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換気口を封じたものの、鐘楼には見渡す限り何もない。屋根から吊るされた鐘があるほかは、床に換気口、屋根を支える数本の柱、階段の降り口があるだけだ。
「この鐘、どうやって鳴らす?」
鐘を見上げてクルテが訊いた。
鐘の真下に行ってピエッチェも鐘を見上げる。
「見えるか? 鐘が吊るされているのは折れ曲がった棒だ。今は無いけど、もともとあの棒には引手が付いていて、それを引っ張ると棒の曲がりの上下が変わり鐘が揺さぶられる。鐘の中にぶら下がってる分銅は一緒に揺れずに鐘の胴体にぶつかるから、それで音が出るんだよ」
「ふぅん、なるほど。なんで引手は無くなった?」
「そうだね、経年劣化で切れるか何かしたかな?」
「ってことは、もう鳴らない?」
「修理しなくちゃ無理だな。鳴らしたいのか?」
「そうなのかな?……鳴らしたいわけじゃない。だけど、鳴らさなきゃなにも判らない」
「なんだよ、それ?」
「魔物の正体はこの鐘。話を聞くためには鳴らさなきゃダメ。多分」
「はぁあっ!?」
思わず鐘の真下を回避して後退るピエッチェ、ついでにクルテの手を引いて鐘から距離を置かせる。
「えっと、クルテ。確認するが、この場合の『多分』は鐘が魔物の方か? それとも話を聞くには鳴らす方か?」
「話を聞く方。鐘が魔物なのは間違いない」
再びピエッチェが恐る恐る鐘を見上げる。
「コイツが魔物? 黒い靄じゃなかったってことか?」
「黒い靄はギュームの部屋から出た煙。多分」
またも『多分』かよっ!?
「それじゃあ突風は?」
「この高さなら、強い風に吹き晒しにされる。それだよ。多分」
またまた多分?
「恐ろしい声ってのは?」
「聞いてないからはっきりとは言えないけれど、魔物の正体が鐘なんだから鐘の音だと考えるのが妥当」
「つまり、あの鐘が風になり靄になり、あの道の途中で俺たちを待ち構えてた?」
「ピエッチェ、鐘のままじゃ歩けないし、外階段も降りられないし聖堂も――」
「判った、判った。通れないよな、移動なんてとんでもないよな」
今度は多分じゃなさそうだと思うピエッチェ、クルテを見て質問を続けた。
「それじゃあ、人間の姿に化けたのか?」
「んーー、人間か、女神か、女神の娘?」
「なんで女神とか女神の娘?」
「どちらも姿を消している。あ、あと聖職者って線を忘れてた」
「聖職者って、ギュームにここを任せた?」
「そう、その人」
「で、魔力で突風を吹かせ、黒い靄を発生させた?」
「わたしはそうじゃないかと思う。とにかく本人……本鐘に訊いてみよう」
「鐘の言葉が判るのか?」
「鐘じゃなくって魔物の言葉だよ――下に降ろすこともできない?」
「うーーん……あぁ、おまえ、あの鐘に届く梯子になれるか?」
「あっ! その手があった」
と、途端にクルテの姿が消えた。
すぐに梯子が現れ……ない!?
「クルテ?」
ピエッチェが呼んでも返事がない。どこに行ったと見渡してもいない。どうする気なんだと、鐘を見上げるピエッチェ、
「クルテ! おまえっ!」
そこに見付けて絶句する。いいや、それほど驚くこともない、初めてクルテを見た時だって、そうだ、アイツ、宙に浮かんでいたじゃないか!
浮かんだクルテが両手を伸ばして鐘に触れる。するとブルッと鐘が身震いした。そして鐘が消え、クルテも消えた。
「クルテ!」
「クルテ、クルテって煩いな」
ハッと横を見るとすぐ近くに立つクルテ、
「おまえは誰だ!?」
ピエッチェが思わず叫ぶ。クルテの後ろ、少し離れたところに俯いて立つ男、衣装は聖職者の物、顔は影になっていてよく見えないが、がっしりした体型は明らかに男だ。
クルテが首だけで後ろを見て言った。
「察しが悪いな。鐘だよ」
「鐘が変化したのか?」
「そう、これで人間の言葉も話せる」
ゆっくりとした動きでクルテが鐘と向き合い、左腕を上げて掌を鐘に翳す。
「森の聖堂の鐘よ、答えろ。なぜここに人を寄せ付けないのだ?」
男がゆっくりと顔を上げた。その顔を見てピエッチェが怯む。顔のあたりは靄が渦巻くような闇、真っ暗な洞のようだ。
(顔がないのか!?)
(んー、鐘を下から見た感じ? 多分)
ここでまた〝多分〟かよっ!?
どこからともなく地響きのような声が聞こえた。
【精霊よ、人が我儘なのは知っていよう?】
精霊ってなんのことだ? クルテのことか? いや、そんなはずはない。クルテは魔物だ。
【女神の娘に捧げられた祈りのすべてに我は耳を傾けた。その祈りには叶うものと叶わぬものがあるのは当然のこと。我は、叶う祈りには我が身を鳴らして知らしめた。叶わぬものには無言を通していた】
女神の娘の伝説は事実だったと言う事か――ピエッチェがマジマジと男を見た。
男はなおも続けた。
【いつしか人間どもは我が託宣を不服とし、鳴らぬ我を自らの手で鳴らすようになっていった。それらの願いは当然叶うことがない。やがて人は叶わなかったと女神の娘や我を嘲るようになった……我が悔しさはいかほどか。我だけならばいざ知らず、女神の娘まで疑うとは】
祈りを捧げて鐘が鳴れば恋が叶う――その伝説を信じたからこそ、なんとしてでも鐘を鳴らしたい。だからあの長い階段を上り、自分の手で鐘を鳴らした。その心理は判らないでもない。だが、しょせん託宣とは違う。恋は叶わない。だから女神の娘の伝説なんて嘘っぱちだと言い出し、それが鐘の怒りを買った。
【女神の娘を信じぬ者が、何故この聖堂に足を運ぶ? 来られても目障り、追い払って何が悪い?】
「次は女神像、そして女神の娘像、二つの像をどこに隠したかを答えて貰おう」
【隠してなどおらぬ。少なくとも女神の娘は動いていない】
「女神像は?」
【我の関知せぬこと、聖堂を守る男に聞くがよい】
「聖堂を守ることをなぜギュームに命じた?」
【あの男は真に願い、心よりの祈りを捧げた。そして我が託宣を無理に得ようとはしなかった。女神の娘と我の尊厳を守るに相応しい】
「ギュームの妻を呼び寄せたのはおまえか?」
【精霊よ、人に絶望し魔物と化した我、その我が人に同情しては可怪しいか?】
「ギュリューの館に火を放ったのはなぜだ?」
【知れたこと、あの男をこの聖堂に住まわさんがため】
「もともとこの聖堂にいた聖職者はどこへ行った?」
【存ぜぬ。聖職者とあろうものが我が脅しに聖堂を捨て、それ以後、帰って来たことはない】
「出かけた聖職者を待ち伏せて脅したか?」
【答えるまでもない】
「最後に問う。聖なる鐘よ、魔物として存在したいか? 聖なる存在に戻りたくはないか?」
【うむ……】
男の身体が小刻みに震え始め、どこからともなく鐘の音が聞こえ始める。ドグォンドグォンと『聖なる鐘』には相応しいとは思えない重苦しく鈍い音だ。
【長年燻され続け、我が身体は煤だらけとなった。もう以前のように澄み渡った音を響かせることはできない。そんな我が聖なる存在になど戻れるものか】
「戻りたいが戻れないというのであれば、力になれなくもない」
鐘の音が止み、男がじっとクルテを見詰める気配を感じる。何しろ男の顔は黒く渦巻く靄――いや違う、あれは貼りついた煤なのか? どちらにしろ目はない。どこを見ているかなど判らない。けれどピエッチェは、男がクルテを見ていると感じていた。
男が答えたのはしばしの沈黙の後だ。
【もし戻れるのなら、戻りたいのが本音。しかし人の手で鳴らされるくらいなら、魔物のままでもよいように思える。その上魔物でなくなれば、あの男の妻は冥界に引き戻される。それでは男が哀れ……】
「この世に生きとし生けるもの、いずれ召されるは必定――その摂理に背いたところで得られる幸福などない」
掌を翳したままクルテが男に近付いていく。慌てて止めようとするのに、ピエッチェの足は床に貼りついて動かない。
(クルテ!)
黙れと言われたわけでもないのに声さえ出せず、心で叫ぶが応答はない。
それは男も同じだったようだ。後退しようと藻掻いているようにピエッチェには見えた。だが動けない、身動ぎせずにクルテを見ている。
男に掌が触れる寸前でクルテが止まり、右の腕も上げて掌を翳した。
≪森の聖堂の鐘よ。本来の姿に戻り、居るべきところへ戻ったのちは与えられた役目を果たせ≫
突然の閃光はクルテの掌から発せられたものか? 眩んだ目を閉じてしまったピエッチェには確かめられない。漸く目を開けられるようになった時には、そこにはクルテがいるだけだった。もう腕を上げてはいない。
「クルテ……」
ピエッチェが情けない声でクルテの名を呼ぶ。振り向いたクルテは泣きそうな顔をしていた。
「疲れた、ピエッチェ――もう眠りたい」
「クルテ……うん、部屋に行って休もう」
するとクルテがクスリと笑った。
「いや、ギュームのところに行かなくちゃ」
そう言って見上げるクルテ、つられてピエッチェも上を見る。そこには黄金色にピカピカと輝く鐘が吊るされていた。
「元はあんな色だったんだね」
クルテが静かに言った。
「今のは……クルテの魔法なのか?」
「そうだね。グレナムの精霊の力を借りた」
クルテがいつものサックをピエッチェに見せるように背を向ける。いつの間に背負った? 男に向かっている時にも背負っていたか? そう思ったが、言うのはやめた。訊いてもクルテは答えないだろう。
けれど、これで一つ疑問は解けた。
「ヤツが精霊と呼び掛けたのはグレナムの精霊のことだったんだな」
それには答えず、
「もう誰もこの鐘を鳴らせないよう、分銅を取り除いた。あとは換気口を処分すれば、この鐘が再び魔物に変わることはない」
そう言うとクルテが換気口に目を向けた。
ポン! と小さな音をたてて蓋が飛び、宙を横切ってどこかに消えた。同時に積み上げられていた煉瓦が粉々に崩れてバラバラと換気口の中に落ちていく。
「誰かが修繕しようとはしないか?」
「鐘には誰も近寄れない保護術を掛けた。そこに空いた穴は、落ちていった煉瓦が床材に再生され、朝には塞がっている」
「おまえ……マデルが言っていたが、凄い魔法使いなのか?」
「何を言ってる? 寝ぼけてるのか?」
クルテが階段に向かいながら呆れた。
「わたしは魔物だ。よく知っているだろう?――行くぞ、早く行かないとギュームが心配だ」
階段を降りていくクルテ、ピエッチェが慌てて追った。




