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口籠ったからと言って、咎めることもできない。ヘンだなと思いながらトレイを受け取る。
「午後にもお茶をご注文いただいてますが、そちらはいかがいたしますか?」
「そっちも頼む。出かけている連れが帰ってきたタイミングに持ってきてくれると助かる」
「承知いたしました。受付係に報せるよう言っておきます」
給仕係が退出し、トレイをテーブルに置く。するとクルテが青い顔で寝室から出てきた。服は男物に変わっている。
「寝てた方がいいんじゃないのか?」
「ううん、一緒にお茶しよう」
ふらりとソファーに座り込む。
お湯割りのオレンジを前に置いてやるとすぐさま一口飲んで、
「ねぇ、桃もちょうだい」
と言う。
「おまえが何か食べたいなんて珍しいな」
「生身の身体には栄養が必要。これで少しは元気になる」
ピエッチェが皿を置くとすぐ手を伸ばし、一切れ口に放り込んだ。
「四階までわたしを抱いて運ぶのは大変だった?」
「大したことない。おまえ、軽いし」
「そうなんだ? えっと、ありがとう」
「礼なんか言うな、なんだか調子が狂う」
「もっとよく考えてから言ったほうが良かった?」
それには答えず苦笑しただけのピエッチェだ。
桃を食べるクルテを見るともなしに見ていると、
「人間の食べ物では果物が一番好き」
クルテが微笑んだ。
「人間以外の生き物もよく果物を食べてるが頷ける」
「スズメにも食わせたのか?」
「スズメ? どうだったか、忘れた」
「なんだ、可愛がっていたんだろう?」
「そうかもしれないね。まぁ、そのうち思い出すよ」
クルテが思い出すのではなく、思い出せと言われたように感じて奇妙さを感じるが、
「ところで、例の悪意の正体なんだけど……」
クルテが話題を変え、そちらに気を取られて『奇妙さの理由』を考えるのを放棄してしまったピエッチェだ。わざわざ一階に行った目的と結果のほうが重要だ。
「なにか判ったのか?」
「うん、いろいろ……えっと、結論の前に詳細だったっけ?」
本音は結論が早く知りたい。だけど、いつもの端的すぎる結論だと、理解できないかもしれない。
「判った、順を追って話せばいいんだね」
クルテがニッコリし、ピエッチェがムッとする。コイツ、また心を読みやがった。でも、まぁいいか、いつものことだし仕方ない。
クルテが相手の心を読んでしまうのは、耳が飛び込んでくる音を選別できないのと同じようなものだ。読まれるのがいやなら思考を停止すればいい。だけどそれもなかなかに難しい。でも……まぁ、いいか。
「初めて彼女がわたしに敵意を向けたのは朝食が終わってすぐのころ、その時、彼女は〝あること〟にとても腹を立てた。そしてその原因はわたしだと考えたんだ。〝あること〟ってのは結論だから最後に言う」
あることってなんだよっ? イラっとしたが仕方ない。
「暫くはその事ばかりを考えていた。それがわたしをじわじわと苛んだ。それが急に途切れたのは仕事が始まって、そっちに気を取られたからだ」
「おまえが毛布をひっかぶっていたころだな。お陰で階段を無事に降りられた」
「そう言うことだね――で、受付係から、わたしたちがサロンを利用したがってると聞いて、彼女の憎しみが再燃した」
「恨みを思い出したってことだな」
「それもあるけど、さらに増した。その理由も結論に関係するから後にするね」
またもムッとするピエッチェ、だが、自分で言った事でもある。話し方を教育し直さなくてはと思うが、それは追い追いゆっくりでいい。今は、早く結論に到達してくれ。
イライラするピエッチェを少し見ていたが、このまま説明を続ければいいんだとクルテは判断したのだろう。それでね、と説明を再開した。
「サロンにいると知ってから、彼女は仕事をしながらも、ずっとわたしへの憎しみを募らせていた。仕事も彼女の怒りを鎮められなかった」
「憎い相手にサービスしなくちゃならないんだ。判らんでもない」
「そんなものなんだ? でもね、これは彼女の顔を見て判ったことだけど、自分から注文品を持っていくって言ったらしいよ」
「まさか、飲み物や食べ物に毒を仕込んだ?」
「そうなの? もう飲んで食べちゃったよ?」
「そうじゃなくって! まぁ、毒を急には用意できないだろうから、入ってないと思うぞ」
いや待て、下剤くらいなら? でも、周囲の目もあるし、それはないか?
少しだけ不思議そうにピエッチェを見てからクルテが続けた。
「近づくほど彼女の憎悪は強くなる。怖くて逃げだしたかったけど、あんなところで姿を消すわけにもいかない。じっと我慢してた。それに彼女の顔を見なくちゃって思ったし……彼女の声にもわたしに向ける怒りを感じた。ピエッチェ、わたしなりに頑張ったんだよ」
「うん、おまえはよくやった――で、顔を見て心を読んだんだろう? なんで殺してやるとまで彼女に思われた?」
クルテがオレンジのお湯割りに手を伸ばして一口飲んだ。
「ううん。判らなかった」
「おいっ!? ここまで話を引き延ばして結論はそれかっ!?」
激昂しそうなピエッチェ、クルテはキョトンとしている。
「桃、美味しいよ。残りはピエッチェが食べて。わたしはもう充分」
「それどころじゃないんだが?」
と言いつつ、桃の皿にピエッチェが手を伸ばす。クルテを睨みつけながら、口に放り込んだ桃は思いのほか甘かった。
「……確かに美味いな」
「でしょう?」
嬉しそうにクルテが笑んだ。
桃のお陰で落ち着いたピエッチェ、今度は
「わざわざ四階から降りてって、おまえは気を失うほど怖い思いして、俺はそんなおまえを四階まで運んで……でも、何も判らなかったか」
とガッカリする。それを見てクルテが小首を傾げる。
「なにも判らなかった、なんて言ったっけ? それにわたしはまだ結論を言っていないよ?」
「えっ?」
「顔を見た瞬間、彼女の思考がどっと押し寄せてきて気を失ったのは確かだし、感情の塊だけで理由が判らなかったのも確か」
「うん、それで?」
「彼女は、コイツのせいだって思ってた。コイツってのはわたしのことだ」
「判るよ、それくらい」
「できることなら殺してやりたい、自分はお祭どころじゃないのに、さっさとこの街から出て行け……ざっとこんな感じのが塊になってボワン!って」
「で、気を失っちゃったと」
「その中に彼女がそんな風に考えた理由は浮かばなかったんだ――でもさ、さっきピエッチェが離れていくのを感じて目が覚めたら給仕係の気配があって、わたしを心配するフリをした」
「なんか、話しがズレてないか? それにフリ?」
「ズレてない、すぐに戻る」
「戻る?」
「ピエッチェが給仕係に言ったじゃん。彼女にも謝っておいてって」
「あぁ、うん、言ったな」
「彼はその伝言を伝えたくないって思った。彼女はきっと怒ってる、だから今は近づきたくないって思ったんだ」
給仕係が口籠ったのはこれか?
「えっと、この場合、彼女が怒っている相手はあの給仕係ってことか?」
「うん。彼女はあの給仕係の恋人」
「……そうか」
やっぱり最初に結論を聞いておけばよかった、ピエッチェから力が抜ける。
「つまり、なんだ、彼女の怒りの原動力は、恋人の給仕係がクルテに懸想してるって事か?」
「給仕係は彼女の相手を面倒だと考えてるみたいだよ。でも彼女は彼が好きだし失いたくない」
「そこへおまえが登場した。彼女から見ればおまえは恋敵」
「でもさ、わたしを恨んだって意味ないのに。わたしにその気はまったくない。どうせ恨むなら、男の心変わりでしょう?」
「恋心ってのは理屈じゃ割り切れないのさ。感情全般がそうか……彼女はあの給仕係にフラれた後も好き、好きな相手は恨めないものだ」
「まだフラれてない。でも気持ちがないのには気が付いてる――あ、あの給仕係と彼女が喧嘩を始めた」
「あぁ、顔を見たから感情を追えるんだな。喧嘩の原因は?」
「二人で休みを取ってお祭に行くって約束してたのに、今朝になって急に行かないって給仕係が言い出した」
「うん? だってあの女、働いてたよな?」
「午後から二人で休む予定だった。それを彼が今朝になって急に取り消した。その理由もわたしらしい」
「なんだ、それ?」
「特別室のお客から午後にお茶を出すように頼まれたんで休めない、って給仕係が言ったのが最初の怒りの理由」
「〝あること〟ってやつか。俺たちがサロンに来て、恨みが増したのも根は同じ」
「楽しみを台無した張本人が優雅にサロンで祭を見物。怒り心頭だ――で、彼女も休暇を取り消して、午後のお茶は自分が持っていくと言い出した。今の喧嘩はこれだ。キミはサロン担当だし、重いトレイを四階まで運ぶなんて無理だと給仕係、仕事を譲らない本当の理由を言いなさい! って彼女が怒鳴った」
「それ、どこでやってるんだ?」
「厨房……席に案内してくれた人と注文を取りに来た人がなんとか宥めてるけど、そっか、彼女、ここの宿のオーナーの娘だ」
「うん?」
クルテがピエッチェを見てニヤッと笑う。
「あの給仕係、少し懲らしめよう。ピエッチェ、どうするのがいい?」
「懲らしめるって、どうして?」
「彼女を誘惑したのは給仕係、目的はこの宿。どうにか彼女を騙して、この宿の権利を手に入れようと考えてる。売り払うつもりだ」
「売り払う?」
「でも、なぜ売り払いたいのかがまだ読めない。本人が考えてくれないと、どうにもならない」
「それにしてもおまえ、随分元気になったな?」
「もう彼女は怖くないから。この宿の中にいる限り、彼女の気持ちはすぐ読める。気持ちのいいものじゃないけれど、何をするかが判るんだから恐れるに値しない。今は彼女に同情している」
「同情か……男に利用されて心を弄ばれた?」
「心も身体も、だな……彼女、誰にも言っていないが妊娠してる――ピエッチェ、どうしたらいい?」
「そうだなぁ……」
この街に来た目的はどうなった? そう言おうかと思ったが言わなかった。クルテの真っ直ぐな瞳に、おまえが望むならあの給仕係にはイヤってほど痛い目にあって貰おうじゃないか、そう思ったピエッチェだ。




