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魔物交渉者 〜「気味が悪い」と追放された斥候は、魔物と交渉するだけで最強の領地を築き上げる〜  作者: 景都 (けいと)
竜の名前

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狼の道

【ここから先は、狼の領域だ】


 ガリクが木の上から囁いた。深緑の森の北部。木々は太く、枝は高い位置で絡み合い、地面には薄い光しか届かない。空気が変わっていた。南側の森とは違う匂い。獣の匂いだ。


 ナギは足を止めた。セリアとトルクが左右に並ぶ。


「武器はしまえ。敵意を見せるな」


 セリアが弓を背中に回した。トルクが大剣の柄から手を離した。ガリクは木の上のまま、周囲を見張っている。


 ナギが魔物語で呼びかけた。


【森狼族の方々。俺はナギ。橋守の里から来た。話がしたい】


 返答はない。だが、気配がある。木の陰に。藪の奥に。地面の窪みに。匂いと音で位置を探っている存在がいる。


 低い唸り声が背後から聞こえた。


 振り向いた。


 灰銀色の狼が三頭、木の間から姿を現した。体高は人間の腰ほどある。筋肉が毛皮の下で波打っている。目は金色。鼻先が持ち上がり、こちらの匂いを嗅いでいる。


 セリアの肩が強張った。トルクが一歩前に出ようとした。ナギが手で制した。


「動くな」


 さらに狼が増えた。左右から、前方から。十頭、十五頭。囲まれている。


 先頭に一頭、他より大きな狼が出てきた。体高百二十センチ以上。灰銀色の毛皮に、額だけ蒼い紋様が浮かんでいる。月光を凝縮したような印。群れのリーダーだ。


 リーダーの声が響いた。声ではない。喉の奥から押し出される低い振動。ゴブリン語より感情的で、オーク語より直接的。匂いの概念が多い。


【嘘の匂いがしない。珍しい人間だ】


 ナギの魔物語が、狼の言語を受け止めた。頭痛はない。スライムほど異質ではない。むしろゴブリン語に近い。感情の表現が豊かで、匂いや温度が言語の一部になっている。


【お前は、我らの言葉がわかるのか】


「わかる。お前たちの言葉は、ゴブリンの言葉に似ている」


【似ていない。我らの言葉は、我らのものだ。だが、わかるならいい】


 リーダーがナギに近づいた。鼻先が膝の高さにある。大きな鼻がナギの足元を嗅ぎ、腰を嗅ぎ、手を嗅いだ。


【スライムの匂いがする。ゴブリンの匂いも。オークの匂いも。お前は、いくつの種族と暮らしている】


「三つだ。ゴブリンとオークとスライム。それと人間が四人」


【変わった群れだな】


「変わった群れだと自分でも思う」


 リーダーの尾が一度だけ揺れた。興味の表現だと、ナギは直感的に理解した。


「名前を聞いてもいいか」


【ファングだ。この群れを率いている。お前の名は聞いた。ナギ。橋守の里から来た、人間の雄】


「その通りだ」


【用件を言え。我らの領域に踏み入ったからには、目的があるはずだ】


「灰嶺の竜に会いに行きたい。お前たちの縄張りを通らせてほしい」


 ファングの目が細くなった。金色の瞳が暗くなる。


【竜に会う? 死にに行くのか】


「交渉しに行く」


【交渉。竜と。聞き間違いか?】


「聞き間違いじゃない。竜が魔素を吸い上げて、この辺り一帯が枯れ始めている。お前たちの森にも影響が出ているはずだ」


 ファングの耳が動いた。


【……確かに。森の北側で木が弱っている。獲物も減った。狩りの範囲を広げなければならなくなっている】


「原因は竜だ。竜が目覚めかけている。放置すれば森全体が枯れる。話をして、魔素の吸い上げを止めてもらうか、調整してもらう必要がある」


【竜に頼み事をする人間か。千年の歴史で聞いたことがないぞ】


「だから俺が最初の一人になる」


 ファングはナギを見つめた。長い沈黙。狼たちが周囲で身動きもせずに待っている。群れの判断はリーダーに委ねられている。


【通してやる】


 ナギの肩から力が抜けた。


【だが、条件がある】


 力が戻った。


「条件?」


 ファングが頭を巡らせた。南の方角を示している。


【我らの群れは、人間の罠に苦しんでいる。森の南側に、鉄の牙が仕掛けられている。獣を挟む罠だ。三日前、子狼が一匹足を挟まれた。まだ外れていない。子狼は動けず、母狼が傍を離れない。群れの戦力が二頭減っている】


「罠を外してほしいのか」


【お前は人間だ。人間の罠は人間が外せ。子狼を助けろ。それが通行の条件だ】


 ナギは頷いた。だが頭の中で別の問題が回っていた。森の南側。ハグレ村の猟師が仕掛けた罠だ。罠を壊せば、村との脆い関係が崩れる。


「場所を教えてくれ。行って外す」


 ファングが前脚で地面を掻いた。南東の方角を示している。


【ここから四半刻。森が薄くなるあたりだ。鉄の匂いがする。我が案内する】


* * *


 ファングに案内されて森の南東に向かった。トルクとセリアが後ろに続く。ガリクは木の上を移動している。森狼族の若い狼が数頭、左右を固めていた。


 鉄の匂いを嗅ぎ分けるファングが足を止めた。


【ここだ】


 落ち葉の下に、鉄製の顎罠が隠されていた。二つの鉄板が歯のように並び、踏めば足首を挟む仕組みだ。その横に、もう一つ。さらに奥に三つ。合計五つの罠が並んでいる。


 そのうちの一つに、子狼が挟まれていた。


 生後半年ほどの灰色の子狼。右前脚が鉄の歯に挟まれ、血が乾いて黒くなっている。子狼は目を開けているが動かない。衰弱している。傍に成獣の雌狼が寄り添い、ナギたちが近づくと低く唸った。


「大丈夫だ。助けに来た」


 ナギは手袋をはめ、罠に手をかけた。バネの仕組みを探る。軍にいた頃に訓練で使ったことがある。両側のレバーを同時に押し下げれば開く。


「セリア、子狼を引き抜いてくれ。開けたらすぐにだ」


「わかった」


 ナギが力を込めた。鉄の歯がきしみながら開く。セリアが子狼の体を抱え上げた。子狼が弱々しく鳴いた。母狼が飛びかかろうとした。ファングが一声唸って止めた。


「トルク、リーナの塗り薬を」


 トルクが懐から小壺を出した。ナギは子狼の傷口を確認した。深い。骨が見えている。だが折れてはいない。薬を塗り、持ってきた布で巻いた。


 子狼がナギの手を舐めた。ざらざらした小さな舌だ。


 残りの罠も全て外した。鉄の板を折り曲げ、二度と使えないようにした。五つの罠が壊れた鉄くずになった。


 ファングがナギの前に立った。金色の目が真っ直ぐにこちらを見ている。


【約束を果たした。通行を許す】


「ありがとう」


【礼はいらない。お前は正直な人間だ。匂いが証明している】


 ファングがナギの手を舐めた。大きなざらざらした舌が、手の甲をゆっくりと撫でた。忠誠の儀だ。狼の群れが信頼した相手にだけ見せる行為。


 セリアが小声で言った。


「ナギ、あんた狼にまで好かれてる」


「好かれてるんじゃない。信用されただけだ」


「同じでしょ」


 ファングの尾が揺れた。


 だがナギの頭の中では、別の問題が渦巻いていた。ハグレ村の罠を壊した。猟師のロバンが知れば、村との関係に亀裂が入る。どう説明するか。どう折り合いをつけるか。


 竜に会いに行く前に、まず人間との交渉が待っている。


 ガリクが木の上から降りてきた。


【ナギ、猟師の罠を壊したとなれば、村の人間は怒るだろう。どうする】


「ロバンと直接話す。罠を壊した代わりに、別の提案をする」


【提案?】


「森狼族の領域外で獲物を追う権利を保証する。それと、橋守の里から肉を補填する。ボルガに頼めばオークの狩りの獲物を分けてもらえるだろう」


【人間は面倒だな。ゴブリンなら声比べで済むのに】


「ゴブリンも十分面倒だぞ」


 ガリクが耳を掻いた。否定しなかった。


 ファングが振り返った。金色の目が光っている。


【人間の雄よ。子狼の傷が治ったら、お前に見せに来る。それが我らの礼だ】


「楽しみにしている」


 狼の群れが森の奥に消えていった。灰銀色の影が木々の間に溶けていく。最後にファングの蒼い額の紋様が、一瞬だけ光って消えた。


 通行の許可は得た。次は灰嶺の竜だ。


 だがその前に、壊した罠の件でロバンと話をつけなければならない。人間との交渉は、魔物よりも厄介かもしれなかった。

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