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ダーロミダレムはすぐに反応した。どこにいるのかカテロヘブが訊くと自室だと答え、『親父が帰宅する前に、自分の部屋に逃げ込んだのさ』と書き込みが追加された。
「父上は帰宅されたのか?」
『まだだと思う。帰ってきたら話があるって言って出かけたけど、未だ呼び出されていない』
「なんの話だろう?」
『脱獄するなんて、どういう了見だって説教されるんじゃないかな』
「ふふん。問答無用で即再収監、なんて事にならなかっただけマシか?」
『おいおい、脱獄を唆した張本人がそれを言うか?――で、用件は? こんな世間話がしたいわけじゃないだろ? 親父が帰宅したら、呼び出される。急ぎの用ならさっさと済ませろ』
ここでカテロヘブが少し考えこむ。
サンザメスク卿がダーロミダレムの部屋にいきなり入って来ることはないのだろうか? 呼び出されると言っているが、怒りに任せて息子の部屋に突入しても可怪しくない。なにしろ脱獄囚だ。
治安を預かる国軍総督モバナコット卿にしたって、サンザメスク卿に来賓の饗応という仕事がなければ、即時、ダーロミダレムの引き渡しを求めていたかもしれない。いや、待てよ? 晩餐会は終わった。となると、すぐにでも王宮騎士団がサンザメスク卿の屋敷に押し掛けてくる可能性もある。
もっとも、王宮騎士団の場合、ダーロミダレムの部屋に来ることはないだろう。まずは召使に用件を伝え、帰宅していればサンザメスク卿に対応を求める。それがもし拒否されれば、屋敷内に踏み込むこともあるだろう。とにかく、きちんと順序を踏むはずだ。
カテロヘブが気にしているのはダーロミダレムの手元にある日記帳……連絡具のことだ。今までの遣り取りをサンザメスク卿に知られるのはまずい。暗号で書かれていると、見る人が見ればすぐバレる。意味不明の文章の『内容』を、ダーロミダレムに追及するのは目に見えている。
もちろん、ダーロミダレムはなんとか誤魔化そうとするだろう。アランロレンスやスカーシレリという名を聞けば、それだけでも動揺を呼ぶ。まして二人の間に息子が居るなんて、聞いたら腰を抜かしそうだ。間接的には当事者のサンザメスク卿だろうと、今はまだ知られたくない。いいや、ほかの誰にも知られちゃまずい。
「ボルデナミムが、ダーロンの部屋に断りもなく入ってくるなんてないよな?」
『ふむ……日記の存在を親父に知られるのはまずいってことだな?』
ダーロミダレムの勘の良さに、カテロヘブが苦笑いする……それとも、彼自身、読まれるのはまずいと感じていて、扱いに困っていたのか?
「あぁ、かなり〝刺激的〟なことが書かれているからな」
『判った。誰にも見つからない場所に隠しておく。こんな連絡具があること自体、今は知られてないんだろう?」
「この旅の途中でローシェッタ国王太子から譲り受けたものだ。王宮に居た者は誰も知らない」
『ってことは、わざわざ探したりしないな……パッと見、ただの書籍だ。書架に押し込んでおけば誰も不審がりゃしない。今さら俺の蔵書を、いちいち調べたりしないだろうさ――って、まさか言いたかったのはそれだけ?』
「いや、ダーロンが収監された理由とか……何人かから聞いているけれど、信用していいものなのか? 本人から聞いておきたいと思った。でも、今じゃなくっていい。途中で邪魔が入って中途半端になるよりも、ゆっくり話せる機会を設けよう」
『うん? 会って話がしたいと言われた気分』
ダーロミダレムの書き込みを読んだカテロヘブがニヤリと笑う。横から覗き込んでいたクルテが、カテロヘブが読み上げるのを聞いて
「ダーロンはカティと会いたくないみたいだ」
クスリと笑えば、日記帳に書き込みながらカテロヘブが苦笑して言った。声にした言葉は、書き込みとは違うものだ。
「そうじゃない。事態の変化について来れていないだけだ――まぁ、それは俺も同じか?」
「事態の変化って?」
「俺は今、王宮に居る。そしてダーロミダレムの冤罪を晴らせる立場にある」
「なるほど。それにはダーロンにどんな嫌疑が掛けられているかを知りたいってことだね」
「そう考えていたんだが、その必要はない――ダーロンを王宮会議に出席させ、そこで話を聞けばいい。今の俺にはそれができる。俺もダーロンも、そんな単純なことをうっかり失念してるってことさ」
クルテと話しながら、次々に指示を書き込むカテロヘブ、最後の書き込みを終えるとダーロミダレムの応答を待って、日記帳をいったん閉じた。
「王宮に戻ったからには焦ることはないってこと?」
クルテは納得していないようで、不安気にカテロヘブを見る。そんなクルテにカテロヘブが穏やかな視線を向ける。
「ヤツは王宮にいると考えて、気を張っていたほうがいい。でもさ、だからって何もしないで逃げててもどうにもならない――おまえが心配するのも判る。だけど、探したって見付けられないと思うし、向こうだって王宮内でヘタなことはしない。こちらの思惑通りの流れができるよう、工作していけばいい」
クルテはムッとしたようだ。
「ヤツってゴルゼのこと?……わたしがヤツを恐れるとでも?」
「おまえ、サワーフルド山中で襲われた後、怖かったって涙ぐんでたよな?」
「あ、あんときはちょっと驚いただけ。だいたい、わたしが〝人間の〟魔法使いを怖がるとでも?」
「うん? ゴルゼは唆魔とかって魔物になったんじゃないのか?」
「そうなんだけど……何かの拍子に人間に戻っちゃったみたい」
「なんだよ、それ? あの穴の中に、魔法使いとは言え人間がいたってか?」
「馬鹿なことを言うな。あそこにいたのはゴルゼの魔力だけだ。判ってて言ってるよね?」
カテロヘブを睨みつけるクルテ、気にすることなくカテロヘブが続ける。
「ワイズリッヒェがメッチェンゼから奪った魔力を取り上げたから、封印が弱まったんだろうか?」
「ゴルゼの魔物化は、ワイズリッヒェが封印される前の出来事だ。その後に起きたことに影響されたりしない」
クルテが『フン!』と鼻を鳴らす。当たり前にことだぞ、とでも言いたそうだ。
「グレナムから解放され、ヤツを縛り付けていた魔法の力が弱まった、てのはありそうだね……ヤツはカテルクルストの魔法で剣の柄に閉じ込められたが、同時にグレナムの魔法によっても縛られていた。それが無くなったから、自力で人間に戻れたんじゃないだろうか?」
それって、おまえがここに人間の姿でいるってことにも繋がるよな? そう思ったカテロヘブだが、クルテを責めるような気がして言えなかった。と言うより、そもそもクルテとゴルゼを解放したのは俺だったはずだ。
「あくまで推測なんだな」
溜息を吐くカテロヘブを、
「まぁさ……」
クルテが盗み見る。
「わたしだって人間になろうとしてる。ゴルゼが人間に戻れないなんて、決めつけられない」
「ふむ……」
確かにクルテが言う通りかもしれない。皮肉なことに、ゴルゼが人間に戻っていることが、クルテを人間にしようとしているカテロヘブを励ます。無謀な試みなんかじゃないんだと立証された、そんな気がした。
しかし……クルテは俺が人間にしようとしているが、ゴルゼを人間にしたのは誰だろう? 違うか。クルテは魔物に変えられると同時に、人間に戻る条件が提示されていたのではなかったか? あれ? どうだった?
「おまえ、もともと精霊で、人間じゃなかったよな?」
「ん?」
訝るカテロヘブを、クルテがフフンと見る。
「人間に戻るって言い方が気になった? まあさ、ゴルゼはもともと人間だった。だからつい〝戻る〟って言い方をした。それだけだよ」
「本当に?」
「いったんは魔物になった、わたしもゴルゼもね。だから、魔物を人間に変えることに違いはない。元が人間だの精霊だの、そんなの関係ないよ」
「うーーん……」
唸るカテロヘブを、クルテは面白そうに見ている。
「なんか、納得いかないみたいだね」
揶揄うようなクルテの物言い……カテロヘブが、クルテをジロリと見る。
「なぁ、ゴルゼはワイズリッヒェの魔法で魔物になった。おまえは誰に魔物にされたんだ? カテルクルストなのか?」
カテロヘブの質問にクルテがニヤリとする。が、驚いたようにハッとして、テーブルの上に視線を移した。同時にカテロヘブもテーブルを見る。そこにはダーロミダレムとの連絡に使う日記帳と、ラクティメシッスから貰った小さな革袋が置いてあった。
皮袋が微かに振動している……ラクティメシッスからの連絡だ。
「ラスティンたち、ボルデナミムから、やっと解放されたようだな」
苦笑したカテロヘブが、革袋から二枚貝を取り出した――
ラクティメシッスの話を聞いて、呆れたのはカテロヘブ、クルテはケラケラ笑っている。
「その嘘、絶対バレるって!」
クルテの指摘に
「あぁ、俺もそう思うよ」
カテロヘブがムスッと賛同する。
王宮内の来賓用の居室で苦笑いするのはラクティメシッス、マデルは怖い顔でそんな彼を睨みつけている。
「ピエッチェの言うとおりだわ。よくもそんなバカげた嘘を吐いたわね」
二枚貝の連絡具で、サンザメスク卿が引き上げたと聞いたカテロヘブ、まずはラクティメシッスが通された部屋を確認している。サンザメスク卿はなんの疑いを持つこともなく、カテロヘブが指定した部屋にラクティメシッスを案内していた。
カテロヘブの部屋の中にある、魔法封じを使って隠した秘密の部屋、そこから繋がる秘密通路……もちろんそんな仕掛けがあるなんて、カテロヘブしか知らない。クリオテナにも明かしていない。その通路を使えばカテロヘブの部屋から、誰にも見られずラクティメシッスが通された部屋に行けた。
クルテを伴ってラクティメシッスの部屋に来たカテロヘブ、カッチーは連れてこなかった。存在を隠してこその『隠し部屋』だ。カッチーにも迂闊には教えられない。カッチーに限らず、誰に教えることもない。
誰かに継承させなくてはならない物はこの部屋に置き去りにしない……父王にきつく言い付けられている。きっとクリオテナも同じ魔法が使え、同じことを父王に言われているだろう。クリオテナの隠し部屋がどこにあるのか、カテロヘブは知らない。
『王族にプライベートなんぞない。が、そうは言っても、しょせんは一個人。誰にも明かせない秘密や本音だってある。それを閉じ込めておくための部屋だ』
父王は寂しげに笑んでいた。
『おまえの母親にも教えなかった……もっとも個人的には、王妃に知られて困るようなことは、なに一つなかったんだがな』
知られて困る最たるものはザジリレン王家に伝わる特殊魔法の数々だ。建国の王から延々と受け継がれている魔法封じと魔物封じに関連する一連の魔法……隠し部屋を作れることも含まれている。
いずれそれらの魔法はカッチーにも伝授すべきものだ。だがそれは施術法であって、カテロヘブの隠し部屋を教えるってわけじゃない。方法を教えるときにカッチーが作った隠し部屋をカテロヘブは知ることになるけれど、それもカッチーが作り直さなければ、の話だ――カテロヘブは父王に教えられて作った部屋を使い続けている。父王に隠さなくてはならないことなどない、そんな意地のようなものがあった。
隠し部屋からの通路を使ってラクティメシッスとの接触を図ると決めたとき、クルテをどうするか迷わなかったわけではない。でも、クルテは既に知っていると思った。カテロヘブの日記を持っていたこともある。だがそんな事よりも……
カテロヘブは即位して以来、幾度となくグレナムの剣を携えて隠し部屋に入っている。グレナムの宝飾石に化身していたクルテが部屋の存在を知らないとは思えなかった。逆か……知っていたからこそ、クルテはカテロヘブの日記を持っていた。
壁を擦り抜けて突然現れたカテロヘブとクルテを見て、ラクティメシッスは開口一番、
「カッチーは一緒じゃないんですか?」
と訊いた。壁から浮き上がるように出てきたカテロヘブたちに少し驚いたが、どうせクルテの魔法だと思ったようだ。
「あぁ、ぐっすり眠っていたからね。連れてきたほうが良かったか?」
「疲れてるんでしょうねぇ。まぁ、カッチーとはあとで口裏を合わせておいてください」
「ふふん、口裏を合わせておかなきゃならないようなことがあるんだ?」
「えぇ、実はね、さっきの晩餐会で――」
聞かされたのは『フレヴァンス懐妊』の作り話だ。
「そんな噓、バレたらますます話がこじれるぞ?」
焦るカテロヘブ、ラクティメシッスは『バレやしませんよ』と涼しい顔だ。
マデルはかなり怒っている。
「フレヴァンスはローシェッタの王女なのよ? そんな話が漏れたらどうするつもりなの?」
ずっとお守りした王女が侮辱されたと感じているようだ。
「バレるって、いったい誰が誰にこの話をするって言うんですか?」
澄まし顔のラクティメシッスにマデルが口籠る。
「それは……クリオテナ王姉がグリアジード卿に話すに決まってる」
「それでグリアジート卿は? 話したとしても、せいぜいカテロヘブ王だけだと、わたしは思いますよ」
「それは、その……」
言葉を失ったマデルが俯いて、迷うように瞳を泳がせた――




