12
部屋に陽光が差し込んだと感じた。陽光よりも木漏れ日のほうが当たっている。風に揺れる枝葉の隙間からチラチラと差し込む光、眩しいのに控えめで、優しく頬を撫でていくような、そんな輝きを感じた。
「ほほう……これならどこに行っても立派に『お嬢さま』で通るわ」
マデルが溜息交じりに言った。カッチーもぼぉっと見惚れている。
「マデルさんの服を着た時よりずっと上品で、綺麗です……」
「どうせわたしの服は品がないよ」
「えっ? いや、そうじゃなく」
「あはは、判ってるよ。わたしの服じゃちょっと老けてたよね」
「そんなことありません! マデルさんはまだまだ若いです!」
「わたしが老けてるんじゃなくって! わたしの服じゃ、クルテには大人過ぎたって言っただけ! そこを間違えるなっ!」
カッチーの的外れな言い訳は却ってマデルの気分を害した。ツンとカッチーから顔を逸らしてピエッチェを見るマデル、するとこっちはこっちで怖い顔だ。怒っていたのを忘れてマデルがクスッと笑う。
「ピエッチェ、今はまだ、怖い顔しなくっていいよ」
「言っただろう、俺は元からこんな顔だ」
「おや、そうだったかねぇ?」
ニヤニヤするマデルにカッチーが小声で尋ねる。
「ピエッチェさんは何を怒ってるんでしょうね?」
「うん?」
すっかり機嫌を直したマデルが、やっぱり小声でカッチーに言った。
「素直じゃないってことだよ」
「えっと、意味がいまいち?」
「そのうち、あんたにも判る時が来るさ」
「本当に?」
「あぁ、本当さ。そんなもんだよ」
寝室から出て来たクルテは落ち着かない様子で、スカートの裾や自分の肩をチラチラ見ている。さらに背中を見ようとしているのか、首を回して下の方を覗き込もうとしている。そう言えば、寝室には鏡がなかった。
「安心しろ、ちゃんと着られてるし、可笑しなところはない」
ピエッチェが声を掛けるとチラッとピエッチェを見て、
「そう? ならよかった」
と、ソファーに座っていたピエッチェの隣に腰を降ろした。なんとなくピエッチェがクルテから目を逸らし、マデルがまたもクスッと笑う。
淡いピンク色のドレスは咽喉元を白いレースが縁取り、腰高の切り替えには贅沢にギャザーが寄せてある。そこから裾に向かって徐々に濃いピンク色に変わり、それに伴って小花模様が散らしてある。裾はレースのフリルだが、それは地の色に合わせた濃いピンク色、裏側に二重に仕込んだ白いレースが少しだけ見えている。丈はふくらはぎの途中まで、そこから延びた足が履いている靴はやや燻んだ深紅、腰回りを締めている帯紐も同色で全体をすっきりとさせている。
居間のソファーセットは寝室と違って、二人用のソファーが対面に置かれている。いつもピエッチェの隣にはクルテ、対面にはマデル、その隣にカッチーが座る。
「髪は自分で編めたんだね」
マデルがそう言ってクルテに微笑む。顔の両側だけを編んで後ろに持っていき二本を一つにして、服と同じ淡いピンクのリボンを結んでいる。
「うん。鏡がなかったから手探りだけど、可笑しくない?」
「上手にできてるよ。クルテ、器用だね。ネックレスは?」
「あぁ……」
クルテが掌を広げると、細い鎖のネックレスがあった。
「着けてないってことは、これは気に入らなかった?」
「そうなのかな?……ううん、違う、着け方が判らなかった。頭に引っ掛かって通りそうもない。鎖が短すぎる」
「へっ? それはね、ここの金具を――いいや、ピエッチェ、着けてやりなよ」
「えぇ? 俺?」
「隣に座ってるんだから、あんたがするのが手っ取り早い。早くしないと給仕係がお茶を運んできちゃうよ」
掌を広げたまま自分を見上げてくるクルテ、つい舌打ちをしたピエッチェ、『フン!』と、奪うようにネックレスを取る。濃緑のエメラルドのトップが付いたネックレスだった。
「これも買ったのか?」
「見せ金だよ」
答えたのはマデルだ。
「貴族の令嬢が宝石のひとつも身に着けてないのは奇怪しいだろう? こないだ持ってた宝石を流用しろって言ったんだけど、あれはピエッチェのだから駄目だって言われちゃった――どうせピエッチェの金で買うんだから同じじゃないかと思ったんだけどね、まぁ、加工に時間がかかるから、適当なのを買ったんだよ」
留め金を外してクルテを見ると、まだピエッチェを見上げている。
「あっちを向けよ」
「うん……ピエッチェ、怒ってる?」
「怒ってないっ! いいからさっさと背中を向けろ……あぁ、あと、髪を纏めて上に持ち上げろ」
「こんな感じ?」
「う……うん、それでいい。そのままじっとしてろ」
丸出しになったうなじに狼狽えそうで、『コイツは魔物』と心の中で繰り返すピエッチェだ。
カッチーが『怒ってないって言って怒ってるんじゃないですか?』とやっぱり小さな声でマデルに耳打ちした。マデルが『しっ!』とカッチーの口を封じた。
着け終わってクルテが正面を向くと、
「本当はイヤリングもいいんじゃないかと思ったんだけどね、クルテがイヤだって言うからネックレスにしといた――うん、いい感じだ。瞳の色にあってる」
マデルがピエッチェに言い、クルテに微笑む。
「お嬢さま度が増しましたね!」
カッチーも手放しで褒めている。
ふたりにニッコリ笑ってからクルテがピエッチェをまた見上げる。面倒な、と感じながらも何か言わなきゃダメかと思ったピエッチェが、チラッとクルテを見る。そしてマデルの言った瞳の色に似あっているの意味に漸く気が付いた。そうか、コイツの目の色は黒だと思っていたけど、緑がかってるんだ……
「クルテ、おまえの目は緑色なんだな」
ちょっと小首を傾げてからクルテが言った。
「おまえの目はブルーだ」
プッと吹き出したのはマデルだ。
「ピエッチェ相手だと、なんでそんなぶっきら棒な言い方になるんだい? もっと優しく言わないと嫌われるよ?」
「そうなのかな? 優しくしているつもりなんだけど……慣れてないんだ、多分。嫌われたくない。どうしたらいい?」
さらに大笑いするマデル、さすがのカッチーも、
「マデルさん、ちょっと笑い過ぎです――ピエッチェさんもなんとか言ってくださいよ」
ピエッチェに助けを求める。
カッチーに言われれば黙ってもいられないと、なんとなく気まずさを感じながらピエッチェが言う。
「あぁ……マデル、おまえ、カッチーやクルテを少し揶揄い過ぎだぞ。もっと遠慮しろ。それとクルテ、嫌わないから安心していい」
「ちぇっ! わたしが怒られちゃった」
マデルはそれでもニヤニヤ笑いが止められない。もっときつく言ったほうがいいかとピエッチェが迷っているうちに、部屋の扉が叩かれる。ルームサービスが来た。
マデルも笑いを引っ込めて、
「クルテ、大丈夫? 嫌われるなんて冗談だよ?」
対応に出ることになっているクルテを見る。自分が言った言葉をクルテが気にしていないか心配になったようだ。
内心クルテを給仕係に近付けたくないピエッチェは
「俺が出たっていいんだぞ? 刺激になって動き出すかもしれない」
いい口実とばかりに代役を買って出た。
そんなピエッチェをチラリと見てから、
「いいや、僕が出るよ――せっかくマデルが服を買って来てくれたんだ。効果を見てみよう」
ニヤッと笑った。
クルテが扉を開けたのは、給仕係が二度目のノックをした後だった。その間にマデルとカッチーはマデルの寝室に隠れ、ピエッチェは剣を持って屋上に出て素振りを始めている。給仕係に、クルテと近づくチャンスだと思わせるためだ。
「お待たせしてごめんなさい。屋上に出ていたので、気付くのが遅れました」
「いいえ、お気になさらずに……」
ワゴンを押そうとした給仕係が、クルテを見ると動きを止めて見惚れてしまった。
「どうかしましたか?」
小首を傾げてクルテが問う。
「い、いえ、その、今日はいつもとお召し物の雰囲気が随分と違うので……いつにも増してお綺麗です」
「そろそろ男装には飽きたって、あの人が言い出したの」
テラス窓の方をチラリとクルテが見る。そして、
「刺激って、慣れちゃうとなんにも感じなくなるみたい。意味、お判りになるでしょう?」
と意味深な笑みを見せた。戸惑う給仕係、クルテは気にすることなく、
「ワゴンをソファーまで運んでくださらない?」
返事も聞かずソファーに向かう。
給仕係がワゴンを運んでいく。が、クルテはソファーに座ったまま動こうとしない。セッティングして欲しいのだと察した給仕係が、お茶のセットをテーブルに並べ始めた。
お茶請けをテーブルに置きながら
「あの……」
と給仕係が遠慮がちに尋ねる。
「お嬢さまとお呼びしてよかったのでしょうか?」
テーブルを眺めていたクルテが、
「そうね。まだ正式な結婚はしてませんから――その、黄色いものは何? 果物みたいだけど?」
皿のひとつに眼差しを向ける。
「そちらはパイナップルでございます。珍しゅうございましょう? 甘酸っぱくて美味しいものだと聞いております――正式なご結婚はまだと仰いますと、ご婚約中ということでしょうか?」
「えぇ、そうよ。イヤでもあの人の妻になるしかないみたい……聞いているって、あなたは食べたことがないの?」
「イヤだなどとまた、お心にないことを……大変高価で滅多に手に入らないものですから、わたしの口に入ることはありません」
「仕方なくあの人の妻になるんだわ。あの人ね、ああ見えても身分が高いし、国王に信任されているの。望まれたら断れない」
「お嬢さまはお望みではないと? 貴族のかたにもご苦労がおありなのですね」
「まぁ、あの人の妻になればなんの不安もなく暮らしていけるし、イヤってほどでもないのだけれど……でもね、あんな無粋で不愛想な人はあまり好みじゃないわ。わたしには優しくしてくれるからいいんだけど」
「サロンで軽々とお嬢さまを抱き上げて、四階までお運びになったそうですね。頼り甲斐があるおかたなのでは?」
「頼りにはなるけど、その分横暴な面もあるし、なにしろね……」
クルテが声を潜める。
「あんな風にいつも鍛えているからだろうけど、ゴツいのは見た目だけじゃないのよ。身体もゴツゴツ、抱かれてても痛くって――男の人の身体って、みんなあんなに硬いものなのかしら?」
ソファに座ったまま上目遣いのクルテ、給仕係が目をぱちぱちさせる。
「いえ……わたしなどひ弱ですから。むしろご婚約者さまが羨ましく感じます」
クルテがクスッと笑い、
「あなたみたいな細身のほうが抱かれ心地は良さそうだけどね。硬くていいのは一箇所だけよ」
急に真面目な顔になる。
「お嬢さま……?」
「あら、ごめんなさい。今のは内緒、誰にも言わないで。はしたないって思われちゃう」
「もちろん承知しております――そう言えば、他のお二人はお出かけですか?」
「どうなのかしら? 朝には居たのだけど、寝室から出てきたら居なかったわ」
「さようでございますか」
「二人はあの人の姉と弟なのだけど、義姉が気を遣って義弟を連れだしたのかもしれないわね」
「気を遣って?」
「昨夜は体調が悪かったから、彼に遠慮して貰ったの。そしたらあの人ったら昼間から……夜なら義弟は大鼾で朝まで起きないけど、昼間は、ね?」
少し間をおいて給仕係が言った。
「ご婚約者さまはお嬢さまを愛していらっしゃるんですね。お幸せそうでなによりです」
「そうね、感謝しなくちゃ――だから義務は果たすわ」
「義務?」
「あの人の望みに添うのがわたしの義務」
少し寂しげな顔のクルテが『もうちょっと近くに』と給仕係を手招きする。内緒話がしたいのだと、給仕係が顔を寄せると、
「あの人ね、自分だけなの」
耳元に囁くクルテ、果物用のフォークにパイナップルを一切れ取ると、答えに窮する給仕係の口元に持っていく。
「口止め料よ。こんなんじゃ足りないでしょうけど……口を開けて」
と微笑んだ。
クルテの顔を見詰めたまま給仕係が口を開ける。そっとパイナップルを入れたクルテが
「入れるなら、こんなふうに優しくして欲しいのよ」
と微笑めば、果物で口を塞がれた給仕係は何も言えず、クルテの顔を見詰めるだけだ。
「そろそろ彼が素振りを終えるわ――急いで部屋を出て。あの人、すぐに焼きもちを妬くの。わたしに近付く男が許せないみたい。疑われる前に出てった方がいい。代金はこれで足りるはず。残りはチップよ、取っておいて」
テラス窓を気にしながらクルテが給仕係を追い立てる。何も言えないまま給仕係は部屋を出て行った。
クルテが動いたのは給仕係の気配が下階に消えてからだ。立ち聞きされては元も子もない。マデルの寝室をノックし、テラス窓でピエッチェに頷いた。
ソファーでいつも通りの席に座り、クルテの話を聞く。もちろんお茶を楽しみながらだ。クルテの報告にクスクス笑いが止まらないマデル、カッチーは顔を赤くしたり青くしたり、ピエッチェは腕を組んで目を閉じ、時どきギロッとクルテを見るが何も言わない。
「だからそのフォーク、別にしてあるんですね」
「あの給仕係が使ったフォークなんか使いたくないさ――でも、そうなると一つ足りなくなるね」
カッチーとマデルが口々に言うとクルテが、
「そうなのかな?……そうだね、足りない。それじゃあ、わたしはピエッチェと同じのを使う。いいよね、ピエッチェ?」
とピエッチェを見る。ところがなんの反応もない。クルテが、
「ピエッチェは次の手を考えるのに忙しいみたい。フォークのこと、言わなきゃきっと気付かないよ。ピエッチェは鈍感だから」
フォークに手を伸ばす。ところが、
「誰が鈍感だって?」
ピエッチェが目を開けた。
「なんだ、聞いてたんだ?」
クスッと笑うクルテ、だが、マデルとカッチーは少し引き気味だ。ピエッチェはどうやら本気で怒っている。
「聞いてるとも。随分な言われようだ。俺は無粋で不愛想で横暴、ゴツゴツで自分本位、嫉妬深くて鈍感だと?」
「違ってた?」
「そう思ってるんだったら、俺と一緒に居なきゃいいだろうが!?」
「ピエッチェ、何を怒ってる?」
「クルテ、きさまっ!」
不思議そうにピエッチェを見るクルテが、ピエッチェの怒りをますます煽る。
慌てたのはマデルだ。
「ちょっと待ちなよ、ピエッチェ。クルテは打ち合わせ通りにしただけだって!」
二人の間に割って入る。
「クルテがあんたへの不満を給仕係に吹き込んで、付け入る隙があるように見せかけるって、昨日決めたじゃないか」
「そうだな。でも、クルテは俺をそう思ってるらしいぞ。違っちゃいないって言ってる」
「違う、違う! わたしがあんな風に言えってクルテに入れ知恵したんだよ。クルテが『違ってた?』って言ったのは、セリフを間違えたのかって意味だってば――ほら、クルテ、わたしが渡したメモをピエッチェに見せて」
「メモ?」
クルテが小首を傾げる。
「あいにくだったなマデル、クルテはマデルの言った意味を読み取れなかったようだぞ」
メモを渡したと言ったのはマデルの苦し紛れと受け止めたピエッチェ、ここでやっと『あぁ……』とクルテが呟く。
「寝室のベッドの下にあるはず」
「ベッドの下?」
とマデル、
「マデルのメモの通りなのか、ピエッチェが眠ってから確認してみた――筋肉は硬かったけど、ゴツゴツはしてなかった。あったかくて、触るとこちらの気持ちが優しくなった。どうしてなの?」
そう言ってクルテがピエッチェを見る。頭の中が取っ散らかったピエッチェは、口をアグアグさせて答えられない。
知らないうちに身体に触ったことを怒りたい気持ちもある。だけど、触ると気持ちが優しくなった? なんだよ、それ!? こっちが聞きたい!
「で、触ってるうちに眠くなったから横になってメモを見てるうちに眠っちゃった。手から滑り落ちたのは知ってたけど、起きるのが面倒でそのまま。きっとベッドの下にある」
「お、俺、探してきます!」
カッチーが立ち上がろうとするのを
「そんな必要はない」
顰めっ面でピエッチェが引き留める。
「もう判った。あぁ、俺が悪かったよ」
言葉と表情は裏腹で怒りが収まったようではないが、マデルもここは茶化したりしない。
それなのにクルテが
「ピエッチェが悪かったのか?」
逆なでするようなことを言う。が、誰も何も言わないうちに、
「ピエッチェは悪くない。常に正しい行動を心掛けている。それに見るからに健康体、悪いところは多分ない」
クルテがピエッチェを見て言った。マデルが笑いを堪え、カッチーは目を丸くしたが、すぐに忍び笑いを漏らす。ピエッチェは……
泣きたいような気分でクルテを見ていた。




