19
カッチーは黙々と、馬にブラシをかけている。
カッチーはリュネに乗りたいはずだ。ずっとリュネを大事にしてきた。リュネもカッチーを大切に思っていることだろう。いっそのことリュネに選ばせるか? リュネは賢い。自分に誰を乗せればいいのか判断してくれる。
ダメだ……リュネが、カッチーを選んだ時より、選ばなかった時のことを考えてしまう。その時、どれほどカッチーは傷つくだろう。理屈で感情は割り切れない。あぁ、でも、リュネが選んだのがクルテなら? そうだ、何も俺かカッチーに限定することなんかない。リュネに選ばせる必要もない。クルテに『おまえがリュネに乗れ』そう言えば済むことだ。
ピエッチェの考えが決まりそうな時、建屋から出てくる気配がした。最初に出てきたのは棺桶、ふらふらと宙を移動しキャビンの屋根に落ち着いた。そしてラクティメシッス、マデルと続き、最後はクルテ、すると建屋が消えた。納屋同様、跡には若いケヤキが数本立っていた。
「ふぅん……これって、元通りになったってことでしょうかねぇ?」
振り向いたラクティメシッスが苦笑交じりに唸る。
「建物が出現する前がどうだったのか、覚えていません」
マデルとカッチーも覚えていないと首を捻る。クルテはまったく我関せず、リュネの首に抱き着きに行った。
そう言えば俺も覚えてないや、そう言おうとしてピエッチェが口籠る。そうじゃない、サワーフルドが言ってたじゃないか。
「建物ごと移動させたってってことは、ここは建屋が現れた場所じゃない。覚えてなくたって当り前さ」
なんて言ってるうちに、ケヤキの若木の背が伸びた? そんな気がした。納屋があったほうを見ると、向こうは確実に成長している。女神の魔法か? サワーフルドはピエッチェたちのために作ってしまった欠損を一早く修復したいらしい。
「そうそう、それでクッシャラボ湖を見損なったんでしたね」
納得するラクティメシッス、手元からつるつると伸びたロープがキャビンの屋根の棺桶を固定している。
「ま、お馬さんが巧く制御してくれるでしょうから、これで大丈夫かな?」
掛けられたロープは見えなくなっている。
そもそもこのキャビン、屋根にキャリーをつけていない。棺桶の上を通ったのは判ったけれど、どんなふうにロープが屋根に固定されたかはさっぱりだ。ま、どうせ魔法だ。訊いたところで、判ったところで意味はない。
「屋根に棺桶乗せてるなんて、物すごく不気味」
マデルがさもイヤそうに呟く。
「見えず聞こえず魔法を念入りに掛けますよ」
ラクティメシッスが請け合う。
「そろそろ行きましょう」
ラクティメシッスとマデルがキャビンに乗り込む。進行方向向きの座席の奥にラクティメシッス、隣にマデル、その隣はクルテが座る。ラクティメシッスの正面にはカッチー、そして出入口側にはピエッチェと決めてある。
マデルに続いて乗り込もうとカッチーがタラップに足を乗せた。
「カッチー」
クルテに声を掛けられて、カッチーが振り返る。
「ピエッチェさんの隣は俺です。いい加減諦めてください」
「そんなの判ってる――リュネがね、カッテンクリュードにはカッチーを乗せていきたいって」
「えっ?」
「ほかの馬に乗るって言ったんだって? 悲しいってリュネが泣いてるよ」
「だって……」
泣き出しそうなんだろう、カッチーが口籠る。
「リュネには、リュネにはピエッチェさんが……国王なんです、一番いい馬に乗るべきです」
「べきって何? リュネはカッチーがいいって言ってる」
リュネの首を放したクルテ、ピエッチェの隣に移動する。
「いいでしょ?」
いつも通りピエッチェを見上げる。
そうか、リュネの意思は尊重しなくちゃな……迷いがすっきり消えたのを感じるピエッチェだ。
「あぁ、リュネがそう言うんなら、俺に異存はない」
納まらないのはカッチー、
「だって……そしたらピエッチェさんが乗る馬は?」
ピエッチェにしても、その点は気になっている。
フフンとクルテが鼻で笑う。
「わたしが乗ってた馬でいい。ミテスクの森でラスティンの持ってきた馬の中で一番の馬、ピエルグリフトにも負けない」
そう言われてピエッチェが改めて馬を見る。
まだ若い馬だ。ミテスク山中に連れて来られた時、初めて鞍をつけられたのかもしれない。だから嫌がっていて、それでクルテが外してやった。大急ぎで馬を揃えた。鞍もありあわせで、コイツに合っていなかったのかもしれない。今はクルテが馬具屋で買い入れた鞍が付けられている。
カッチーが暇を見つけては手入れしているからか、艶々と美しい毛並み、濃い栗毛、額の曲星(三日月型の白紋)からの流星は鼻梁白(鼻筋が白)となっている。さらに馬体へと目を向けると、最初に見た時の頼りなさは消えて、首も胴も足も力強い。クルテがこの短期間に鍛え上げたのか?……魔法を使っているのかもしれない。
「美しい馬だな」
ピエッチェが馬の首を撫でて呟いた。
「カッチーのお陰で毛艶がいい。面構えも悪くない。温和しいって言ってたが、この馬体なら力は強いはずだ。なにより……」
視線を落として足元を見る。
「足先……膝から下が四本とも白い。カテルクルストが乗っていたと言われる馬もそうだった。うん、この馬にしよう」
今まで気にすることもなかった馬を、改めてじっくりと見たピエッチェだ。そして内心、驚いている。最初から気付いていてクルテはこの馬を選んだ。足元だけじゃない。顔の模様も、伝承されるカテルクルストの愛馬と同じだ――
キャビンの窓からデネパリエルとカッテンクリュードを見降ろした。どちらも護衛兵が以前より増やされている。カッテンクリュードの各門に配置されている兵の数は倍増されていそうだ。
王宮の正門前の衛兵も増やされ、新たに騎兵も配されている。王都の守りは固いのだからと、以前は置かれていなかった騎兵だ。王宮の門に騎兵が必要か? 馬上から相手を威嚇するためとしか思えないピエッチェだ。
「なるほど、デネパリエル大門から真っ直ぐで、王宮正門なんですね」
ラクティメシッスが地上を見て言った。
「噴泉広場もあるのに、中央に位置していない――王宮に入るにはあの門だけってことはないですよね?」
「小さな門――勝手口みたいなのが三か所ある。二か所は出入りの商人用、もう一箇所は王宮で働く者のための門だ」
「そちらにもとうぜん門兵がいるんでしょうね」
木立の影で通用門は見えていない。
「まぁ……正門から堂々と入る、そう決めているのでしょう?」
今さらなことをラクティメシッスが訊いてくる。
「わたしにとっては初めてのザジリレン国正式訪問――あれ? 王宮を通して事前連絡をしていませんね。正式とは認められないでしょうか?」
「俺が承知していれば問題ないだろうが……気になるなら部下に命じて、今日中に通知文書を送っておいたらどうだ?」
「今日の明日、王宮を訪問すると?」
ラクティメシッスがニヤリとする。
「いいでしょう、ララティスチャングからカッテンクリュードの道のりで齟齬が生じたってことで押し通せます。王宮は大慌てでしょうね」
すぐにでも部下に連絡を取りそうな勢いだったラクティメシッス、ふと動きを止めて、
「カテロヘブ王を護衛してきたと書いても?」
ピエッチェの顔を見る。
「もちろんだ。でなければ、ローシェッタ王太子の急なザジリレン訪問の言い訳が立たない――ジジョネテスキがデネパリエルからカッテンクリュードに戻る理由もできる。こうなったら、アイツは俺の命で帰都したことにしてもいい」
「先行した国王と合流するためってことですか。ちょっと無理があるけど、ドロキャスを黙らせましょう」
「それと……打ち明けておきたいことがある。カッチーのことだ」
ピエッチェが自分の隣に座るカッチーを見た。
ザジリレン王都に入る時はリュネに乗ってと決まるとカッチーは、感極まって涙ぐみ、ずっと押し黙っている。それでも眼下にデネパリエルやカッテンクリュードが見えてくれば、食い入るように見始めた――母ちゃんが生まれ育った王宮と、それを取り巻く街……胸を震わせているのかもしれない。
カッチーの母親はザジリレンの失われた王女……カッチーを利用してカテロヘブ王が同行していることを隠すためにラクティメシッスがでっち上げた筋書きだ。窓の外から目を離さないカッチー、だけど隣に座るピエッチェにはカッチーの緊張が伝わってくる。自分のことでピエッチェがラクティメシッスに打ち明ける事と言えば、一つしか思い浮かばない。
フッと、ピエッチェが笑みを漏らす。
「カッチーの母親が失われた王女だってことにすると聞いた時、どうしてラスティンが知っているんだと、腰が抜けそうだったぞ」
「えっ?」
ラクティメシッスが言葉を失し、カッチーの顔を見る。マデルは息を飲み、動きを止める。息をするのを忘れやしないか心配なくらい驚いている。
「俺も知らなかった。教えてくれたのはジョーンキの森の女神だ」
「待ってください、本当に本当?」
戸惑いがラクティメシッスを慌てさせている。
「って、でも……」
混乱しながらもカッチーを見る。カッチーももう窓の外を見ていない。俯き加減で前を向いている。
「カッチーは最初から知っていた?」
「いや、知らなかった。俺が教えたんだ――ジョーンキの女神が嘘を吐くはずもないと思ったが、確認する必要はある。だから母親の名をカッチーに訊いた。なかなか教えてくれなかったけどな……俺の父の妹の名と同じだった。それでジョーンキの女神の情報に間違いがないと確定できた。カッチーが母の身分を知ったのは、ワイズリッヒェに立ち向かった時だ」
そうですか……ラクティメシッスが複雑な表情でカッチーを見た。そしてハッとする。
「母親がザジリレン前王妹だとして、父親は? そちらも判っているのですか?」
「それは……」
ピエッチェが口籠った。
判っている。ローシェッタ国貴族コメスカッチ卿の妾腹として生まれ、厄介払いとばかりにザジリレン国に追いやられたリューセンチラ……ザジリレンではやはり上級貴族サンザメスク卿に見込まれて養子になったものの、実子誕生によって継承権のない猶子の身分へと変更されたアランロレンス。
それだけでも波乱万丈、そのうえどんな経緯でかは判らないが魔物討伐の任に就いて、それがもとで命を落とした。運命に翻弄され続けた生涯に、失われた王女はどう関わっているか?
間違えればカッチーの身分も危うくなる。




