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疲れただけだと言われれば、たとえ夫だろうが否定できやしない。けれど、どうにも違和感がある。晩餐会の途中までは機嫌がよかった。それが、終了間際に急に不機嫌になった。それでも広間にいる間は周囲の目を気にしたのか、それほど不機嫌を露にすることなく明るく振舞っていた。それなのに、広間を出たきり黙ったままだ。
だんだんと口数が少なくなったのならば、疲れが出たのだと思えなくもない。しかし変化は急激なものだった。ローシェッタ国王太子とにこやかに話していると思っていたら、急にコソコソと内緒話を始めた。互いに耳元に口を寄せ合い、他者に聞こえないようずいぶん気を遣っている……個人的な話をしているのだと思った。それほど打ち解けたのかと、最初は気にもしなかったが内緒話の途中で急に表情が険しくなった――ネネシリス視点のクリオテナに対する所感だ。あの内緒話はどうやら楽しい話ではなかったようだ。
自室に戻り、召使たちを遠ざけてからネネシリスが尋ねている。
「ローシェッタ国に無理難題でも吹っ掛けられたのか?」
戻る途中で何度も『どうした?』と訊いているが、『疲れただけ』としか答えてくれなかった。
クリオテナがチラリと夫を見る。そして逆に問う。
「無理難題?」
「あぁ……可怪しいと思ってたんだ。ローシェッタ国王女は美貌だと訊いている。降るようにある良縁を断り続けているってね。国内の有力貴族からの申し込みも多いらしい。だったらわざわざ他国に嫁がせるより、自国内のほうがいい。王太子に不測の事態が起きたり子ができなかった場合を考えると、妹王女を自国に置いておきたいはずだ」
「つまり、自分のほうから話を持ち込んでおきながら自国の優位性を盾に取り、こちらに条件を付ける気だと、あなたは考えたのね?」
「いや、そんなこともあるかもしれないってだけだ――王太子と何やらコソコソ話していたよね。おまえの不機嫌はあれからだ」
晩餐会に出かける前、王太子を味方につけてカテロヘブとローシェッタ国王女の縁談を揺るぎないものにしてみせると息巻いていたクリオテナだ。それが巧く行かなかったのかとも思ったが、それくらいでへこたれるのはクリオテナらしくない。それなら次の手を、と考えるのがクリオテナだ。
クリオテナが溜息を吐く。
「そうね。どうせならそのほうが良かったかもね……条件を付けて来たのなら、こちらも見合う条件を提示するとか、交渉の余地があるもの」
「うん? 交渉の余地がない? いったい何を言われたんだ?」
「ローシェッタ国王も知らない、フレヴァンス王女の秘密を教えてくれたのよ」
「王女の秘密?」
「恋人がいるのですって」
ふむ、とネネシリスが唸る。
「年齢を考えたら、恋人が居たって不思議じゃない――その恋人と別れさせて、カテロヘブにって話なんだろう? 別れないってフレヴァンスがゴネているとか?」
「何人もいるのですって」
「何人もって、まさか今も?」
「しかも、妊娠してるらしいわ」
「えっ?……あ、いや、フレヴァンス王女が?」
「そうよ、他に誰がいるのよ? 問題なのは誰が父親か判らないこと」
「ちょっと待て、それって、いったい? いや、真実なのか?」
狼狽えるネネシリスをクリオテナがキッと睨みつける。
「ラクティメシッスが『黙っているのは良心が痛む』って、こっそり教えてくれたのよ? こんな嘘を吐くわけないじゃない」
「でも、それじゃあローシェッタ国はどんなつもりでカテロヘブに?」
「カテロヘブに全て押し付ける気なんじゃない?――父親候補の誰かとフレヴァンスを結婚させてとも考えたらしいけど、もしその男が父親じゃなかったら? 子どもはどんどんその誰かに似てくる。そうしたら揉めるに決まってる」
「だからって、カテロヘブの子でもないんだ。だいたい、妊娠期間が合わないだろうが?」
「早産だったってことにしたいんじゃない? だからローシェッタは焦ってるんだと思うわ。早くフレヴァンスをザジリレンに送りたいのよ。少なくとも我が国に、『本当の父親』の顔を知っている人間はいないわ。それに、カテロヘブはララティスチャングでフレヴァンスと顔を合わせたことがあるそうよ。その時、深い仲になったって『でっちあげる』つもりみたい。カテロヘブがフレヴァンスと会った時期によっては、早産だって偽る必要もなくなるのかもね――それにしても腹が立つ。馬鹿にされたもんだわ」
「あ……」
ネネシリスがいったん言葉を止める。
「いや、まさか……実際にカテロヘブはフレヴァンスに手を出した? そんなに何人も男がいるなら、初心なカテロヘブを誘惑するなんて簡単だっただろう。ラクティメシッスがカテロヘブと一緒にザジリレンに来たのは、それを持ち出してカテロヘブの責任を問うため?」
「えっ?」
口籠るのはクリオテナの番だ。
「そうね、本当はそうなのかもしれないわね。王太子はそんなこと、言ってなかったけれど……罠にかけたようなもんだから、余計に良心が痛むってのはありそうよね」
なにしろ、と呟くクリオテナ、
「この縁談、合意するわけにはいかないわ」
キリリと顔を引き締める。いつもの勝気なクリオテナだ。疲れているなんてやっぱり嘘かと、安心していいのか悪いのか、ネネシリスは複雑だ。
ともかく、縁談に反対なのはネネシリスも同じ、
「ただ、なんと言って断る? 当然、ラクティメシッスは内緒にして欲しいって言ったんだろう?」
クリオテナの顔を見る。
「そうね……ローシェッタ国でも、フレヴァンスの妊娠を知っているのは一握り、もちろん重大機密。それをザジリレンが知っているのは可怪しな話。ラクティメシッスから口止めされてなくても、言えることじゃないわ。だから縁談を断る理由は、あくまでザジリレンの都合ってことにしなきゃならない」
「だったらさ」
ネネシリスがクリオテナの顔色を見ながら恐る恐る言った。これを言ったらクリオテナが怒るだろうと思っていた。
「カテロヘブが連れていた女を王妃にすると決まっ――」
「馬鹿言わないで!」
案の定、クリオテナが激怒する。王宮正門前で一目見ただけなのに、なぜかクリオテナはあの女を毛嫌いしていた。
「あんなのを、王妃にできるとでも!? 決まったことにするって言いたかったみたいだけど、仮にでも許せない……もっとマシな考えはないの?」
うーーん、と唸るネネシリス、クリオテナの顔を眺め、『おまえだって、何も思いつかないのだろう?』と心の中で溜息を吐いていた――
いっぽう、自室に戻ったカテロヘブ、ソファーでぐったりしているクルテを見て慌てる。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
そう言ってからハッとする。ダイニングテーブルの料理に手が付けられていない?
クルテが座るソファーとは別にダイニングセットがあるが、そこには綺麗に平らげられた数枚の食器と、すっかり冷めきった料理が盛り付けられたままの食器も数枚あった――クリオテナから貰ったクッキーを乗せた皿は空だ。
「おまえ、食事は?」
カテロヘブの問いに、
「カティは食べたの?」
クルテが答える……俺が食べてないと思って食べなかったのか? 宴会に行くって言ったじゃないか。
平らげてある皿はカッチーの分だろう。カッチーの姿は見えない。使えと言った客用の寝室から、いつも通り鼾が聞こえている。
「俺を待っててくれたのか?」
カテロヘブがクルテに訊いた。宴会で食べたとは言えなかった。言えばクルテをがっかりさせると思った。そしてダイニングの椅子に腰かける。
「こっちに来て、一緒に食べよう」
その言葉にクルテがニンマリした。
「クッキーはもうないよ」
「いいよ、クッキーは。俺はクリオテナの部屋で食べたからな」
「わたし、クッキーだけは食べちゃった。カッチーはね、クッキーも料理も自分の分だけ食べて寝ちゃったよ」
「うん。鼾が聞こえてる」
「あのね……こんなにわたし、食べられない」
椅子に座りながらクルテがテーブルの料理を眺める……判ってる。多すぎる分を、俺に食べて欲しいんだろう?
「そうだな、半分ってとこだよな」
食べられなきゃ残せばいいだけなのに、クルテはどうしてもカテロヘブと一緒に食べたかった……クリオテナは二・三日の内に王宮から追い出せと言った。そんなことができるはずがない。いっそ、俺もクルテと出て行くか?
カテロヘブが溜息を吐く。できもしないことを考えたって、なんになる? クルテと一緒に居たいなら、もっと建設的なことを考えなきゃダメだ。
「カティ?」
クルテがカテロヘブを見て首を傾げた。
「これは何?」
見るとクルテの皿にあるのはペペローネに挽肉を詰めた料理だ。
「うん。美味しい……」
カテロヘブが答える前にパクっと口に入れて呟くクルテ、
「俺の好物だ」
カテロヘブが苦笑する。きっとクリオテナが厨房に命じて用意させたんだ。が、それは言わなかった。
「そうなんだ……」
神妙な顔つきで、クルテが皿とカテロヘブを見比べる。皿にはもう一切れしか残っていない。
「食べたきゃ食え。俺はまた明日にでも作って貰えばいいから」
宴会で充分食べたとも言えないカテロヘブ、クルテの表情が明るくなる。
「んじゃ、わたしも明日にする。これはカティの……半分ずつ食べるって約束」
そんな約束したっけ? でもまぁ、いいか、それでクルテが喜ぶなら……最後の一切れを、カテロヘブが口に運び、クルテと微笑みあった。
本音を言えば、クルテとのんびりしたいところだが、そうも言っていられない。やるべきことをやってしまおうと、カテロヘブが動き出す。ラクティメシッスとダーロミダレム、この二人とは今夜中に連絡を取りたい。クルテには『おまえはゆっくり食べろ』と言って自分はさっさと食べ終え、日記帳を取り出した。
「ジジョネテスキに何か用事?」
不思議そうなクルテに、
「いいや、ダーロミダレムだ」
日記帳を開きながらカテロヘブが答える。
「それって、トロンペセスに渡してたものでしょう? 彼とはもう連絡しなくていいんだ?」
「アイツに用がある時は、ジジョネテスキに頼めばいい。でなきゃモバナコット卿に命じるか」
「モバナコット卿って?」
「ザジリレン国軍総督。で、ジジョネテスキの父親」
「そう言えば、ジジョネテスキの弟ってどうなった?」
「うん?」
そうだ、ラチャンデル……モバナコット卿の屋敷にジジョネテスキが戻ったら、どんな反応をするのだろう。だが、ネネシリスを助けたラチャンデルだって本物かどうか確定できない。
(ネネシリスの口から、『ラチャンデルに助けられた』とは聞いてない……)
クリオテナの部屋で話した時、ラチャンデルの名は出てこなかった。単に話の流れで出てこなかっただけか?……今さらネネシリスを疑う気にはなれない。
命からがら山から出てきたネネシリスを、ラチャンデルが助けたと言ったのは誰だった? もしこの話が偽りならば、ソイツは敵なんじゃないのか? いや、しかし……
敵は情報操作に長けていると考えたほうがいい。俺に話したヤツも、別の誰かから聞いた話をしただけかもしれない。
「ダーロミダレムになんて書くの?」
日記帳を開けたまま、考え込んでしまったカテロヘブにクルテが問う。
「カッチーのこと?」
今ははっきりしないことをあれこれ考えている暇はない。ラチャンデルのことは明日以降だ。
「俺が居なかった間に何が起きたのかを訊いて、ダーロンの見解も訊きたいと思ってる――カッチーのことは、まだ先になると思うよ」
「ダーロンって、ずっと牢屋に居たんじゃないの?」
「そうだな……なんで牢に入れられたのかとか、牢に入る前のことも訊きたい」
「そっか。何か判るといいね」
クルテにそんなつもりはないのだろう。けれどカテロヘブは『どうせ何も判らないよ』と言われた気分がした。




