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ピエッチェが異変を感じたのはほんの一瞬、それはすぐさま消えてしまった。まさか気のせい? 考えてみれば、ずっと緊張している。昨夜、サワーフルドの持て成しでかなり疲労は取れたものの、蓄積された疲れは自覚よりも深いのかもしれない。それに身体的疲労を解消するのは容易だが、精神的疲労はなかなか取れないものだ。
デネパリエルが見えないかなと呟いて、さりげなくテーブルを離れたピエッチェにラクティメシッスが着いてきた。離れたと言っても、一番近くの木の根元だ。何かあれば一っ飛びで戻れる――周囲に気を張り、警戒を怠ることがない。常に緊張しっぱなしだ。
テーブルではクルテ・マデル・カッチーの三人は焼いた芋を食べながら談笑している。その様子に癒されるものの、気を緩められやしない。
どうやらポットは無限ポット、カップの上で傾ければいくらでも茶が出てくる仕組み、しかも下にカップがなければ出てこない。もちろん魔法だ。便利なものね、わたしも欲しいわぁと、いささか大袈裟に言って笑うマデル、少しは機嫌が直ったか? 顔色も良くなっている。
「日没もすぐです」
ラクティメシッスが空を見る。とっくに木漏れ日は消えていた。木立の中はほんのり暗くなり始めている。
「朝までここに居ることになるんでしょうね」
疑問ではなく断定、夜の山を進むのは危ないと考えてのこと、溜息交じりだ。
テーブルに戻ったラクティメシッスがマデルの隣に腰を下ろした。振り向いてピエッチェを見るクルテの不安げな顔に、ピエッチェもテーブルに戻る。だが座らずに、クルテの後ろに立ったままで居た。ニマッとしたが、すぐに食べるのを再開したクルテ、焼き芋はお気に召したらしい。カッチーが、
「ピエッチェさんも座って食べませんか?」
気を遣う。
「これって、本当に焼いただけなんですかね?」
芋に嚙り付たラクティメシッスが甘さを堪能している。マデルもピエッチェが気になるらしく
「なんで突っ立ってるのよ?」
と呆れるが、不機嫌さはない。
クルテが新しい芋を取ってピエッチェに差し出した。
「今は食べたほうがいい」
そしてやっぱりニマッと笑んだ……クルテ、おまえもさっきの異変に気が付いてるんだな? だから『今は』なんて言った。まだだってことなんだよな?
「ん? あぁ、判った。でも、芋は要らない」
漸くピエッチェも腰かけた。
さっき感じたアレはなんだ? 気のせいだと思おうとしたが、どうやら気のせいではなさそうだ。ラクティメシッスが『まったく進めていない』と言った時に感じたのが最初だった。そして、木の下でデネパリエルを探そうとした瞬間、ラクティメシッスがテーブルに戻って腰かけた瞬間、クルテの後ろに立った瞬間、異変を感じた。
検知術を得意とするラクティメシッスに何かを察知した様子は全く見られない。クルテが『今は』と言ったのも、みんなが食べてるんだから『今は』一緒に食べようって意味だったか? だけど、異変としか言いようのないこの気持ち悪さはなんだ? 視線と言うには強すぎて殺気と言うには弱すぎる。それじゃあ誰かに見られているのかと言うと、それもなんだか違う。
敢えて言うなら……そうだ、呪縛だ。何かに絞めつけられてような、縛り上げられたような? 身体の自由を奪われた、思い通りに身体が動かせない。そんな感じだった。
「今度は何を考えているんですか?」
チラチラとピエッチェを見ていたラクティメシッスが訊いてきた。
「それとも体調が思わしくない? 顔色がよくありませんね」
「いや……」
顔色が悪い? 違和感は過労で神経が尖っているからなのか? どうしよう、異変を感じていると打ち明けてみようか?
「ううん、暗くなってきたからそう見えるだけ」
ピエッチェが答える前にクルテがケロッと答えた。そしてピエッチェの左腕に絡みついて、
「元気だよね?」
顔を覗き込んでくる。そして指先に……クルテが指先でピエッチェの指を撫でた。ラクティメシッスたちからはテーブルの影で見えない位置、クルテが護りの魔法をかけた指輪をはめた指だ。いつもは感じない指輪の存在を、ピエッチェが鮮明に意識する。そしてクルテの手がピエッチェの手をぎゅっと握った。
クルテの手を握り返すピエッチェ、が、クルテからサッと視線を外す。ピエッチェを見るともなしに見ていたラクティメシッスの表情が変わる。ピエッチェの変化に何かが起こると察したか? カッチーが身構えたのは、ピエッチェとラクティメシッスの緊張を感じてのことだ。
ガタッ! 音を立ててピエッチェとクルテが同時に立ち上がる。僅差で立ち上がったラクティメシッスを驚いたマデルが見上げ、カッチーも立ち上がろうとした。
瞬時に消えたテーブルと椅子、ラクティメシッスが動き、尻餅をつきそうになったマデルを支えた。立ち上がる途中だったカッチーはよろめく程度で済んでいる。
「どうしたって言うの!?」
状況が掴めず叫ぶマデル、後ろ手で庇うラクティメシッス、カッチーは回り込んでマデルの背を守るつもりだ。
「わたしにも判りません!」
周囲に注意を払いつつ、ラクティメシッスが低く叫ぶ。
「ピエッチェ、説明を! あなたに合わせて立ったはいいものの、何がなんだかさっぱりです!」
「俺にだって判るもんか!」
何度も繰り返される異変を、クルテと手を繋いだ途端に感じた。だけど今度は一瞬で消えることなく、それどころか急激に強まった。しかも近づく気配、これは敵意だ。これほど強い波動をラクティメシッスですら察知していない?
とにかく、
「気をつけろ、何かが――」
来るぞっ! ピエッチェの警告が途中で途切れた。前触れのない突風は正面から、思わず顔を庇い、口を塞いだ。誰かに服の背中を掴まれた。
「カティ!」
クルテの悲鳴、背中を掴んだのはクルテだ。突風はクルテを吹き飛ばし……違う! 風はクルテを連れ去ろうとしている!
「クルテっ!」
必死にしがみつくクルテの手、腕を掴んだピエッチェ、ラクティメシッスが
「カッチー、マデルを! 背を低くして!」
叫び、風に逆らってピエッチェに向かう。
「マデルさん、失礼します!」
有無を言わさず伏せさせたカッチーが、マデルに覆いかぶさった。
やっとのことで隣に着いたラクティメシッスがピエッチェに加勢して、クルテのもう片方の腕を引っ張る。クルテの身体は宙に浮き、風に連れ去られる寸前だ。
風は止まない。魔法で起こした風に決まっている。いくらクルテが軽くても、クルテだけを吹き飛ばせるはずがない。
「カッチー、わたしもクルテを!」
「立たないでくださいっ!」
とうとうマデルがカッチーを振り切って立ち上がった。と……急に風が止んだ。
「うわっ!」
ストンと落下するクルテ、対抗する力が消えて後ろに倒れ込みそうになるピエッチェとラクティメシッス、それでもクルテを抱きとめようと、とっさに腕を引っ張れば、地に足が付いたクルテがピエッチェを抱き締めて支える。ピエッチェと一緒にクルテの腕を引っ張っていたラクティメシッスは、いくぶんクルテに掴まる形、それでも転倒は回避した。
抱き締めていた腕を放して、クルテを自分の後ろに行かせようとするピエッチェ、駈け寄ったマデルをラクティメシッスが再び後ろ手に庇う。
「なんなの!? 何が起きたの?」
「いいからあなたは、中に!」
クルテはピエッチェに従わない。
「わたしはここがいい。マデルを守る!」
マデルをラクティメシッス・ピエッチェ・クルテ・カッチーが囲んで身構える。
「おまえも中に入れ!」
自分の隣に立つクルテを、ピエッチェが怒鳴りつける。クルテを中に押しやりたいが、向けられる悪意は続いていて出所さえも掴めない。次の攻撃はいつで、どこから? 気が抜けない中で、クルテに構う余裕がない。
ラクティメシッスもマデルに背を向けたまま叫ぶ。
「えぇ、お嬢さん! ピエッチェの言うとおりに!」
「クルテ!」
マデルがクルテの腕を引く。クルテはピエッチェの腕にしがみつく。
「ヤダ! わたしはカティのそばに居る!」
「敵はクルテを狙っているの! あんな強風は初めてだけど、それでも飛ばされたのはあんただけだった!」
「マデルの言う通りですよ、お嬢さん!」
クルテを強引に動かしたのはカッチー、サッと動いてクルテの腕を取ってマデルの方に押しやった。不意を突かれたクルテがよろけ、それをマデルが抱きとめる。
「捕まえててください、マデルさん!」
「任せて!――クルテ、わたしを『お姉さん』って呼びたいなら、温和しく言うこと聞いて!」
つい苦笑するのはピエッチェ、マデル、それは脅迫かよ? もちろん周囲を注視し、緊張を解きはしない。
「ピエッチェ、敵はどこに?」
ラクティメシッスが密かに訊いた。やはり察知できずにいる。それは俺も同じか。
「判らない。でも敵意……気迫がどんどん強まっている」
「気迫? わたしには感じられません」
ラクティメシッスが珍しく心細げな声を出す。
「うん、察知してないんだろうなと思ってた――ラスティンが『進めていない』って言った時が最初だった」
「最初だった?」
「あぁ、一瞬だったから、気のせいかと思った。だけどそれから何度も感じて……突風が吹く寸前、急激に強くなって。それからはずっとだ」
「ってことは今も……」
ラクティメシッスがチラリとピエッチェを見た。そして苦笑した。
「えぇ、わたしは何にも感じられません。今も、です」
チラリと視線を向けたのは、すぐには信じられなかったからかもしれない。
「けれどあんな風が吹き、お嬢さんを拐おうとした。風には魔力を感じましたが、それも今は消えています。しかし、あなたが感じているのなら間違いないのでしょう……対象はあなたなのでしょう。だからあなただけは感じ取れる」
「クルテではなくて?」
「うーーん……それだとあなたにだけ感知できることの説明にはなりません」
説明なんか必要か?
「対象者にわざと気付かせて、恐怖を感じさせようとしていると考えました」
「恐怖ってほどでもないが?」
「それはあなただからでしょう? 自分を狙っている何者かを感じれば、たいてい怖いと思うものです、しかし……次の手を打ってきませんね」
「こちらの出方を見ているんだろうな」
「攻撃すれば隙も生まれます。向こうは初手をしくじった。余計に慎重になったのかもしれません」
「しくじった?」
ピエッチェがラクティメシッスに異を唱えた。
「あれは、わざとあの程度でやめたんだ」
ラクティメシッスが溜息を吐く。
「敵はなんとしてでもお嬢さんを奪いに来ると考えているんですね?」
ピエッチェが少し考えてから答えた。
「クルテを人質にされたら、俺は抵抗できない。それが狙いじゃないか?」
「ピエッチェ……」
ラクティメシッスが肩を竦めた。
「それは――ピエッチェだけではありません。わたしたちも、です」




