対決
「全員、武器を下ろしてくれ」
ナギは砦の門の前に立った。背後にゴブリンとオークの戦士たちが集まっている。トルクが大剣に手をかけ、セリアが弓を構えている。
松明を掲げた猟師たちが、砦の前の広場に並んでいた。十五人。棍棒や鉈、猟銃を持っている。先頭に立つのは昨日の猟師のリーダーだ。その隣に、見知らぬ顔が並んでいる。ハグレ村以外の近隣の村からも人が集まったらしい。
「ゴブリンとオークを追い出せ! さもなくば砦ごと燃やす!」
猟師のリーダーが叫んだ。その声には昨日よりも強い怒りがあった。仲間が増えて、勢いがついている。
ナギは一歩前に出た。
「燃やしてどうする。この砦はお前たちの砦でもあったはずだ。五十年前、ここで辺境を守っていた兵士たちがいた。その砦を焼くのか」
「兵士は人間だった! 今は魔物の巣だ!」
猟師の一人が棍棒を振り上げた。オークの戦士が低く唸った。ナギが手を上げて制した。
【動くな。俺が話す】
ゴブリンの偵察兵ガリクが耳を立てて囁いた。
【ナギ、あの人間たちの後ろに、もう一人いるぞ。隠れている】
ナギの目が動いた。猟師たちの列の後方、木の陰に人影がある。猟師ではない。姿勢が違う。軍人の立ち方だ。
王国の兵士。この場に来ている。猟師たちを煽ったのは、誰だ。
だが今はそれどころではない。目の前の十五人をどうにかしなければ。
「聞いてくれ。ゴブリンもオークも、お前たちの村を襲う気はない。むしろ、お前たちに利益のある話がある」
「利益だと。魔物と取引しろってのか」
「取引だ。この砦で作った薬を村に卸す。ゴブリンのキノコも。オークの鍛冶製品も。村は買い手、砦は売り手。両方が得をする」
猟師たちの間に、わずかな動揺が走った。だがリーダーが首を振った。
「信用できるか。魔物が作った薬なんて、毒かもしれない」
リーナが門の中から駆け出てきた。
「毒じゃありません! 私が成分を確認してます! ゴブリンの薬草知識は本物です。この塗り薬、切り傷に効くんです。村のおばあちゃんの膝にも」
「薬師見習いのお前が何を言ってる。村に帰れ、リーナ」
「帰りません! ここの方が、学べることが多いんです!」
リーナの声が広場に響いた。小柄な身体を精一杯伸ばして、猟師たちの前に立っている。
膠着が続いた。猟師たちは武器を下ろさない。ナギは門の前から動かない。
その時、セリアが弓を背に回し、村人たちの前に歩み出た。
「あたしの話を聞いて」
猟師たちが動揺した。セリアはハグレ村の狩人だ。魔物に父を殺された少女だ。
「あたしの父さんは魔物に殺された。だからあたしは誰よりも魔物を憎んでる」
セリアの声は震えていなかった。まっすぐ前を見ている。
「でも、あたしは見たの。ゴブリンの子供が笑うところを。オークの親が子を抱くところを。あいつらも、あたしたちと同じなのよ」
村人たちが顔を見合わせた。セリアの父は村一番の狩人だった。その娘の言葉は重い。
だが猟師のリーダーが叫んだ。
「甘いことを言うな! お前の父さんは魔物に——」
「父さんが死んだのは、密猟者が魔物を怒らせたからよ!」
セリアの叫びが、夜の空気を裂いた。
沈黙が落ちた。松明の炎が揺れている。猟師たちの顔が凍りついた。
リーダーの目が泳いだ。
「何を言ってる。魔物が」
「知ってるでしょう。あの日、父さんの猟場に密猟者が入り込んで、魔物の巣を荒らした。怒った魔物が暴れて、近くにいた父さんが巻き込まれた。密猟者は逃げた。あんたたちは知ってて黙ってたのよ」
猟師のリーダーの顔から血の気が引いた。周囲の村人たちがざわめいた。
「本当か。ロバン」
「俺は知らない。そんな話は」
「嘘よ。あんたの小屋に、密猟者の毛皮が隠してあるのをあたしは見つけた。三年前からずっと。あんたが密猟者と繋がってたから、父さんは死んだ」
ロバンと呼ばれた猟師のリーダーの手から、棍棒が落ちた。乾いた音が広場に響いた。
ナギは動かなかった。セリアの背中を見つめている。小さな背中が震えていた。強がりではない。三年間、一人で抱えてきた怒りを、今ここで吐き出している。
村人たちの足が止まった。武器を握る手が緩んだ。
ナギが前に出た。
「俺は人間の味方でも魔物の味方でもない。ここにいる全員の味方だ」
ナギはゴブリンの長老ゴルドとオークの使者を門の中から呼んだ。二人が猟師たちの前に出る。村人たちが後ずさった。
「怖がるな。話をするだけだ」
リーナが薬を見せた。切り傷用の塗り薬。金属容器に密封されている。
「この薬、村の診療所に置いてください。効果は私が保証します」
ゴルドがキノコの籠を差し出した。
【これは我らの食料じゃ。人間にも食える。冬場の保存食になる】
ナギが通訳した。
「ゴブリンの長老が言っている。このキノコは保存食になる。冬を越す助けになる」
オークの使者が腰から短刀を抜き、地面に突き立てた。鍛冶の技で磨かれた刃が、松明の灯りを反射した。
【これはオークの技だ。人間の刃より長く切れる】
「オークの鍛冶で作った短刀だ。切れ味は保証する。こういうものを、取引できる」
村人たちが顔を見合わせた。薬。キノコ。短刀。どれも村にとって価値のあるものだ。
後方で見ていた老人が、ゆっくり前に出てきた。村長ドムスだ。白い髭を撫でながら、品物を一つ一つ手に取った。
薬の蓋を開けて匂いを嗅ぎ、キノコの弾力を確かめ、短刀の刃を親指で試した。
「……試しに、一月だけだ」
村長の声が、猟師たちの怒りを解いた。
武器が下ろされた。松明が一つ、また一つと消えていく。猟師たちが背を向けて去っていく中、ロバンだけが動かなかった。セリアを見つめている。
「セリア。お前の父さんのことは——」
「今は聞きたくない。でも、いつか話して。本当のことを」
ロバンは何も言わずに去った。
広場に残ったのは、ナギたちと村長だけだった。ドムスがナギに近づいた。
「若いの。お前は無茶をする」
「無茶でもやるしかなかった」
「一月で結果を見せろ。結果がなければ、次はワシが村人を止められん」
ドムスが去った後、ナギは門の前に座り込んだ。膝に力が入らない。
セリアが隣に来た。地面に腰を下ろした。
「疲れた」
「ああ」
「あたし、言っちゃった。ロバンのこと」
「ああ」
「後悔してない。でも、手が震えてる」
ナギは何も言わなかった。セリアの手が、ナギの手の隣に置かれた。指は触れていない。だが、近かった。
* * *
同日。王都セルディオン。
ヴェルクは辞令を手に、軍務省の廊下に立っていた。
「辺境監視任務への異動」。体のいい左遷だった。ガレス将軍の顔が、昨日の会議で凍りついていたのを思い出す。「魔物の動向を読める唯一の兵士を、お前が追い出しただと?」
廊下の窓から、王都の街並みが見える。半年前までは、この景色を毎日眺められると思っていた。
マルコが後ろに立っていた。
「隊長。辺境の報告が入っています」
「何だ」
「追放した男が、魔物の集落を作っているようです。ゴブリンとオーク族が、一つの砦に集まっていると」
ヴェルクの指が辞令を握り潰した。
「あの男は、魔物と手を組んだのか」
「将軍は『放置しろ。今は辺境にかまう余裕がない』と」
「放置だと。あの男が魔物の軍勢を作っているかもしれないのに、放置しろと」
「隊長。それは……」
「獣語りの乱の再来だ。マルコ、お前にはわからないのか」
マルコは口を閉じた。ヴェルクの目が暗く燃えている。
ヴェルクは辞令を懐にしまった。辺境への赴任。ナギがいる辺境。追い出した男のいる場所に、今度は自分が送られる。
「マルコ。辺境に行く前に、一つ調べてくれ。あの砦の周辺を監視していた密偵がいたはずだ。その報告書を全て持ってこい」
「了解しました」
ヴェルクは窓に背を向けた。廊下を歩く足音が、石の床に硬く響いた。
* * *
グレンデの砦。
村人たちが去った翌朝、ナギは砦の門に立っていた。門柱に三つの旗が並んでいる。ゴブリンの緑の布。オークの赤い戦旗。そして、ナギが古い麻布で作った白い旗。
三つの旗が、朝の風に揺れていた。
グレンデの砦は、名もなき集落になった。




