表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔物交渉者 〜「気味が悪い」と追放された斥候は、魔物と交渉するだけで最強の領地を築き上げる〜  作者: 景都 (けいと)
竜の名前

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/23

等価交換

【有機廃棄物の処理を行う。代価として、魔素含有鉱水を定期供給せよ】


 二度目の接触。ナギは群体知性の触手に指を当て、流れ込む概念を一つずつ受け止めていた。鼻の奥がじわりと熱くなる。また出血が始まっている。


 だが今日は昨日より聞き取れる。スライムの概念言語に、脳が少しずつ馴染んでいた。


「読み取れたか」


 トルクが岩場の端に立ち、周囲を警戒している。セリアは弓を構えたまま、群体知性を睨んでいた。


「ああ。取引の中身が見えた」


 ナギは指を離し、鼻を袖で拭った。赤い染みが広がる。


「スライムは有機廃棄物を食って生きている。枯葉、動物の死体、腐った木材。何でも分解する。見返りに欲しいのは、魔素を含んだ水だ」


「魔素を含んだ水って、うちの井戸水じゃない」


 セリアが眉を寄せた。核心を突いている。


「そうだ。砦の井戸には微量の魔素が含まれている。スライムはそれを知っている」


「だが井戸水はゴブリンとの取引の核だぞ」


 トルクが振り向いた。その通りだ。ゴブリンのキノコ栽培には魔素を含んだ水が不可欠で、砦の井戸水は集落の生命線になっている。スライムにも回せば、ゴブリンへの供給量が減る。


「ゴルドは何と言うかな」


「渋い顔をするだろうな」


* * *


 渋い顔どころではなかった。


【馬鹿を言うな】


 ゴルドは杖を地面に叩きつけた。焚き火の前で、老いた顔に深い皺が刻まれている。


【井戸水はワシらの命の水じゃ。キノコが育たなくなれば、食い物がなくなる。スライムに分けろだと? 冗談ではない】


「わかっている。だからこそ、等価交換にする。ゴルドに聞きたい。ゴブリンの住居の雨漏り、まだ直っていないだろう」


 ゴルドの眉が動いた。


【……何の話じゃ】


「雨季のたびに天井から水が漏れて、キノコの培地が台無しになる。去年は3回やり直したと聞いた」


【それがどうした】


「スライムの粘液は防水材になる。木材や布に塗れば、水を通さない膜ができる。群体知性に確認した」


 ゴルドの杖が止まった。


【……防水じゃと?】


「ゴブリンの住居の屋根に塗れば、雨漏りが止まる。キノコの培地も守れる。スライムの粘液と引き換えに、井戸水の一部を回す。どうだ」


 ゴルドは黙った。長い沈黙。焚き火が爆ぜる音だけが響く。


【一部とは、どれだけじゃ】


「全体の2割。リーナが計算した。キノコの栽培に必要な最低量は確保できる」


【リーナが?】


「あの子は薬師だが、計算もできる」


 ゴルドは茶を啜った。啜りながら考えている。目が炎の光を映して揺れていた。


【……試してみるか。だが、粘液の質が悪ければ打ち切りじゃぞ】


「もちろんだ」


* * *


 次はボルガだった。


 オークの族長は鍛冶場で鉄を叩いていた。ナギが事情を説明すると、槌を振り下ろす手を止めずに答えた。


【スライムとの取引か。ワシには関わりがない】


「ある。スライムの粘液は鍛冶にも使える。錆止めの被膜になる」


 槌が止まった。ボルガの目が光った。


【……錆止めじゃと?】


「群体知性に確認した。粘液を鉄に薄く塗って乾燥させると、水と空気を遮断する。ゴブリンのナイフを村に卸す時、錆びない加工ができれば値が上がるだろう」


 ボルガは槌を作業台に置いた。太い腕を組む。


【代価は何じゃ】


「有機廃棄物だ。鍛冶で出る木炭の灰、家畜の糞。スライムの食料になる」


【ゴミをやるだけでいいのか】


「ゴミがスライムの命を繋ぐ。命は等価だ」


 ボルガは低く唸った。オークの承認の声。


【面白い男じゃ、お前は。ゴミで命を買うとは】


* * *


 三日後。循環型の等価交換が回り始めた。


 砦の井戸水の二割がスライムの群体知性に運ばれる。ガリクの偵察班が毎朝、木の桶で沼地の縁まで運搬する。


 スライムの粘液がゴブリンの住居に塗られる。リーナが濃度を調整し、ゴブリンの職人が刷毛で天井に塗った。雨の日に試したところ、一滴も漏れなかった。ゴルドは何も言わなかったが、杖で天井を叩いて三回頷いた。


 オークの鍛冶場では、ボルガが粘液を薄く延ばして鉄製品に被膜を作っていた。乾燥した粘液は透明な薄膜になり、刃物の表面を覆う。水に三日浸けても錆びない。ボルガは鉄の表面を指で撫で、満足げに鼻を鳴らした。


 有機廃棄物は集落中から集められ、沼地の縁に置かれた。スライムの個体が這い寄り、ゆっくりと分解していく。ゴブリンのキノコの培地の残り。オークの家畜の糞。人間の食べ残し。すべてがスライムの栄養になる。


 井戸水はスライムへ。粘液はゴブリンとオークへ。廃棄物はスライムへ。三角形の循環。誰も損をしない取引。


「ナギさん、すごいです。ゴミが回って全員が得をしてます」


 リーナが目を輝かせて帳簿をつけている。取引量と品質の記録。薬師見習いの几帳面さが、集落の会計係に転用されていた。


「すごいのは俺じゃない。スライムが提案してきた取引だ。俺は仲介しただけだ」


「仲介できるのがすごいんですよ」


 ナギは苦笑した。リーナに言われると、照れくさい。


* * *


 夕方。沼地の縁に、小さな水たまりが一つできていた。


 スライムの「出張所」だ。群体知性から分離した小さな個体が、砦の近くに常駐するようになった。拳二つ分の透明な塊が、ゆっくりと脈動している。


 リーナが嬉々として粘液のサンプルを採取していた。小瓶に少量ずつ入れ、ラベルを貼っている。


「粘液の成分を分析したいんです。薬にも使えるかもしれません」


「勝手に採りすぎるなよ。スライムにも限界がある」


「わかってます。ちゃんと群体知性に許可を取りました。ナギさん経由で」


 ナギは出張所の水たまりに手を翳した。小さな触手が指先に触れる。


 軽い接触。負荷は小さい。出張所の個体は群体知性の一部だが、情報量が限定されている。ナギの頭痛も軽くて済む。


 概念が流れ込んだ。


 定型の報告。取引は順調。魔素含有水の質は良好。粘液の生産を拡大する準備がある。


 そして最後に、追加情報。


【等価交換として提供する。北の山脈の存在について】


 ナギの指が止まった。


【我々の記憶に該当するデータがある。北の山脈の存在は、古い。非常に古い。我々の群体が成立する以前から存在する。それは、眠っている。だが近く目覚める。魔素の吸い上げは、覚醒の前兆だ】


 ナギは指を離した。


 眠っている、古い存在。覚醒の前兆。


 魔物語の語彙が、スライムの概念に一つだけ既知の言葉を当てはめた。ゴブリンの古い伝承に出てくる言葉。オークの鍛冶祈りの歌に織り込まれた音。


 竜。


「ナギ、どうした。顔色が変わったぞ」


 トルクが薪を割る手を止めてこちらを見ている。


「北の山に、竜がいるかもしれない」


 薪割りの音が止まった。焚き火の前のゴルドが顔を上げた。リーナの小瓶が手から滑り落ちた。セリアだけが動かなかった。弓の弦を張り直す手が、一瞬だけ震えた。


「竜って、あの竜? 御伽噺の?」


「御伽噺じゃない。スライムの群体知性は嘘をつかない。感情がないから、嘘をつく理由がない」


 ゴルドが杖をついて立ち上がった。老いた体が、焚き火の灯りに照らされている。


【竜か。ワシの婆さまが語っておった。灰色の山には、古い主がおると】


「知っていたのか」


【知っておった。じゃが、百年以上眠っておるものを起こす必要はないと思っておった】


「向こうが起きようとしている」


 ゴルドは黙った。杖を握る手に力がこもっている。


 セリアが弓を背負い直した。


「竜が目覚めたら、どうなるの」


「わからない。だがスライムの沼が干上がるほどの魔素を吸い上げている。森にも影響が出るだろう。丘陵の牧草も枯れるかもしれない」


「全部じゃない」


「全部だ。この辺り一帯の、全種族に影響する」


 沈黙が落ちた。焚き火の爆ぜる音。遠くでゴブリンの子供が笑う声。平和な集落の夕暮れ。だがその北の空に、灰色の山が暗く聳えている。


 ナギは北を見た。


 あの山に、竜がいる。眠りから覚めようとしている。


 ゴブリンと、オークと、スライムと、人間の集落を作った。だがその先に待っているのは、御伽噺の中にしかいないはずの存在との対峙だ。


 交渉できるのか。竜と。


 ナギの手が震えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ