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男はクルテに顔を見ると、目尻を下げて言った。
「え、あぁ、そりゃあ、あれさ。クリオテナさまが色男のグリアジート卿にベタ惚れって話なんだけどよ。やっぱり身内は見捨てられねぇ。元は他人の旦那より、血の繋がった弟の方が大事ってことらしい」
「弟って、行方不明の国王さまでしょ?」
「そうさ、姉一人弟一人の姉弟だからね。早くに母親を亡くし、父親はほら、国王さまだ。忙しくって相手してくれねぇ。二つ違いと齢も近い。互いに相手を頼りにしてきたってことだな。だけど旦那はそれが面白くない。夫婦なんだから弟じゃなく俺を頼れって、焼きもちさ」
「へぇ、王女さまが一方的に思いを寄せてたってわけじゃないんだね。焼きもち妬くってことは、ネネシリスさまも王女さまが好きってことだ?」
「王女さまの方が積極的だったって話だろう? 相手は王女さまだ、グリアジート卿は遠慮があって簡単に好きだなんて言えなかった。前王もなかなか二人の婚姻を承諾しなかったって言うじゃねぇか……幼馴染が好き合うなんて、王侯貴族も我ら庶民と変わらないねって、二人の結婚は国民も好意的だったってさ」
「それでも喧嘩はするんだね」
「労役や税率は、グリアジート卿の一存で決めたらしいよ。で、王女さまは無体に国民を苦しめるなどもってのほかと、旦那を臣下の前でお叱りになった。そしたら労役は川を堰き止めるためで、行方不明のカテロヘブ王捜索に必要だし、税率を上げたのはその費えのためだってグリアジート卿は主張した。しょせん王女さまは温室育ちで世間知らず、政治向きに口出しするのはいかがなものかって、グリアジート卿は嘲笑った。さらにいけないのは『カテロヘブ王は死んだのだと認めて、さっさとあなたが即位すれば、こんな無駄な金は必要なくなる』って、すべて王女さまの責任だって言ったそうだよ」
「ネネシリスさまはクリオテナさまを王座に就けたいんだ?」
「カテロヘブ王が居ないとなると、王位継承権を持つのは王女さまだけだからね」
クルテがニヤリと笑う。
「ねぇ……クリオテナさまがカテロヘブ王を諦めて即位したとして、もしもお亡くなりになったら今度は誰が王さまになるの?」
男がギョッとしてクルテを見た。
「おっかねぇこと言うなって……でも、そうだなぁ」
男が表情を硬くし、少し考えてから答えた。
「クリオテナさまにお子が誕生していればそのお子、グリアジート卿が摂政に就くってところだろうね。でもお子がなければ諸侯の覇権争いが起き、下手をすれば他国がそれに干渉する――クリオテナ派だ、グリアジート卿派だなんて騒ぎじゃなくなる」
「ふぅん……でもさ、お二人は喧嘩中、子作りどころじゃなさそうだね」
すると男がガハハと笑った。
「子作りねぇ。なんでも諸侯の前でも大喧嘩の最中に、王女さまが『役立たずの癖に口だけは達者だな』って言ったらしいぞ。言われたグリアジート卿は真っ青になって『あなたがわたしをその気にさせられないからだ』って言い返したらしい。だけど王女さまは美貌、しかもこんなことを言うのは畏れ多いが体つきも魅力的――この件だけは誰もグリアジート卿に賛同できなかった」
「ネネシリスさまの男が役に立たないって話? だとしたら、なんで役に立たないんだろう?」
「本当のところは判らんけどよ、王女さま相手で萎縮しちまうんだろうって噂されてるね――しかし嬢ちゃん、言い難いことをずけずけ言うねぇ。そう言ったことを恥ずかしがる年頃だろうに。それとも興味津々かい?」
この質問に、ピエッチェが思わず男を盗み見る。まさかクルテに妙な気を起こしたわけじゃないだろうな? ところがピエッチェの心配をよそに、男は穏やかな目でクルテを見ている。慈しむような目だ。
「んーー、別に恥ずかしがらなきゃいけないようなことは言ってないし、興味があるのはザジリレンの情勢だよ」
男に向かってクルテがニッコリ笑む。
「それにしても、王宮の噂話にまで詳しいんだね。びっくりしちゃった」
「うちの娘とは大違いだな」
男が楽しそうに笑う。
「俺の娘はあんたと同じくらいの齢なんだが、最近男ができたみたいでね。気にしてるのは、どうすれば自分をより魅力的に見せられるかってことと、男のことばかりだ。そのくせ俺が、その服は似合わないって言えば剥れるし、男とはどうなってるんだって心配すれば、イヤらしいって目で見やがる――他国の情勢はおろか、自分の国の政情にだってトンと興味がない」
なるほど、男がクルテに目尻を下げたのは自分の娘と重ね合わせたからか……男がクルテに向ける慈愛にピエッチェが納得する。そして、クルテがピエッチェを黙らせて自分が話し相手になったのは、そんな男の心を読んだからだと思った。
「ありがたいことに、ご贔屓にしてくれる貴族さまも居るんだよ。貴族って言っても下流だがな。その人に聞いた話さ」
「その人、他には何か言ってなかった?」
「そう言えば、何とかって剣を探してるって話だ。その剣を探すことについては王女さまもグリアジート卿に協力的だって。川を堰き止めることには反対したが、兵を出して川底を探すのは許したらしいぞ。見付けた者には身分に関わらず懸賞金を出すって触れが出て、暇なヤツらは民人さえも川に潜ってるってさ。必ずあるわけでもないのに酔狂なことだ」
「必ずあるとは限らないんだ?」
「カテロヘブ王が持ったまま川に落ちた、だから川を浚えばあるって考えてるようだが、カテロヘブ王は行方不明だ。死んだなら沈んでるかもしれないが、生きてりゃいつまでも川に居るもんか」
「生きてるって可能性もあるんだ?」
「少なくとも王女さまはそう信じてるし、グリアジート卿もどこかでひょっとしたらって思ってるかもしれないよな」
男がここで声を潜めた。
「物騒な話だが、カテロヘブ王が乱心したと言っているのはグリアジート卿とその家臣だけ、本当は暗殺されたんじゃないかって噂もある。自分の妻を王にして、ザジリレンを我がものにするのが狙いだってな」
「ネネシリスさまって野心家なんだ?」
「子どものころから温和しくって、だから父親の前王さまは王女さまの夫にはどうかって思ったらしい。それが最近、特にカテロヘブ王が行方不明になってからは高飛車で、威圧的な人物になったそうだ。本性を発揮したのか、自分がしっかりしなくてはと思ったのか、そのあたりは判らないね」
そうだった、ネネシリスは温和しくっていつも控えめだった。俺より齢は上だったが、俺の方が兄貴のようだった――ピエッチェが思い出す。
とても優しくて、俺や、特に姉を優先して考えてくれる、そんなヤツだった。華やかで優雅な容姿だけじゃなく、その包み込むような優しさに、きっと姉貴は惹かれたんだと思っていた。だとしたら? それがネネシリスの本来の姿なのだとしたら? 俺を殺そうとしたのも、姉のことも、憑りついた唆魔のせいだとしたら?
俺はネネシリスを討てるだろうか?――
「グリアジート卿が腹心に、カテロヘブ王を見つけ次第殺せって命じてるって噂もあるんだ」
「腹心って?」
「そこまでは判らないよ。誰に命じたか判っちまったらいろいろ問題だろ? まぁさ、眉唾だと俺は思うよ。グリアジート卿とカテロヘブ王は親友同士だったって聞いてるしね――それじゃあ、俺はそろそろ行くかな。お嬢ちゃん、話しができて楽しかったよ」
「こちらこそ、楽しかった。いろいろ教えてくれてありがとう」
男は『娘もこれくらい俺の相手をしてくれればなぁ』と愚痴りながら、テーブルを離れていった。
男が店を出るのを見てからマデルが言った。
「ザジリレン、大変なことになっていそうね」
カッチーも心配そうにピエッチェを見た。
クルテが男と話している間に注文した料理は運ばれて、マデルがそれぞれに取り分けていた。
「まぁ、まずは食おう。カッチーじゃないが腹ぺこだ」
ピエッチェがスプーンを手に取ると、待ってましたとばかりカッチーががっつき始めた。
例によってマデルがマナーをあれこれ口にし、それをピエッチェがニヤニヤ見ている。クルテは時どき溜息をつくが何も言わずにブドウを一粒一粒口に入れていく。
「そろそろブドウ飽きた」
「ブドウしかなかったんだから文句言うな」
「宿に入る前にリンゴとイチゴ買って」
「果物屋があったらな」
「店を探して」
「自分で探せ」
「ピエッチェも一緒に来てくれる?」
「おまえ、一人じゃなんにもできないのか?」
「共に生きるって誓ったんでしょう? だったらいつでも一緒」
「はぁ!?」
クルテの言葉にカッチーがスープを拭き零し、マデルが呆気にとられる。けれど一番驚いたのはピエッチェだ。
「なんだよその、共に生きるって?」
開いた口が塞がらないと言った感じのピエッチェに、クルテがフンと鼻を鳴らす。
「あぁ、そうか……夢の中の出来事だった」
「なによ、クルテ、そんな夢を見たんだ?」
クスッと笑うのはマデル、
「ピエッチェったら大真面目で『俺の女はおまえだけだ』って、わたしの手を握って言った」
クルテもクスッと笑う。
「だから! おまえの夢の中まで俺は責任持てないからなっ!」
そう言いながら、どこかでそんなことがあったような気がするのはなぜだろうと思うピエッチェだ。
食事もおおかた終り、落ち着いたころ、
「ザジリレンに帰りたくなった?」
と、マデルがピエッチェに訊いた。
「まぁなぁ、凄く気になるけど……俺が帰ったところで、何かの役に立つわけじゃないしな」
「そうなの? ピエッチェなら、王女さまの力になってあげられることもあるんじゃない?」
「なぜさ? 俺は死んだことになってるし、家督も盗られてる。貴族ぶってるだけで、貴族の身分は剥奪されてるも同じだ。王女さまのお傍に行くどころか、王宮にだって入れっこない」
「以前は王宮に出入り自由の身だった?」
「騎士の部隊を任せられてれば、王宮に入ることくらいできる」
パンを睨みつけながら言ったのはクルテだ。
「でも、王宮に入るのと王城に入るのは違う」
「そりゃそうね」
「どっちにしろフレヴァンスを探し出さなきゃザジリレンには帰れない。それまでザジリレンに内乱が起こったり王女さまが暗殺されないことを祈るのみ」
ピエッチェが急に頭を抱えた。王女暗殺の言葉に猛烈に反応しそうになって、クルテの『黙れ!』が頭に響いたからだ。
「ちょっと、ピエッチェ! あんた、今日はいつにも増して頭痛が酷いんじゃないの!?」
「あ、あぁ……昨夜一睡もしてないからだろうな」
そうだ、一睡もしてない。でも、なんで眠らなかった?
「なんで眠んなかったのよ?――って、ちょっと待って、女将さんの宿を出て、今日って二日目よね? あれ? 昨日はどこに泊まったんだっけ?」
マデルが自分で自分を疑うような顔をして考え込んだ。




