共働
「おい、そこ。もうちょい左だ」
トルクが丸太を担いだまま、ゴブリンの大工に声をかけた。当然、通じない。ゴブリンは甲高い声で何かを叫び返し、手を振り回した。
「何て言ってんだ、ナギ」
「『人間は口ばかりで手が遅い』だとさ」
「……言ってくれるな、チビどもが」
トルクが丸太を担ぎ直す。腕の太さはゴブリン三体分あるが、それでもグレンデの砦の屋根を直すには人手が足りなかった。
同盟が成立してから三日。
ゴブリンたちは約束通り、毎朝井戸水を汲みに来た。最初は五体。次の日は十体。今日は二十体を超えている。水を汲むだけでなく、木材を運び、崩れた壁の隙間に泥を詰めていく。
朝一番に来たのはピッケだった。木の人形を腰に挟んで、両手に苔の束を抱えている。
【ナギ、これ。母ちゃんが持っていけって】
「苔か。何に使うんだ」
【壁の隙間に詰めると、雨が入らないの。森の家はみんなこうしてるよ】
小さな緑色の手が、石壁の隙間に苔を押し込んでいく。なるほど、防水材か。人間なら漆喰を使うところを、ゴブリンは森の素材で代用する。どちらが正しいという話ではない。土地に合ったやり方が一番だ。
ナギは砦の中庭を走り回っていた。通訳が必要な場面が、あまりにも多い。
「ナギさーん!」
リーナが中庭の向こうから手を振った。ハグレ村の薬師見習いで、薬草の研究をしたいと砦を訪ねてきた少女だ。腰のポーチが走るたびに揺れている。
「ゴブリンのおじさんが、壁の泥の配合について何か言ってるんですけど、全然わかりません!」
「今行く」
ナギが駆け寄ると、ゴブリンの石工職人が壁の前で腕を組んでいた。灰緑色の肌に刻まれた皺が深い。年配のゴブリンだ。
【この泥はだめじゃ。砂が多すぎる。乾くと崩れる】
「リーナ、砂が多すぎるって。もっと粘土質の土がいるらしい」
「粘土質……。あ、井戸の南側に赤っぽい土がありました。あれじゃだめですか?」
ナギがゴブリンに伝えると、職人は顎を掻いた。
【赤土か。悪くない。だが水を混ぜて一晩寝かせねばならぬ。人間は急ぎすぎる】
「一晩寝かせる必要がある、だそうだ」
「わあ、発酵させるんですね。メモメモ……」
リーナが目を輝かせてポーチから紙を引っ張り出した。ゴブリンの建築技術を記録し始める。職人は怪訝な顔をしたが、邪魔はしなかった。
* * *
午後になって、問題が起きた。
砦の北壁の修繕で、ゴブリンの大工たちが丸太を組んで骨格を作り始めた。一方、トルクは人間式に石を積んでいた。二つの工法が壁の中央でぶつかった。
【石は重い。丸太の方が速い。人間のやり方は愚かじゃ】
ゴブリンの大工頭が鼻を鳴らした。トルクが首を傾げる。
「何だって?」
「お前のやり方は愚かだ、って」
「はあ? 石の方が頑丈だろうが。丸太なんか腐るぞ」
「まあ、落ち着け」
ナギは両方の前に立った。壁を見上げる。ゴブリンの丸太組みは確かに速い。だが耐久性は劣る。トルクの石積みは頑丈だが、人手が足りない。
【聞いてくれ。両方使う。下半分は石を積む。上半分は丸太を組む。石の土台で強度を出して、丸太の屋根で速度を出す。どうだ】
ゴブリンの大工頭が壁を見つめた。片耳をぴくぴくと動かしている。考えている証拠だ。
【……悪くない。だが石と丸太の接合はどうする】
「トルク。ゴブリンの樹脂接着剤がある。石と木を繋げるのに使えないか」
「樹脂? 見せてみろ」
ゴブリンの職人が茶色い塊を差し出した。トルクが指で押し、匂いを嗅いだ。
「松脂に似てるな。これなら使える。上に木を載せるなら、石の天端に溝を切って噛み合わせる。そうすりゃ横にずれない」
ナギがゴブリンに伝えると、大工頭が頷いた。
【人間の石工にも、少しは知恵があるらしい】
「お互い様だ、って伝えておいてくれ」
「お互い様だ、だとさ」
ナギが訳すと、大工頭が歯を見せた。ゴブリンの笑いだ。トルクも口の端を上げた。
その瞬間だけ、種族の壁が消えた。
作業が再開された。ゴブリンの大工たちが丸太を運び、トルクが石の天端に溝を刻んでいく。金属の鑿が石を削る音と、ゴブリンたちの甲高い掛け声が交互に響いた。
ピッケが壁の下で膝を抱えて見上げていた。大人たちの作業を、目を丸くして見つめている。
「ピッケ、邪魔になるから離れてろ」
ナギが声をかけると、ピッケは首を振った。
【見てるだけ。すごいね、にんげんとゴブリンが一緒にやってる。ピッケ、こんなの見たことない】
ナギも見たことがなかった。人間と魔物が同じ壁を作る光景など、この世界の誰も見たことがないだろう。
* * *
夕暮れ。砦の中庭にゴブリンの焚き火が三つ灯った。
北壁は半分まで修繕が進んでいた。下半分の石積みと上半分の丸太組み。人間の技術とゴブリンの技術が一つの壁に収まっている。不格好だが、しっかりしていた。
「予想以上に進んだな」
トルクが焚き火の前で大剣を手入れしながら言った。刃に油を塗る手つきが丁寧だ。
「最初はどうなることかと思ったがな。ゴブリンのチビども、手先は器用だ」
「石工の爺さんもトルクの溝切りを褒めてたぞ」
「……そうかよ」
トルクの声に、かすかな温度があった。
リーナが焚き火の向こうで、ゴブリンの職人に身振り手振りで何かを聞いている。通じているのかいないのか怪しいが、リーナの熱意にゴブリンも押されている。
「あの子、度胸あるな」
「知りたいことがあると怖いものがなくなるタイプだ」
「危ないタイプだ」
「否定はしない」
ナギは壁を見上げた。石と丸太の混合建築。人間もゴブリンも見たことのない構造物が、夕陽に照らされて長い影を落としている。
ここが俺の場所だ。そう思った時、足音が聞こえた。
速い足音。森の方角からではない。南から。ハグレ村の方向だ。
セリアが走ってきた。赤銅色の髪が風に乱れ、弓が背中で跳ねている。息を切らしたまま、ナギの前で立ち止まった。
「ナギ、まずいことになった」
「どうした」
「村長がナギを呼び出してる。砦にゴブリンが出入りしてるって……村が騒ぎになってるわ」
ナギの手が止まった。
ゴブリンとの同盟。砦の修繕。異種族の共同作業。この三日間で、全てが前に進んでいた。だが、それはナギの世界の中だけの話だ。
南の村人たちにとって、ゴブリンは家畜を襲い畑を荒らす害獣でしかない。
「セリア。村長は怒ってるのか」
「村長は温厚な人よ。でも猟師たちが怒ってる。砦に火をつけるとか言い出してる奴もいるわ」
トルクが大剣を鞘に戻した。
「行くのか」
「行かなきゃ始まらない」
ナギは焚き火を見つめた。炎の向こうで、ゴブリンの子供たちが石と丸太の壁に触って笑っている。この光景を、村人たちに見せたらどう思うだろう。
おそらく、怯えるだけだ。
「まあ、話してみないとわからないだろ」
セリアが眉を上げた。
「それ、ゴブリン相手にも言ってたわよね」
「人間相手でも同じだ。交渉の基本は変わらない」
「人間の方が厄介よ。あいつら、キノコじゃ動かないから」
セリアの声に冗談の響きはなかった。村で育った彼女には、猟師たちの頑固さがわかっている。
ナギは立ち上がった。北壁の影に、石と丸太の新しい壁が立っている。
人間とゴブリンの間に壁を作るのではなく、壁そのものを一緒に作った。だが本当の壁はこれからだ。
南に向かう足取りは、ゴブリンの集落に向かった時よりも重かった。




