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魔物交渉者 〜「気味が悪い」と追放された斥候は、魔物と交渉するだけで最強の領地を築き上げる〜  作者: 景都 (けいと)
竜の名前

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橋守の里

「では、声比べを始める」


 ナギは中庭の焚き火の前に立った。ゴブリンが左側に、オークが右側に並んでいる。スライムの出張所が水たまりのまま脈動している。


 集落の命名。声比べは、ゴブリンの意思決定方式だ。賛成する者が声を上げ、その声の大きさで決める。オークは族長の承認で決まる。スライムは記録するだけ。三種族の合議を一つにまとめるのは、通訳であるナギの仕事だった。


「この集落に名前をつけたい。俺の案は『橋守の里』。種族の間に架かる橋を守る里、という意味だ」


 ナギはゴブリン語に変換し、続いてオーク語に変換した。スライムの出張所に触れて概念を送信する。三つの言語を順番に操る。額に汗が浮いた。


 ゴルドが杖を突いて前に出た。


【橋守の里。良い名じゃ。橋は、どちら側からも渡れる。ワシは賛成じゃ】


 老いた声が中庭に響く。ゴブリンたちが顔を見合わせた。若いゴブリンの一人が声を上げた。別の一人も続いた。声が重なっていく。ピッケが甲高い声で叫んだ。子供の声が大人たちの笑いを誘い、その笑いが賛成の声に変わった。


 ボルガが腕を組んで頷いた。


【架け橋の里か。悪くない。ワシが承認する】


 オークの戦士たちが槌を地面に打ちつけた。承認の作法だ。鈍い振動が足の裏から伝わってくる。


 ナギがスライムの出張所に触れた。概念が返ってきた。


【名称『橋守の里』を記録した】


 それだけだった。感情はない。だが正確だ。


 ナギは中庭を見回した。ゴブリンとオークが入り混じって歓声を上げている。リーナが手を叩いている。トルクは壁に寄りかかって腕を組み、小さく笑った。セリアが弓を肩にかけたまま、ナギの隣に来た。


「決まったわね」


「決まった。橋守の里だ」


「あたしが言い出したのよ、みんなに聞けって」


「ああ。お前の手柄だ」


「手柄じゃない。当たり前のことでしょ」


 セリアの口元が緩んでいた。


* * *


 祝宴の準備が始まった。


 ゴブリンがキノコの酒を樽で持ち出し、オークが獣肉を炙っている。リーナが薬草茶を大鍋で煮ている。トルクが薪を組んで大きな焚き火を作った。


 日が暮れる頃には、中庭に集落の全員が集まっていた。ゴブリンが百五十。オークが五十。人間が四人。そして水たまりが一つ。


 ゴルドが杯を掲げた。


【橋守の里に。長く続け】


 オークの鍛冶師が作った金属の杯。ゴブリンのキノコ酒が注がれている。ゴルドが一口飲み、杯をナギに回した。ナギが飲み、ボルガに回した。ボルガが飲み干して、杯を地面に叩きつけた。オークの作法では、良い酒は器を壊して称えるらしい。ゴルドが苦い顔をした。


「ゴルド、あの杯は俺が弁償する」


【当たり前じゃ】


 笑い声が広がった。ゴブリン語とオーク語と人間語が入り混じった、不思議な宴。ナギはキノコ酒を舐めながら、焚き火の向こう側を見ていた。


 影が一つ、中庭の端に立っていた。


 ガルガだ。


 ゴブリンの戦士。ナギの集落参加に反対し、人間との共存を拒んできた男。骨ばった顔に深い皺が刻まれている。目つきは鋭い。だが今夜は、敵意ではなかった。


 ガルガは黙って歩いてきた。ナギの前の地面に腰を下ろした。キノコの酒を手に持っている。


【ワシはお前を信じていない】


「知っている」


【だが、里に名前がつくのは良いことだ】


 ガルガは酒を一口飲んだ。飲みながら焚き火を見ている。


【名前のない場所には帰れぬからな】


 ナギは黙った。ガルガの声に、初めて硬さ以外のものが混じっていた。


「お前は、どこから来たんだ」


【東の森の小さな部族だった。人間の開拓で森が焼かれ、部族は散った。名前も失った。ワシだけが生き残り、ゴルドの森に流れ着いた】


「はぐれゴブリンか」


【そうだ。名前のない土地から来た、名前のない流れ者だ。だから名前の価値は知っておる】


 ナギは杯を差し出した。キノコ酒が半分残っている。


 ガルガは杯を見た。長い沈黙。焚き火の灯りが二人の顔を照らしている。


 ガルガは杯を受け取らなかった。だが、背を向けもしなかった。自分の酒を一口飲み、立ち上がった。


【ワシは帰る。騒がしいのは好かん】


「ガルガ」


 ゴブリンの戦士が足を止めた。


「ここは、お前の里でもある」


 ガルガは振り返らなかった。だが耳が一度だけ動いた。ゴブリンが感情を抑える時の仕草だ。そのまま闇の中に消えていった。


 ゴルドが隣に来て茶を啜った。


【ガルガは不器用な男じゃ。だが、ここに来たということは、一歩踏み出したということじゃよ】


「そう思いたい」


【思え。お前は楽観が得意じゃろう】


「得意じゃない。騙し騙しやってるだけだ」


 ゴルドが笑った。


* * *


 祝宴が最高潮に達した頃だった。


 ゴブリンの楽師が骨笛を吹き、オークが低い歌声で合わせている。ピッケがオークの子供と踊っている。リーナが酔って頬を赤くしながらゴブリンの薬草の歌を覚えようとしている。


 リーナが蒼白な顔で駆け込んできた。


「ナギさん、大変です。スライムの出張所が震えてます」


 酔いが一瞬で醒めた。ナギは中庭の隅に走った。水たまりのようなスライムの個体が激しく波打っている。普段の穏やかな脈動ではない。表面が細かく振動し、緑色の燐光が高速で明滅している。


 ナギが触れた。概念が叩きつけられるように流れ込んだ。


【緊急通信。山が揺れた。北の山脈。振動。大規模な魔素の放出を検知。覚醒の第二段階。あれが動いた。目覚めの兆候】


 ナギの指が痺れた。頭の中を情報が駆け抜ける。群体知性の全記憶網が一斉に警報を発している。


 同時に、北の山脈の方角から地鳴りが響いた。


 焚き火の炎が揺れた。酒の入った杯が倒れる。骨笛が止まる。ゴブリンの子供たちが泣き出した。オークの戦士が剣に手をかけた。


 ゴルドが立ち上がった。杖を握りしめ、北を向いている。老いた顔から血の気が引いていた。


【あれは】


 地鳴りがもう一度響いた。地面が震える。壁から砂埃が落ちた。


【深緑の森の古い言い伝えにある。山の主。灰色の嶺に眠る者】


 ゴルドの声が震えていた。百五十年を生きた長老が、初めて見せる表情。


【ナギよ。あれは竜じゃ】


 中庭が静まり返った。竜。全員がその言葉を聞いた。ゴブリン語だが、意味はオークにも伝わった。ボルガの顔が強張っている。


 ナギは北の空を見上げた。灰色の山の稜線が、月明かりの中で黒く聳えている。


 三度目の地鳴りが来た。今度は長い。十秒以上続く低い振動。砦の石壁にひびが走った。


 セリアがナギの腕を掴んだ。


「あれ、本当に竜なの」


「ゴルドが言うなら、そうだ」


「竜って、火を吐いて、空を飛んで、人を食うやつでしょ」


「御伽噺ではそうだ。実際にどうかは、知らない」


「知らないって、あんた」


「誰も知らないんだ。百年以上眠っていた。会ったことのある者がいない」


 セリアの手がナギの腕をきつく掴んでいる。爪が食い込んでいた。


 ゴルドが杖を突いて歩き出した。中庭の中央に立ち、ゴブリンたちに向かって声を上げた。


【騒ぐな。今夜は眠れ。竜が来るとしても、泣いていては何もできぬ。明日、話し合おう】


 老いた声に力がこもっている。ゴブリンたちが少しずつ落ち着いていく。母親が子供を抱き上げ、戦士が剣から手を離した。


 ボルガも部下に命じた。


【見張りを増やせ。北の方角を見ろ。何か来たら叩き起こせ】


 宴は終わった。祝いの夜が、不安の夜に変わった。


 ナギは見張り台に登った。北を見る。山は動かない。地鳴りは止んでいた。だがナギの魔物語は感じていた。あの山の中で、何かが寝返りを打った。長い長い眠りの中で、初めて身じろぎをした。


 橋守の里。今日名前がついたばかりの集落。ゴブリンとオークとスライムと人間の里。


 その北に、竜がいる。


 ナギは拳を握った。指先がまだ痺れている。スライムの警報の残響だ。


 竜との交渉。人間にも魔物にも、その記録はない。千年の歴史で、竜と話した者はいないとボルガは言っていた。


 だが誰かが話さなければ、この里は保たない。竜が魔素を吸い上げ続ければ、沼地は干上がり、森は枯れ、集落は滅ぶ。


 話すしかない。


 ナギは北の山を睨んだ。暗い空に、灰色の稜線が刃のように走っている。

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