対面
門が開いた。
ヴェルクが立っていた。王国軍の制服。肩章は斥候隊長。背後に兵が十名、剣を帯びている。
ナギは門の内側に立った。トルクが右後ろ。セリアが左後ろ。弓には矢をつがえていない。だが手は弦の近くにある。
「久しぶりだな、ヴェルク」
「ナギ。いや、追放者ナギというべきか」
「好きに呼べ。何の用だ」
ヴェルクの視線がナギの背後を走った。中庭のゴブリンたち。鍛冶場のオーク。水たまりのスライム。顔色が変わった。白くなり、それから強張った。
「これは……本当に魔物と暮らしているのか」
「暮らしている。橋守の里と名乗っている。三日前に名前がついたばかりだ」
ヴェルクの唇が動いた。何かを言いかけて、飲み込んだ。代わりに背筋を正し、軍人の声を出した。
「王国辺境司令部の命により通達する。辺境における魔物の動向について、定期報告の義務を課す。拒否した場合は反逆罪として処断する」
「反逆罪? 俺はすでに追放されている。軍籍はない。王国法の適用外だ」
「追放者であっても王国の領域内にいる以上、国法に従う義務がある」
「ここは辺境だ。王国の領域の外だ」
ヴェルクの目が鋭くなった。ナギの目も鋭い。二人の間に、冷たい空気が流れている。
セリアが前に出た。
「ちょっといい?」
ヴェルクが眉を上げた。セリアを見る。
「何者だ」
「セリア。ハグレ村の出身。弓を引く。あんたに聞きたいことがある」
「私に?」
「あんたの部下が、オークの家畜に毒を盛っただろう」
空気が凍った。ヴェルクの部下たちが剣に手をかけた。トルクが一歩前に出た。大剣の柄を握っている。
「何の話だ」
「しらばっくれないで。半年前、オークの家畜が何頭も死んだ。毒草を餌に混ぜた手口。ゴブリンの仕業に見せかけて、二つの種族を争わせるためでしょう」
ヴェルクの目が泳いだ。一瞬だった。だがナギはそれを見逃さなかった。
「否定しないな」
「根拠のない中傷だ」
「お前の目が根拠だ。泳いでいた。ヴェルク、お前は直接手を下していない。だが知っていて黙認した。違うか」
ヴェルクが黙った。背後の兵たちの顔にも動揺が走っている。
セリアが続けた。声が低い。
「あたしの父は猟師だった。森で死んだ。魔物に襲われたことになっている。でも本当は、人間が森に毒を撒いたから魔物が暴れたんだ。あんたたちがやっていることは、同じ手口だ。魔物を追い込んで、争いの種を蒔く」
ヴェルクの顔から表情が消えた。軍人の仮面が被さる。
「猟師の娘か。残念だが、辺境政策について私の一存で答えることはできない」
「答えられないのは、事実だからでしょう」
「セリア」
ナギがセリアの肩に手を置いた。セリアの体が震えている。弓を持つ手が白くなっている。
「ヴェルク。報告義務の件は保留する。だが一つだけ言っておく。この里の住民に手を出すな。ゴブリンにもオークにもスライムにも、人間にも。手を出したら、俺はお前を敵と見なす」
「脅迫か」
「警告だ」
ヴェルクはナギを見つめた。長い沈黙。背後の兵たちが落ち着かなげに足を踏み変えている。
「……報告書を書く。お前がここで何をしているか、全て。将軍がどう判断するかは、私次第だ」
脅し返してきた。だがナギはヴェルクの目に、別のものを見ていた。恐れだ。ナギが怖いのではない。
自分が作り出した状況が、手の届かない場所で膨らんでいる焦り。追放した男が成功している。辺境が変わりつつある。
その現実が、ヴェルクの判断の正しさを否定している。
「好きに書け。ただし嘘は混ぜるなよ」
ヴェルクは背を向けた。兵を連れて門を出ていく。靴音が遠ざかっていく。
ナギは息を吐いた。背中に冷たい汗が流れていた。
トルクが大剣から手を離した。
「あいつ、戻ってくるな」
「ああ。報告書を書くと言っていた。将軍に送られれば、次に来るのは10人じゃ済まない」
「何人来る」
「わからない。だが、討伐の名目がつけば50は来る」
セリアが矢筒の中身を確認していた。手が微かに震えている。
「あいつの目、見た? 追い詰められてたのはあっちの方よ」
「わかっている。だから危険なんだ。追い詰められた人間が何をするか、俺は軍にいたから知ってる」
リーナが駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか。けが人は?」
「いない。血は流れなかった」
「今回はですよね」
リーナの声には、医療者特有の冷静さがあった。次は血が流れるかもしれない。それを前提に備えておくべきだ、という意味だ。
「ああ。次に備えろ。包帯と止血薬を多めに作っておいてくれ」
「もう作り始めてます」
ナギはリーナの背中を見送った。この集落には、一人一人が欠けたら回らない役割がある。誰も失えない。
* * *
夜。焚き火の前。
ゴルドが茶を啜りながら、ナギに問うた。
【あの人間の兵は、何をしに来たのじゃ】
「俺たちの動向を報告しろと言ってきた。断った」
【断って大丈夫なのか】
「大丈夫かどうかはわからない。だが従えば、この里は王国の管理下に入る。お前たちを『管理対象』にされるわけにはいかない」
ゴルドは頷いた。
【お前は良い架け橋じゃ。だが、人間同士の橋は架けられないようじゃな】
痛いところを突かれた。ナギは苦笑した。
セリアが隣に来た。焚き火の灯りが赤銅色の髪を照らしている。
「あたし、さっき言いすぎた?」
「いや。お前が言わなければ、ヴェルクは家畜毒殺を知らないふりを続けていた」
「あいつ、否定しなかった」
「黙認していたんだ。王国の辺境政策の一環として。ゴブリンとオークを争わせれば、人間への脅威が減る。そういう計算だ」
「最低ね」
「最低だ。だが、軍ではそれが『合理的』と呼ばれる」
セリアは黙った。しばらく焚き火を見つめていた。
「あたし、さっき『あたしの里の人間に手を出すな』って言っちゃった」
「聞こえてた」
「変なこと言ったと思った?」
「いや」
ナギはセリアを見た。炎の光が緑色の目に映っている。
「嬉しかった。お前が、ここを自分の里だと思ってくれて」
セリアが顔を逸らした。耳が赤い。焚き火のせいか、そうでないのかは、わからなかった。
「あんた、そういうこと平然と言うのやめて」
「事実を言っただけだ」
「事実でも、言い方ってものがあるでしょ」
ナギは笑った。セリアは笑わなかった。だが口元が緩んでいた。
その時、北の空が赤く染まった。
一瞬だった。山の稜線の向こうで、何かが光った。橙色の閃光が空を焼き、すぐに消えた。遅れて、熱い風が吹いた。砦の焚き火が大きく揺れる。
ゴルドが立ち上がった。杖を握る手が震えている。
【竜が火を吐いた】
全員が北の空を見上げた。山の向こうに、煙が上がっている。赤い光は消えたが、空が薄く赤い。森が燃えている。
セリアがナギの腕を掴んだ。
「まさか、こっちに来る?」
「わからない。だが、猶予は思ったより短いかもしれない」
ナギの手が震えた。南にヴェルク。北に竜。橋守の里は、二つの脅威の間にある。
どちらとも、話さなければならない。
どちらとも、話が通じる保証はない。




