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宿で貰った地図を見ると聖堂は、何事もなければ昼頃には着ける距離にあった。いつ魔物が出るかと警戒しながら進んでいく。
初めこそ無駄話をしながら楽しげに歩いていたものの、道程を半分も進めば疲れが出始め無口になった。
「ここらで少し休もう」
ピエッチェが荷物を降ろして言った。
カッチーが背負っていた箱を降ろして、
「マデルさん、座ってください」
自分は地面に腰を降ろして言う。するとクルテが
「座る前に、フルーツ」
と箱の蓋を開けて、今度もオレンジを四個出した。
「水を飲むだけより疲れが取れるよ」
と、手渡していった。
果物はリンゴとオレンジしか買わなかった。他はどれも簡単に潰れてしまいそうだったから、クルテが欲しいと言ってもピエッチェが許さなかった。
「それにしても出ないね」
箱に腰かけたマデルが、オレンジを一房口に入れてから呟く。
「出ないんなら出ないほうがいいけどさ」
「魔物のお出ましより先に雨が降りそうだ」
道端に座り込んだピエッチェが空を見る。頭上には出立した時よりも色濃く雲が広がり、いつ降り出しても不思議じゃない。
「やっぱり降りますよね」
カッチーも道に座り込んでいるが足を延ばして、マデルが座る箱を背凭れにしている。
「きっと土砂降り」
言ったのはクルテ、ピエッチェの隣に座っている。すでにオレンジを食べ終えて、抱えた膝の上に頭を乗せていた。
「眠気が覚めるからちょうどいい」
「なによ、眠いの?」
「マデルは眠くない?」
「少し疲れてるけど眠くはないかな――カッチーは?」
「眠くはないけど、俺、もし眠くても眠いなんて言える立場じゃないです」
「それよりカッチー、言われたとおりに防水対策はしてあるな?」
「はい、ピエッチェさん。土砂降りでも荷物の中身が濡れることはありません」
「どんなに眠かろうが昼寝している場合じゃない。クルテが眠っちまう前に出発するぞ――立ち上がれクルテ、立って歩き始めれば目も覚める」
クルテの肩を軽く叩いてピエッチェが立ち上がった。
ところがそれほど進まないうちクルテの足が止まった。
「どうした? こんなところじゃ眠れないぞ?」
ピエッチェがクルテを見る。そんなピエッチェに目もくれず、道の前方を見据えるクルテ、
「あそこ、あの少しカーブした先に何かいる」
と小声で言った。途端に表情を硬くしたピエッチェも道の先を睨みつけた。
「人か? 魔物か? まさか獣とか?」
「よく判らない」
「何体だ?」
「……何体だろう?」
「判らないってことだな」
「姿を消せば見に行けるけど……」
クルテがチラリと背後を見る。
「すぐ横に動くのとはわけが違う。一瞬では見に行けない。マデルの目を誤魔化すのは無理」
「無理はするな……向こうに動きは?」
「じっと佇んでいる。敵意はなさそう。ただ拒絶している」
「ってことは……」
ピエッチェとクルテが見交わす。
「例の魔物と思った方がいい」
「そうだな、遭遇しても全員逃げ帰ってる。つまり誰も襲われてない」
「追い返せればそれでいい――だが、追い返せなかったらどう動くか?」
「そのあたりは未知数。牙を剝き出しにする可能性も否めない」
「それで? どうする?」
「まずはこのまま進み、ヤツの出方を見る。襲ってくれば応戦するに決まってる」
「カッチーとマデルはここで待たせたら?」
「そのほうがやりやすい?」
「ここからならちょうど死角。二人に見られなければ姿を消したり、何かに変化したりできる」
追いついたマデルとカッチーにピエッチェが
「ここで少し待て」
と言えば、マデルが
「あの曲がった先に何かいるね」
とニヤリと笑う。
「わたしも行くよ」
「ダメだ。カッチーを守れと言ったはずだ」
「俺、荷物を持つのはイヤじゃないけど、お荷物になるのはイヤです! 一緒に行きます!」
「カッチー、行けばおまえがなりたくないお荷物になるってのが判らないのか?」
「ピエッチェさん……」
するとクルテが、
「様子を見てくるだけ、すぐ戻る。敵の正体を見極めてから作戦会議。だから……待てるね?」
とカッチーに微笑んだ。
「活躍の場はまだまだあるってことだね?」
マデルが溜息を吐く。本音では子守りより魔物退治がしたい。
「いいよ、カッチーのことは任せて――カッチー、ここはわたしと一緒に待とう。カッチーがいてくれればわたしも心強い」
マデルもカッチーに微笑めば、渋々だがカッチーも頷く。心強いとマデルが言ったのは優しさからだと判っていた。
念のため毒消しだけは持って行こうと、ピエッチェが降ろした荷物の中から出している間、クルテは弦の張り具合を確かめていた。そんな事をしていても、二人の注意は道の前方に向けられている。それはマデルも同じだ。
「なんであそこから動かいないんだろう?」
マデルの呟きに
「先には行かせたくないだけだから、だと思うぞ」
毒消しを入れた袋を腰に巻き付けてピエッチェが答える。
「先に何かあるんでしょうか?」
カッチーの疑問にマデルが溜息を吐く。
「聖堂……ほかに何かありそう?」
「あるとしたら『聖堂に』かも知れない」
ピエッチェの答えに、
「とにかく行こう。行けば判る」
クルテが歩き出す。が、それをピエッチェが止めた。
「おまえ、サックは置いていけよ」
「なんで?」
「なんでって……それ、結構重いはずだぞ?」
「重くても置いて行けない。肌身離さず持ってるって決めてる」
「おい!」
ピエッチェを無視して足早に行くクルテをピエッチェが慌てて追っていく。
「あのサック、何が入ってるんですか?」
二人の後ろ姿を見ながらカッチーがマデルに訊いた。
「お金と、いつか見た宝石が入ってるんじゃないかな? 他にも何か入っていそうだけど……いくら持ってるか知らないけど、金払いの良さを考えると相当持ってるんだろうね。それだけでも重そうだ」
「なんでピエッチェさんが持たないんだろう?」
「だよねぇ……ピエッチェのだって言ってたのにね」
クルテと並んで歩きながらピエッチェが
「貸せよ。俺が持ってやる」
と手を出すが、
「ダメ、自分で持つ」
クルテは渡さない。
「強情なヤツだな。俺が信用できないか? だいたいそれ、俺のものだって言ったじゃないか。だったら俺が持ってもいいだろう?」
「今まで一度も持つなんて言わなかったのに、何を今さら?」
「これから魔物と対峙するのに、重い荷物なんか持たせられるか」
「コゲゼリテでもデレドケでも、いつも背負ってた」
「えっ?」
そうだったかなとピエッチェが記憶を辿る。だが思い出せない。背負っていたようないないような? いや、待て……
「おまえ、姿を消したら、その背負っている物はどうなるんだ? ボタッと落とすことになるだろう?」
「心配ない。デレドケでシャボン玉になった時も、梯子になった時も落としたりしなかった――指輪と同じだ、どこかに消えている」
「指輪って抜けなくなったってヤツか? でも、そのサックは置けるんだから手放せるってことだよな?」
「サックはどうでもいい。問題は中身……グレナムの宝石はわたしに力を与えてくれる」
「えっ?」
「サックは部屋に置き去りに出来ても、宝石を置き去りにしたことはない。手の届く範囲からは離れられない。わたしの一部と思っていい」
「どう言う意味だ?」
「詳しく話している暇はない――敵のお出ましだ」
クルテを見ていたピエッチェが慌てて前方に視線を向ける。が、いきなり吹きつけた突風に、思わず腕で顔を庇う。なんて強風なんだ? 少し前屈みになって踏ん張らないと吹き飛ばされそうだ。
(進むぞ)
頭の中にクルテの声が聞こえる。普通に声を出しても、耳を掠める風の音に掻き消される。だから頭の中に話しかけてきたんだとピエッチェが思う。風は耳を切って轟々と音を立てている。来る者を押し戻そうと吹き続ける。
(いつまで吹くんだろう?)
(ヤツが根負けするまで?)
(って、黒い靄は? 突風が吹いて、靄が出てって言ってたよな?)
しばらく間をおいて、
(まだ靄は出てない……風が吹き止んでからなんだろう)
とクルテが答えた。
(ってことは、このまま前進しても、靄に突っ込むってことはないってこと?)
(多分――そうであって欲しい。得体の知れない物に突っ込みたくない)
また多分かよ? とは、この時はピエッチェもさすがに思わなかった。
いきなり吹いてきた風は止むのも唐突、勢いで一・二歩前に出てしまってから立ち止まる。すぐにハッと前方を見るが呆気ないほどに何もない。
「黒い靄は?」
「俺に訊くな、いや、なんだ?」
ピエッチェが〝なんだ?〟と言ったのは、重苦しい音が聞こえてきたからだ。
「そうか、恐ろしい声が――」
クルテの声は途中から聞こえなくなった。音がどんどん大きくなって、他の音を消してしまったからだ。
(自分の声さえ聞こえない。面白いよ、声を出してみて)
頭に聞こえたクルテの声は笑っている。試しに大声を出してみたが、なるほど、クルテの言うとおりだ。
(そうか、風が吹いて恐ろしい声が聞こえてって話だった。これって声なのか?)
(声なのかな? 呻き声のような、違うような?)
(確かに〝恐ろしいほど〟デカい音だが、怖がるほどのものか?)
(こんなに大きな音なのに、不思議と耳が痛くなるような音ではないね)
(黒い靄を見た連中は、この音にも耐えたってことだな)
(気配はどんどん後退している。黒い靄は追い詰められてからの奥の手なのかも)
(どんな靄が出てくるのやら? 目的は聖堂に近寄らせないことと考えて間違いなさそうだな)
(進もうピエッチェ。あの角を曲がれば後は真っ直ぐな道だ)
(ひょっとしたら聖堂の屋根くらい見えるかもな)
よく地図を覚えていたなと思いながらピエッチェが答えた。
大きな音がするだけで、歩くのには何の支障もなかった。突風に向かっていくよりよほど楽だ。すぐにクルテが言った曲がり角に着く。すると思った通り、プツンと音が止んだ。
「聖堂が見える」
「うん……そして見えなくなったな」
あっという間に広がった黒い靄に遮られ、見えていた聖堂は隠されてしまった。




