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駅馬車に乗り合わせたのはグリュンパからセレンヂュゲに玄孫(孫の孫)の顔を見に来たという老夫婦、グリュンパに仕事探しに行く三人連れの男たちの五人だった。
馬車が動き出して暫くすると、老婦人がピエッチェに話しかけた。
「あなたがたはご夫婦? それともこれから結婚なさるの? わたしたち、もう七十年になるのよ。こないだ玄孫が生まれたの。で、顔を見に行った帰り。あなたたちはどちらに?」
馬車になど乗ったことがないクルテが酔ってしまってピエッチェに撓垂れかかり、そんなクルテの肩をピエッチェが抱いていた。クルテはいつも通り男物の服だが体つきや顔つきで、老婦人は女と疑いもなく思ったのだろう。
「婚約中です。玄孫の顔が見れるなんてお幸せですね。肖りたいものです――たまには旅行もいいかなと思って出てきました」
「あら、いいわね。どこにご旅行?」
馴れ馴れしく話しかけたら迷惑だぞと夫が袖を引くが、退屈していた夫人は構わず話し続けた。
「ジェンガテク湖です。素敵なコテージがあると聞いて、泊まってみたいとコイツが言うものですから」
「ジェンガテクは美しい湖よ。碧色に輝く湖面、夜空に星が煌めいて――とっても素敵なの」
「だが、夜は近寄らん方がいい――宿を離れるな」
妻を押し退け、身を乗り出すようにピエッチェにそう言ったのは夫のほうだ。
「あなたったら! 水を差すようなことを言って!」
顔色を変える妻を気にせず老人が続けた。
「あの湖には人魚が棲んどる。出くわすと湖に引き込まれるぞ。夜は湖畔に行っちゃならん」
それだけ言うと気が済んだのか、老人は自分の席に座り直した。夫人は気まずくなったのか『ごめんなさいね』と言うと、それきり話しかけて来なかった。
マデルに話しかけてきたのは三人の男たち、
「グリュンパに住んでるのかい? 俺たち、仕事探しにグリュンパに行くんだ。これをご縁に仲良くしてくれよ」
ニヤけた顔で訊いてきた。
「違うよ」
そっけなく答えたのはカッチーだ。
「姉貴に近寄るな」
すると男たちがゲラゲラ笑った。
「勇ましい弟だねぇ」
「姉ちゃんを守ろうって必死かい?」
「おまえの姉さんはいい女だなぁ。何人も男が居るんだろう?」
「そのうちの一人になりたいもんだ」
男たちが口々に揶揄う。するとマデルがフッと笑った。
「おっ、笑ったよ。笑うとまたいい女だ」
「なんとも色っぽいねぇ」
それにマデルがニヤリと答える。
「あいにく男にゃ困っちゃいないんだ。あんたたちに出番はないよ」
このマデルの発言は男たちを却って喜ばせた。無視されるよりずっといい。
「そんなこと言わねぇでよ。どうせ今夜はグリュンパだろう? 飯でも食いに行こうや」
「おう、俺たちが奢る。遠慮はいらねぇ。なんでも好きなモンを食わせてやる」
「いける口かい? 旨い酒を飲ませる店に連れてくぞ」
今にもマデルを取り囲みそうな勢いだ。
「だから! 姉貴に近付くなってば!」
カッチーが怒鳴るが、
「ガキはすっこんでろ!」
と怒鳴り返される。
「俺たちは大人の話をしてるんだ」
「ちょっと! 子ども相手になに凄んでるんだよ!」
これにはマデルも声を荒げる。
「あんたたち、いい加減にしないと弟が酷い目に遭わせるよ!」
すると男たちがドッと笑った。
「こんなガキに? 俺たちが?」
「面白いネエちゃんだ。ますます気に入った!」
「おまえら、そこらでやめたらどうだ?」
少し離れた席の、若い男が睨みつけてきた。さっきからいけ好かないと思っていた男だ。えらい別嬪に寄り掛かられて、肩を抱いていた。その別嬪も身体を起こし、男と一緒にこちらを睨みつけている。
「なんだよ、俺たちに喧嘩を売ろうってのか?」
男の一人が食いついてくる。それを他の男が、
「やめとけ、アイツ、腰に剣を下げてるぞ」
と、止める。
「フン、いくら剣を持ってようが、馬車の中じゃあ抜けないさ」
男はいきり立ち、連れの忠告に従わない。
「喧嘩をするつもりはない。だが、乗り合わせた客に絡むのは褒められたことじゃない」
「別にあんたに褒めて欲しいとは思っちゃいない――しかし、その娘、見れば見るほど別嬪だな。そうだ、そのお嬢ちゃんをこっちに渡してくれるってんなら、こっちのネエちゃんを構うのはやめてもいい」
ピエッチェの顔つきが急激に険しくなる。が、先に動いたのはクルテだ。
「剣が抜けるかどうか、やってみようか?」
言い終わると同時に男の鼻スレスレにピタリと付けられた切っ先、『ヒッ!』と小さな悲鳴を男が上げ、見る見る蒼褪めて動けなくなった。
「よせ、ビビッて漏らされたら困るのはこっちだ。グリュンパまではまだ長い。到着まで悪臭を我慢することになる」
ピエッチェがクルテの腕に手を添える。いつの間に抜いたのか、ピエッチェにも判らなかった。どうせ魔法を使ったか何かだ。クルテはフンと鼻を鳴らすと、ピエッチェに従って剣を鞘に納めた。
「じょ、冗談だよ――済まなかったな。悪乗りし過ぎた」
連れの男が蒼褪めた男を自分の影に隠すように引っ張った。それ以降、マデルにもピエッチェにも話しかけて来ない。それどころか、三人とも何も言わず黙ったままでいた。
一度だけ、数軒しかない集落で休憩のため駅馬車が停まった。乗客は全員、用を足しに降りた。
「離れるなよ」
ピエッチェが警戒する。さっきの男たちが少し離れたところでこちらをチラチラ見ては何かコソコソ話している。
「ごめん。もうちょっと巧くやるべきだった」
ショボンとするのはマデルだ。
「いいや、俺が口を出したのが良くなかった。マデルなら放っておいても難なく偶えただろう?」
神経を男たちに向けたままピエッチェが言った。
「しかし、面倒だな。馬車を降りた後、尾行けられなきゃいいけど――カッチー、食事を出してくれる宿を知ってるか?」
「すいません、ピエッチェさん。グリュンパには何度も行ってるけど宿に用はないんで、まったく見当つきません」
すいませんと言いながらどことなくカッチーは嬉しそうだ。マデルが『弟が酷い目を合わせる』と、自分を頼ってくれたと勘違いしていた。
マデルが想定した『弟』はピエッチェだ。ピエッチェが睨みつければ、たかが街人の男など黙るだろうと思っていた。が、マデルが頼る前に見かねたピエッチェが止めに入って、さらにクルテが先走ってしまった。
そのクルテ、元気を取り戻したのはマデルの危機の一瞬だけ、ますます酔いが酷くなり、ぐったりしている。
「ここから先はグリュンパまで停まらないらしいから、眠っちゃうといいよ」
とマデルが助言する。すると例によって
「そうなのかな? 判らない……どうしたらいい?」
ピエッチェを見上げた。
「マデルの言うとおりだよ。俺に寄り掛かって眠るといい」
クルテに答えるピエッチェの猫なで声にマデルが、
「あぁあ、やっぱりわたしは犬のほうが好き」
と意味不明の溜息を吐き、カッチーが苦笑した。
グリュンパに到着したのは予定より少し早い時刻、日没にはまだ間がある。
「なんだか、とっても懐かしく感じます」
カッチーがしみじみと言った。
休憩の後はピエッチェに寄り掛かってぐっすり眠ったのが良かったのか、クルテもすっかり元気になった。停車場の近くにあった店先にキュウリを見つけると、ピエッチェを見上げた。
「ん? キュウリが好きか?」
ピエッチェが訊くと頷くクルテ、
「あれなら齧りながら歩ける」
だがマデルは、
「わたしは苦手。青臭いのがダメなのよね」
と言う。
「マデルに苦手があるなんて意外」
「あるに決まってるでしょ?」
「マデルを虐めたいときはキュウリで脅せばいい?」
「どうやって脅すのか脅されてみたい気がする。それよりクルテ、あんた、わたしを虐めたいって思ってるんだ?」
「冗談に聞こえなかった? 冗談って難しい……マデル、大好き」
マデルの腕にしがみ付くクルテ、
「冗談だったんだ?」
苦笑してからクルテに微笑んだマデルだ。
「買うならさっさと買ってくれ。宿を探すぞ」
イラついたピエッチェが、この時はクルテにも荒い声を出した。カッチーがこっそり、
「あれ、マデルさんに焼きもちですね」
と言ったが、ピエッチェに聞こえてしまったようだ。こつんと頭を殴られ、涙目になる。
「こら、カッチーに八つ当たりしない」
マデルに叱られソッポを向いたピエッチェだ。
青臭い匂いを漂わせて、グリュンパの街を歩いた。馬車に乗り合わせた三人に尾行けられていることに気付いていないのはカッチーだけだろう。
「さて、どうするかな」
キュウリを食べ終わったピエッチェが呟いた。
とっくに食べ終わっていたカッチーが、
「クルテさんが食べ終わったら本屋に入りましょう」
と言った。
「あいつら、どう見たって本に興味があるように見えません」
「なんだ、気付いてたか?」
「もちろんですよ。終わってない喧嘩の相手がどう動くか、目を離しちゃいけないってババロフに教わりました」
そいつはいいや、とピエッチェが笑う。
「だけど、喧嘩するわけにはいかないぞ。本屋の前で待ち伏せされても厄介だな」
「食べ終わった――本屋に行くよ。ちょうどそこにある」
他の意見も聞かずクルテがすたすた歩きだす。
「カッチーの勉強用の本を買おう。物語がいいんだっけ?」
カッチーの予測通り、男たちは本屋に入って来なかった。けれどピエッチェの心配通り本屋の前でこちらの様子を窺っている。
「カッチー、自分で選ぶといい。本のタイトルは読めるね?」
書架の前でクルテがカッチーに言うと、
「何かお勧めはありますか?」
と問い返してきた。
すぐ横にいたマデルが、
「カッチーなら冒険譚とかがいいんじゃない? それとも恋愛もの?」
と言い、カッチーが顔を赤くする。
「だったら、冒険譚がいいんじゃないか? 英雄には美女の恋人がつきものだ」
と言ったのはピエッチェ、
「美女じゃなきゃダメなの?」
とクルテに問われ、これには言い訳に苦労するピエッチェだ。
ピエッチェが苦労しているうちにカッチーは本を決めたようで、
「これ、給金で買ってもいいんですよね?」
とクルテに言った。
「んー……必要経費だと思うけど、カッチー、自分のお金を使ってみたい?」
とクルテ、
「はい!」
とカッチー、するとサックから赤い革袋を出したクルテがカッチーに本の代金には多すぎる金を出して渡した。
「一冊じゃなくていい。でも本は重いから考えて買って。釣りが出ても返さなくていい。自分で管理して――で、代金を払うとき、店の人に裏口がないか聞いて」
カッチーの本選びが終わる頃になっても、男たちは本屋の前に張り付いていた。カッチーが裏口の在り処を聞くとちょうど書架の影で表からは見えないところにあり、事情を話すと快く通ることを許してくれた。店員に礼を言って裏口から外に出る。
裏通りを駆け抜けて、グリュンパの外れに向かった。




