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クルテがシチューの皿をじっと見てからピエッチェを見た。
「ミートボールって、普通は一口サイズ?」
「これじゃ、ハンバーグだな」
「こんなに食べきれない。一つピエッチェ、もう一つはカッチーが食べて」
「わたしにも多すぎ。カッチー、一つ食べて」
マデルが便乗する。
「そう言えば、なんで俺の好みは固ゆでって判ったんですかね?」
ミートボールが二つ追加されて嬉しそうなカッチーが、思い出して首を捻る。玉子のことだ。
「半熟より食べ応えがあるからじゃないか?」
自分の皿にクルテがミートボールを移すのを眺めながらピエッチェが言った。すると
「判ります? 半熟は柔らかいから腹に入った気がしなくって。断然固ゆでが好きなんです」
とカッチーが笑う。宿の主人は食い盛りのカッチーなら固ゆでだと見たのだろう。
ミートボールを移し終わったクルテが、今度はじっとグリンサラダを見詰める。
「苺がグチャグチャ。でも、まぁいい。口に入れればどうせグチャグチャ」
「クルテ、おまえ、食べ物に文句言い過ぎ」
ピエッチェがここ二・三日にしては珍しくクルテを窘めた。それでも口調は以前と違って柔らかい。
「文句じゃなくって感想」
「食べ物については『旨い』って感想以外は要らない」
「そうなの?」
「それが作ってくれた人への礼儀だし、食物に感謝するってことだ」
「判った。これからそうする――グチャグチャでも美味しい」
どこか違うクルテにピエッチェが舌打ちし、マデルとカッチーが笑いを噛み殺した。
食事が終わってお茶を飲んでいるところでクルテが
「せっかくだから湖に行こう」
と、言い出した。
「ピエッチェと二人で行ってきたら?」
とマデルが微笑む。
「星を見るのもいいね。素敵なデートになりそう」
「湖に行くのはいいけど、なぜ二人? どうせなら四人で行こう」
ピエッチェがそう答えれば、
「デートじゃない」
とクルテがきっぱり言った。
「だけどマデルとカッチーは一緒じゃないほうがいい」
デートじゃないけど二人がいい……嬉しいくせにお茶のカップを口元に持っていき、気のないふりを装ってピエッチェが言う。
「なんで二人がいいんだよ? 四人でいいだろうが」
するとクルテが
「挨拶に行こうと思ってる」
と答えた。
「挨拶って誰に?」
「湖の人魚」
クルテ以外の三人の動きが止まる。
代表するようにピエッチェが訊き返す。
「湖の人魚? いるのか?」
「いそうな気がする。で、居れば昔の話が聞けるかもしれない。人魚って長生きだから」
「長生きってどれくらい?」
「三百年くらい」
「ちょっと待ってよ、クルテ」
慌てたのはマデルだ。
「昼間じゃダメなの? 夜は湖に引き込まれるって話だよ?」
「昼間は出てこない。湖の底で暮らしてて太陽が苦手――夜、星が見たくて出てくるんだよ。それに人間を湖に引っ張りこんだりしない」
「なんでそんなに人魚に詳しいの?」
するとクルテがピエッチェを見上げた。
「なんで?」
「なんでって――」
俺が訊きたいよ、と言おうとしてピエッチェが口籠る。が、すぐにこう答えた。
「おまえ、魔物図鑑を読んだんだろう?――怪我で動けなくて、何か本が欲しいって言ったら魔物図鑑ならあるって言われて、俺、断ったよな」
クルテの脳内指示だ。魔物図鑑を読んだって言えばいいだけなのに、なんでクルテは自分で言わないんだろう? だいたい、魔物図鑑って? 聞いたことがない。
「魔物図鑑? そんなのあるんだ? ローシェッタ王立図書館にもあるかな?」
マデルは信用したようだ。
「でも、人魚が無害で話を聞くだけなら四人で行ったほうがいいんじゃない?」
「いや、無害でも魔物は魔物だ。だいたい図鑑に書いてあることが必ずしも正しいとは限らない。危険がないとは言い切れないからカッチーを連れて行けない」
とクルテ、ところがカッチーは
「俺、一緒に行きたいです。怖がってばかりもいられません!」
行く気でいる。
「ううん、ダメ。人魚は湖を支配している。そのうえ魔法が得意。もし向こうが魔法を使うつもりなら、一番若いカッチーが標的にされやすい――だからと言って一人にもできない。マデル、カッチーと一緒に居て」
「最初に相手にするには危険すぎる魔物って意味だよ。カッチーを認めてないってことじゃない」
マデルの慰めにカッチーが俯いた。
月のない晩だった。空は大小さまざまなダイヤモンドが満遍なく散りばめられたようで、時おりスーーッと長い尾を引いて星が流れていた。湖面は暗く、そんな空をくっきりと映し出して煌めいている。静かな夜に、どこかでフクロウの鳴く声が聞こえた。
コテージに入ったときとは別の木戸から敷地を出、なだらかな斜面を下った。ランタンの灯りだけを頼りに辿り着いたのは少し開けた場所、前方は草が生い茂った岸辺、左右は森――うっかり湖に近付けば背の高い葦の茂みで足元を見失い、不用心に森に入れば道を見失うだろう。
「本当に人魚が居るのか? 居ても都合よくここに来るか?」
「来なけりゃ呼ぶ」
「呼ぶってどうやって?」
「こうやって」
クルテが唇を尖らせ口笛とは少し違う、ヒヨコの鳴き声みたいな音を立てて
「これをカッチーとマデルに見せたくなかった」
と呟いた。
「魔物だってバレる?」
「マデルは気が付いてると思ったんだけど、思い違いだって考え直したみたいだね。今じゃ人間の女の魔法使いだと信じてる。ピエッチェのお陰だ」
「俺の?」
「判らなければいい――出てきた、こっちを見てる」
クルテの視線の先では湖面が波打っている。それがゆっくりとこちらに向かって近寄ってくる。
「ランタンを後ろの地面に降ろして。湖面を照らさないように」
ピエッチェがコテージに続く道の入り口付近にランタンを置けば、あたりは急激に暗くなった。湖面では何かが動いているのが判るだけで、それがどんな姿をしているのかシルエットでしか判らない。
(人魚はね、自分の姿を人間に見られるのを嫌がるんだ。見た人間を容赦しない。湖の底に連れて行って食っちまう)
(なんだって?)
頭の中で聞こえたクルテの声に焦るピエッチェ、来る前に言ってくれ。だけど聞いてたって、やっぱり一緒に来ただろう。
人魚は岸から手漕ぎボート一艘分くらい手前で止まった。
「呼んだのはおまえか?」
空気がどこかで漏れているような甲高い声が聞こえた。これが人魚の声か。それにしても人の言葉を理解してるとは意外だ。どうでもいいところで感心するピエッチェ、クルテは、
「呼び出して申し訳ない。こうして応じてくれたことに感謝する」
湖面……人魚から目を離さない。
「星を見るのによい晩だ。大したことでもない――ふぅん、おまえ、儚き早暁の精霊だな。だが、今は違う……なんの用事で呼び出した?」
「この湖に永きに渡って棲んでいるあなたを見込んで教えて欲しいことがある。答えていただけるだろうか?」
「答えられるかどうかは問われてみなければ判らない。言ってみろ」
「まず一つ目――十八年前までわたしの背後にあるコテージに住んでいた少年をご存知か? 素性が知りたい」
「金色の髪の少年は複雑な存在。愛され厭われ望まれ踏み躙られた。魔力を扱うが人でしかいられない。魔物にはなり切れない。秘密が知りたくば王宮に行け。だがそこにあの少年は居ない。少年の居所は誰も知らぬ」
「少年の母親は?」
「男に愛されただけのただの女。だが、愛の魔力は少し他より強かった。それが少年を守ったが今はもう届かない」
「次に、コテージの持ち主が客に与えるクマの人形を知っているか? 魔物に変わった物があるか否か?」
「魔物に変わるとするならば、少年の母親が手ずから拵えた物のみ。工房で作れらた物にそんな思い入れはない」
「この国の王女フレヴァンスを知っているか? ここに姿を見せたことは?」
「そんな女は知らぬし見たこともない。だが名は聞いたことがある。金色の髪の少年が呪った相手の中にいた」
「少年は誰を呪った?」
「王家に連なるすべての者ども。怒りのままに呪い、そして愛を欲しがり愛してもいた。愛憎の源はしょせん同じ」
「最後に――少年、あるいはその母親を訪ねて来た者を知っているか? それは何者だ?」
「女が生きているうちは足しげく、だが病を得てからはどんどんと間遠になった。隠さなくてはならない愛は壊れるのも早い。誰かと問うても無駄だ。母親が男の名を口にすることはなかった」
クルテがそっと溜息を吐いた。
「ありがとう、湖の主。訊きたいことはこれですべてだ」
「どうと言う事もない。が、儚き早暁の精霊に繋がる者よ、こちらも問いたい――伝説はどんなに時を経たところで伝説に過ぎない。それに頼るのは愚かと笑うのだろう? 違うか?」
「それは……信じる心の強さ、としか答えられない」
クルテが答えた後、人魚はじっとクルテを見詰めているようだった。シルエットは微動だにしない。が、
「なるほど、そうかもしれない」
と、空を見上げた。
「もし次があるならば、その時は満月の晩に――さらばだ、儚き早暁の精霊」
水音を立てて人魚は湖に潜り込んだ。湖面の星が瞬いて滲み、暫くすると元通り静かな星空に変わった。
「帰るぞ。話しはコテージに帰ってからだ」
コテージに向かうクルテ、ピエッチェが慌ててランタンを持って続いた。
「マデルたちに話せないこともある。だから余計なことは言うな」
「おまえの指示通りのことだけ言えばいいってことか」
「別にそうは限らない。が、わたしの願いは聞き入れろ」
「そんなこと言って、頭の中で黙れって怒鳴る気なんだろう?」
「ピエッチェは時どき鈍感すぎる――でもまぁ、大きな音で頭痛がするのは理解した。控えるよ」
控えるだけですか……心の中でピエッチェが愚痴った。
木戸からコテージの敷地に入ると玄関前にしゃがみ込んでいるカッチーとマデルが見えた。二人を心配して待っていたのだろう。
「人魚には会えたのかい?」
マデルの問いに、
「しっ! 近くに誰もいないとは思うけど、聞かれるのはまずい」
クルテが慌てる。
「早く中に入ろう――お茶が欲しいな。マデル、淹れてくれる?」
「お安いご用だよ。それにしてもクルテ、あんた、急に雰囲気が変わったね」
カッチーがコテージの扉を開け、マデルとクルテが中に入る。ピエッチェがカッチーに頷き、先に入るように促してから自分も入り扉を閉じた。
きちんと施錠されたのを確認してから行くと、クルテとカッチーは奥の居間に居たがマデルがいない。ダイニングでお茶を淹れているとカッチーが言った。




