排斥
「お前が、魔物と手を組んでいる男か」
村長ドムスの声は穏やかだった。だがその背後に並ぶ猟師たちの目は、穏やかとは程遠い。
ハグレ村の集会所。丸太を組んだ小さな建物に、二十人ほどの村人が詰めかけていた。奥の椅子に座るドムスは白髪の老人で、皺の深い顔に疲れが滲んでいる。
「手を組んだ、というか。一緒に砦を直している、という方が正確です」
「砦を直す? ゴブリンと?」
猟師の一人が声を上げた。日焼けした顔に傷跡がある。手斧を腰に挟んだまま、壁に寄りかかっている。
「気でも違ったのか。あいつらは家畜を食い殺す害獣だぞ。去年、俺の小屋の羊が3頭やられた」
「それはゴブリンじゃない。おそらく森狼だ」
「どっちも魔物だろうが!」
集会所がざわめいた。ナギは息を吐いた。予想通りだ。魔物は全て同じ。害獣は害獣。個別の種族の違いなど、彼らの認識にはない。
「村長。ゴブリンたちは砦の井戸水が欲しいだけです。彼らの泉が涸れた。水がなければキノコが育たず、食料が尽きる。だから取引をしている。水を渡す代わりに、労働力を借りている」
「取引だと?」
ドムスが眉を寄せた。
「魔物と取引をする人間がいるのか。聞いたことがない」
「いなかっただけです。俺が最初なんでしょう」
「ふん」
別の猟師が前に出た。若い男だ。弓を背負い、革のブーツに泥がこびりついている。
「魔物の味方をする人間は、人間じゃねえ。二百年前にもいたそうだな。獣語りとかいう化け物が」
空気が変わった。獣語りの乱。二百年前の事件。魔物の言葉を話す人間が王国に反乱を起こしたという伝説。ナギのスキルと同じだ。
「俺は反乱なんか起こしていない。砦を直しているだけだ」
「今はな。だがゴブリンを集めて、次はオークを集めて、気づいたら軍勢になってるかもしれないだろう」
猟師たちが頷いた。二百年前の言い伝えが染みついた体は、理屈では動かない。今のナギに、あの伝説の影が重なっている。
ナギは視線を集会所の壁に向けた。木の板に刻まれた傷が無数にある。獣の襲撃を記録した刻み目だ。何十年分もの恨みが、この壁に刻まれている。理屈で覆せる相手ではない。
セリアが横で指先を白くなるほど握りしめていた。何か言おうとして、唇を噛んでいる。
「セリア」
ドムスが名前を呼んだ。
「お前はこの男と一緒にいたそうだな。ゴブリンの集落にも行ったと聞いた」
「……はい」
「どう思う。この男の言うことは信じられるのか」
集会所の全員がセリアを見た。彼女の父は村一番の狩人だった。三年前に魔物に殺された。その娘の言葉には重みがある。
セリアが顔を上げた。緑色の目に迷いが揺れている。
「あたしは見た。ゴブリンの子供がナギに懐いてた。あいつらにも……」
言葉が止まった。
父を殺したのも魔物だ。ゴブリンではなかったかもしれない。だが魔物だ。その事実が、喉に刺さっている。
「あいつらにも、何だ」
若い猟師が詰め寄った。セリアの肩が強張った。
「……わからない。でも、あの子供は笑ってた。あたしたちの子供と同じように」
「笑う? ゴブリンが? 馬鹿言うな」
猟師たちの声が大きくなった。ドムスが手を上げて制した。
「静かに」
老人の声は低いが、よく通った。集会所が静まる。
「ナギ、と言ったな。一つ聞く。お前がゴブリンと手を組むことで、この村に害はあるのか」
「ありません」
「証明できるか」
「……できません。まだ始まったばかりだ」
正直に答えた。嘘をついても仕方がない。ゴブリンの嗅覚は嘘を見抜くが、人間の目も鋭い。
「では、こう言おう」
ドムスが椅子から腰を上げた。膝が軋む音がした。
「砦はこの村の管轄外だ。お前が何をしようと、村が口を出す筋合いはない。だが、ゴブリンが村に近づいたら話は別だ。畑を荒らしたら。家畜を食い殺したら。そのときは村として対処する。いいな」
「わかりました」
「そしてもう一つ。お前自身が村に来ることは構わない。食料の買い出しもできる。だが、ゴブリンを連れてくるな。村人が怯える」
これが落としどころか。ナギは頷いた。今はこれ以上を望めない。
「ありがとうございます、村長」
「礼は要らん。面倒事を増やすなよ」
ドムスが背を向けた。猟師たちが一人ずつ出ていく。若い猟師がナギの横を通り過ぎる時、肩をぶつけてきた。わざとだ。ナギは何も言わなかった。
集会は終わった。最善ではないが、最悪でもない。
* * *
村を出る道で、セリアが隣を歩いていた。夕陽が畑の向こうに沈みかけている。
「うまくいった方よ」
「そうか? 門前払いに近い気がするが」
「猟師のコウジがナイフを抜くところまで想像してたもの。村長が抑えてくれた」
「……セリアは大丈夫なのか。村にいづらくなるんじゃないか」
「もともと変わり者で通ってるわ。父さんが死んでから、一人で森に入る女狩人なんて、あたしくらいよ。今さらだわ」
セリアの声は軽かったが、足取りは少し遅かった。
トルクが砦の門で待っていた。大剣を立てかけたまま、腕を組んでいる。
「どうだった」
「追い出されはしなかった。ただ、ゴブリンを村に近づけるなと言われた」
「妥当だな。最初からうまくいくわけがない」
「人間との交渉の方が、よっぽど難しい」
ナギが吐き捨てるように言った。トルクが肩を竦めた。
「そりゃそうだ。ゴブリンはキノコで動く。人間は理屈じゃ動かねえ。恐怖で動く」
砦の中では、ゴブリンたちが焚き火を囲んでいた。甲高い声が夜空に溶けていく。石と丸太の新しい壁が、炎に照らされて赤く光っている。
ここは安全だ。だが一歩外に出れば、人間の世界が待っている。
ナギが焚き火に手をかざした時、森の方角から足音が聞こえた。一体ではない。走っている。
ゴブリンの使者が二体、息を切らして門をくぐった。顔色が青い。ゴブリンの肌が青く見えるのは、よほどの恐慌状態だ。
【ナギ! 大変じゃ!】
「どうした」
【東の丘陵で、オーク族が家畜を大量に失った。飢えたオークが、我らの森に入ってきておる。3体の斥候が、今朝から森の境界をうろついておるのじゃ】
ナギの背筋に冷たいものが走った。
南は人間の村。北はゴブリンの森。そして東から、オーク族が迫っている。
砦は三つの勢力の境界に立っている。同盟を組んだばかりのゴブリンの森が、新たな脅威に晒されようとしていた。
「トルク」
「聞こえた。声は聞こえなくても、顔を見りゃわかる。厄介事だろう」
「オークが来る」
トルクの目が鋭くなった。冒険者の目だ。
「数は」
「まだ斥候だけだ。3体」
「……3体のオークか。ゴブリン相手とはわけが違う。1体で人間の兵士5人分はある」
セリアが弓の弦を確かめた。指先が白くなるほど、強く握っている。
「ナギ。オークとも話すの?」
「話せるかどうかはわからない。オーク語はほとんど聞いたことがない」
「それでも行くんでしょ」
「同盟者だからな。助けを求められたら、応えないわけにはいかない」
ゴブリンの森が、オーク族の侵攻を受けようとしていた。




