18
ピエッチェが厩に行くと、リュネに抱き着いていたクルテがニマッと笑んだ。
「心配しなくてもいい。あの森は枯れない」
「女神が居ない森は枯れるんじゃないのか?」
「サワーフルドが片手間で管理してる。だから枯れない」
片手間ですか。
「自分の森があるからね、そうそう完璧にはいかない」
「ワイズリッヒェの森は放棄されて原っぱになったんだろう? 隣接するコゲゼリテの女神はワイズリッヒェの森の面倒を見なかったってことだよな。なんでサワーフルドは王家の森の面倒見てるんだ?」
「誰が放棄された、なんて言った? 王家の森は放棄されたんじゃない」
「それじゃあなんで女神はいない?」
「カテルクルストなら知っている」
「おまえなぁ――だからって、どうやってカテルクルストに訊くんだよ? おまえが俺に教えてくれればいいだろう?」
リュネに抱き着いたまま、じっとピエッチェを見詰めたが、クルッと顔を向こうに回したクルテ、
「なんでそんなことを知りたがる?」
冷たい声で訊いてきた。おまえには関係ない、そう言われたような気がした。
「だって、王宮の庭のことだ。知っておきたいと思っちゃ悪いか?」
「ふぅん……それで?」
「それで、って……あ、いや、あの森はカテルクルストが植えた木が最初で、その木が中心で」
「どの木?」
「どの木……」
って言うか! なんで俺はこんなにしどろもどろなんだ?
「枯らすわけにはいかないんだ。放棄したんじゃないなら、なぜ女神が居ないのか教えて欲しい。帰ってきて貰うにはどうしたらいいんだ?」
向こうに顔を向けていたクルテが、ゆっくり首を回してピエッチェを見た。
「カテルクルストが植えた最初の木を探せ。そうしたら女神が戻る……多分」
多分かよっ?
カテルクルストが植えた木がどれかなんて伝承はない。王家の森にはたくさんの木が生えている。どう見分けろって言うんだ?
「あの森で一番の大樹がそうなのか?」
「そうなのかって、カテルクルストが植えた木?」
「うん、おまえ、知ってるんだろう?」
「まぁ、知らなくはない……カテルクルストの呪いの木」
「呪いの木?」
「カテルクルストは自分に呪いをかけるためにあの木を植えた。見ればきっとすぐ判る」
リュネ~と甘えた声を出してギュッとリュネの首に抱き着くクルテ、答えてくれそうもないなと思いながら訊くピエッチェ、
「カテルクルストはなぜ自分を呪ったんだ? それにどんな呪いをかけたんだ?」
クルテがニマッと笑む。
「なぜ呪ったか? それはカテルクルストが愛したから……どう呪ったか? 愛を誓いあい、結ばれるのはただ一人。そんな呪い」
「それって呪いなのか?」
「そうだよ。だからザジリレン王家に生まれた者は、たとえ何かで配偶者を失っても、再婚してないでしょう?」
そう言われれば、うん、確かに――母を失った父は、誰が再婚を勧めても二人目の妻を迎えようとはしなかった。祖父は? 祖父は祖母より先に世を去った。その前はどうだった?……いや、ザジリレン王家の歴史の中に〝再婚〟の文字を見た覚えがない。第二夫人や側室が置かれたこともない。
「って、カテルクルストは自分の子を呪った?」
「自分を呪ったんだけど、それが血に受け継がれたってこと」
しかし……
「それって呪い?」
するとクルテが目をクリっとさせた。
「呪いじゃないのかな?」
俺が訊いてるんだよっ!
ウフフとクルテの含み笑い、
「カテルクルストはコゲゼリテを愛していたけど、王妃のことも愛してた。シャルスチャテーレを愛してるって言ったし、わたしのことも愛してるって言った。一人じゃないじゃんね」
不満を漏らすと見せてその実、嬉しそうだ。
「コゲゼリテと王妃のことはなんとも言えないけど、シャルスチャテーレとおまえについては父親としてってことじゃないかな?」
ん? 違うか。シャルスチャテーレはカテルクルストの娘ってわけじゃない。でも、コゲゼリテの娘なら、似たようなもんか。少なくともクルテの姉だ。
「父親として? それって『愛』に種類があるって言ってる?」
「種類って言うか、まぁ、そんな感じだけど」
「なるほど……そうだね、わたしもマデルが大好き、カッチーも好き。リュネは大好き。それも愛って言っていい?」
俺は入ってないんだな。
「まぁ、それも愛の一つの形だろうね」
「そっか、形か……あ、言い忘れた」
何を言い忘れた? 俺のことか?
「ラスティンのことも最近少し好きになった。ごちゃごちゃ煩いけど、根は優しいって判ってきた」
なんだよ……俺じゃないのかよ? 肝心なのを忘れてるぞ、クルテ。
「誰かや何かを好きってのはよく判る。でも自分が好かれるのはよく判らない。カテルクルストとは別の、とうていわたしを好きになるとは思えないヤツに愛してるって言われた。でもきっと嘘か勘違い――なんだか、喉が渇いた。お茶、まだあるかな? リュネ、またあとでね」
それって誰だよっ? まさか、俺のこと?
訊きたいことが訊けずに黙り込んでしまったピエッチェを置き去りに、クルテは厩を出て行った。
三頭の馬とキャビンの状態を点検し、異常がないことを確認してからリュネにキャビンを繋げた。ラクティメシッスの馬ピエルグリフトはリュネのように懐きはしないが反抗することもない。もう一頭は頗る温和しい馬だ。
国軍を率いてカッテンクリュードに入る時、できればリュネに騎乗したい。だけどカッチーをどうするか?――リュネこそ王が乗るに相応しい。だが、そう見栄を張ることもないか? いいや、それなりの見栄を張れない王は支持されない。どんな時も国王は威風堂々としていなければ……根拠もなく民人は、王の威厳と国力を結び付けて考えるものだ。
「ラスティンの部下がどんな馬を連れてくるか、だな……」
リュネを見上げて呟いた。馬もキャビンも厩から出して、出立の準備は終わっていた。
建屋の中に戻らず、御者席に座った。遠くに見える山々は心なしか、秋の風情を漂わせ始めていた。
「……本当に山ばかりだな」
またも独り言だ。リュネがブヒヒと鼻を鳴らした。笑われたと思った。
「なぁ……」
ピエッチェが迷いながらリュネに話しかける。
「クルテにとって俺って、なんだと思う?」
頭を少し後ろに向けてピエッチェを見たが、リュネが笑うことはなかった。ぶるんバサッと尻尾を一振りしただけだ。
「愛を誓い、結ばれる――ザジリレン王家に生まれたら、そんな相手は一人きりなんだってさ。カテルクルストの呪いなんだって」
リュネを相手にぼそぼそ語る。これって、独り言とどれほど違うんだろう? リュネが反応してくれるから、純然たる独り言とは違うか。でも、聞きたい答えも、聞きたくない答えも、返してくれない。
「……俺ってさ、カテルクルストにそっくりなんだって」
相手がリュネの気安さからか、言葉遣いが少年の頃に戻ってしまっている。
「アイツ――」
俺を父親代わりにしたのか?
リュネが相手でも言えなかった。言えばそれを認めたことになると感じていた。だけど、それって今さらなんじゃないのか? クルテは男を怖がっている。だから俺は求めないと決めた。それとどう違う?
未練? 自分で決めたくせに?――ひょっとしたら考え過ぎ、クルテが否定してくれはしないか? あなたがわたしの唯一と、胸の中で微笑んでくれるんじゃないか? そんな期待をどこかに隠していなかったか?
御者席で項垂れるピエッチェにリュネは無関心だ。見えているのだろうが、鼻を鳴らしもしない。慰めてくれない……
木の枝から大きめの葉っぱがひらひらと落ちてピエッチェの肩に止まった。誰かが肩に手を置いたように感じて、見るとそこにあるのは人間の手だ。女の手だ。誰だ? と思って手から腕へと視線を送るが、顔に辿り着く前にすっと消えてしまった。腕も手も、幻だった? 肩にあった木の葉ももうない。でもそれは、ピエッチェが動いたから、地に落ちたとも考えられる。
サワーフルドではなかった。でもあれは……森の女神だ。ではあれが、王家の森の女神なのか? それがなぜここに居る?
王家の森の女神は森を放棄したわけではないとクルテが言った。だったら不在の理由は?……メッチェンゼのように、敵意を持った女神に拘束された? ワイズリッヒェのように、どこかに閉じ込められてしまった? だとしたら、肩に置かれた手は、王家の森の女神の手ではない?
「あれ!?」
建屋のドアが開き、カッチーが顔を出した。
「馬たちの準備、ピエッチェさんが済ませちゃったんですね――あれ、納屋、消えちぇってます、サワーフルド、気が早いなぁ」
「納屋に何か用事があったのか?」
御者台から降りてピエッチェがカッチーに問う。言われるまで気が付かなかった。確かに納屋は跡形もない。むしろ、納屋があった場所すら判らなくなっている。若いケヤキが生えているあたりだっただろうか?
「いえ、納屋でなくてもいいんです――リュネたちにブラシをかけてあげようと思っただけですから」
カッチーが嬉し気に、そして少し恥ずかしげに言った。
「ラスティンさんが今夜、宿の厩で馬たちを粧し立てるって言ってます。鞍を上等なものして、胴飾りや額飾りも……リュネは今でも一目見て、〝いい馬〟って判るけど、もっともっと素晴らしさが引き立つようにしましょうって」
それを自分のことのように感じて、嬉し恥ずかしってことか。
「馬だけじゃなく、俺の髪も切るって……ラスティンさんの部下に、理髪が得意の人がいるんだとか――今夜は大忙しです。身嗜みを整えなくちゃ」
キャビンの貨物台に乗せていた馬用の道具箱を降ろしたカッチー、ブラシを出して一番温和しい馬の横に立った。
「この子、クルテさんが選んだ馬なんです。鞍がイヤで泣いてたって、クルテさんが言ってました」
あぁ、それで外した? 乗りにくいから外したんじゃなかったか。
「俺、明日はこの子に乗りたいです」
カッチーがポツリと言った。
「そろそろリュネ以外にも、乗れるようにならなきゃダメですよね」
リュネがブヒヒと鼻を鳴らした。カッチーは熱心にブラシをかけるフリで、こっちを見ない。ピエッチェは……何も言わずカッチーの背中を見詰めていた。
「クルテさんがね、この子は温和しいから、誰が乗っても振り落としたりしないって保証してくれたんです――ピエッチェさん、俺、明日はこの子に乗っていいですか? リュネにはピエッチェさんが乗ってください」
ふうん、そう言うことか。俺がカッチーに遠慮することなくリュネに騎乗できるよう、気を遣ったな。でもなぜだろう、不思議だ。こうなると素直に従えない。リュネにはカッチー、おまえが乗れと言いたくなる。
しかしそうなると、俺はどの馬に乗ればいい? リュネと並んで見劣りしない馬なんているのか?




