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セレンヂュゲの街に入ると、まず宿を探した。マデルが宿より先に医者だろう、と言うのを無視した。そのやりとりを聞いていた街人が
『医者なら宿に頼めば呼んでくれる。病人を背負ってウロウロするより、そのほうが病人も楽なはずだ――その先を曲がったところにある宿は親切だよ』
ピエッチェの肩を持ち、宿を教えてくれた。
ありがとう――礼もそこそこに駆け出すピエッチェ、残ったマデルが丁寧に礼を述べると、
「旅の人だろう? 疲れが出たのかねぇ」
と同情してくれた。
マデルとカッチーが、紹介されたと思しき宿に入っていくと受付にピエッチェがいて、この宿で当たりとマデルとカッチーが安心する。近づくとピエッチェの向こうにクルテが立っていて、ピエッチェに支えられていた。
「やっと来たか」
マデルを見てピエッチェが呟やき、
「この二人が連れだ」
受付係に告げた。
ふらふらしながらクルテはサックを探っている。赤い革袋を出すと、ピエッチェに渡した。ピエッチェは革袋から金を出すと受付のカウンターにバラバラと置く。
「はい、確かに。四名さまでご一泊ですね。すぐお部屋にご案内いたします」
金を片付けながら受付係がチラチラとクルテを見る。
「本当に医者をお呼びしなくていいのですか?」
「本人がどうしてもいやだと言ってる……食事を部屋に運ぶのは早めに頼む。あと、水を多めに持ってきてくれ」
受付係は困惑しているようだった。宿の評判を気にしたのかもしれない。重病人が出た宿と言われるのは迷惑なのだろう。でも、病人だから断ったと言いふらされても困る。すぐにでも寝かせたほうがよさそうなクルテを見て同情したのもあるだろう。
「畏まりました――ではこちらへ」
受付係がカウンターから出てきて、心配そうにクルテを見ながらゆっくりと進んでいく。その後ろをピエッチェとピエッチェに支えられたクルテが続く。が、倒れそうになり、とうとうピエッチェが抱きかかえた。クルテはそのまま目を閉じて眠ってしまったようだ。
「大丈夫ですか? 担架をご用意しましょうか?」
「いや、それには及ばない。俺一人で充分だ」
「お部屋は二階です。途中、階段もございます」
「こないだ四階までコイツを運んだ。大丈夫だよ」
部屋に着くと、受付係が先に入り寝室のドアを開けてくれ、ベッドに向かうと掛け布団を除けてクルテを寝かしやすいようにしてくれた。
ピエッチェがクルテを横たえるのを見届けると、
「お部屋を説明させていただきます」
と受付係が言うのでマデルとカッチーが行こうしたが、カッチーはピエッチェに呼び止められている。
居間で受付係が言った。
「寝室はこのお部屋とあと二つ、こちらのドアです――あちらのドアはバスルームになっております」
入ってすぐの居間にはソファーセットとダイニングテーブルと椅子が置かれ、そこそこ広い。寝室は三部屋、そしてバスルーム、居間の奥にはバルコニーもある。
すぐにお飲み物をお持ちしますと言って部屋を出て行こうとする受付係を呼び止めたのは、寝室から慌てて出てきたカッチーだ。受付係の手に何かを握らせた。
「これは……こんな時にお気遣いありがとうございます」
カッチーが渡したのはチップ、立て込んだ状況でチップは貰えないだろうと受付係は見込んでいたのだろう。
「ピエッチェがカッチーを呼び止めたのはそのため?」
受付係が退出するとマデルがカッチーに微笑んだ。
「はい、多めに渡されました。夕食代やらチップやらに使えって。お金を入れた袋をピエッチェさんが預かったみたいです」
「そっか……まぁ、今はお金の心配してる場合じゃないんだけどねぇ」
クルテが寝かされている部屋にマデルが行けば、カッチーもそれに続いた。
ピエッチェはベッドの横に椅子を置いて腰かけていた。まんじりともせずクルテを見詰め、手を握っている。二人が寝室に入ると、チラリと見たが何も言わなかった。
マデルがベッド横に来てクルテを覗き込む。
「ピエッチェ、どうして医者を呼ばないの? 随分悪そうよ」
ピエッチェがイヤそうな顔で答える。
「医者に診せるなら死んだほうがマシだって。眠れば治るんだそうだ」
苦しい言い訳だ。
クルテが医者は要らないと言ったのは本当だが、『魔物と知られる』のが理由だとは言えない。生身の身体は変化した生物と同じなんじゃないのかと思ったが、真偽が判らないピエッチェは、クルテに従うほかはない。
暫くすると、受付係とは別の男がティーセットと水を入れたボウル、それにタオルを持ってきた。給仕係だ。
「ボウルはタオルを濡らすためにお持ちしました。タオルは新品です。差し上げますのでいかようにも使いください」
対応に出たカッチーが
「代金はいかほど?」
お茶代を訊くと、
「タオルはサービスですよ」
とニッコリした。
「それはありがとう。でも訊いたのはお茶の代金です」
カッチーが重ねて訊くと
「当宿のお茶は無料、飲み放題で提供しております。足りなくなったらいつでも受付にお申し出ください」
と答えた。少し多めにチップを渡してしまったカッチーだ。
マデルはピエッチェとは反対側のベッドわきに椅子をもってきて座っていた。カッチーがボウルとタオルを持っていくとすぐ立ち上がり、ボウルを受け取り、小さなテーブルに置いた。タオルを水に浸して絞っている。
「この寝室はほかより少し広いんですね」
カッチーがピエッチェに言った。ピエッチェは聞こえていないのか、答えない。
クルテが寝かされた寝室は大きなベッドがデンと置かれ、他には小さなテーブルと椅子が二脚、鏡台にスツールがある。
「ほかの寝室も見てきたんだ?」
絞ったタオルをクルテのおでこに乗せるマデル、微笑んでカッチーに訊いた。
「えぇ……ほかはこんな大きなベッドじゃなくって普通サイズ、一台ずつです。三室でベッドは三台しかないです」
するとピエッチェが、今度は答えた。
「四人部屋って言ったら二人ずつの寝室が二部屋ある部屋か、ここしかないって言われたんだ。俺とクルテはいつも通り同室でいい」
「だって、それじゃあ――」
マデルが袖を引いてカッチーの言葉を止める。
話題を変えようと
「夕食はどんな料理なんだろうね?」
マデルが訊いた。面倒そうにピエッチェが答える。
「ルームサービスはやってないんだと。それを無理やり頼み込んだから最上級の料理を頼んだ」
寝返りを打とうとしたのかクルテが動き、ピエッチェがハッとする。溜息のような声を上げて、少し蠢いただけだった。ピエッチェが握っていた手を放し、クルテの頬に触れる。
「雨に濡れたまま動き回った。探せば宿泊施設にタオルくらいあっただろう。俺のせいだ」
ピエッチェがポツリと言った。
「昨日から可怪しかったんだ。熱いはずの風呂を水のようだって言った。いつもよりコイツの身体が熱いのにも気付いてたのに気のせいだと思った。今朝だって、今日は寒いって言ったし、箱に入れて運んでくれ、なんだったら背負ってもいいって言ったんだ。きっと怠くて仕方なかったんだ。それなのに俺は冗談だとばかり思って、ちゃんと聞きもせず笑って流しちまった――なんでもっと早く気付けなかったのか? 具合が悪いのに歩かせたりするんじゃなかった」
「ピエッチェ……」
なんと言えば判らず口籠るマデル、カッチーは居た堪れないのか黙って居間へ行ってしまった。
結局、マデルが見付けた言葉は
「あんたのせいじゃないよ」
ありふれたものだった。
「クルテだって子どもじゃないんだ。体調が悪いんだったら、自分でそれなりに対処しなくちゃ」
子どもみたいなもんなんだよと言えられたらどんなに楽か?
「こいつは言い出せなかったんだ。やらなくちゃならないことがある、クルテはいつもそれを優先させてる。ギュリューでだって……」
「ギュリューで何かあった? あっ……」
聖堂の森で野営した時に聞いた話を思い出し、マデルがハッとピエッチェを見る。ピエッチェは何も言わずクルテを見ている。
「レムシャンを殴ったのは、アイツがクルテを襲ったからだったんだね――せいぜい肩を抱いた程度だと思ってた。本当に乱暴しようとしてたんだ……」
打ち合わせではそうだった。クルテを口説くレムシャンを咎める。そんな計画だったのに、つい殴ってしまったピエッチェが、レムシャンが失神ているのをいい事に都合のいいように話を作ったのだとマデルは思っていた。
「蹲ってガタガタ震えてた。もう二度と無理はさせないって、あの時思ったのに。コイツは平気な顔で無理をする――判っていながら俺は気遣ってやれなかった」
寝室のドアが開き、カッチーが戻ってきた。カップを四客乗せたトレイを持っている。
「せっかくだからお茶をいただきましょう。なんでも、無料で飲み放題だって宿の人が自慢してましたよ」
クルテのことを忘れているかのように陽気に言うと、トレイをテーブルに置いた。だけど忘れているわけじゃない。
「クルテさんには湯冷ましがいいかなと思って、カップにお湯を容れときました。まだ熱いから、もう少し冷めてからがいいですね」
それから鏡台に近寄るとスツールを持ってきてテーブルの近くに座った。
そんなカッチーを見てマデルがフッと笑む。
「カッチーが一番しっかりしてるね。わたしもピエッチェも、クルテがダウンしたからってこんなに狼狽えちゃってさ。ピエッチェなんてこの世の終わりみたいな顔してる」
この世の終わり、そうかもしれない。密かにピエッチェがそう思う。クルテがいなくなったらネネシリスへの復讐も、王位奪還も途端に色褪せてしまう。
座っていた椅子を持ってテーブルに向かい、マデルが言った。
「ピエッチェ、見てたって良くなるわけじゃないよ。とりあえずこっちに来て、お茶にしよう」
「飲みたければ二人で飲んでくれ。俺はクルテの傍にいる」
「なに言ってる、しっかりしなよ。あんたまで倒れたらどうする? それこそクルテが泣くよ? ちゃんと水分とって、少しは身体を休めなきゃ。食事が来たらそれもきっちり食べる。そうじゃなきゃ、クルテを守れない」
運んだ椅子に腰かけてマデルがテーブルを見る。
「無料なのにお茶菓子までついてるんだ? 干しリンゴだね」
「お茶菓子は受付に行けばくれるそうです。他にキャンデーやクッキーもあるって言ってました」
「そう言えば、夕食にフルーツはつくのかね?」
「どうでしょう、聞いてきますか? なかったら追加で頼みましょう」
「そうだね、お茶が済んでからでいいよ」
マデルの言うことももっともだと思うもののピエッチェは動けない。判ってる、判っているけど――クルテから目を離せない。クルテの手をさらに強く握り締める。この手を放したら、クルテは消えてしまうんじゃないのか? ギュームの妻のように……




