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王家の紋章を知らない仕立屋はいない。だからこそザジリレン国内では注文できない。そんな衣装をクルテはローシェッタ・ララティスチャングで……あれ? あの時のキャビンはミテスクの森に置き去り、つまり衣装箱もミテスクの森にあるはずなのに?
顎を撫でながらチラッとラクティメシッスを見るピエッチェ、いろんな意味で追い詰められた気分だ。ま、衣装の件は、どうにでも誤魔化せる。クルテがサックに入れてきたとでも言えば押し通せる。
「そうじゃないならどうする気です?」
今さらカッチーをただの家臣にしておく気かと、ラクティメシッスは憤りを感じている。そりゃそうだろうとピエッチェも思う。そんなピエッチェを救ったのはマデル、正しくはクルテだ。
「ピエッチェ、クルテがなぜか泣き始めた……」
ピエッチェたちの寝室から出てきたマデル、困惑しきっている。
「カッチーが慰めてるんだけど、なにがなんだか判らないの。わたし、大っ嫌いって言われちゃったし。出てけって、追い出されたわ」
それこそ泣き出しそうな顔でラクティメシッスの隣に腰かけるマデル、フフンと思ったピエッチェ、もちろんそんな素振りも見せずに立ち上がる。クルテが心配で、ソワソワしているように見えただろう。
すぐに寝室に行きたいところだが、クルテが原因でマデルが泣きそうならば、何か言ったほうがいいかと思う。
「大嫌いって、そんなの有り得ない。アイツ、マデルのこと、お姉さんって慕ってるんだから……あ、あれだ。マデル、食べちゃったんじゃないか? クルテが楽しみにしてたお菓子とか」
「食べるわけないでしょっ!」
ピエッチェの憶測はマデルの怒りを買ってしまった。ピエッチェが、心の中で舌を出す。
「ごめん、ラスティン……クルテを見てくる」
マデルから逃げ出すように寝室に向かった。ラクティメシッスが『よしよし』とマデルを慰めながら、ついでのように外聞防止術を掛けるのを感じた。甘い囁き声なんか、マデル以外に聞かれたかないだろう。同時に感じたのはクルテの魔法、同じく外聞防止術だが、こちらはピエッチェたちの寝室内、しかもぼそぼそ話し声が漏れ聞こえるタイプだ。
「ピエッチェさん?」
ピエッチェを見るなりパッとクルテから離れたカッチー、顔色を変えてオドオドと言い募る。
「クルテさんが急に泣き出して……マデルさんと宥めようとしたんです。でも、怒ってマデルさんを追い出しちゃって」
かなり困惑している。
「あ、でも! 俺、クルテさんに抱きつかれても、なんですか、その、腕以外には触ってませんから! あと、そう、頭をちょっと撫でました……」
尻すぼみになっていくカッチーの声、なるほど、俺を見て顔色を変えたのはそれでか。
「気にするな、クルテはおまえまで出て行かないようにしただけだ」
クルテが抱きついたってのは面白くないが、今はそれどころじゃない。すぐさま手荷物を入れたカバンから日記帳を取り出し、クルテの隣に座った。
「ジジョネテスキと何か連絡を?」
カッチーが遠慮がちに訊いた。ピエッチェが、日記帳を連絡具として渡しているのはトロンペセスとジジョネテスキの二人、そしてトロンペセスはこの宿にいる。カッチーがそう思うのも無理はない。
日記帳をを広げて、
『使えそうか?』
一番新しいページにピエッチェが書き込むと、すぐに段を変えて文字が浮かび上がった。
『言いたいことを書きゃあいいんだろ? 楽勝さ――待ち草臥れた。トロンペセスと一緒に行けばよかったと後悔したぞ』
ピエッチェがニヤリと笑う。
『その必要はない。明日、王宮に入る』
『決戦か。勝つか負けるかだな。今さらどこで待とうが一緒か』
『待つ場所についてはそうだが、勝ち負けってのは違うな――それで、ダーロン。ダーロンに確認したいことがあるんだ。できればすぐに答えて欲しい』
ピエッチェがダーロンと呼ぶのはザジリレン国庫管理責任者サンザメスク卿の一人息子ダーロミダレム、カテロヘブ王の乱心を防げなかったという『どうにも理不尽』な罪で投獄されている。脱獄させるようトロンペセスに命じたとクルテに言ったが、具体的には『ダーロミダレムに脱獄の指示を出したい』と言うものだ――トロンペセス、おまえが持っている日記帳をダーロンに届けて欲しい。
ダーロミダレムとの遣り取りも暗号だ。
「ジジョネテスキはなんて?」
カッチーの質問に、今度は答えたピエッチェ、
「いや、相手はダーロミダレムだ。牢屋の住み心地が訊きたくてね」
もちろんこれは冗談、ニヤッと笑う。
「日記帳を差し入れしたんですね」
呟くカッチー、クルテは何も言わずムフっと笑った。
次々に書き込んでいくピエッチェ、すぐさま行を変えて別の筆跡が浮かび上がってくる。随分と込み入った話をしているようだ。
ダーロミダレムとの遣り取りが一応の結論に達したところで、ピエッチェがカッチーを見た。
「ダーロンがおまえを次期サンザメスク卿ダーロミダレムの猶子にしたいそうだ。責任を持って現サンザメスク卿……親父さんを説得するってさ。どうする? 承知するか?」
「猶子って?」
茫然とピエッチェを見て、カッチーが声を震わせた。微笑んで答えるピエッチェ、
「養子と同じと思っていい。ただ継承権はない。まぁ、養い子って感覚になる」
カッチーはピエッチェを見詰めたまま、視線を動かさない。判断できずにいるのだろう。
クルテが
「アランロレンスを猶子としたサンザメスク卿の息子ダーロミダレムが、今度はカッチーを猶子にする? なんだか、いやな気分がするのはわたしだけ?」
ピエッチェに言ってからカッチーを見る。
「いやなら断れ。カティは承知するかしないかを訊いてるんだ」
「いえ……俺、判らなくって」
「だいたいさ、カティ。カッチーの母親はザジリレン王女だ。その息子を、継承を条件に養子って言うならともかく猶子にしたいなんて、ダーロンはカッチーをバカにし過ぎ」
「クルテさん、俺なんかを猶子にしてくれるってだけで――」
「俺なんか、なんて言うな」
フッと笑ったピエッチェがクルテに訊ねた。
「この話、おまえは反対なんだな?」
「そ、そんなのっ! 条件次第に決まってる」
ふむ、と考え込んだピエッチェ、今度はカッチーに訊いた。
「ダーロンはアランロレンスを慕っていた。幼い頃は実の兄だと思っていた」
「そうなんですね……」
俯くカッチー、クルテが『カッチーって泣き虫だよね』と呟いて、ピエッチェに睨みつけられる。
「ピエッチェさんはどう思いますか? 猶子にして貰ったほうがいいと? それともクルテさんが言うように、母ちゃんのことを考えたら、とんでもないんでしょうか?」
「そんな言い方をするところを見ると、ダーロンの申し出を受けようと思っているのかな?」
「判らないんです――ダーロミダレムさまのところに行けば父のことをいろいろ教えて貰えそうだし、でも、そうなると母ちゃん……母が悲しむかなって」
「おまえの母ちゃんは安心すると俺は思うけどな」
「それじゃあピエッチェさんは、猶子になったほうがいいと?」
「日記帳をダーロンに渡すようトロンペセスに頼んだ時、事前にダーロンあてのメッセージを書いておいた。アランロレンスの遺児を見つけた。母親はスカーシレリだ。一時的でいいからサンザメスク卿の猶子にできないか?」
「えっ?」
「いくら『失われた王女』が王家の名鑑から抹消されるって言ったって、人々の記憶から消えるのは何年、いや、何代か先だ。ま、もっとも俺はよく覚えていない。二歳かそこらで叔母はいなくなった――ダーロンがどこまで覚えているかは判らない。が、スカーシレリの名くらい知っているはずだ」
「それ、言っちゃってよかったんですか?」
「そうだなぁ……」
ピエッチェが微かに笑んだ。
「慕っていた兄が、ひょっとしたら王女誘拐の罪を犯しているかもしれない、ダーロンがそう考えないとも限らない。けどな……アイツの泣き顔って一度しか見たことがない。アランロレンスの死を報された時だ」
「……父ちゃんの死を悲しんでくれた?」
「うん。言っただろう、ダーロンはアランロレンスが大好きだったんだよ」
カッチーがまた俯く。雫がぽたりと落ちていくのが、今度ははっきり見えた。
「だからダーロンはアランロレンスとスカーシレリを信じてくれると思った。そして守ってくれるってね」
「ま、守るってのは?」
さすがに泣きじゃくりはしないものの、カッチーの声は震えている。
「ダーロンは必ず二人の名誉を守る。アランロレンスとスカーシレリは愛し合い、子を儲けた。けしてアランロレンスが王女を奪ったわけでもなく、スカーシレリが一方的にアランロレンスを追いかけたわけでもないって証拠を見つけ出してくれると、俺は考えている」
「そんな証拠があるんですか?」
「うーーん、どうだろう? だけどさ、きっとダーロンなら何か知っている――アランロレンスの訃報を聞いたダーロンが『これからだったのに』って言ったのを思い出したんだ」
カッチーの複雑な表情は、ピエッチェを呆れたがっているようだ。
「えっと、それでピエッチェさん。これからだったのに、って?」
フフンとピエッチェが鼻で笑う。そしてダーロミダレムと遣り取りした日記帳の一部を指さした。
「ここに『パズルの最後のピースがカッスゥダヘルかもしれない』って、ダーロンが書いている」
「えっ? 俺?」
カッチーが気にするのももっともだ。そこに書かれているのは自分の真の名だ。
日記帳を見るとカッチーは、すぐに視線をピエッチェに戻した。
「パズルってなんですか? あ、いえ、パズルは知ってます」
そりゃそうだろう、と苦笑するピエッチェ。だが揶揄うようなことでもない。カッチーの言葉は真面目さからのものだ。
「ダーロンはアランロレンスの遺品として日記を持っている」
ピエッチェが真っ直ぐにカッチーを見て言った。
「一見、日常の他愛ないことが書かれている。だけどな、ダーロンは気が付いてしまった」
「母とのことが書かれていたんですか?」
「それがダーロンも判らないって言ってた」
「へっ?」
黙って聞いていたクルテがとうとう苦情を口にする。
「カティ、なにが言いたいのか、もっと整理して話して――ダーロンは何に気が付いた?」
「いやさあ、クルテ。本当にダーロンも判らないって言ってたんだ」
ピエッチェがちょっと楽しそうに笑った。言われるだろうなと思っていたことを言われたからだ。
薄笑みを浮かべたまま、ピエッチェが続けた。
「俺がダーロンから日記のことを訊いたのは成人してすぐにころ……だから四年近く前か」
即位して王になるなんてこれっぽっちも実感できずにいた。なにせ父王は健在でまだまだ元気だ。それなりに悩みもあったが、おおむね順調だった。公務の合間に友人たちと無駄話に興じる時間も充分とれた。
ある日、王宮の庭でのことだ。姉クリオテナにせがまれた花束を作るため、ネネシリスが花を選んでいた。それを眺めながらダーロミダレムが溜息をついた。
「アランロレンスの日記なんだけど、なんだかヘンなんだ」
花壇に居たネネシリスには聞こえなかったかもしれない。




