16
気絶しているシャインを眺め、マデルが溜息を吐く。
「これじゃあ話が訊けないねぇ……水でもぶっかけようか?」
するとクルテが、
「必要なことは全部聞き出せた。あとはここの主人から聞こうと思ってる」
とニッコリした。
「へぇ、何を訊き出したんだい? わたしらが知りたがってることを、よくペラペラ喋ったね」
「そこは話の持って行きよう……」
どうせ心を読んだんだ、と黙ったままのピエッチェが思う。知りたいことを思い浮かべるような話題を振れば、それでいい。
当初の計画ではクルテを口説こうとしているところにピエッチェが乗り込み、シャインを脅して話を聞きだすことにしていた。言わば美人局だ。ピエッチェたちは宿を出て、坂を下り切ったところで引き返すことにしていた。その上で、部屋の扉の前でクルテの合図を待つ、そんな打ち合わせだった。
予定通り、坂を下り、坂を上り、宿に戻る。出かけてすぐに戻ってきた口実を受付でマデルが話している時、急にピエッチェが駆け出して行った。
『あららら……少しでも離れてるのがイヤなのね』
マデルが苦しい言い訳をした。戻ってきた口実は『一人だけ行かないって言ってたけれど、もう一度誘ってみる』だ。観劇に行くというのは、宿を出た時に言ってある。
ピエッチェが急に駆けだしたのはクルテが助けを求めてきたからだ。思っていたよりも展開が早かった――もちろんクルテの声はピエッチェの頭の中にしか届いていない。マデルとカッチーはわけが判らなかったが、受付から見えないところに来ると、
『カッチー、急ぐよ。ピエッチェが中の様子を確認しないで部屋に入ったらせっかくの計画が台無しだ』
と、走り出した。
部屋の扉は開けっ放し、ピエッチェとクルテは屋上にいる。近づけば、給仕係が倒れているのが見えた。
カッチーはデレドケを思い出したのだろう、クルテが給仕係を殴ったのだと思ったようだが、マデルはすぐにピエッチェの仕業だと見抜いた。右の拳を左手で撫でていたからだ――
受け付けに行っていたカッチーが戻り、宿の責任者がすぐに来るそうですと告げた。
「判った。おまえは居間で待ってて、来たら屋上に通せ」
「はい! 判りました」
クルテがベンチに腰を掛けると、ニヤッと笑ったマデルが隣に座った。
いくらも待たないうちに男が二人、屋上に顔を見せ蒼褪める。
「これは……?」
屋上には明らかに怒っているピエッチェ、その足元には給仕係が倒れている。ベンチではクルテがマデルに凭れかかりシクシク泣いていて、その背を撫でるマデルは慰めているようにしか見えない。
「どうしてくれる?」
怒気を孕んだピエッチェの声、
「わたしの婚約者に乱暴を働こうとしていた。引き離す際、つい殴ってしまったが気を失っているだけだ。すぐに目を覚ます――胸騒ぎがして戻ってみたらこのざまだ」
本気の怒りに、二人の男が縮み上がる。
「お待ちください。本当にこの者がそのようなことを?」
「わたしが嘘を吐いているとでも言いたいのか?」
「いえ、決してそのような……しかしこのシャイン、実はわたしの娘と〝いい仲〟でして、俄かには信じがたいのです」
受け答えをしている年配の男が宿の主人らしい。
「シャイン? コイツ、名前はレムシャンだと聞いているぞ」
頭の中に聞こえたクルテの指示通りに言ったピエッチェだ。
「レムシャン? そんな馬鹿な……」
驚愕で、宿の主人の青ざめた顔からますます血の気が引いた。
「なぁ、そう言ってたんだろう?」
やはりクルテの指示で、ピエッチェがクルテに話しを向ける。
マデルに支えられるように顔を上げたクルテが、
「えぇ……名前はレムシャンだって。大事にするから一緒にならないかって言われたわ」
嘘話だと判っていながら憤りを抑えきれないピエッチェが、倒れたままの給仕係を睨みつける。
「ちょっとお待ちください。その男はシャインという名でして……」
もう一人の若い男が口を挟む。が、それを無視してクルテが続けた。
「それにこうも言ったの。聖堂の森に父親が住んでいる。そこで暮らそうって」
「聖堂の森?」
男たちは首を傾げるが、これもクルテは平然と無視した。
「当り前だけどお断りしたわ。ロクに話もしたこともないし、わたしには婚約者がいるって。そしたら急に態度が変わって。無理やり。恐ろしくってわたし――お義姉さま……」
クルテがマデルに撓垂れかかる。マデルはもちろん受け止めて、ヨシヨシとクルテの頭を撫で始めた。
宿の主人と一緒に来た男が給仕係の顔をマジマジと見る。
「レムシャンがこの齢になっていればこんな感じでしょうね。どうして今まで気が付かなかったのか……」
その声に、宿の主人も給仕係の顔を見詰める。
「ふむ……確かに、言われてみればギュームにどことなく似ている。いいや、そう思って見ればソックリだ」
「ギューム?」
ピエッチェが訊き咎めた。
「いえ、こちらの話で……」
言いたがらない二人の男、
「いいや、話して貰おう。推測するに、ギュームというのはこの給仕係の父親なのだろう? この男の素性だ、こちらには知る権利がある」
ピエッチェが二人を睨みつけた。
ふたりの男は顔を見交わしたが諦めたように溜息を吐き、宿の主がピエッチェに向き直った。
「失礼ですが、お客さまはお役人でしょうか?」
「うん?」
唐突な質問に戸惑うピエッチェ、『問題ない、違うと答えろ』とクルテの指示に
「役人ではない。が、役人に知られたくない何かがあると言う事か?」
不正があるなら見逃がせないと思ったピエッチェが付け加えて答える。
ピエッチェの答えに宿の主人がもう一人の男を見ると、男は苦し気に目を閉じた。
「そうだな……ツケは払わねばならないか」
主人がもう一度深く溜息を吐いて再びピエッチェを見た。
「ギュームというのはこの街に代々続く資産家、館に隣接する数軒はギュームの持ち物で家賃収入もありました……本人は画家を名乗り、絵を描いて過ごす毎日、才能があったのか、なかったのか、そのあたりはわたしには判り兼ねることです」
ギュームの最初の不幸は妻を亡くしたことだ。数年後、幼い息子には母親が必要だろうとギュームは後妻を迎えた。何年かは仲睦ましい日が続き、レムシャンも継母に懐いていた。
「ギュームの次の不幸は、あることを思いついたことから始まりました。この街をより豊かにしたい、ギュームの思い付きはそんな、彼のこの街を愛する気持ちから生まれたものです」
ギュームの考え……それは街の建物の最上階を空の色に塗ることだった。建物には建築面積と階数によって決められた税金が課せられる。もうすぐ役人が納税額を決めるため街にやってくる。そして役人は外観だけで判断する。そこを突け。
「最上階を空の色に? そんな事で役人を騙せるものか……するとギュームは各階ごとに塗り分ければいいと言いました。出来るだけ派手な色を使え、それに惑わされるはずだ。雨が降れば役人は外には出ない。曇天の日はもうすぐ降り出すとでも言って引き留めろ――」
確かに外から見た時は、この宿は三階建てに見えたとピエッチェが唸る。ならば役人も簡単に騙せただろう。さっさと仕事を終わらせることしか考えていない。無数にある建物を一棟一棟見て回るのだ。そうなっても仕方ない。
「ギュームの目論見は見事当たり、我々はそれからというもの税金逃れをしております」
「役人に知られたくないことはそれか?」
「その頃の分から支払いを命じられれば、ギュリューの街は全滅、貧困に喘ぐことになる。どうか、お願いです。この件は内密にしてください」
「考えておく――それで、ギュームの不幸とはどんな?」
「はい、それは……ギュームの妻が浮いた税金の権利を主張したのです」
「ふぅん……夫の手柄だ、分け前を寄こせってか。それについてギュームは?」
「それが、その頃からギュームの居所がよく判らなくなっていました。後妻は病で臥せっていると言いましたが、見舞いに行っても会わせては貰えません」
後妻は分け前といいながら、浮いた全額を要求してきた。寄越さなければカラクリを役人にばらすぞ、と脅しもした。一計を案じた宿の主人たちは、ギュームに内緒で後妻の排除を考える。後妻さえ居なくなればなんとかなるだろう。
「ギュームとレムシャンのことも心配でした。ギュームは病に臥せっているとしてもレムシャンは? レムシャンが館でどうしているのか、それも判らなかったのです。後妻を追い出し二人を救出する、その事が感覚を鈍らせて、正しいことをしているのだとわたしたちは錯覚してしまいました」
斯くして、宿の主人を中心とした有志十数人がギュームの館に乗り込んでいく。後妻を捕らえようと考えていた。そのまま監禁するもよし、温和しく街を出てくれるならそれでもいい――
「ところがあの女、自分に分がないと悟ると館に火を放ったのです」
なんとかギュームとレムシャンを助け出そうとするが探しても見つけられない。燃えさかる炎の中に女の笑い声が木霊する――このままでは自分たちさえ焼死してしまう。悔しさを抱えたまま外に逃れ、館が燃えるのを見ているしかなかった。
「火は鎮まることを知らず、ギュームの館のみならず近隣の数軒にも燃え移り、ギュリュー最大の火事となりました。鎮火したのはギュームの館が跡形もないほど燃えてからです。魔法の火だったのかもしれません」
不思議だったのは、幾ら焼け跡を調べても三人の遺体が見つからなかったこと。それも魔法の火だからだろうと、納得するしかなかった。
「可哀想なギューム、可哀想なレムシャン、我らは涙を禁じえませんでした――不幸中の幸いは、後妻が来るまで雇われていた召使たちが解雇されていたことです。妻が召使たちの仕事を全て自分でやりたいと言っている。そんなギュームの少し照れたような笑顔が思い出されます」
遺体は出なかったものの、三人が落命したのは間違いない。宿の主人たちはギューム所有の敷地の権利書類を偽造し、延焼被害者の補償に当てた。そして館の跡地には街を所有者とした貸家を立てた。街に寄贈する書類も勿論偽造だ。
「十年ほど前の出来事です。当時レムシャンは十二、この街に来たときシャインは十九と言っておりました。年数が合います、このシャインはレムシャンでしょう。まさか生きていようとは……」
未だぶっ倒れたままのレムシャンを、宿の主人が泣きそうな顔で見つめて言った。




