連合
「解毒薬が作れるって、本当か」
「本当です! ゴブリンのハナさんが、トリカブトの毒に効く薬草の配合を知ってるんです。ただ、材料が足りなくて——」
リーナが息を弾ませながら説明した。砦の門の前で、松明の灯りがリーナの金髪を揺らしている。
「足りない材料は何だ」
「赤土の丘陵に自生する苦蓬草です。オーク族の領域にしかないんです」
ナギはセリアと目を合わせた。セリアが小さく頷いた。明日のオーク族の集会。交渉の切り札が、また一枚増えた。
* * *
翌朝。赤土の丘陵に立つオーク族の集落は、異様な熱気に包まれていた。
ナギの前に、八十を超えるオークが半円を描いて座っている。灰褐色の肌、突き出た牙、腕を組んだ太い腕。最前列には戦士たちが陣取り、後方に女や子供が並ぶ。
石の台座にボルガが腰を下ろしていた。昨日と同じ場所。だが空気が違う。昨日は族長との一対一だった。今日は一族全体を前にしている。
「トルク、後ろを頼む」
「ああ。だが頼むから、殺されるようなことは言うなよ」
「善処する」
ナギは一歩前に出た。喉の奥で低い音を鳴らし、オーク語を組み立てる。ゴブリン語より太く、腹の底から出す音だ。まだ不完全だが、昨日の対話で精度は上がっている。
【聞いてくれ。俺はナギ。人間で、お前たちの言葉を話す】
ざわめきが走った。オークの子供が母親の腕にしがみつく。戦士の一人が唸った。
【気味が悪い。人間が我らの言葉を操るなど】
【操ってはいない。聞いて、伝えているだけだ。お前たちの言葉を完全に話せるわけじゃない。だが、意味は伝わるはずだ】
ボルガが片手を上げた。集落が静まった。
【この人間の話を聞け。昨日、ワシに面白いことを教えた。今日はお前たちに聞かせる】
ナギは息を整えた。ここからが勝負だ。
【お前たちの家畜が死んだ。病気だと思っていたはずだ。だが違う。毒だ。誰かがお前たちの家畜に毒を盛った】
沈黙が落ちた。八十の瞳がナギに向いている。戦士の一人が立ち上がった。
【証拠はあるのか】
【ゴブリンの薬師が死んだ家畜を調べた。口の周りが黒く変色し、内臓が溶けていた。灰色沼地のトリカブトだ。自然には丘陵に生えない。誰かが持ち込んだ】
ざわめきが大きくなった。怒りの色が混じり始めている。
【誰がやった】
【鎧の匂いがした者だ。お前たちの族長が嗅いだ。二人の人間が、夜に来て毒を撒いた。王国の兵士だ】
オークの戦士たちが立ち上がった。牙を剥いている。殺気が広場を満たした。ナギの背筋が冷えた。
【殺す。人間を殺す】
【落ち着け。俺も人間だ。だが俺はお前たちの敵じゃない。毒を盛った連中は、俺を追い出した連中と同じだ。つまり、俺たちは同じ敵を持っている】
ボルガが重い声で言った。
【静まれ。この人間の話はまだ終わっておらぬ】
戦士たちが渋々座った。だが目は獰猛なままだ。
ナギは続けた。
【俺はゴブリンと手を組んでいる。三百のゴブリンが俺の砦に水を汲みに来ている。ゴブリンの偵察兵は森の隅々を知っている。俺と組めば、毒を盛った犯人を追える】
【弱い人間と組んで何になる】
若い戦士が吐き捨てた。ナギは答えた。
【弱い人間が三百のゴブリンを動かした。それは力ではないか】
沈黙。ナギは切り札を出した。
【もう一つある。赤鉄鉱だ】
空気が変わった。ボルガの目に火が灯った。戦士たちが身を乗り出した。赤鉄鉱。オーク族が最も欲しがる鍛冶素材。
【深緑の森の北東に、赤鉄鉱の鉱脈がある。ゴブリンの領域だ。俺が仲介すれば、採掘の取引ができる】
【なぜゴブリンがそれを許す】
【ゴブリンは鍛冶をしない。赤鉄鉱は彼らにとって価値のない石だ。だがお前たちの鍛冶製品には価値がある。等価交換だ】
ボルガが立ち上がった。広場が揺れた。
【もう一つ聞く。解毒薬の話は本当か。ワシの家畜を救えるのか】
ナギは頷いた。
【ゴブリンの薬師がトリカブトの解毒薬を作れる。だが材料が足りない。苦蓬草が必要だ。お前たちの領域に自生している】
【苦蓬草なら腐るほどある。だが解毒薬と引き換えに何を求める】
【同盟だ。ゴブリンと、オークと、俺。三者が手を組む。食料も、鍛冶の素材も、薬も。互いに足りないものを補い合う。俺はその間に立つ】
長い沈黙が落ちた。ボルガがオーク族の戦士たちを見回した。戦士の一人が口を開いた。
【族長。この人間は弱い。だが、利口だ】
別の戦士が続いた。
【赤鉄鉱は欲しい。家畜の薬も欲しい。嫌いだが、利がある】
ボルガが頷いた。
【一族の声を聞いた。利がある。ならば手を組もう。だが一つ条件がある】
【言ってくれ】
【お前が裏切ったら、骨ごと砕く。約束を破る者に、オークは容赦せぬ】
【裏切らない。約束する】
ボルガの巨大な手が差し出された。ナギの手がそれを握った。ナギの手がボルガの掌にすっぽり収まる。だが握り返す力に、ボルガの目が少しだけ緩んだ。
【小さいが、握力はあるな】
「褒められてるのか?」
ナギが人間語で呟いた。後ろでセリアが小さく笑った。
* * *
集会が終わり、砦への帰路。こめかみの奥が鈍く痛んでいた。オーク語は腹の底から振動させる発声で、ゴブリン語より喉への負担が大きい。だが足取りは軽かった。
ゴブリン族とオーク族。二つの種族との同盟が成立した。廃砦は一人の追放者の寝床から、三つの種族が集う場所に変わろうとしている。
「ナギさん、すごいです。オーク族と同盟なんて」
リーナが興奮気味に言った。苦蓬草のサンプルを両手に抱えている。集会の後、オークの女たちが案内してくれた自生地で大量に採取してきた。
「すごくはない。利害が一致しただけだ」
「それを一致させるのがすごいんでしょ」
セリアが横から言った。ナギは返事に困って前を向いた。
トルクが隣に並んだ。
「なあ、ナギ。お前のやってることは、昔の冒険者ギルドに似てるぞ」
「冒険者ギルドに?」
「ギルドってのは元々、異なる職業の連中が利益のために手を組む仕組みだった。戦士と魔法使いと盗賊が、一人じゃできないことをパーティでやる。お前は種族でそれをやってる」
「種族ギルドか。悪くない響きだな」
「ギルドマスターは交渉しかできない痩せた男だがな」
ナギは苦笑した。
森の入口でガリクが待っていた。ゴブリンの偵察兵が木の上から飛び降りてくる。
【どうだった】
「同盟成立だ」
ガリクの耳がぴくりと動いた。
【本当か。オークが? あの乱暴者どもが?】
「乱暴者じゃない。利口な連中だ。お前たちと同じで、利があれば動く」
ガリクが鼻を鳴らした。
【ゴルドに伝える。長老は喜ぶぞ。いや、喜ぶ前に心配するだろうな。オークと同じ砦で暮らすのかと】
「暮らすかどうかはこれからだ。まずは取引から始める」
砦が見えてきた。門の上に、ゴブリンの旗が掛けられていた。いつの間にか、ピッケが木の枝に布を結びつけたらしい。緑色の粗末な布だが、風に揺れている。
ナギは足を止めて、それを見上げた。
半月前、ここにたどり着いた時は、崩れかけた門と苔むした壁だけがあった。今は旗が立っている。小さな旗だが、誰かがここを「自分の場所」だと思っている証だ。
「あの旗、もう一枚必要だな」
ナギが呟いた。
「オークの旗も掛けるのか」
セリアが聞いた。
「ああ。それと、人間の旗も」
セリアの目が少し大きくなった。ナギは前を向いた。
砦の門をくぐる。中庭ではゴブリンの職人たちが壁の修繕を続けている。その隣で、リーナがさっそく苦蓬草を広げて薬の調合を始めていた。
ボルガの最後の言葉が、ナギの耳に残っている。
集会の後、族長は皆が去った広場でナギに告げた。
【ナギという人間。お前のような者を、古い言葉で何と呼ぶか知っておるか】
【知らない】
【『架け橋』。種族の間に立つ者じゃ。最後の架け橋は、二百年前に死んだと聞いておる】
二百年前。獣語りの乱。王国が「呪われたスキル」と断じた事件。その当事者も、ナギと同じ魔物語の持ち主だった。
ナギは砦の見張り台に登った。北に深緑の森、東に赤土の丘陵。今日、その二つが一つの線で繋がった。
だが西には灰色沼地が広がり、南にはハグレ村の煙が立ち昇っている。まだ手が届いていない場所がある。
架け橋。二百年ぶりの架け橋。
ナギは拳を握った。その言葉の重さが、肩にのしかかった。二百年前の架け橋は死んだ。殺されたのか、それとも——。
見張り台の下で、ガリクの声が聞こえた。
【ナギ! ゴルドが来たぞ! 急いでこい!】
ナギが下を覗くと、ゴブリンの長老が息を切らせて砦の門に立っていた。長老が自ら足を運ぶのは初めてだ。
ゴルドの顔が、蒼白に見えた。
【ナギ。村の人間が、森に火をつけた】




