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クルテの話にピエッチェが大きく息を吐く。家を存続させるために犠牲になる、よくある話だ。
「マデルの兄さんはそんなに重病なのか?」
「寝たり起きたりの状態みたい。しかも起きてても虚ろ――フレヴァンス捜索に無理をしたのが祟ったんだろうって医師が言った。だからマデルは余計に責任を感じている。フレヴァンスとお兄さんに申し訳ない」
「まさか?」
「そう、そのまさか……フレヴァンスがマデルにだけ内緒で教えた。だから他の人は知らない。お兄さんとフレヴァンスは恋仲。もっとも、フレヴァンスがマデル以外に打ち明けていないとは言い切れない」
「マデルが王室魔法使いの中で誰よりもフレヴァンス捜索に熱心なのは、そのあたりが関係してるってことだな。しかし、なんでフレヴァンスとマデルの兄さんは今まで一緒にならなかったんだ? 二人とも、とっくに婚姻してても可怪しくない齢だ」
「マデルの家は代々王室魔法使いの総帥を拝命してる。総帥に相応しい魔法使いになるまで妻は娶らせないって、マデルのお父さんがお兄さんに言ったから」
「それで兄さんは魔法使いの修業に専念してたってことか。で、フレヴァンスはそれを待っていた?」
「うん……みんな待ってる。わたしも待ってる」
「おまえは何を待ってるんだ?」
「察しの悪いカテロヘブ――これで話は終わり。寝る。もう何も言うな。言っても答えない」
訊きたいことは他にもあったが、マデルのプライバシーを根掘り葉掘り聞くのも気が引ける。それに、クルテに判ったのは、これできっと全部なのだろう。
黙ったものの思考までは黙らせられない。考えることが盛りだくさんだ。特に気になるのは、帰ってきたらマデルに訊こうと思っていたことだ。クルテの話には出てこなかった。
父親のローシェッタ国王に似ているから見覚えがあると感じたのだと、シスール周回道で一目見た時は思った。だけど後になって気が付いた。金髪碧眼の男――ラクティメシッスも金色の髪に青い目だった。
ギュームが描いた似顔絵を見てマデルが驚いたのを思い出す。知ってる人によく似ている。でもその知り合いはマデルと同じ齢、だから違う――あれはラクティメシッスのことだったんじゃないのか?
すぐにギュームの似顔絵を思い浮かべなかったのは、ラクティメシッスが穏やかでおっとりしているからだと思った。似顔絵の男は鋭い眼光で険しい表情、でも、もしラクティメシッスが怒りをあらわに睨みつければ、あんな顔になるんじゃないか?
二人に血縁関係があるのなら難しいことになる。下手をすればローシェッタ国王の隠し子というのも有り得ない話じゃない。国王も金髪碧眼だ。ジェンガテク湖の人魚の言葉、『王家に繋がる者どもを呪った』にも合致する。
いいや、国王の線はない……身分を隠して変装していても、母親が生きている時は頻繁に訪れていたのだ、いつか誰かに女を訪れているのは国王だと見破られる。いや待て、三十数年前の話だ。国王は王太子か王子の一人だったかもしれない。
そう考えて、またも考えを変える。王太子ラクティメシッスの顔をドンクのような庶民まで知っていた。ならば王位につく前の国王の顔も知れ渡っていたと考えるのが妥当、カテロヘブの顔も子どものころからザジリレンでは知られていた――
顎に何かが触れてピエッチェがハッとする。クルテの指先が、ピエッチェの顎から頬の線を撫でた。
「眠いんじゃなかったのか?」
ピエッチェが苦笑する。クルテはぱっちりと目を開けて、ピエッチェを見詰めていた。だが何も答えない。
「クルテ?」
戸惑うピエッチェ、すると頬にあったクルテの指が、今度はピエッチェの唇を撫でた。
ピエッチェの心臓がドクンと音を立てた。見詰めてくるクルテから視線を外したいのに外せない。なんのつもりだ? そう訊きたいが声が出ない。
クルテの指が唇から離れ、掌が頬を包み込む。指先がそっと耳朶を擽った。動けないピエッチェはクルテの目を見続ける。頭を擡げたクルテ、手は頬から首の後ろに回され、ゆっくりと近づいてくる顔、このままでは……いずれ唇と唇が触れあってしまう。鼓動はますます激しくなる。クルテに気を取られ、頭の中が空っぽになっていく。
「クルテ……」
もう少しで鼻がぶつかる。どうするつもりだ?
いきなりクルテの表情が変わった。そして動きが逸れていく。
「考えたところで解決しない――考えるのをやめろ。煩くて眠れやしない」
唇は重なることなく通過していき、ピエッチェの耳元で厭味を言った。
あぁ、そうか、熱心な考え事は全てクルテに降り注がれ、それが安眠を妨害したってことか……スーッと心臓が冷えた気がした。勘違いを恥じたから? それとも期待を裏切られたから?
えっ?……期待? 何を期待する? コイツは魔物なのに?
投げ出すように頭をベッドに落としたクルテ、天井を見て目を閉じる。すぐには切り替えられず、ピエッチェがクルテの横顔を見詰める。すると、クルテが気怠く目を開けて、姿勢はそのまま、目玉だけ動かしてピエッチェを見た。そして少しだけ微笑んだ。
「キスすると思った?」
見透かされていると思った。いや、見透かしていたんだ。だってコイツは心が読める。羞恥で顔が熱くなる。
「お、おまえ!? 俺を揶揄ったのか?」
「揶揄う? そんなつもりはない」
「だったらどんなつもりであんな……」
あんななんなんだ? 続ける言葉が見つからない。きっと本当にクルテは判っちゃいない。勘違いした俺が馬鹿なだけだ。
「もういい! 寝る!」
泣きたい気分でピエッチェも天井を向く。抱き締めてって言われても知るもんか。せいぜい悪夢に魘されろ!
クルテは甘えて来なかった。余計に腹が立つ。寝返りを打って背中を向けた。クルテの身動ぎを感じたが無視した。
暫くして、クルテが小さな声で言った。
「最近は悪夢を見ない。その代り、カテロヘブと裸で抱き合っている夢を見る」
コテージのウッドデッキで寝ぼけて言っていた夢の話か。俺に身体を撫でまわされて眠れなかったって、また苦情を言うのか? おまえの夢の中なのに、俺にどうしろって言うんだよ?
「それが……触れ合うのが心地よくて、全身を密着させたくなる。撫でられたところは熱を帯びて疼く。気が付くと『もっと』って強請ってる」
えっ……?
「精神体のわたしは男でも女でもない。だから性欲なんかないって、いつか言ったけれど、知らなかっただけかもしれない。あれはきっと欲情してる」
何を言ってるんだ? だっておまえ、女と見られたくないって、男は悍ましいって言ったよな?
「ずっと人間の姿のままだからかな?」
そうだ、きっとそうだ。本来の姿、精神体に戻れば肉体がないんだから肉欲もないはずだ。
「夢の最後でカテロヘブがわたしを見て、顔を近づけてくる。キスされる、わたしはそう思う。でも、唇が触れそうなところでいつも目が覚める」
そうか、よっぽど嫌だったか怖かったかなんだろ? だから目が覚めた。
「目が覚めると、キスしていたらどんなだっただろうっていつも考える。さっきは揶揄ったわけじゃない。わたしのことを忘れているカテロヘブが悔しかった」
クルテ?
「悔しくて、なぜだか判らないけどキスしたくなった。でもきっとイヤがられる、そしたら嫌われる、もう一緒に居てくれなくなる。そう思ったらできなかった。だからカテロヘブ、怒るな。そして……嫌わないで」
クルテが寝返りを打った。こっちに背中を向けたのだと思った。
嫌えるはずない、こんなに好きなのに――そう言って抱き締めたい衝動をぐっと堪えた。
今、クルテを抱き締めたら止まれない。だけどクルテはそこまで望んでいるわけじゃない。ただキスしてみたかっただけだ。それ以上を求めれば、クルテを傷つけてしまうかもしれない。それに、こんななし崩し的に結ばれたくなんかない。心を確かめ合ってからじゃなきゃダメだ。
ピエッチェもクルテに背中を向けたまま、静かに目を閉じた――
マデルがカッチーを起こす声が聞こえ、ピエッチェが目を覚ます。窓から差し込む光に、いつも起きている時刻はとっくに過ぎているのが判った。身体を起こそうとしてシャツが引っ張られるのを感じる。見ると、身体を屈めてピエッチェの方を向いたクルテがシャツを掴んでいる。まだぐっすり眠っているようだ。
「クルテ、起きろ。朝だぞ」
昨夜はあのまま抱き締めてやらずに眠った。可哀想なことをしてしまったと、思う気持ちがピエッチェの声を優しくした。
うっすらと瞼を上げたものの、クルテはまだ微睡みの中にいるようだ。
「朝? 日の出を見る?」
「いいや、陽はもう高い。日の出が見たかったのか?」
「そっか……夢か」
どんな夢を見ていたんだろう?
「とにかく起きろ。早くしないとカッチーが飢え死にするぞ」
「喉が渇いた」
「今、マデルがカッチーを急き立てて、宿の受付にお茶を貰いに行った」
「マデル、ここに来た?」
「いや、廊下から声が聞こえたんだ。すぐにここに来るさ」
だらだらと起き上がるクルテ、サックから櫛を出して髪を整え始めた。
「そう言えば、マデルが鏡を気にしてた」
「鏡?――部屋に鏡台はないな。ないと巧くできないか?」
「うん、見ないとどうなってるか判らない。マデルは魔法の鏡を持ってる。借りたいけど、きっと貸してくれない」
「魔法の鏡って?」
「魔法の鏡は魔法の鏡」
「どんな魔法?」
「それは言えない……あ、違った。判らない」
つい笑ってしまったピエッチェが
「そうか。それじゃあ言えないよな――どれ、櫛を貸せ。一つに纏めて縛ればいいんだろ? やってやるよ」
と言えば、クルテが嬉しそうな顔で櫛を渡した。
髪を梳いて一つにまとめると、クルテが後ろ手に紐を差し出してきた。それを受け取って代わりに櫛をクルテに渡す。渡されたのはなんの変哲もない麻紐、せっかく綺麗な髪なのだから、いつかみたいにリボンで縛ればいいのにと、ピエッチェが思う。
「そのほうが嬉しい?」
心を読んだクルテが問う。
「いや……好きにしろ。男物の服を着てて髪にリボンもヘンだしな」
「女の服を着たほうがいい?」
「だから好きにしていいって――できたぞ」
「あ、マデルたちが戻ってきた」
櫛をベッドに放り出して、クルテがドアを開けに行く。
「見て見て! ピエッチェが、髪を結わいてくれた」
マデルを見るなりクルテがそう言い、ピエッチェが慌てる。
「鏡がないから上手にできないって言うから」
「言い訳なんていいよ、ピエッチェ――それよりクルテ、巧くいったかい?」
するとクルテが急にショボンとした。
「そっか、まぁ……焦ることはないわよ」
慰めるように微笑むマデル、
「巧くいったって、なんのことですか?」
カッチーがお茶のトレイをテーブルに置きながらマデルに尋ねた。




