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ジジョネテスキの心が震える。
成人前だというのに王家警備隊に徴集されたのは、この人が誕生したからだ。十五の時からずっとこの人を守ってきた――前回顔を見たのはゲリャンガの仮住まいだった。わたしは幽閉の身、この人は庶民の身なり、監視の隙を突いたものだ。
だが、今日はどうだ? これがこの人の本来の姿、王の子として生まれ、王となるべき者として育てられた。わたしが生涯仕えるべき王は、なんとご立派か? 見失う前同様、いいや、一段と逞しくなって帰っていらした。だけどなぜだ? わたしは今、初めてお目にかかったあの日を鮮明に思い出している。
煌めく陽光が優しく差し込む窓辺、王妃さまが誇らしげに微笑んで、乳母に抱かれたあの人の顔を覗き込んでいた。自分にも抱かせてと乳母にせがんでいたのは二歳を少し過ぎたばかりの王女さま、『もう少し大きくなったらね』と母上に言われて拗ねていらした。
おまえに話があると国王が仰せだと、父に連れていかれた王宮、それは公務の場ではなく、国王の住居のほうだった。王宮にはそれまでも何度か行ったが国王の住居に入ったのは初めてのことだ。あなたは生後半年、初めて赤ん坊を間近に見たわたしは十五、なぜ呼ばれたのかと戸惑うわたしに国王は王子専属の護衛になって欲しいと言った。
なんと答えたのかは覚えていない。直答を許されたような? 覚えているのはあなたの柔らかな髪の色と小さな体、そして王妃さまの微笑み……はかなげな印象しかなかった王妃さまは、実はこれほど力強いかただったのだと驚いたこと。その王妃さまに『王子をよろしくお願いします』と言われ、あぁ、そうだ、それにもなんと答えたのだった? 命に代えてもと心に誓ったことは、今もまざまざと覚えている。なにしろあの日から、わたしの王はあなただけだ――カテロヘブ王を目の当たりにし、ジジョネテスキがさらに忠誠を募らせる。
隊列の後から現れたミルクティー色の髪の男を見て、顔色を変えたのはドロキャス、
「そんな――馬鹿な……」
もう少しで腰を抜かしそうだ。その呟きが聞こえたのか、カテロヘブがジジョネテスキに何か耳打ちした。ニヤリと笑ったジジョネテスキがドロキャスに訊いた。
「ドロキャス! なにが『そんな馬鹿な』なんだ?」
ジジョネテスキに問われ、すぐには答えられず口をパクパクさせていたが、
「騙されるな! その男はカテロヘブじゃない。似ているが別人だ! さっさと捕縛しろ!」
松葉杖でカテロヘブを指し、左右に控える兵たちに命じる。だがやはり、誰一人として動かない。
「いいや、間違いなく我が国の王カテロヘブさまだ」
「ジジョネテスキ! なんでおまえ、そう言い切る? 国王の顔などマジマジと見たことなんかないだろうが! 確かに髪の色やちょっと見は似ているが、似ているだけの男だ」
ジジョネテスキとカテロヘブが見交わして失笑した。
「あいにくこのかたは間違いなくカテロヘブ王だ――わたしはカテロヘブ王が生後半年の時からおそばに仕えた。見間違えるはずがない」
「な、な、なんだって!?」
またも腰を抜かしそうなドロキャスだが、やっとのことで踏みとどまった。反撃を思いついたらしい。
「そうか! 判ったぞ、やっぱりジジョネテスキが首謀者か!」
何を言い出すのだろうと、カテロヘブとジジョネテスキがドロキャスを見る。
「喋っているのはジジョネテスキだけだ。その男を王に仕立て上げ、ザジリレン国を思いのままにしようたってそうはさせない!」
するとジジョネテスキの部下の将校の一人、大門前広場に残った兵に指示を出し、隊列の最後尾についたが異変を察してジジョネテスキに進言したあの将校が溜息をついた。
「本来なら国王に目通りも叶わない男が、王のお言葉を欲しがっている――貴族ではないと思っていたが、そんな基本的なことも知らないらしい」
狼狽えるドロキャスを尻目に、再びカテロヘブがジジョネテスキに耳打ちした。
「ドロキャス、おまえ、どうやってわたしの副官の地位を手に入れた?――カテロヘブ王はザジリレン国の貴族名鑑を完全に記憶されている。ドロキャスと言う名は聞いたことがないと仰せだ」
ここでまたカテロヘブが耳打ちする。
「まぁ、別に貴族でなくてもいいと仰っている。が、カテロヘブ王は、国軍の将校の名もすべて覚えていらっしゃる――ドロキャスと言う将校には覚えがない、将校でもない男が総司令の副官なのは解せないそうだ」
「そ、そ、そんなの知るか!」
たまらずドロキャスが大声を上げる。
「俺は、あのかたに言われて指示に従っただけだ。あぁあぁ! もともと軍人なんかじゃない。ただの商人だ――ジジョネテスキを失脚させろと言われた。成功したら国軍をおまえに任せると言われた。大出世だ。ジジョネテスキはカテロヘブ王殺害に一枚かんでいる罪人だ。その証拠を見付けろと言われた! 俺は正義を行っている!」
「わたしがカテロヘブ王を?」
ムッとするジジョネテスキ、ドロキャスに反論しようとするがカテロヘブが首を横に振るのを見て思い止まる。
「まぁいい……で、その『あのかた』とは誰だ?」
そうだ、根も葉もない話より、それこそ重要事項、これで敵が見えてくるかもしれない。
ドロキャスは迷っていた。ジジョネテスキの言うとおり、そこに居る騎乗の男は本当に国王なのか? もしそうならば……
「有り得ない!」
ドロキャスが叫ぶ。
「カテロヘブ王は死んだ! 確かにカテロヘブを殺したと、あのかたは言った!」
「なんだって?」
緊張するジジョネテスキ、その話、もっと詳しく聞かせろと言いたいが、周囲を囲む兵たちに動揺が広がっていく。さもありなん、ドロキャスは『王を殺した』と、はっきり言った。これが騒がずにいられるものか。
「鎮まれ! 鎮まれ!」
声を張り上げる五人の将校、だが簡単には収まらない。と、カテロヘブが右腕を上げた。ハッとしたジジョネテスキ、
「鎮まれ! カテロヘブ王のお言葉だ!」
慌てて馬から降りれば、将校たちも次々に下馬していく。それに気づいた周囲の兵も、跪いて頭を垂れた。
立ち尽くすドロキャス、騎乗したままなのはカテロヘブと紋章旗を掲げた四人の旗手、成り行きを見守っていたラクティメシッスも騎乗したままだ。大門方向に目を向ければ、ローシェッタの魔法使いたちが心配そうにこちらを見ている。が、こちらも騎乗のまま、王太子の合図でいつでも駆けつけるつもりでいる。
あたりを見渡したドロキャスが、立ったままでいるか、それとも周囲に倣<なら>って跪くか決められないうちにカテロヘブが口を開いた。
「ザーザングに罪人を捕らえに行くところだとジジョネテスキから聞いている。本日中には罪人を捕らえ、カッテンクリュードに連行する予定だそうだ。我が国の治安は、みなの日頃の尽力のお陰、心より感謝する――大仕事が待っているにもかかわらず、わたしの我儘を受け入れ、ここにおられるローシェッタ王太子ラクティメシッスさまの護衛を引き受けてくれた」
いったん言葉を切ってカテロヘブが周囲を見渡す。
「みなの負担を考えれば心苦しいばかりだが、同時にわたしへの忠誠をこれ以上もないほど嬉しく思っている……ありがとう。すぐには帰都できなかったわたしを見捨てずにいてくれた。この国の王でよかった」
おおおおーーと兵たちから歓声が起きる。それが鎮まるのを待ってカテロヘブが続けた。
「王宮までの護衛が済めばすぐさまザーザングに向かうとジジョネテスキが言っていた。ならばここで、これ以上の時間の浪費は意味がない――王宮までの護衛を引き受けたのならば、早々にその役目を終え、本来の任務に戻る、それこそがザジリレン国軍の兵たるものと考える」
兵の中から『その通りだ!』と聞こえれば、次々に『そうだ!』と追従する声が上がる。ニヤリと笑うジジョネテスキ、
「判ったか、ドロキャス。早く王宮に向かえと王が仰せだ。道を開けろ」
王の意思だと明言した。これでもなおドロキャスが逆らえば、それこそ反逆の意思ありと副官を解任し、捕縛も可能となった。
「な、なっ!?」
だがドロキャス、未だ自分の立ち位置を理解していない。
「大嘘だ、嘘だ! 騙されるな、ジジョネテスキ――おい、そこの男! 国王を騙るなど大罪! 温和しくしないと、痛い目を見るだけじゃすまないぞ」
これでドロキャスを捕らえる口実は〝成立〟した。だが念のため、ジジョネテスキはカテロヘブを見た。カテロヘブは難しい顔でドロキャスを見ていたが、ジジョネテスキの視線を感じると頷いた。
「構わない、ドロキャスを捕らえろ!」
ジジョネテスキが誰にともなく命じた。すぐさま数人の兵が動き、
「な、なにをする!? わたしは国軍の――」
喚くドロキャスの叫びが途中で途切れた。誰かが口を塞いだか?
「あとで尋問する。多少の怪我はいいが、生かしておけ。自死もさせるな」
一人の将校にジジョネテスキが命じた。命じられた将校が『こちらだ』と兵を先導すれば、縄を打たれたドロキャスが引っ張られるように連行されていった。
「参りましょう」
再び騎乗したジジョネテスキ、王宮に向かって馬を歩かせる。下馬していた将校もすぐに騎乗してジジョネテスキに従い、跪いていた兵たちも立ち上がり姿勢を正す。
ジジョネテスキの直後に四騎、そして紋章旗が続き……何事もなかったかのように、元の隊列に戻って王宮に向かう。あとは王宮正門を突破すればなんとかなる、そんな安堵はまだ早いとカテロヘブが思い知ったのは、控えていたローシェッタの王室魔法使いがラクティメシッスに駆け寄って、緊急の進言をした時だ。
「カテロヘブ王!」
魔法使いの報告を聞いたラクティメシッスが声をあげる。馬を止めたカテロヘブ、馬を横付けにして声を細めるラクティメシッス、カテロヘブがジロリとラクティメシッスを見たのはなぜだ?
その頃、王宮では王姉クリオテナの居室の前で揉め事が起きていた。
「煩い! そこを退け!」
乱暴な声をあげ、クリオテナの居室に入ろうとしているのは
「わたしはクリオテナの夫だ! 妻の部屋に入るのに、おまえたちに阻ませはしない!」
グリアジート卿ネネシリスだ。
「開けろ、クリオテナ! カテロヘブが大変なんだ!」
部屋の中で慌てているのはクリオテナとダーロミダレムだ。クリオテナはともかく、ダーロミダレムは本当ならば牢にいるはずの人物、いや、やはりクリオテナにとっても非常にまずい。
時刻はまだ朝早い。しかも召使を遠ざけて、ダーロミダレムと二人きり……何をしていたと疑われても仕方のない状況だ。そのうえ、ここしばらく体調不良を理由にネネシリスを遠ざけていた。部屋にネネシリスを入れれば、疑ってくださいと言うようなものだ。
クリオテナの背に、冷たい汗が流れた――




