12
クルテはそのままウトウトし始め、ともすればソファーから落ちそうになる。危なっかしさに、とうとうピエッチェはクルテの肩に腕を回し抱き寄せてしまった。マデルが来たらなんて言うだろう? でもまぁいいか。さっきは抱き合って眠っているのを見られた。今さらだ。
マデルの戻りは遅く、少し気が緩むとピエッチェも、クルテと一緒に居眠りしそうだ。
「待っててくれたんだ?」
マデルの声にクルテが目を覚まし、ピエッチェが慌てて肩を抱いていた腕を引っ込める。
ピエッチェの心配をよそに、マデルは二人のことに触れなかった。もの言いたげにピエッチェを見たが、クルテを見て言うのをやめたようだ。クルテの事情を話してよかった、とピエッチェがホッとする。
「それがね……ちょっと困ったことになったんだ」
対面に腰かけてマデルが深刻な顔をする。
「クルテに言われたとおりに伝えたんだけど、宿にはギュームを連れて行くと連絡して、迎えにはセレンヂュゲから馬車を出すって」
「ふぅん……連絡した相手が自分で来るって?」
「クルテ、なんで判ったの?」
「知り合いって、セレンヂュゲに派遣されてる王室魔法使いなんじゃないのかなって思ってた。魔物が退治されたって聞けば、王室魔法使いは自分の目で確かめようとするよね」
「うん、その通りだわ――確認してからじゃないとギュリューの一般人に、聖堂に行けとは言えないって」
「ちゃんとギュームを送ってくれるんでしょう?」
「うん、そこは確約してくれた」
「だったらそれでいいよ。マデル、困らせてゴメン」
「わたしこそ、言われたとおりに出来なくて申し訳ない――ところでギュームが描いた似顔絵は?」
あぁ、とピエッチェが丸めた紙を広げてマデルに渡した。
どれどれと絵を見た途端、マデルが蒼褪める。
「これって……?」
その様子にピエッチェが色めき立つ。
「知っている男なのか?」
「えぇ……ううん、違う」
「どっちなんだよ?」
「これ、十年前の記憶でギュームが描いたものだよ」
と言ったのはクルテだ。
「今は四十歳手前くらいだって」
「四十手前? そっか、安心した――うん、知り合いによく似てて。でもその人はわたしと同じ齢だから」
「他人の空似か、よくある話だ」
ピエッチェが笑う。
「それでね、馬車が来るのは明日の昼頃って言われたんだけどね」
マデルが言い難そうに話を戻す。
「それまでにここを出るのは無理かな?」
それにクルテが即答する。
「それじゃ朝は早起きして、やることが済み次第出よう」
「やることって?」
ピエッチェが訊くと、
「カッチーが『俺たち、ここに掃除に来たんですか?』って言いそうなこと」
クルテが笑った。
「敷地内の草むしりを兼ねて女神像と女神の娘像を探す。で、それぞれを元の場所に安置する――これはやっておかなくちゃね」
「さては、二つの像は草木に埋もれてるって? それ、ピエッチェとカッチーに任せておけばいいよね?」
マデルがクスリと笑う。
「それとギュームに馬車が来ることを話しておかないと。ついでだから朝食に呼ぼうかな? 訊き忘れたこともあるし……マデル、一人増えても大丈夫?」
「カッチーの分が減るだけだから問題なし」
マデルの太鼓判にニッコリしたが、すぐに顔を曇らせるクルテ、
「あ……果物」
と呟いた。リンゴとオレンジの残りは四つずつだ。
また果物か、と思うピエッチェ、
「ギュームには二つ持ってったからいい。まだ食べてないよ」
とイラっと言えばマデルが、
「皮を剥いて切って一人分ずつ器に入れて出せば、はい、問題解消」
と笑った。
「マデル、さすがお姉さん……」
どう解釈したらいいか判らないような言葉でクルテがマデルを称えた。
とにかく早く休もうと解散する。
寝室に入るなりクルテが『もうダメ』とピエッチェに抱き着いた。
「お願い、運んで」
言うなりクルテの膝が崩れ、
「運んでっておまえをかよっ?」
慌ててクルテを支えるピエッチェ、見るとクルテはもう眠り込んでいる。
呆れるものの放り出せもしない。腕を背中に回して上体を支えると、もう片方の腕を膝の後ろに通してクルテを持ち上げベッドに運んだ。
どうしようかと迷ったが、結局ピエッチェも同じベッドに横になる。隣のベッドにはいつも通りクルテのサックがあった。が、退かせば使えないわけじゃない。たまには一人、伸び伸びと眠りたい。だけどクルテが悪夢に悩まされたら可哀想だ。
(えっ?)
ベッドに横たわってから気が付いた。いつの間に、クルテはベッドにサックを置いたんだ?
恐る恐るクルテの身体に下に手を入れ、サックの有無を確かめてみる。もちろんあるはずもない。あんなもの背負ったままで横たわったら痛くて堪らないはずだ。
まぁいいか、深く考えるな。どうせ魔法か何かだ……ピエッチェがギュッと目を閉じる。
腕に残る抱き上げたクルテの軽さと撓やかさ、掌に残っているのは服越しでも判るクルテの肌の柔らかな感触、それがまだ消えていない。消えていくのを惜しんでいる。だから強く目を閉じて、そんな気持ちを締め出したかった。コイツは魔物、魔物なんだ、と。
気が付くと目の前に自分を見詰めるクルテ、ピエッチェも見詰め返す。身体が熱いのは早まる動悸のせいか? 自分の脈が音を立てている。
『クルテ……』
名を呼んだのは切なさから、何も考えず抱き締めた。抱き返してくるクルテに許されていると感じた。
『ヤツがおまえにつけた傷跡は俺が消してやる』
自分でも何を言っているのかよく判らない。クルテの髪の匂いに誘われるように、頬を頬に擦り付け、唇を耳朶に寄せた。そしてそのまま首に、咽喉元に、顎に、頬に、それからもう一度クルテの顔を見た。なぜかクルテも自分も裸だ。
クルテの瞳が潤んでいる。すごく綺麗だ……心のどこかでピエッチェが呟く。クルテ、おまえはなんでこんなに俺を惹きつける?
ゆっくり顔を近づけた。クルテが目を閉じるのが視界の端に映る。鼻と鼻がぶつかって、ピエッチェが顔を傾ける。
「ピエッチェ、いつまで寝てる?」
突然中断された心地よい甘さ、耳に飛び込んで来たクルテの声、
「ん……?」
身体が揺さぶられているのを感じて目を開ける。
隣に横たわって、抱き合っていたはずのクルテがいない。天井に顔を向けると覗き込んでくるクルテの顔が見え、心臓がドキリと音を立てた。
「そろそろ起きて、始めないと間に合わない。カッチーを起こしに行くぞ」
それだけ言うと遠ざかっていく。
夢を見ていた、それは理解した。でも、なんだってんだ、あの夢は? 収まらない動揺、治まらない動悸、
「ピエッチェ、何してる? 目が覚めたならさっさと起きろ」
クルテに催促されてもベッドから、すぐには出られないある事情、
「いいから先に行け! 通路に出る部屋のソファーで待ってろ」
つい八つ当たりして荒い声を上げてしまった。
「朝から機嫌が悪いな。寝不足か?……何しろ急げ」
クルテが部屋を出て行くのを待ってベッドに上体を起こし、ピエッチェは大きく息を吐いた。
動悸もある事情も落ち着いたが動揺だけは収まり切れず、じわじわと自分を苛んでくる。あんな夢を見たのもショックだったが、それ以上にあんな夢を見たなんてクルテに知られたくなかった。夢の中で、あんな夢で、喜びを感じていたなんて絶対に知られたくない。だって、だって……アイツは――
クルテは何も言わず部屋を出て行った。いつも通りに平然としていた。夢は読めないんだろうか? それとも?
もう一度深呼吸して立ち上がる。あまり待たせるとクルテが呼びに来るだろう。それはなんだか鬱陶しい。ピエッチェも部屋を出て行った。
カッチーは揺さぶろうとも耳元で大声を出そうとも起きなかった。ピエッチェとクルテが苦戦している気配に気が付いたマデルが来て
「擽ってみたら?」
と笑う。
「まだ、鼻を摘まんでいない」
クルテが言ってピエッチェの顔を見る。
「俺かよ?」
と愚痴りながら鼻を摘まむがカッチーは鼻呼吸を諦め、口を開けて寝たままだ。
「じゃあ、擽ってみて」
「はいはい……どこを擽る?」
「足の裏より脇腹とかがいいよ」
マデルの助言に従って、ピエッチェがカッチーの脇腹に手を伸ばす。掛け布団はとっくに取り上げている。
「やっと夜が明けたところだからねぇ」
ニヤニヤするマデル、
「森に囲まれてるから日の出が見えない。夜明けって感じがしない」
とクルテ、ピエッチェは『そう言えば日の出が好きだって言ってたっけ』と思い出しながら、身体を捩るカッチーの脇腹を執拗に擽り続けた。
「なにすんだよぉ!」
とうとう目覚めたカッチーがピエッチェの手を乱暴に払えば、
「やっと起きた」
マデルがケラケラ笑う。
「えっ?」
上体を起こしたカッチーが三人を見て、
「俺、起こされてたんですか?」
不思議そうな顔をして、ピエッチェとクルテが苦笑する。
「まずは前庭にしよう――カッチー、先に行ってるからね」
そう言ってクルテがドアに向かう。
「はい、クルテさん! すぐに行きます!」
クスクス笑いが止まらないマデルがクルテに続き、『前庭?』と呟くカッチーを置き去りに、ピエッチェも出て行った。
カッチーが前庭に行くと、飲食設備のある建屋の端の方で敷地の脇の茂みを眺めるクルテがいるだけだった。カッチーに気が付くと、片手を上げた。
「ピエッチェさんとマデルさんは?」
「ピエッチェはそこの倉庫の中、マデルは厨房で朝食の支度」
「あぁ、それ、倉庫だったんですね」
「草刈りに使えそうな道具を探しているから、カッチーも行って手伝って」
「はい! って草刈りするんですね」
「そう、昼までには終わらせるから、そのつもりで頑張って」
ピエッチェとカッチーは長柄の鎌と、熊手を見つけて戻ってきた。
「さてっと、どうするかな?」
「女神の像を先に救出しよう。その茂みの中にある」
さっきクルテが見ていた茂みだ。それにしても救出? ニヤニヤしながら茂みに近付いたピエッチェが、枝に手を伸ばし引っ張ると、折れた小枝の影から女神の像が現れた。
「うわぁ、大きいですね」
「台座の上に乗ってるからそう見える――台車があった方がいいな。カッチー、倉庫に台車が有っただろ? 持って来きてくれ」
カッチーが倉庫に行くと、
「どれくらいの重さなんだろう?」
とクルテが呟いた。
「ギュームは一人で運んだ。心配ない」
ピエッチェが台座に乗って女神像を持ちあげる。
「あれ?」
と首を傾げると、女神像を置いて台座から降りた。
「どうかした?」
「いや、持ち上げようとした時は凄く重くて……それなのにフワッと急に軽くなったんだ」
「ふぅん……女神さまのご慈悲かも。じゃ、台座から降ろすのに問題ないね」
そうだな、と答えたピエッチェ、クルテが笑ったような気がした。




