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1-4 開化派 ― 朝鮮版「富国強兵」

19世紀後半、朝鮮王朝は、その500年の歴史において一度も経験したことのない質の危機に直面していた。それは単なる王朝交代の危機でも、東アジア世界の基本OSであった冊封さくほう秩序内部の権力変動でもない。西洋列強と近代国民国家システムという、


> 「まったく異なる文明原理(近代)」


の暴力的到来であった。


アヘン戦争による宗主国・清朝の惨敗、黒船来航による日本の開国、そして明治維新後の日本の驚異的な国家変貌。これらの一連の激震は、朝鮮の知識人層に対し、「これまで絶対視してきた朱子学的な名分論(道徳秩序)だけでは、物理的な牙を持つ列強から国家を守ることはできない」という冷酷極まる現実を突きつけた。


この国家存亡の淵において、突如として歴史の表舞台に現れたのが、金玉均キム・オッキュン朴泳孝パク・ヨンヒョ徐光範ソ・グァンボムらに代表される若いエリート改革知識人たち――「開化派かいかは」である。


◆ 屈折したナショナリズム ―― 「日本になりたかった」のではない


開化派が目指したのは、日本の明治維新を熱狂的なモデルとした、朝鮮半島の抜本的な近代国家建設であった。彼らが掲げた改革案の全貌は、以下のようなドラスティックな国家の近代化モダニゼーションである。


政治改革:国王の専制を制限し、近代的内閣制(中央集権化)の確立

軍制改革:前近代的な地方軍を解体し、西洋式の新式軍隊の創設

社会改革:両班の特権を廃止する身分制の打破、および近代教育の導入

経済改革:財政の近代的一元化と、資本主義をベースとした産業育成


彼らの行動原理は極めて明快だった。「今すぐ、国家の構造そのものを近代化アップデートしなければ、祖国は地上から消滅する」という、剥き出しの危機感である。


つまり、後世の韓国における「民族主義史観」や親北系の歴史評価が彼らを断罪するように、開化派とは決して「祖国を売り渡そうとした親日派」でも「西洋の盲従者」でもない。その本質は、外圧のパワーを逆利用することで国家の主体性を死守しようとした、極めて愛国的な「朝鮮版『富国強兵』」の戦士たちであった。


彼らは日本になりたかったのではない。


> 「日本のように、国家として生き残りたかった」


のである。これこそが彼らのナショナリズムの真実であった。


◆ 外圧のパラドックスと「甲申政変」のトラウマ


しかしここで、朝鮮半島は日本とは決定的に異なる絶望的な初期条件に縛り付けられていた。


日本の明治維新は、欧米列強の外圧を巧みにコントロールしながら、最終的に「下級武士」という国内の主体的勢力が自力で権力再編に成功し、中央集権国家を形成した。外圧を内発的なエネルギーへと転換できたのである。


ところが朝鮮では、事大主義の章で先述した「多層外交のリアリズム」が裏目に出る。国内の改革派と保守派の対立に、清朝、日本、ロシアといった周辺の大国がそれぞれの国益をかけて複雑に介入したため、国家内部の自立的な統合(合意形成)が完全に不可能となった。


ここに、朝鮮近代化の抜けることのできない「宿命のパラドックス」が立ち現れる。


> 「近代化という劇薬は、外勢(日本など)の力を借りなければ導入できない。しかし、外勢の力を借りれば借りるほど、国家の主体性(主権)は切り崩されていく」


この引き裂かれた矛盾が最も象徴的、かつ血塗られた形で噴出したのが、1884年の「甲申政変こうしんせいへん」である。


金玉均ら急進開化派は、日本の公使館および日本軍の軍事支援を担保に、クーデターを断行して保守派(閔氏政権)を粛清した。しかし、彼らが夢見た近代国家の青写真は、わずか3日後、圧倒的な兵力で介入してきた清朝軍の鉄砲火器によって物理的に粉砕される。金玉均は日本へと亡命し、改革は一瞬にして灰燼に帰した。


「三日天下」で終わったこの凄惨な事件は、朝鮮半島の精神構造に、消えることのない巨大な政治的トラウマを刻み込んだ。すなわち、「近代化は絶対に必要だが、それを進めようとすれば外勢の介入を招き、国家主権そのものが消滅する」という二重の恐怖である。


現代の韓国社会に見られる「外来文明(欧米の流行やテクノロジー)への異常なまでの同調欲求」と、「民族の純血性や主体性への過敏なまでの執着」という、一見して相容れない二面性の原型は、まさにこの甲申政変のトラウマにおいて鋳造されたものなのだ。彼らの近代とは、


> 「近代化サバイバル」と「民族防衛アイデンティティ」が、最初から互いを呪い、衝突し合う形で始まった


という歪みを抱えている。


◆ 王朝の崩壊と「民族」という感情共同体の誕生


皮肉なことに、開化派の急進的な失敗は、朝鮮半島をさらなる全般的な外圧の嵐へと追い込む結果となった。


国内の自発的な改革エンジンを失った李氏朝鮮は、王朝内部の醜悪な権力闘争と腐敗を止められず、国家機能を急速に麻痺させていく。その統治の空白地帯において、清、日本、ロシアの角逐は臨界点を突破し、日清戦争・日露戦争という他国同士の戦場へと半島は貸し出され、最終的に1910年の「韓国併合」という破局へと至る。


朝鮮において近代化の失敗とは、単なる「政策の挫折」を意味しなかった。それは、「自らの民族国家そのものを地上から完全に喪失する」という、最悪の形での現実化であった。


この「国家の消滅」という未曾有の精神的衝撃は、朝鮮半島の精神構造を決定的に変異させる。それまで、国家とは「国王と特権知識人(両班)」のものであり、一般民衆にとって政治とは上から課される抑圧に過ぎなかった。しかし、衣服を剥ぎ取られるように国家を失った時、人々は歴史上初めて、強烈なアイデンティティの問いに直面したのである。


> 「国を失った今、我々を繋ぎ止める正体は何なのか。我々は一体、誰なのか」


この根源的な絶望から、両班も平民も奴婢ぬひも関係なく、血のつながりだけで結託する「民族」という名の巨大な感情共同体が産み落とされた。国家という外殻を失ったエネルギーは、内面の情念へと凝縮され、やがて反日民族主義、そして北朝鮮の主体思想へと至る、際限のない「ハン」の巨大な燃料タンクがここに完成したのである。


◆ 開化派の限界とプロテスタントへの吸収


なぜ、開化派はこれほどまでに脆く、単独の思想潮流として生き残ることができなかったのか。その理由は、彼らの思想設計の致命的な欠陥にある。


開化派は、日本の明治維新の「表面システム」をなぞるあまり、制度、技術、近代的官僚制、軍事、産業といった「国家の身体ハードウェア」を語る能力には長けていた。しかし、朱子学OSによって数百年間縛られてきた


> 「民衆の生身の感情ソフトウェアをどう統合し、駆動するか」


という精神の接続問題に対して、決定的に無知であり、かつ弱かった。彼らの近代化思想は、あまりにも「上層エリート(インテリ両班)の脳内ゲーム」の域を出ず、土着の民衆共同体や、奥底に眠る巫俗ムーダン的感情エンジンと直結するパイプ(装置)を持たなかったのである。


民衆から見れば、彼らの改革は「伝統を破壊する不道徳な売国行為」としか映らず、孤立した彼らが大衆的基盤を獲得することは不可能な構造になっていた。


だが、ここで開化派の遺伝子は絶えたわけではない。彼らが夢見た「近代化のハードウェア」は、後に登場する韓国の「プロテスタントライン」という巨大な感情共同体ネットワークの内部へと、丸ごと吸収・再編されていくことになる。


| 開化派が目指した近代化のパーツ | プロテスタントによる再編と大衆化 |

| 近代的教育制度の導入 | ミッションスクール(学校)の設立による大衆教育化 |

| 西洋式の医療・衛生改革 | 教会系病院の設立を通じた民衆への直接浸透 |

| 身分制の打破・平等の思想 | 神の前での平等を説くキリスト教教理による儒教秩序のハック |

| 国際社会(先進文明)との接続 | アメリカを中心とする西欧ネットワークへの直接プラグイン |


開化派が単独では朝鮮の土壌に植え付けることができなかった「近代化の種子」は、プロテスタントという「情と熱狂の宗教共同体」という衣服をまとうことで、初めて朝鮮半島の民衆の深層ソフトウェアへと深く根を下ろすことに成功した。


開化派は歴史の表舞台から消滅したのではない。彼らは、自らに欠けていた「感情エンジン」をプロテスタントの内部に見出し、そこに合流することで、後の韓国型資本主義や近代的インフラの「実質的な設計思想」として息長く存続することになるのである。


開化派という短命に終わった悲劇の走者たちが残した、


> 「生き残るために外来の近代システムを受容するのか、それとも内なる主体性アイデンティティを死守するのか」


という呪いのような二者択一の問いは、その後の朝鮮半島思想史全体を、今なお激しく引き裂き続けている。

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