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翌日、ラクティメシッスとマデルは朝食後ほどなく、ラクティメシッスの部下が用意した馬車でザジリレン王宮を出立した。護衛はザジリレン王宮に残っていたローシェッタ王室魔法使いの三名だ。が、ザジリレン国王宮騎士団から五名加えた。コッテチカまで随行、ザジリレン領内のみでの護衛だ。そこから先の責任の所在はローシェッタ国という事だ。
朝食はカテロヘブの部屋で、ラクティメシッスとマデルを迎え五人で摂った。そして帰り支度のため、自室に戻るラクティメシッスとマデルを三人で見送った。五人とも廊下に出ている。
「国内が落ち着いたら、改めてお礼に参上いたします」
「お礼をされるようなことは何もしておりません。むしろこちらが感謝しているくらいです――あなたなら、いつでも大歓迎ですよ」
廊下で交わされた王と隣国王太子の会話は、控室のメイドたちに届いている。聞こえるよう、わざと大きな声で話していた。
カテロヘブ王の帰還により、ザジリレン国はローシェッタ国に戦争を仕掛ける理由を失した。ラクティメシッスは『誤解だと納得して貰えてよかったです』と笑ったが、ザジリレン国からしてみれば、それで済む話ではない。王姉クリオテナはもちろん、重臣たちもローシェッタ国に対して賠償の必要性を感じている。カテロヘブは『お礼』と言ったが、実質的には『謝罪』となる。
ラクティメシッスとマデルが馬車に乗り込んだのはザジリレン王宮内、見送ったのは王姉クリオテナとその夫グリアジート卿ネネシリス、供応役のサンザメスク卿の三人だ。この時もまた、
「いずれお詫びに伺うことになるでしょう」
サンザメスク卿の申し出に、ラクティメシッスは気遣い不要と笑顔で答えている。
「それにしてもカテロヘブは何をしているのかしら?」
出立の時刻になっても顔を出さないカテロヘブに苛立つクリオテナ、
「別れの挨拶は朝食の席で済んでおります」
やはり笑顔のラクティメシッス、
「みなさんの前で涙の別れになることを避けたのですよ――カテロヘブ王も、わたしも、ね」
宥めるようなラクティメシッスに、それ以上は何も言えないクリオテナだった。
斯くしてローシェッタ国王太子とその婚約者を乗せた馬車は魔法使い三騎とザジリレン国騎士五騎に守られて、ザジリレン王宮正門を出て行った――
いっぽう、カテロヘブ……ラクティメシッスとマデルが退出するとすぐ、朝食の後片付けをするようメイドに命じている。
「それじゃあ、カッスゥダヘルはダーロンに会いに行くんだ?」
メイドたちが立ち働く横で、クルテがカッチーに話しかける。
「はい、ザジリレン風の衣装を誂えてくださるって仰るので、ダーロミダレムさまのお下がりがいいですって言ったんです。そしたら『それじゃあ、持って帰れるように大きなカバンを持ってこい』って言われました」
横からカテロヘブが笑う。
「お下がりもくれるかもしれないが、新たに誂えもするさ」
「俺、そんなの勿体なくて着れません」
「受け取らなきゃ、アイツに恥をかかせることになるぞ」
遠慮せずに甘えろと言うカテロヘブに、カッチーが困惑する。
「俺、誰かに甘えるなんて、あんましたことなくって……どうしたらいいのか判りません」
「だったらさ」
提案したのはクルテだ。
「衣装の話になる前に、お茶とお菓子を頼むといいよ。お菓子を強請ったのに、衣装は遠慮しますってわけにはいかない」
どんな理屈だよ?
「ダーロン、お菓子は何を出してくれるかなぁ?」
朝食が終わったばかりだぞ? 甘いものは別腹か?
「なんだったら、一緒に行こうか? カッチーが言いずらいことはわたしが言えばいいし、心細くない――いいよね?」
最後はカテロヘブを見上げるクルテ、どうせ狙いは菓子だよな、と思いつつ、カテロヘブが答える。
「好きにしろ。今日も一日、俺は寝てる」
「よくそんなに眠れるよね」
呆れるクルテ、一緒に行って欲しそうな顔だ。が、すぐに気を取り直し、メイドの一人を手招きする。
「お菓子の用意はできますか? サンザメスク卿への手土産が欲しいの。なるべくいろいろな種類、数もたくさんがいいな」
チラリと自分を見たメイドに、カテロヘブは黙って頷いた。王の承認と受け取ったメイドが
「見栄え良くという事ですね。承知いたしました」
安心してクルテに微笑んだ――
王宮正門を出たラクティメシッスの馬車はコッテチカ街道門の手前で停まった。
「今度はいつ来られるか判らないのですよ?」
キャビンから降りたラクティメシッスが広場を見渡す。
「観光に来たわけじゃないのに」
続いて降りたマデリエンテが呆れる――キャビンの戸は開けっぱなしだ。
「泉水の周囲は人だかりができてますね」
「あの囲いに腰かけて休憩してるのよ」
「なるほど。煌めきと水音で癒されそうです……わたしたちも腰かけに行きましょうか?」
「馬鹿言ってないの! 行くわよ、待たせちゃいけないわ」
馬車に乗り込むマデリエンテ、しぶしぶ従うラクティメシッス、キャビンの戸が閉まり、待っていた御者がステップを片付けようとする。と、再び戸が開いた。
慌てて控える御者の耳に、ラクティメシッスの声が聞こえた。
「もう少し眺めていたいなぁ……」
「また! なんであなたは優柔不断なの?」
「そんな……」
狼狽えるラクティメシッス、だが
「お願いです、嫌わないでください」
甘さを帯びた声に、御者は思わずキャビンに背を向ける。位置的にキャビンの中は見えないが、見てはいけないと感じたのだ。そして途切れた会話、僅かな時を置いて
「戸を閉めて、ステップを片付けてください。出立しましょう」
ラクティメシッスの小さな声が聞こえた。
戸を閉めるにも、ステップを片付けるにも、御者はなるべくキャビン内に視線を向けないように気を遣った。それでも目の端にふたりの衣装は映り込むし、輝く黄金の髪もなんとなく見えていた――気のせいだと御者が苦笑いする。出立すると言うラクティメシッスの声が、すぐ後ろで聞こえるはずがない……
ラクティメシッスを乗せた馬車がコッテチカ門を出て行ってほどなく、王宮正門からクルテとダッスゥカヘル、そしてダーロミダレムが広場に姿を見せた。それぞれ馬に騎乗しているが、ダッスゥカヘルが乗っているのはリュネ、クルテはピエルグリフト、王宮入門時にクルテが乗っていた馬はダーロミダレムが使っている。
厩からピエルグリフトを出す際の
「ラクティメシッスに貰った」
クルテの言葉を厩番はあっさり信じた。それもそのはず、出立の際に引き出されたピエルグリフトを見て
「その馬は『お嬢さん』に譲る約束になっています」
ラクティメシッスが引き取りを拒否していた。
クルテが乗ってきた馬はカッスゥダヘルが手綱を牽いて、ダーロミダレムとの待ち合わせ場所まで行った。ピエルグリフトに乗り込む前にクルテが首を撫で、
「一緒に行こうね」
と呟いている。馬は温和しくカッスゥダヘルに従っていた。
「あの子にも名前、付けなきゃね――カッチー、何がいい?」
道すがら、クルテがカッチーに微笑む。
「え? 俺が付けるんですか?」
「リュネに〝リュネ〟って素敵な名をつけてくれた。そのセンスを見込んで頼むんだよ」
「うわぁ! 一気にハードルが上がりました。男の子でしたよね。だったら……」
「だったら?」
「ちょっと待ってくださいよ。今、思い出します」
「思い出すって何を?」
「カテルクルスト王の愛馬が牡馬だったんです。なんて名だったかなぁ?」
クルテがピエルグリフトの足を止めてフフンと笑った。
「それなら〝シャロムナ〟だね。うん、あの子はシャロムナ似ている。いい名を貰ったね、シャムナ」
「そうそうシャロムナ、物語に出てくる馬の毛色とか、とっても似てるんです。それにしてもクルテさん、よく覚えてましたね。って言うか、また略しちゃうんですか?」
呆れるカッチー、答えもせずにニンマリ笑むと、クルテはピエルグリフトを歩かせ始める。クルテに合わせて停まっていたリュネも歩き始め、カッチーは手にしていた手綱を慌てて握り締めた。
打ち合わせ通りダーロミダレムと合流すると、そのまま王宮の正門に向かった。カテロヘブ王の紋章印入りの書付を見せると、門衛は難なく三人を通してくれた。書付には『二人の側近の案内をダーロミダレムに頼んだ。門を通すように』と書かれていた。ダーロミダレムの罪状が解除されたことは公式にされていない。その書付がなければきっと、門衛はダーロミダレムを通さなかっただろう。
カッテンクリュードの街に出ると、のんびり馬を歩かせて広場を通る。泉水を眺めてから、脇道に入った。次に停まったのは馬具屋だった。
「いい馬だねぇ――ッと、これはダーロミダレムさま」
馬具屋の親爺がダーロミダレムを見て畏まる。
「とうとうお解き放ちになったんですね。みんな言ってました。ダーロミダレムさまに罪があるはずがないって」
「心配かけたな。カテロヘブ王が帰られたんだ。わたしの無罪は明白だよ」
「お元気そうで何よりです。それに美貌も衰えてらっしゃらない。女どもがローシェッタの王太子が美形だと騒いでいたがあんな優男より、わたしゃダーロミダレムさまのように精悍なお顔立ちが好きでさ」
気まずげに苦笑するダーロミダレム、
「用意して欲しいものがあってきたんだ」
本題を切り出した――
数刻後、カッテンクリュードのトロンパ街道門を三頭建ての豪華な馬車が通り抜けた。大型キャビンの座面は三列、最前列は後方を見ることになるが、後方の二列は前方を向いている。九人乗れる造りだ。
が、キャビンの椅子に腰かけているのは二列目に女が一人最後列に男が一人と、たった二人だ。どちらもまだ若い。トロンパ街道門の門衛は『どこの金持ちだ?』と首を傾げたが、男にも女にも見覚えがなかった。門衛は『贅沢が好きな金持ちなんだな』と、無理やり自分を納得させた。
御者の男は細身で栗色の髪、助手席は空席だ。
「どこまで行くんだい?」
門衛の一人が御者に話しかける。
「トロンパ街道は難所が多い――どこに行くにしろ、途中で別の道を選んだほうがいいよ」
カッテンクリュードの住人ではないと判断し、親切心から出た言葉だ。
「そうなんだ? まぁ、行き先は決めてない。風の向くまま気の向くまま、ザジリレンを見て回ろうと思ってる。全部の街道を回って、全ての集落に立ち寄りたいって言われてるんだ」
「そうかい、あんたも苦労するね」
見た感じ、御者に似つかわしくない男に、門衛が心底同情する。きっと没落貴族か何かだと思っていた。可哀想に、伝手を使って御者の仕事になんとかありついた、そんなところだと思っていた――
助手席からクスクス笑いが聞こえ始めたのは、トロンパ街道門から遠ざかり、人気がなくなってからだ。




