18
ピエッチェたちが判ったことを整理し始めたのは、お茶が運ばれてからだ。運んで来たのは先ほど宿の主人と一緒に来た若い男だった。
クルテが代金を聞くと、
「滅相もない」
と恐縮し、代金は元よりチップも固辞して受け取らなかった。
「お預かりしている宿泊代はお発ちの際にお返しいたします。せめてものお詫びでございます」
「それはお断りだ。わたしたちはタカリではない」
ピエッチェが出てきて、怒り気味に言う。
「それではこちらの気が済みません」
若い男はどうしても何かで謝罪したいようだ。
「では、今夜と明日の朝の食事をサービスしてくださらない?」
「おい!」
クルテの提案にピエッチェが慌てるが、頭の中に響いた『黙れ!』に
「おまえがそれでいいならそうしろ」
と引っ込んだ。
「グレーテさんは大丈夫? かなりショックを受けたんじゃなくて?」
「勿体ないお言葉です。なにぶん身重、今は部屋で休ませております」
「大事にしてあげてね――レムシャンというかたは? 誤解は解けた?」
「お嬢さま、それはお気が早すぎます。暴れるようなことはございませんがさめざめと泣いていたかと思うと、急にグレーテの心配をして会いたがってみたり……もう少し落ち着いたらじっくり話したいと父が申しておりました」
「できれば解雇は避けられない?」
「それはなんとも……このままこの宿で働いて貰えたらと思っておりますが、本人の気持ちもございますので。あのような者の心配までしていただいて、ありがたいことです」
「良い方向に向かうことを祈っています――明日、朝食後に宿を出ますからそのおつもりで」
「はい、畏まりました。明日の朝、父ともども、ご挨拶に伺います」
「それは部屋ではなく受付で。部屋だと出立の支度で慌ただしいから」
「……承知いたしました」
どうやら男は宿の主人の息子、グレーテの兄だったらしい。
熱い茶で一息つく前に、クルテはいつもの服装に戻っている。
「ドレスは明日、街を出る前に売り払おうと思ってる。マデル、欲しいものがあれば言って」
「ふん! 若いコ向けのものばかりで、わたしに似合うのなんかないよ」
「なにも売っちゃわなくてもいいんじゃないですか? クルテさん、よく似合ってましたよ」
「荷物になる」
「そっか……それじゃあ、俺が持ちましょうか?」
カッチーの申し出にクルテがピエッチェを見る。
お茶のカップをふうふうしていたピエッチェがジロリとクルテを見てカップを置いた。
「なんだよ?」
「どうしたらいい?」
「それくらい自分で決められないのか?――また必要になった時、わざわざ買わなくてもいいように一着くらい残しておいたらどうだ?」
「そっか……どれを残す?」
「どれでもいいけど――そうだな、深紅のにしておけば?」
「判った」
嬉しそうに微笑んだクルテがカッチーに、
「一着くらいならピエッチェが持ってくれるって」
と言った。
「ちょっと待て、俺はそんなこと言ってないぞ?」
慌てたのはピエッチェだ。クルテは気にも掛けず、茶請けのリンゴに手を伸ばし、
「これは何?」
とピエッチェを見た。
「リンゴだよ、おまえ、こないだ食っただろうが? 俺が皮を剥いてやったのを忘れたか?」
「あぁ……なんでこんな形に皮を残してる?」
「それはウサギに見立ててるんだ」
「ウサギ? なるほど、この尖った二つを耳と思えってことか。ふぅん……味は同じだ」
「あったりまえだ!」
クスクス笑うマデル、カッチーはいつものように目を丸くして黙っている。結局ピエッチェがクルテのドレスを持つことになるのだろう。
次の目的地は森の聖堂、今度は今までと違って行く先に魔物がいることが判っている。しかも街中でないと言うことはそれなりの準備も必要だ。
「魔物退治をする気でいるよね?」
マデルが真面目な顔でピエッチェに問う。
「魔物のせいで聖堂に行けなくなったってことは、辿り着くまでに魔物が出るってことだ――マデル、おまえ、魔物退治の経験は?」
「こう見えても王室魔法使いでね。ただ、わたしの役目はフレヴァンスの護衛――だから攻撃よりも防御特化で訓練を受けている」
「保護術か……それならカッチーを守り抜け」
「ピエッチェさん! 俺も一緒に――」
「カッチーはまだダメ。素振り千回に怖気ついてるようじゃ魔物退治なんて無理」
「クルテさん?」
「百回が上限って言った時、ホッとしてたよね?」
「見抜かれてたんですね」
ショボンとするカッチーにクルテが微笑む。
「戦闘になったらカッチーは荷物を守れ。全員の分だ。大事な仕事だよ」
その言葉にカッチーが少しだけ気を取り直す。
「それで、おまえは?」
ピエッチェがクルテを見る。
「僕が得意なのは……」
とクルテがピエッチェの右手を取る。
「おい、なんだよっ?」
狼狽えるピエッチェ、
「少しじっとしてて」
クルテが両手でピエッチェの右手を撫でまわした。
「おまえ、癒術が使えるのか? レムシャンを殴った痛みが消えてくぞ?」
「触れなければ治せない。戦闘中には使えないってことだ――命を落とすような大怪我はするな。手に負えない。多少の怪我ならすぐに治せる」
ニッコリ笑ってピエッチェの手を放す。カッチーが『やっぱりクルテさんは魔法使いなんですね』と感心してクルテを見ていた。
「ってことは、戦うのは俺一人か……」
苦笑するピエッチェ、
「僕が弓で援護するよ。いざとなれば剣も使えるし」
ブドウを取り分けながらクルテが言った。
「弓って、おまえ、ちゃんと当てられるのか?」
「心配ない……ブドウ貰っていい?」
「だから好きに食べろ」
嬉しそうにニヤッと笑うクルテ、
「明日は服を売ったら、道具屋に行って聖水と毒消しを買おう。あと、食料? 何日分?」
やっぱりピエッチェに意見を求める。
「聖堂までどれくらいの距離があるか聞いておけば良かったな。それに、どんな魔物が出るのかも」
「夕食を運んで来た時に訊いてみよう。それに応じて少し多めの食料。ほかに必要なのは?」
「テントはどうします?」
訊いたのはカッチーだ。
「魔物がいる森で野営することも考えなきゃならないか」
ピエッチェが溜息を吐く。
「テントは荷物になる。代わりに毛布を用意して、交代で火の番をしよう。どちらにしろ、夜間は火を絶やせない」
夕飯を運んで来たのも宿の息子で、ピエッチェの質問に快く答えてくれた。しかし、噂で聞いた話ばかりだから、いまいち具体性がない。とにかく聖堂までは半日の距離、聖堂に宿泊施設はあるが機能していないだろうと言っていた。
『どんな魔物かは誰も判らないのです……急に突風が吹いて恐ろしい声が聞こえてくる。そして聖堂の方向から黒い靄のようなものが迫ってくるのだとか。みんな来た道を引き返して逃げるのです』
夕飯は今までにも増して豪勢なものだった。七面鳥の丸焼き、色とりどりの焼き野菜、骨付き肉のソテー、そのほか数品、デザートには苺を飾ったケーキ、カスタードプディングにチョコレートムース、メレンゲのクッキー、量も四人で食べきれそうもない。ただ、クルテは不満そうだ。
「フルーツがない……」
チッと舌打ちしたピエッチェが、
「なにかフルーツの盛り合わせを持ってくるよう受付に頼んでこい」
カッチーに言うと、
「タカリになっちゃうよ、ピエッチェ」
立ち上がろうとしたカッチーを引き留めてクルテが言った。
「食べたいんだろう?」
「苺で我慢する」
ケーキには苺が一粒乗っているだけだ。
「苺は全部クルテが食べていいよ」
マデルが言えば、
「ホントに!?」
と単純に喜ぶクルテ、
「俺のも食べてください!」
カッチーも同調する。ピエッチェが黙って取り皿に、苺を全部さらってクルテの前に置いた。
「明日、果物も何か買わなくちゃね」
マデルは笑うが、ピエッチェは
「大荷物になりそうだ」
と溜息を吐く。
「任せてください!」
苺のないケーキを食べながらカッチーが請けあった。
「相手が見えないのは厄介だな」
ほぼ食事を終えてピエッチェが嘆く。食べているのはカッチーだけだ。大好物のプディングの、最後のひとつを口に運んでいる。
「こうなるとクルテが弓を使えるのは心強いね」
とマデル、
「靄を射るのか? 相手は気体だ、意味ないだろう?」
と言ったのはピエッチェ、
「靄の中に本体が隠れているだろうさ」
マデルが答える。
「矢は多めに用意したほうがいいね」
「うん、判った――なんか疲れた。もう寝るね」
「はいよ、オヤスミ」
クルテが寝室に入った後、ピエッチェがマデルに訊いている。
「この街の脱税だが、見逃せないか?」
少し考えてからマデルが訊き返す。
「ピエッチェはそうして欲しいのかい?」
「うん、役人には言わないで欲しい」
「しかし……脱税は犯罪だ。立場上、見逃すことはできないよ」
「王都に帰ってから国王に相談してはどうだ?」
「国王に? こんな田舎の街のことを?」
「おまえ、国王とは直談できる立場なんだろう? 役人に報せれば、罰さないわけには行かなくなる。だが、誰を罰する? 街の住人全員か?」
「いや、それは役人が判断するところだ」
「役人は、国や民の事よりも自分の保身を優先する。その結果、街の一つや二つ消えたって気にしない――それより国王に相談しろ。国王は民にとって一番いい方法を考えるはずだ。この街を亡ぼすような選択はしない」
マデルがピエッチェを見詰めて考える。
「うん、確かにピエッチェの言う通りなのかもしれない。何も慌てることもない。ギュリューの街は逃げやしない――それにしてもピエッチェ、あんた、ザジリレンではどんな地位に? ただの騎士とは思えないんだけど?」
ピエッチェが苦笑する。
「ただの騎士さ――怪我をして、使い物にならなくなったがね」
暫く談笑していたが、早めに休むことにした。明日に備えなくてはならない。
ピエッチェが寝室に行くと、とっくに寝たものと思っていたクルテがソファーに腰かけていた。
「寝たんじゃなかったのか?」
「ううん、ピエッチェを待ってた――ね、手を出して。左がいいかな」
「うん? 今度はなんだ?」
訝るものの、ピエッチェが左手をクルテの前に出す。
「お守り……肩が上がらないのが判れば、敵が左を攻めてくるかもしれない。だからお守り」
見ていると何かを指に巻き付けてから、トントンと指先で突いた。巻きつけたのは黒い何か、それが見る見るうちに金色に輝く指輪に変わる。
「魔法か?」
「魔法というよりお呪い。万が一、わたしが間に合わなくても、わたしの代わりにこの指輪がカテロヘブを守る」
「聖堂にいる魔物は強敵なのか?」
「そんなの、見てみなきゃ判らない――でも、聖域を犯せるほどの魔力を持ってるって、はっきりしてる」
クルテが立ち上がりベッドに向かう。
そしてそのままベッドに潜り込み、ピエッチェを見ずに言った。
「今日も抱き締めてくれる?」
コイツは魔物だ……そう思いながらピエッチェが答える。
「おまえがそうして欲しいなら、いつでも抱き締めてやるさ」
そうだ、今さらだ――ベッドに横たわり、ピエッチェはそっとクルテを抱き寄せた。




