第3話:〜秋〜 君に名を・・・
「ところで黒猫さん、君の名前は?」彼は聞いた。
「私に名前なんてないわ。好きに呼んでちょうだい。」人に飼われたことの
ない私には、名前などあるはずもなかった。
「え、名前がないのかい?それは困ったな。黒猫さんだなんて、なんだか
よそよそしすぎるし・・・」彼は言った。
私は別に”黒猫さん”でも構わなかった。自分に名前がつけられ、それを
呼ばれてどうなるのか、味わったことのない私にはどんなものも
同じに思えた。
それじゃあ・・・と言って彼は口を開いた。
「僕に君の名前をつけさせてくれないか?」彼は言った。
「あなたが、私に名前を?」私は聞いた。
「そうさ。だって、名前があった方が君が君である証なんだから、大事だと
思うんだ。僕だって、呼ぶならきちんと名前で呼びたいし。もちろん、君が
良ければだけど・・・・」
自分に名前がつけられることに、いまいち実感が湧かなかった。嬉しいのか、
悲しいのか・・・だけど、これといって断る理由もなかったので好きにさせた。
「別に、構わないわよ。」私は言った。
「そうかい。良かった。それじゃあ何にしようかな・・・」
うーん、と言って彼は考えていた。
「『レン』、はどうかな?」
彼は言った。
「レン?」
「そう。僕の知り合いにね、レンという人がいるんだけど、その人の髪はとても
綺麗な黒色をしているんだ。君にとても良く似ている。その綺麗な黒色が。それで
思いついたのさ。」
不思議な感じがした。
名前を与えられたから・・・違う、それだけじゃない。
『綺麗』という言葉が私の耳の奥で響いた。そんなこと、初めて言われた。
「どうだい?」彼は聞いた。
「えぇ、とても気にいったわ。どうもありがとう。」私は礼を言った。
「それは光栄だ。」そう言うと、彼はにっこりと笑った。
あっ!――と言うと、彼は突然立ち上がった。
「ごめんよ、僕はそろそろ帰らなきゃ。」
「そうなの?」
「あぁ、実は、僕が地球にいられるのは、夜の12時から1時までの間だけなんだ。
それを過ぎてしまうと、月に帰るのが少し難しくなってしまうから。」
そう言うと、彼の体がボウッと光始めた。
「それじゃあ、また。とても楽しかったよ。」
「また、会えるの?」私は聞いた。
足元から少しずつ、彼の体は光にのまれていった。
「うん。必ずまた会える。」彼は言った。
「本当に?どうしてわかるの?」
「それは・・・もう一度会えたら話すよ。」
もう体の半分はすでに光の中だった。
「おやすみ、レン」
そう言うと、彼は光に包まれて消えていった。
時刻は、午前1時――
彼が去ったあとの空き地は、まるで何も無かったかのようにただ静寂だけが
広がっていた。
――もしかしたら、私は本当に夢を見ていたのかもしれない――そんな気持ちに
なった。
だけど・・・・
『彼の名はトーヤ、白いシャツに黒のスーツ、綺麗な青色のネクタイ。』
『月の国の王子様で、地球と月の間にかかる橋を渡ってやってきた。』
そして、私のこの黒色を綺麗と言ってくれた。
こんなにも鮮明に覚えている。
夢かもしれない。だけど違うかもしれない。どちらも半信半疑だった。
夢だったら――もう二度と会えないだろう。
夢じゃなかったら――また、会えるかもしれない。
もう一度会えたらいいと、どこかで思ったりした。