃんとあるのだ。あたしの誘いを断ったことは無い(正確には一度だけある。それはあいつの部活の大会の日だった。仕方無い事なのでカウントはしないでおく)
それに、誕生日やらなにやらと、私に何かプレゼントをくれた。
私を慰めてくれた。話を聞いてくれた。頭を撫でてくれたし、胸を借りて泣いたことだって一度だけある。
それでもあたし達は恋人にはならなかった。
なれなかった。
『着きましたよ、姫』
ワンコールで出るのももう慣れた。
私は階段をそーっと降りる。
あ、でも母親は弟の迎えに行ったんだ。気付いてからバタバタと慌ただしく階段を降りる。
父親はリビングに居たが、何も言わずに私を見送った。
「よ!」
見慣れたブルーの自転車に跨がって、少し寒そうにポケットに手を入れて肩を竦めている。
「母ちゃんは?」
「今居ないから平気」
「んじゃ、秘密基地行くか」
「うん」
自然に自転車の荷台に乗り、そいつはそれを自然に受け止めて、うりゃ。と言ういつもと変わらない掛け声で自転車をこぎだした。
秘密基地まで約10分。
何度、この目の前に揺らめく頼り甲斐の無さそうな背中に頭を預けようと思ったことか。
今日もそれは叶わないんだろうけれど。
「おー今日は星がきれいだ」
「本当だぁ」
あたしが上を向くと少し自転車はぐらついたがすぐ軌道を修正した。
一緒に見る星空は見飽きる程あった。こんな星も沢山一緒に見てきた。珍しいことじゃない。
「お前、フリーターってバイトとかすんの?」
「するよ。明後日面接」
「何のバイトするの?」
「メイド喫茶」
「うわ、キツ!」
「嘘じゃ、アホ。キツいとか言うな」
にゃはは。
またそいつは笑う。
秘密基地に着いた。
基地でもなんでもない、ただのブランコしか無い公園だ。
自転車を降りて、あたしは左の、あいつは右のブランコに乗る。そしてこぐ。
「あんた、大学いつからよ」
「4月6日からだよ。オリエンテーションとかだるいっつの」
茶色の柔らかな髪の毛が風に靡いて夜の闇に溶けて消える。
ふわふわの、猫毛な事も私は知っている。
「で、呼び出した理由はなに?」
あたしには関係の無い大学の話はもう飽きたので、早速核心に迫ってみることにした。
んー?と言って口は笑ったままそいつはブランコを勢い良くこぎだした。
「聞きたい?」
ニヤニヤ、むっとして別に。と答える。
「可愛くないよな、ホント」
「知ってるでしょ」
うん、知ってる。
と言ってギコギコ壊れそうにブランコを軋ませながらそいつはまだ言い出さない。
「お母さん、うるさいの知ってるでしょう?早く帰らせて」
催促すると、ズズズ、と踵で無理やりブランコの前後の揺れを止めて首を此方に捻る。
「お前、俺と一緒になる気はないか」
念の為にもう一度言っておくがあたし達は恋人じゃない。
つまり、付き合っていない。友達だ。
「あたし、万年学年首位のあんたと違って頭良くないから言ってる意味が解らないんだけど」
「俺の為に食事を作って、掃除洗濯をしろってことだ」
「んなもん、家政婦でも雇えばぁ?将来有望な医大生様」
ムカつく。
何の意味もなく、大学へ行く事をやめたのは、こいつがキラキラ輝く目で将来を語りその為に大学へ行くと言ったからだ。
だから、あたしもそんな風に未来を語れるようになりたくてフリーターになったのだ。
なのに、何を言い出すのか。
「……家政婦じゃ駄目だ。そこに愛がないから」
「…スミマセン、119番…しましょうか」
「だって、お前俺の事好きだろ?」
「………」
「翔子」
初めて名前を呼ばれた。
「好きだよ、大好きだよ。もう、愛してるよ」
今更恥ずかしがることはない。気持ちを告げる機会など今までに何度もあったのだから。
にゃはは。
彼は心底面白そうに笑う。
悔しかった。何年間も塞いでたことをそいつは軽々しくも、言い放ったのだから。
「翔だってあたしの事大好きなんでしょ」
初めて名前で呼んだ。
喉の奥が痒くて、こそばゆい。
こいつもそう感じたのだろうか?
「おう。大好きなんてもんじゃないなぁ、愛してるよ。世界で一番、大好きだよ。お前の全部ひっくるめて、大好き」
胸が何回もきゅんきゅんして、このまま収縮して死んでしまうんじゃないだろうか。
「一緒になるのは、俺が一人前になってからな。それまで同棲って事で」
今まで逃げてきた当たり前のシナリオに辿り着いた。
だけど、あたしもそいつもいつもと変わらない表情だ。
「うちの両親、まぁ父親は良いとして、お母さんが了解するかなぁ」
「任せとけって!バッチリ計画は立ててある」
「マジ?て言うか、あたしが断る事は想定してなかった訳」
「うん。だって、俺が好きなんだから。お前だって俺が好きだって確信があった。て言うか、そう言う公式があるんだよ」
「センターで出た?」
「出た出た!」
にゃはは。
「だからさ、お前は俺と一緒の所でやりたい事を見つければ良いよ。あの家じゃ…窮屈だろ。」
「…うん」
「お前は翔べる。何たって、俺が一緒だぞ」
「…頼りな」
「言っとけ」
あたしも、にゃはは。って笑ってみた。
そうしたら、これからがぱあっと明るくなってその中心にはあいつがいた。
「何で今まで告白しなかったの?」
「かっこつけたかったの。お前に医大生の彼氏を持たせてやりたかったんだよ」
「ふぅん」
多分これは嘘。
だって、こいつは嘘を吐く時右の唇の端がひくつく。
この時は今までに無い位ひくついていた。
あたしと同じ、ただ勇気と度胸がなかっただけなんだろう。
その点では、褒めてやろうと思う。