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お茶を四杯もお替りし、やっと煮込みを食べ終えたクルテがオレンジに手を伸ばす。他の三人はとっくに食べ終わっている。
「リンゴが六個、オレンジも六個」
「なんだよ、クルテ、そんなに果物が気になるか?」
苦笑するピエッチェ、
「好きなだけ食べていい?」
クルテが真面目な顔で訊いた。
「いいけど……まさか全部食べるとか言わないよな?」
「欲しいのはリンゴとオレンジ二つずつ。部屋でピエッチェと食べる」
「俺にも?」
と、ピエッチェの頭にクルテの『黙れ!』が響いた。
「うっ……」
頭を抱えるピエッチェをカッチーが
「大丈夫ですか?」
心配する。
オレンジを食べ終わったクルテが、
「ピエッチェも疲れてる。今日は部屋に戻って早めに休もう」
リンゴとオレンジを取って立ち上がった。
「残りは明日の朝、一人一個ずつでちょうどいい――ピエッチェ、行くよ」
「そうだね、早く休んだ方がいい――カッチー、片付けを手伝って」
マデルも立ち上がると、カッチーが慌てて鍋に使用済みの皿を突っ込んだ。
「一人でできます。マデルさんは先に休んでください」
「そうかい? 皿も鍋も厨房のを借りてるからね、大事に扱うんだよ。特に皿、割らないように」
「皿洗いは慣れてます。コゲゼリテでも手伝ってました」
カッチーが鍋を持ちあげると聖堂裏の通路に向かった。
ドアが閉まると
「アイツはいつでも元気だな」
とピエッチェ、
「お陰で救われる――ピエッチェ、リンゴかオレンジ、持って。落としそう」
立ち上がったまま動かないクルテ、
「それじゃオヤスミ」
マデルは気にせず自分の部屋に消えた。
「なんだよ、それくらい持てないのか?」
「手は二つ、果物は四つ」
「はいはい、判った。リンゴを寄こせ」
ピエッチェがリンゴを取ると嬉しそうな顔をしたクルテが部屋に向かう。が、ドアを開けると立ち止まって中に入ろうとしない。
「おい?」
するとまたもクルテの『黙れ』が頭の中で聞こえたが、今度は響くほどではない。
(部屋に入ったとマデルに思わせたい。ドアを開けるのに、果物四個は持てなかった)
(あぁ、そう言うことか……マデルに知られたくない?)
(ギュームに会いに行く。リンゴとオレンジは土産)
(さっきはそんなこと言ってなかったぞ?)
(やっぱり床が濡れていなかったのが気になる)
クルテがパタリとドアを閉め、
(足音を立てるなよ)
と、通路の奥へと歩いていく。
(ドアをノックする音がマデルに聞こえるんじゃないか?)
(ノックなんかしない――中に入ったら『ノックしたんですけど聞こえなかったようなので』って言え)
(俺がかよ?)
(ギュームがわたしたちに気が付いたのは姿を見てからだ。耳が悪いのかもしれない。でなきゃ絵を描いてると集中しちゃって気付けないんだ。多分)
出たよ、クルテの多分……いつでも絵を描いているとは限らないぞと、ピエッチェが思う。
ギュームの部屋のドアをそっと開けたクルテ、素早く部屋に入る。仕方なくピエッチェも入ると、やはり静かにドアを閉めた。
「ギュームさん、いらしゃる?」
声を掛けると絵を描いていた部屋からギュームが出てきた。
「おや、あなた方はいつも突然だ」
「ノックしたんですけど、聞こえませんでしたか?」
「そうでしたか……絵を描き始めると他のことに気が付かなくなってしまいます」
クルテの推量は当たっていたらしい。
「こちら、ほんの少しですが奥さまと召し上がってください」
オレンジとリンゴと一緒にギュームに渡す。
「これはこれは、お気を遣わせて申し訳ない」
ギュームが嬉しそうな顔をする。
「アップルパイが好物でしてね。明日にでも妻に焼いて貰います」
「奥さまにもできればご挨拶したいのですが?」
「うーーん……あれがなんと言うか。でも訊いてみましょう」
ギュームが奥へと向かう。
ギュームは壁の仕切りを超えると右に見えているドアではなく、左に曲がった。
(奥方はいつ来てもキッチンか?)
(夕飯の片付けなんじゃ? それよりピエッチェ、暖炉を見ろ)
(うん? 暖炉がどうかしたか?)
暖炉はマントルピースの前面に、小動物の彫刻がたくさん施された瀟洒な造りになっている。
(火を入れてない)
(暖炉を使うほど寒くないからだろ?)
クルテが暖炉に近付いていく。
(いいや、もう何年も火を入れてなさそうだよ。煤が綺麗に払われている)
(冬の終わりに掃除したんじゃ?)
(ギュームに訊いてみよう)
(なんて聞くんだよ?)
そこにギュームが戻ってくる。
「おや、暖炉がどうかしましたか?」
「勝手に拝見してしまってすみません。素敵だなぁと思って……この彫刻は?」
「お気に召しましたか? リスや小鳥は女神の使い、今にも動き出しそうで見事でしょう?」
「お掃除も丁寧にされているようですね。どこにも煤が付いていません」
「その暖炉は使っていないんですよ」
ギュームが苦笑する。
「わたしがここの管理を任された時、使ってはいけないと言われたんです」
「こんな立派な暖炉を使えないのは勿体ない。なぜ使ってはいけないと?」
尋ねたのはピエッチェ、クルテからの脳内指示だ。
「設計ミスだと聞いています――この暖炉の排気が鐘楼のところにあるのだとか。聖なる鐘を燻ってしまうから使えないのです」
「冬場はどうしているのです?」
「今は井戸の横の倉庫に仕舞ってますが、窓に煙突を繋いで使うストーブがあるんです」
「ところで奥さまは?」
ピエッチェの隣に戻ったクルテが訊いた。
「それがどうしても恥ずかしいと。申し訳ありません」
「わたしどもが勝手に押し掛けたのですから、お気になさらずに。奥さまにもそうお伝えください――では、これで。お邪魔しました」
ギュームの部屋を退出し、足音を忍ばせ自分たちの部屋に戻った。もちろんドアの開け閉めには細心の注意を払った。
「どうしても鐘楼に行かなくちゃならなくなったな」
ソファーでピエッチェが苦笑する。やはりソファーに腰かけたクルテが頷いた。
「うん。あの暖炉の煙突を上って鐘楼に逃げたらしいね」
「床が濡れていなかったのは?」
「暖炉の前に立つわたしを見てギュームは、さっきの床濡れはわたしたちだったかと思った。でもすぐに、『来たのは拭いてからだ。奇怪しいな』と思い直してた」
「ってことは、俺たちの前にヤツが来て暖炉を使って鐘楼に行った。ヤツが濡らした床はギュームが拭いた――ヤツは鐘楼に隠れている」
クルテが少し小首を傾げてから言った。
「雨音はまだ続いている。でも、もう土砂降りってほどでもない――雨が止む前に鐘楼に行ったほうがいい」
「雨が降っていても、換気口を辿ってギュームの部屋に逃げ込むかも? 雨は気にしなくて良さそうだぞ?」
「換気口には入れないように蓋をする。ヤツは逃げられない」
「蓋ねぇ……どうやって?」
「鐘楼に行く前に井戸と倉庫を見に行く。倉庫で何か適当なものを選ぼう」
「換気口の大きさが判っているのか?」
「暖炉の煙突の大きさ? まぁ、なんとかなるよ、多分」
また多分ですか。
「ずいぶん大きいものが必要になるぞ?」
「構わないよ、運ぶのはピエッチェだから」
「俺かよ?」
「わたしが運んだほうがいい? マデルみたいに物を移動させる魔法は使えない」
「いいよ、リンゴとオレンジ四つも持ちきれないおまえに持たせるわけにもいかない」
「あれはドアを開けるためだ――あ、カッチーが戻ってきた」
部屋の前を通り過ぎ、すぐにドアが開く音、そして閉じる音、カッチーに間違いなさそうだ。
「それじゃあ、行くか?」
「少し待とう。鼾が聞こえてからの方がいい。鼾の音が、少しはマデルの耳を誤魔化す助けになる」
「すぐに寝るかな?」
「ほかにすることはない。すぐに寝る」
言い終わらないうちに鼾が聞こえ始め、クルテがニッコリした。
音をたてないよう慎重に部屋の外に出る。廊下に出るとカッチーの鼾はもっと大きく聞こえていた。それでも足音を忍ばせて聖堂裏の通路に向かい、そこから先は駆け抜けた。
薄暗いかと思った聖堂裏はマデルが点けたのだろう、燭台が灯されていて通るのになんの支障もなかった。風呂に水を張った後にカッチーがモップを掛けたので、濡れているところもない。それは食堂も厨房も同じだった。
「ここだな」
厨房の奥に扉を見つけ開けてみると、すぐそこに倉庫らしき建物があり、そこから平たい屋根が伸びて柱で支えられている。外に出てみると、接した面の壁を共用して聖堂の建物から飛び出だした形で倉庫は作られていた。
「倉庫はあとから増設したんだろう。で、井戸はあれだな」
「倉庫も聖堂の一部と言えなくもない。そんな倉庫の屋根の下なら建物の中、ってことか。まぁ、水が使えなくちゃ困るし――それより倉庫だ」
「鍵がかかってなきゃいいけどな」
ハッとたクルテがムッとした顔でピエッチェを見る。
「そこまで考えてなかった。まぁ、いい、とりあえず開けてみる」
幸い鍵はなく、難なく扉は開いた。
「開いたぞ、ピエッチェ」
まるで自分の手柄のようにしたり顔でピエッチェを見るクルテ、
「よかったな」
と答えるピエッチェも『面白いヤツ』と感じてニヤッと笑った。
倉庫を探すがクルテのお眼鏡に適うものはなかった。
「これじゃダメか?」
ピエッチェが持ち上げたのは、縦横が両手を広げたほどの大きさの薄い板だ。
「そんな薄っぺらじゃ破られそうだけど……まぁいいや、持ってきて」
ないよりはマシってことか? だったら持って行かなくてもいいんじゃないかと思いながら従うピエッチェ、ところがクルテが
「フライパンも持って行こう」
と厨房を探り始めた。
「フライパンじゃ小さ過ぎるぞ?」
「ううん、その板とフライパンを魔法で同化させる」
「そんなことができるのかよ?」
「多分ね」
多分じゃなくって、確実にそうしろよ、言いはしないがピエッチェが苦笑する。
聖堂裏の通路に戻り、中ほどの扉から外に出た。すぐそこの外階段に駆け込んで、上っていく。壁を繰り抜いたような造りの階段は雨を防ぎ、駆け込んだ時に少し濡れただけで、たいして濡れずに済んだ。
上りきると数本の柱に支えられた屋根があり、中央に鐘が吊るされていた。
「これが換気口だね」
片隅に煉瓦が四角く腰ほどの高さに積まれているのを見てクルテが言った。中を覗くと暗いだけで何も見えない。
「ギュームの部屋からだと途中で何度か方向を変えているはずだ」
だから何も見えないんだよ、とピエッチェが言った。
「板をそこに被せて」
持ってきた板は充分換気口を塞げる大きさだった。その上にクルテがフライパンを伏せて置き、指先で突っついた。するとフライパンがグングン大きさを増し、板は縮んで一体化していく。
「これで良し」
クルテがニッコリした時には、フライパンの深さで換気口を覆う立派な蓋になっていた。




