第1話:〜春〜 桜吹雪
今夜の月はどこか切ない。
あの人が悲しんでいるのだろうか。。。
たとえそうであったとしても、自分にはもう何もできない。
心の奥がまだ痛む・・・
もうすぐ午前12時。人気の全く無い空き地で私は彼を待つ。昼の日差しは心地よくても、夜になるとまだ少し肌寒さを感じる。
だけど私は、そんな春の夜の冷えなど気にならなかった。
とにかく早く彼に会いたかった。
突然、ロウソクに火が灯るような、ボウッとした光が目の前に現れた。
「やぁ、待ったかい?」
光の中から現れた一人の青年が、微笑みながら言った。
「そうね、待ったけど、それほど退屈でもなかったわ。」私は言った。
「今日はどんな話をしようか?」
そう言うと、彼は私のすぐ側の岩に腰掛けた。
「私、この前、桜の花びらが風で舞っているのを見たの。とても神秘的だったわ。」
「サクラ?サクラって・・・・何?」彼は桜を知らないらしい。
「春の季節に咲く花よ。淡いピンク色をしていて、太い木に小さい花がたくさん咲くの。すごく綺麗なのよ。」
「花か。僕も見てみたいなぁ。」
「そういえば、近くに桜の木があったかも。行ってみる?」
そうだね――と彼は言って、ゆっくりと腰を上げた。私は、自分よりも背の高い草むらを上手に避けて、彼と並んで歩いた。
桜の木は、私達が始めにいた空き地から、歩いておよそ十分程経っただろうと思われる、ある民家の庭に立っていた。
塀が邪魔をして、桜の木は上の部分しか見えなかったが、民家から漏れる光に照らされて、桜の花は昼間見たものとはまた
一味違った美しさがあった。
「これがサクラかぁ・・・綺麗だ。君はいつもこんなに美しいものを見ているのかい?羨ましいな。」
「でも、ずっと咲いているわけじゃないのよ。桜は、雨が降ったり、風が強く吹くとすぐに散ってしまうの。」
「それは残念だな。でも、それでもこんな綺麗な花が僕の国にもあったらなぁ・・・」彼は寂しそうに言った。
立っている彼を私が見上げることは、とても首に負担がかかる。なぜなら、私と彼では目線があまりにも違いすぎるのだ。
なので私は塀の上にあがることにした。
前足と後ろ足で勢いを貯めて、一気に放出する。
ピョン―――
私は軽々しく塀の上に飛び乗ってみせた。
「君はホントに上手に高い所に登るなぁ。痛くないのかい?」
「平気よ。だって猫だもん。」
そう、猫にはこれくらい朝飯前だ。
しばらく桜を鑑賞したあと、私達はまたもとの空き地へと戻り話を続けた。
「僕の国では今日結婚式があってね、結婚式はもう何度も見ているんだけど、いつみてもいいものだね。」彼は言った。
「あなたの国では、結婚式をどんな風にお祝いするの?」私は聞いた。
そうだね――と言って、彼は語り始めた。
「まずは宮殿で、僕の父である国王に挨拶に来るんだけど、あの人話し好きだから、手短にって言ってるのに結局いつも
長話になるんだ。」
私はちょっと笑をこぼした。
彼は続けた。「その後は街を、というか国を歩くんだ。早い話がパレードだね。小さい国だから、祝い事とかには国中
の人が集まるんだ。別にそうしなければいけないきまりではないんだけどね。」
そう言うと、彼は笑った。そんな彼を見て、私も嬉しくなった。
ふと彼は空を見上げた。そして――
「そろそろ時間だ。ごめんよ、僕はもう帰らなくちゃ。また、月の出る夜に来るよ。」
「次はいつ会える?」私は聞いた。
「月が出るのは予測ができないからね・・・雨が降らなければ月が出るって聞いたけど。」
彼の体が光り始めた。
「じゃあ、雨が降らないことを祈るわ。」
「僕も。君に会えないのも困るし、サクラにもまだ咲いていてもらいたいなぁ。」
彼は言った。「素敵な花を見せてくれてありがとう、レン。おやすみ・・・」
「おやすみなさい、トーヤ」私は言った。
彼は光に包まれながら消えていった。国へ帰ったのだ。
時刻は午前1時――彼の言葉が、まだ耳の奥で響いている。
『レン』
初めて会った時に、彼がつけてくれた名前だ。