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魔物交渉者 〜「気味が悪い」と追放された斥候は、魔物と交渉するだけで最強の領地を築き上げる〜  作者: 景都 (けいと)
辺境の交渉者

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10/20

声比べ

三百の目が、ナギを見ていた。


 ゴブリンの集落の広場。前回、前々回と同じ場所。だが空気が違う。前回は敵意が渦巻いていた。今回は、期待と警戒が半々に混じっている。


 キノコの籠を二つ、ナギは広場の中央に置いた。白い傘が朝の光を受けて輝いている。砦の井戸水で育てた、拳大の森キノコ。集落のものより二回りは大きい。


「ナギ、あたしはどこにいればいい」


 セリアが囁いた。弓は背中に背負ったまま、手は添えていない。


「広場の外だ。見てるだけでいい」


「わかった」


 セリアが木の陰に下がった。ナギは一人で広場の中央に立つ。


 ゴルドが長老の座から立ち上がった。白い髪が風に揺れている。左耳の骨飾りが三つ、かちりと鳴った。


【皆の者。三度目の声比べじゃ。人間ナギの提案を聞け。そして、己の腹で決めよ】


 ゴルドの声に、広場が静まった。ナギは深く息を吸った。喉の奥でゴブリン語の音を組み立てる。


【聞いてくれ。俺は二度、この場に立った。二度とも、お前たちを説得できなかった】


 正直に言った。飾っても仕方がない。ゴブリンは嘘を嫌う。


【だが、三度目は言葉じゃなく、物を持ってきた】


 ナギは籠のキノコを一つ取り出した。手のひらに載せ、広場の前列に向けた。ゴブリンたちの鼻がひくつく。


【食べてくれ。これが、俺の答えだ】


 沈黙。


 前列の子供のゴブリンが、最初に手を伸ばした。母親が止めようとしたが、隣の老ゴブリンが首を振った。子供がキノコをもぎ取り、齧った。白い歯が傘に沈む。


 子供の目が丸くなった。


【おいしい!】


 その声が、広場に響いた。子供の叫びに釣られて、二体目、三体目のゴブリンが手を伸ばした。ナギはキノコを次々に渡していった。二つの籠が、みるみる空になっていく。


 食べたゴブリンの反応は一様だった。目を見開き、耳を立て、隣の仲間と顔を見合わせる。


【大きい。身が詰まっておる】


【集落のより旨い。水が違うのか】


【こんなキノコ、何年ぶりじゃ】


 ざわめきが広場を満たした。ナギはその波が広がるのを待った。交渉の間合いだ。早すぎても遅すぎてもいけない。


【砦の井戸水で育てた。この水を使えば、毎日これだけのキノコが採れる。子供にも、年寄りにも、戦士にも。腹を空かせる日はなくなる】


 ピッケの母親、モーラが腕を組んだまま頷いた。農耕の長の同意。周囲の農耕担当たちも、互いに目を見交わしている。


 だが。


【待て!】


 ガルガが前に出た。太い腕を振り上げ、槍を地面に突き立てた。


【キノコ一つで買われるのか! これは買収じゃ!】


 広場が揺れた。ガルガの声は太く、よく通る。戦士長の威圧が、食べ物の興奮を押し返そうとしている。


【甲冑の人間はどうなった。こいつの後ろに王国の手下がいたことを忘れたのか!】


 ナギの指が強張った。ここが正念場だ。


【ガルガ。甲冑の人間は俺を追い出した連中の手下だ。俺が呼んだんじゃない。俺の敵でもある】


【敵だと? 人間の内輪揉めに巻き込まれるのはごめんじゃ!】


 声が割れた。賛成と反対が入り混じり、広場が騒然とした。声比べの形を成していない。ナギは歯を食いしばった。このまま怒鳴り合いになれば、数の力でガルガが勝つ。


 その時、ゴルドが立ち上がった。


【静まれ】


 長老の声は大きくなかった。だが、重かった。三百のゴブリンが口を閉じた。


【ガルガよ。お前の懸念はもっともじゃ。だがワシは、この人間の目を見てきた。嘘の匂いはせぬ】


【長老、声比べは数で決めるものじゃ。お前の勘で決めるな】


【勘ではない。証拠がある】


 ゴルドが広場の中央に歩み出た。ナギの横に立ち、三百のゴブリンを見渡した。


【この人間は、甲冑の人間の正体を突き止めた。王国軍の携帯食の包みを持ってワシのところに来た。砦を監視していたのは、こやつを追い出した王国の手下じゃ。こやつ自身は、その命令書を焚き火に投げ込んだ】


 広場がざわめいた。ガルガの目が細くなった。


【命令書を焼いた? それが何の証拠になる。人間の芝居かもしれぬ】


【芝居かどうかは、これからわかる】


 ゴルドがナギを見た。老ゴブリンの目に、静かな信頼があった。


【ナギよ。皆に言え。お前が何を捨てて、何を選んだのか】


 ナギは広場を見渡した。三百の小さな目が自分を見つめている。敵意、好奇、不安、期待。全部が混じった視線。


【俺は王国に追放された。魔物と話すスキルが気味悪がられたからだ。王国は俺を捨てた。捨てた後で、また利用しようとしてきた。だが俺は断った】


 言葉を切った。一拍の間を置く。


【俺はこの場所を選んだ。砦を選んだ。そして——お前たちを選んだ】


 広場が静まった。風が木々を揺らす音だけが聞こえた。


 モーラが一歩前に出た。農耕の長が、声を上げた。


【ワシは賛成じゃ。キノコは嘘をつかぬ。この水があれば、子供たちに腹いっぱい食わせられる。それ以上の理由がいるか!】


 モーラの周りの農耕担当たちが声を上げた。賛成の声が広がる。だがまだ足りない。ガルガの周りの戦士たちは腕を組んだまま動かない。


 拮抗。賛成と反対が、ほぼ同数。


 ナギの視界の端で、小さな緑色の影が動いた。


 ピッケだ。


 子供のゴブリンが広場の中央に駆け出してきた。木の人形を胸に抱えたまま、ナギの脚にしがみつく。大きな丸い目が、広場のゴブリンたちを見上げた。


【ナギは……ナギは、にんげんをなおしてくれたの!】


 ピッケが木の人形を振り上げた。何度も脚がもげた人形を、ナギは何度も直した。


【こわくないの! ナギはこわくないの!】


 子供の声は甲高く、広場の隅まで響いた。ゴブリンたちの表情が変わった。子供が人間を庇っている。人間に懐いている。その光景は、どんな言葉よりも雄弁だった。


 モーラが叫んだ。


【子供たちに腹いっぱい食わせたい! それがワシの声じゃ!】


 母親の声が、堰を切った。農耕の担当たちが、子供を持つ親たちが、年老いたゴブリンたちが、次々に声を上げた。


 賛成の声が、反対を——呑み込んだ。


 ガルガが歯を剥いた。だが声比べの結果は覆せない。それがゴブリンの掟だ。戦士長は槍を拾い上げ、忌々しげにナギを睨んだ。


【……今回は、負けた。だが忘れるな、人間。裏切ったら……】


【わかっている。名前を剥がされるんだろう】


 ガルガの目が見開かれた。ゴブリンの最大の恥辱を、人間が知っている。


【……覚えておけ】


 ガルガが踵を返した。戦士たちが後に続く。完全な敵対ではない。だが和解でもない。


 ゴルドがナギの前に立った。長老の手が伸びてきた。小さな、皺だらけの手。


【同盟じゃ。ナギ。お前は今日から、我らの「数」に入る】


 ナギはゴルドの手を握った。小さくて硬い手だった。皮膚の下に骨の感触がある。老体の、だが確かな力が込められた握手。


【ありがとう、ゴルド】


【礼はいらぬ。キノコで返せ】


 広場にゴブリンたちの笑い声が広がった。子供たちがナギの周りを走り回る。ピッケが人形を振りながら踊っていた。


* * *


 日が傾く頃、ナギは集落の外れの木の下にいた。こめかみが脈打っている。朝から声比べの場で魔物語を使い続けた反動だ。耳の奥で小さな音が鳴り止まない。


 祝いの席は続いている。ゴブリンたちがキノコの汁を煮て、集落全体に配っている。甲高い声が飛び交い、子供たちが駆け回っている。


 セリアが隣に来た。木の幹に背を預けて、広場を見つめている。


「……あんた、本当にやったのね」


「やった」


「声比べって、あたしにもわかったわ。最後のあの声の大きさ。圧倒的だった」


「モーラとピッケのおかげだ。俺の言葉だけじゃ足りなかった」


「謙遜してるの?」


「事実だ」


 セリアが笑った。小さく、だが確かに笑った。ナギがセリアの笑い声を聞くのは、これが初めてだった。


「キノコ、一つもらっていい? 汁じゃなくて、そのまま食べたい」


「ああ」


 ナギは腰の袋からキノコを一つ取り出した。セリアに渡そうとした時、指が触れた。


 セリアの指先は冷たかった。弓を引く指。硬い皮膚。だがその下に、確かな温度がある。


 二人の手が止まった。キノコを挟んで、指が重なっている。


 ナギは手を引いた。セリアも手を引いた。同時だった。キノコはセリアの手の中に落ちた。


 どちらも、何も言わなかった。


 セリアがキノコを齧った。白い歯が傘に沈む。


「……おいしい」


「そうか」


「ゴブリンの子供と同じ感想しか出ないわ」


「十分だ」


 沈黙。風が木々を揺らした。集落の笑い声が遠くに聞こえている。


 その沈黙の中に、しわがれた声が割り込んだ。


【ナギよ】


 ゴルドが杖をついて歩いてきた。長老の顔に、祝いの気配はなかった。


【同盟の祝いに、一つ教えておく】


 ナギは立ち上がった。ゴルドの目が暗い。


【東の丘陵のオーク族が、動いておる】


「動いている?」


【奴らの斥候が、この森の境界に来ておる。二度、三度と。数が増えておる】


 ナギの背筋が冷えた。東の咆哮。あの夜に聞いた飢餓の叫び。


【オーク族は我らの森を狙っておる。食料が尽きたのじゃ。奴らの家畜が大量に死んだと聞いておる】


「家畜が死んだ? 病気か」


【わからぬ。だが、飢えたオークは手がつけられぬ。力の種族じゃ。我らゴブリンでは、正面から戦えば勝ち目はない】


 ゴルドがナギの目を見た。老いた目に、切実な光があった。


【同盟者なら、助けてくれるな?】


 ナギは東の空を見た。赤土の丘陵が、夕焼けに染まっている。あの丘の向こうに、八十のオーク族がいる。ゴブリンとの同盟は成立した。だが、それは始まりに過ぎなかった。


「まあ、話してみないとわからないだろ」


 ゴルドの耳がぴくりと動いた。


【話す? オーク族と?】


「交渉だ。俺の得意分野だ」


【正気か。オーク族の集落に行った者は、ゴブリンでも人間でも、帰ってきたことがないぞ】


 セリアが弓の紐を握りしめていた。ゴブリン語はわからないが、ゴルドの表情から深刻さを読み取ったのだろう。


「ナギ、何の話?」


「東のオーク族が動いてる。ゴブリンの森を狙ってるらしい」


「オーク? あの巨体の……」


「ああ。同盟を守るなら、オーク族とも話をつけないといけない」


 セリアの緑色の目がナギを射抜いた。


「あんた、本気で言ってるの?」


「まあ、話してみないとわからないだろ」


「2回言った。それ、口癖?」


「そうかもしれない」


 ナギの「交渉」は、始まったばかりだった。

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