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モーシャンテンには宿を出てすぐが始点のシスール周回道を使う。グリュンパからジェンガテク湖に向かい、湖を一周して封印の岩のあるミテスク村を経由し、そこからグリュンパへ、ぐるりと巡る道だ。
点在する寒村のためにあるような道で、グリュンパを出ると最初の村クサッティヤが分岐になっていて逆のルートも辿れる。ピエッチェたちが目指すコテージがあるのはベスク村、シスール周回道の中では一番大きな村だ。ジェンガテク湖に来る観光客のお陰で他と比べると豊かな村だ。
「チッ! アイツら、なんでこんなところを歩いてる?」
窓から外を眺めていたマデルがそっと窓を閉めて罵った。
「あいつら?」
「さっきの男どもだよ。下の道にいる」
「気付かれてないな?」
「あぁ、上を見ちゃいなかった」
「背が高くてがっしりした若造、成人になるかならないかの少年、どうにも色っぽいいい女、男物の服を着てるがきっと女、そんな四人連れを見なかったか?」
クルテがボソッと言うと、
「わたしたち、悪目立ちしてるって?」
マデルが複雑な顔で笑った。
「まぁ、宿をでなきゃ見つからずに済む」
「ダメ、この宿、食事が出ない」
本屋を出てからはシスール周回道を目指して、この宿に辿り着いた。すぐそこがシスール周回道の始点、街の出口だ。そこで、食事は出ないがこの宿にした。一人部屋か二人部屋しかないと言われ、一人部屋を二部屋と二人部屋を一部屋頼み、今は四人で二人部屋に居た。
「俺、一晩くらい我慢できます」
カッチーが殊勝なことを言うが、
「無理、夜だけじゃなく朝もだから」
とクルテがサラリと言い放つ。食事のことだ。
「キュウリ、もっと買っておけばよかった」
「食事代わりにキュウリを食べるのはクルテだけだよ」
「なんで? ピエッチェもキュウリが嫌い?」
「そう言う問題じゃなくって……腹持ちが悪いってこと」
「それはそうかもしれない。それにマデルはキュウリが嫌い」
立ち上がるとピエッチェが運んで来た箱をクルテが開ける。
「着替えて買い物に行ってくる。ドレスを着てけば気付かれない――マデルとカッチーは悪いけど自分の部屋で待ってて」
「ちょっと待て、まさか一人で行く気じゃないな?」
「ピエッチェと二人で行く。四人じゃバレる――買った物はピエッチェが持つ」
「しかし……顔を知られている。こっちが気付かないうちに気付かれて、宿まで尾行けられるかもしれない」
「なるほど……」
ドレスの箱を開けかけていたクルテの手が止まる。
「それじゃあ、宿の人に事情を話して買って来て貰う?」
「行ってくれるかな?」
「それは交渉とチップ次第」
「確かに!」
マデルが笑い、
「カッチー、あんた、受付に行って交渉しておいでよ」
仕事をカッチーに振った。
「ここの三軒先にパン屋があったから、そこで適当に買ってきてくれって言えば行ってくれるかもしれない」
「でも、なんで俺なんです?」
「ここの受付はカッチーのお母さんくらいの年齢だったから。凄く困ってるって顔で言えば同情してくれそうだよ」
「うん、カッチーがいい」
クルテもマデルを後押しする。
「受付の人、カッチーのことを優しい目で見てた」
まさか惚れられたか? 冗談を言おうとしたピエッチェが、クルテの『黙れ!』で頭を抱えた。
「あれ、ピエッチェさん、また頭痛ですか?」
心配するカッチーに、
「いや、少し疲れが出たかな? 悪いなカッチー、頼むよ」
誤魔化すピエッチェ、頭の中にはクルテの『あの受付の人は息子を亡くしている。生きていればカッチーと同じ年ごろ』と言う声が聞こえていた。
カッチーがクルテから金を預かり部屋を出ると、
「それにしても、時どき頭痛がするみたいだけど大丈夫?」
今度はマデルがピエッチェを心配し始めた。
「あぁ、気にするな。ん……子どものころから時どき、こうなるんだ」
大嘘だ。頭の中にクルテの怒鳴り声が響いて、とは言えない。
「風邪を貰ったわけじゃないよね?」
「風邪ってクルテの?」
「そうだよ、あんだけベッタリなんだ、染ってたって可怪しくないよ」
ベッタリって言い方はよせよ、と思ったが言ってみたところで意味はない。
「それならとっくに熱が出てるだろ?――子どもの頃はあまり丈夫じゃなくって、よく熱を出したりしてた。でも身体を鍛えたら丈夫になってここ数年、風邪らしい風邪もひいてない。クルテも熱が出ただけで咳一つしてないから、風邪じゃなくって単なる疲れかも知れないな」
カッチーはティーセットを持って戻ってきた。
「ほかのお客には出してないから内緒だそうです」
お茶にはクッキーも添えられていた。
「受付の人、ここの女将さんだそうです――買い物は引き受けてくれました……でも、チップは要らないって受け取って貰えませんでした」
「それじゃ、発つときに俺から渡すよ。それか、パンの釣り銭がそれなりの額だったら、それをそのまま向こうに取って貰ってもいいし――無料で働いて貰うわけには行かないからな」
「それで、どういう関係なのかって俺たちのことを聞かれたから、いつも通りに言っておきました」
「うん、それでいいよ」
「兄弟仲が良くていいねって言われました。それからクッキーは女将さんの手作りだって言ってました」
「そっか、親切な女将さんでよかった。あとで美味しかったって礼を言っておく」
「はい、それから、えっと……」
「なんだ、まだあるのか?」
「えぇ。いや、ご両親はって訊かれて、俺、もう亡くなったって……勝手にすみません」
「ん、いや。別に構わないよ――事実、カッチーはそうだし、俺も両親を亡くしている。クルテもそうだ」
「おや、わたしだけ両親健在?」
マデルが笑う。
「どうせ兄弟だってのも嘘なんだから、そんなに気にすることじゃないよ」
「それがね、マデルさん。女将さんの息子さん、七つの時に病気で亡くなったらしくって、生きてると俺と同じくらいだって言ってたんです。なんか俺……」
「親切にしてくれるのはそれが理由だと思っちゃった?」
マデルがカッチーに優しい眼差しを向ける。
「もしそれが理由だとしたら、ありがたく受け取ったほうが女将さんは喜ぶんじゃないかな?」
「そうでしょうか? 女将さんの弱みに付け込んだみたいで、なんだか、俺……」
するとピエッチェが
「よしっ! カッチー、おまえ、ジェンガテクで女将さんに土産を買え。自分で選んで自分の金で買え。どうせグリュンパには戻って来なきゃならない。またこの宿に泊まろう」
とカッチーに微笑んだ。それがいいね、とマデルも微笑み、カッチーも少しは落ち着いたようだ。
暫くすると女将さんがパンを届けてくれた。釣り銭を返そうとするのを金額を見て『取っておいてください』とカッチーが言うが、頑なに受け取ろうとしない。
「何かして貰ったらチップを渡すのはどこでも、誰でもしている事です。受け取っていただけないと、こちらの気が済みません。顔を立てると思って受け取ってくださいませんか?」
マデルがそう言って、やっと受け取って貰えた。
「それではごゆっくり」
女将さんはカッチーをチラリと見てから戻っていった。
パンは大きな袋に二つ、いろいろな種類の詰め合わせだ。
「クルテとマデルと俺は、まずは明日の朝も含めて自分の分を確保。残りはカッチーの分。朝のことも忘れるなよ」
とピエッチェが言うと、
「はい! 明日の朝の分を先に確保しておきます!」
とカッチーが言った。マデルがまるで兵隊みたいねと笑った。
パンだけ……と呟いたのはクルテだ。
「頼むから果物がないとかジュースが欲しいとか言わないでくれよな」
とピエッチェが先制する。
「ううん。やっぱりキュウリ、もう少し買っておけばよかったって言おうとした」
そっちかよ? 苦笑したピエッチェだ。
が、不安材料は消えてくれない。
クルテがパンに嚙り付き、これ、中身クリームじゃなかったと驚き、
「ジャムだ、苺の味がする。甘くて美味しい」
と喜んでピエッチェの顔を見る。
「そうか、よかったな。こっちはクリームだ」
ピエッチェがクルテに答える。パンの見た目は大差なく、いろいろ入れてあるからと言っただけで女将も説明しなかった。
「俺のは、やった! ミートソースです」
「わたしのはなんだろう? これは大当たり、ハンバーグだわ」
「うあぁ、マデルさんいいなぁ……俺にもハンバーグ、ないかな?」
カッチーが自分の分のパンを探る。
「次はなんだろうって楽しみになるな」
笑顔のピエッチェにクルテが、
「でも、次に会うのは遠慮したいね」
と調子っぱずれなことを言う。
「なんだ、それ?」
「さっきの男たち。ピエッチェとあのお老夫人さんの話を聞いてると思う」
「あっ……」
クルテを除く三人の笑顔が消える。その時、扉をノックする音がした。
「俺が出る」
ピエッチェが立ち上がった。
ノックしたのは女将さんだった。
「三人連れの男が来て、あいにく満室だって断ったんだけど……」
男たちは満室だと知るとすぐに出て行ったが、去り際に探し人が居るんだが知らないかと訊いてきた。
「さっき言ってた連中だろうと思って。どんな人を探しているんだって訊いたら、ピッタリあなたたちだった。この宿から一番遠い宿を教えて、そこならきっと空いてるよって言ってやったけど、念のため、報せておいた方がいいかなと思って」
ピエッチェが礼を言うとニッコリし『お邪魔しちゃったね』と戻ろうとする。その女将さんをクルテが引き留めた。
「近くに馬車を貸してくれるか、売ってくれるところはありませんか? 馬車じゃなくて馬でもいいです」
「そうだね、それがいい。そうしなさいな」
意図を察した女将さんが、今夜中に手配しておくよと請け合う。庭から乗って出れば見つからずに済むとホッとした顔で言った。
「助かります、お礼は充分いたしますので」
「いいんだよ、礼なんて。あの男たちはロクでもないんだ。時たまこの街にやってきて、問題ばかり起こしてる。厄介なヤツに目を付けられちゃったね。気を付けるんだよ」
そう言われても甘えられるものではない。
翌朝、シスール周回道へと遠ざかるピエッチェたちを見えなくなるまで見送ってから、女将さんは空いた部屋を片付けに行った。が、途中で動きが止まる。
カッチーが泊まった部屋のテーブルには『ジェンガテク湖に行ってきます。帰りはまた利用させてください。このお金はその契約金です。契約金だから、宿泊費に補填したりしないでください。それとお土産買ってきます。喜んでくれると嬉しいです』と書かれたメモといくらかの金が置いてあった。
「いやだねぇ、あの子ったら」
女将さんが涙を浮かべて微笑んだのは、別れ間際のカッチーの笑顔を思い出したからなのか、それとも心に焼き付いて消えてくれない息子の顔を思い出したからなのだろうか……




