15
朝早く起こされたカッチー、不満そうだったが起こされた理由を聞くと俄然元気を取り戻した。
「本館に行ってバケツを借りてきます!」
ピエッチェが何も言わないうちに駆け出していた。
「飲み水用のバケツがあるんだが?」
苦笑するピエッチェに、
「カッチーはついでにリュネのご飯を貰ってくる。ちょうどいい」
目が覚め切っていない様子のクルテが欠伸交じりに言った。
「眠いなら、まだ寝てていいぞ? 朝食が来たら起こしてやる」
「一緒に寝てくれる?」
「俺はカッチーに教えることがある」
「じゃ、ここに居る」
ウッドデッキに腰を降ろすクルテに
「手伝うとは言わないんだな」
ピエッチェが呆れると
「わたしは観察」
と、またも大欠伸だ。
何を観察するんだか? リュネの首を撫でつつクルテを盗み見ると、目を擦っては欠伸している。考えてみると昨夜、眠いと言っていたのにクルテはなかなか寝付かなかった。気が付くと自分を見ているクルテに、何度『どうかしたのか?』と声を掛けたことだろう。何も言わずクルテは顔を胸に押し付けてくるだけだったが、あれは観察されていたのか?
お陰でピエッチェも落ち着かず、結局はクルテが寝入るまで眠れずにいた。その上さらに、いつも以上に魘されるクルテに幾度も目を覚ました。抱き締めてやるとクルテはうっすら目を開け、ピエッチェを見て抱き返してくる。時おり『カテロヘブ』とか細い声も聞こえた。クルテはそのまますぐにまた眠りについたが、込み上げてくる愛しさと密接する柔らかな温かさに心と身体が熱くなり悩まされ、ピエッチェは暫く切なさに眠れなかった。睡眠不足なのはこっちうのほうだ、ついピエッチェからも欠伸が漏れる。
カッチーはクルテの予想通り、リュネの餌になりそうな野菜屑を山ほど貰って来た。掃除に使うのだろう、シャベルも担いでいる。
「もっとあるから、宿を出るとき欲しいだけ持ってっていいって言われました。捨てる手間が省けるって。それと汚物はひとまとめにしておくだけでいいそうです。あとで知り合いの農家が取りに来るからって言ってました」
大張り切りのカッチー、言い終わる前にシャベルを使い始めている。
掃除はすぐに終わり、次の作業に移った。
「荷馬車に積んである藁で身体を擦ってやれ。本当はブラシをかけてやるといいんだけど……馬具屋があったら買うから、それまではお預けだな」
「ブラシってどんなのですか? なんかデッキブラシの先だけみたいのが荷馬車にありましたよ」
カッチーが荷台をごそごそ探してボロボロのブラシを見付けてきた。
「うーーん。前の飼い主が使ってたんだろう。でもなあ、これじゃあリュネが可哀想だ。きっと痛い」
ブラッシングはやっぱりお預けとなる。
どうやって擦ればいいかを教わったカッチーが丁寧にリュネの身体を擦り始めると、リュネが嬉しそうに鼻づらをカッチーに寄せてきて、リュネよりカッチーのほうが嬉しそうな顔になった。
「それにしてもピエッチェさん、眠そうですね。さっきから欠伸ばかりしてます」
「ん? まぁな……」
「クルテさんなんか、ウッドデッキで寝ちゃってます」
見るとクルテはコロンと転がっている。
「クルテさんみたいな美人が恋人じゃ、寝るのが惜しくなったって仕方ないですよね」
「そんなんじゃないって言ってるのに……」
「何も隠さなくったっていいじゃないですか」
「隠してなんかいないって――クルテはテンで子どもで、カッチーが考えてるようなことになりそうもない」
クルテがその気になることはないのだから、まったくの嘘ってわけでもない。
「子どもだなんて言ったらクルテさんが怒りますよ?」
カッチーがクスッと笑う。
「そう言えばピエッチェさんは胸が豊かな女がいいとかって言ってましたっけ?」
「それは冗談って言うか、なんと言うか」
「クルテさんは豊かとは言えそうもないですね」
「おまえ、見たことあるのか?」
「服の上からだって判りますよ。男でも通用する見た目ですから」
「ゆったりした服ばかり着てるから、なおさらか」
「女物の服でも胸のあたりは布が余ってる感じでした」
「そうだったか?」
「気が付かなかったんですか? クルテさんの顔ばかり見てるからですよ」
「そうじゃないって。胸元なんかじろじろ見れるか」
「ピエッチェさんって紳士ですよね。俺だったら好きな子と一緒の寝室だったら我慢できなさそうな気がする」
「おい、間違っても嫌がる女の子に力づくで、なんてするなよ」
「さすがにそれはないです。だけど気がないなら同じ寝室には、よっぽどのことがない限り一緒に寝ないでしょう?――これくらい擦ってあげればいいかな? 使い終わった藁はどうしたら?」
「あぁ、馬糞の山に乗せとけばいい。混ぜ込んで使うだろうから」
「判りました――でも、クルテさんが嫌がるとは思えないんだけど?」
その話は終わったんじゃないのかよ?
「嫌がるも何も……さっきも言っただろう? クルテはまるきり子ども、赤ちゃんみたいなもんだ。そんなのに手を出せないだろう?」
「赤ちゃんとまで言っちゃいますか……あっ!?」
チラリとウッドデッキを見たカッチーが小さな悲鳴を上げる。まさか? ピエッチェも恐る恐るウッドデッキを見た。
「誰が赤ちゃん?」
寝っ転がっていたクルテが座っていて、ピエッチェを虚ろな目で見ている。泣き出すのか?
「俺は言ってません!」
カッチーが慌てて身の潔白を主張する。裏切り者めと思うピエッチェ、だが責めるわけにもいかない。
「いや……部屋で寝てろって言ったのに、そんなところに寝転んで眠るようじゃ、赤ん坊って言われても、なぁ?」
「だって眠い。昨夜、ピエッチェが身体を撫でまわすから眠れなかった」
「はいっ!?」
抱き締めはしたが撫でまわしてなんかない。いったい何を言いだすんだ? 慌てるピエッチェ、カッチーの視線が痛い。
「頭から爪先まで何度も撫でて、『なんて綺麗なんだ』って言った。お陰で眠れなかった」
「ちょっと待て、そんなことしてない! おまえ、夢でも見たんじゃないのか?」
思わず声が大きくなるピエッチェ、ウッドデッキの上の窓がガラリと開いてマデルが顔を出した。
「なにを朝から騒いでるのさ?」
「それがね、マデルさん、ピエッチェさんったらクルテさんのこと――」
「違うっ! 黙ってろカッチー! 話がややこしくなる!」
「ピエッチェ、カッチーに怒っちゃダメ」
ピエッチェを窘めたのはクルテだ。何を言ってる、おまえのせいじゃないか!
虚ろだったクルテの目の焦点があっている。泣き出しそうに見えたのは、単に寝ぼけていただけか?
「うん、夢だったかも……今もピエッチェに撫でられてたから。でも、そんなところに居たんじゃ撫でられない。服も着てる。だから夢」
服も着てるって、夢の中でおまえは裸だったってことか? いったいどんな夢を見たんだ?
「あ、朝食が来たみたいだよ」
マデルが柵の入り口を見て言った。
「代金用意しなくちゃ……」
クルテがすっと立ち上がり、玄関に向かった。
「ピエッチェさん、同情します」
ニヤニヤしながらそう言うとカッチーは、宿の主人の手伝いに行った――
クルテの夢の話ですっかり目は覚めたが、気分は晴れない。マデルは話を聞きたがっている様子だが、機嫌が悪るそうなピエッチェに遠慮して当たり障りのない事ばかり話す。カッチーはニヤニヤしっぱなしで余計にピエッチェの神経を逆なでするが、カッチーに当たるのも違うだろうと、何も言えずにいるピエッチェだ。
「この黄色いのは何?」
クルテがいつも通り料理を指して尋ねるが聞こえないふりのピエッチェ、見かねてマデルが答えた。
「オムレツだよ。食べたことなかった?」
「オムレツ?」
「卵を割って混ぜて焼いたの」
「もともとは卵。言われなきゃ卵に見えない――でも美味しい。グチャグチャな卵も美味しい」
たまには黙って食ったらどうだ? 心の中で思うが口に出せないピエッチェのイライラが募っていく。するとクルテがチラリとピエッチェを見た。しまったと思うがもう遅い。読まれてしまった……でも、いいか。たまにはいいか。だって俺は怒っている。
そうだ、怒っている。でも何を? 何に対して怒っている? クルテは夢を見ただけだ。それを怒るのは理不尽だ……
何を食べたかよく判らないうちに食事は終わる。荷物を荷馬車に乗せ、出立の準備をした。宿の受付で野菜屑を受け取り、次の目的地ミテスク村への順路を確かめる。シスール周回道を行くしかないが、間違えやすい脇道の存在を教えて貰った。
「今からなら昼前には着くよ――夕方にはグリュンパに入りたい? 大して見るところもないから、余程のんびりしない限り大丈夫だよ」
宿の主人に見送られ、ベスク村をあとにした。
今日も上天気だ。丸一日休ませたからかリュネの足も軽い。
「こんなに優しくされたのは初めてだって」
御者台で、隣に座ったクルテがピエッチェに言った。
「いつも、どんなに頑張っても怒鳴られてばかりだった」
「誰がそんなこと、言ってるんだ?」
クルテとは口を利きたくないと思うのに、つい訊いてしまったピエッチェだ。
「リュネだよ」
「うん? 馬にならなくても気持ちが読めるのか?」
荷台に声が聞こえないか気にしながらピエッチェが言った。
「向こうがこっちを認識してれば読める。リュネは今ご機嫌。餌もいいものが貰えたって」
「宿の残り物の野菜屑だぞ?」
「それでもいろいろ入ってて、草以外は初めて食べたって――リュネ、可愛いね」
「可愛い?」
「うん、健気で可愛い。ピエッチェが大好き、カッチーはもっと好き。二人を運んで行けるのが嬉しい」
「おまえやマデルは?」
「わたしとマデルには興味がないみたい。牝馬だからかな?」
「それは違うと思うぞ?」
失笑したピエッチェにクルテが微笑む。
「よかった。ピエッチェの機嫌が直った」
「ん? うん、まぁな」
気まずかったが、いつまでも不可解な怒りに囚われてもいられない。だいたい、気にしていたっていいことはなさそうだ。クルテと離れたくない。ならば些細なことを気にしてたら身が持たない。だってこいつは魔物だ。
「魔物、イヤ?」
「えっ?」
「封印の岩には魔物がいる気がする」
てっきり心を読まれたかと思ったが、違うらしい。
「人魚じゃなくて?」
「人魚は岩の中――その魔物も悪さはしない。嫌わないで」
「嫌うも何も、悪さしない魔物なら放っておけばいいだけだ。目の前に出ちゃ来ないだろうしな」
「目の前に出てきたら嫌う?」
「向こうに敵意がなければ嫌わない。当り前だろう?」
封印の岩周辺に魔物がいるとクルテは本当に思ったのか? 心を読んで魔物はイヤかと訊いたけど失言と感じて、誤魔化すために魔物がいる予感がすると言ったんじゃないのか? そう思ったがピエッチェもまた、追及しないことにした――




