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宿の案内図を見ると一階には宿の受付があり、背後に事務室、従業員の控室、さらに厨房とレストランが配置されている。受付横の廊下奥がレストランの入り口、宿泊室に向かう階段はその少し手前にある。
「こっちのスナックサロンは、外に出ないと入れないみたいだな」
受付の向こうにあるスナックサロンは宿の入り口と同じく、道向きに入り口が作ってあって宿泊客でなくても利用できる造りになっている。だが、厨房は内部のレストランと共同のようだ。従業員もきっと共通だろう。
「ふむ……レストランは朝のみ営業ってあるな。夕飯はスナックサロンで摂れってことだろうね」
「あるいは宿以外、もしくはルームサービスで」
「そうだな……一階に行ってウロウロするわけにもいかないから、このスナックサロンに行ってみよう。一階に居るならここの従業員って可能性が高い。フロアに来るかもしれないぞ。見ればソイツが判るんだろう?――そう言えば、ソイツがおまえに敵意を持ったのはいつからだ?」
「最初に感じたのは、朝ご飯が終わってすぐぐらい。急に『ボワン!』って殴られたような感じで、なんだろうって思った」
「その時もソイツは一階に?」
「うん、そう感じた」
敵意を持つにしても何か理由があるはずだ。でも、そんな時刻に何があったって言うんだろう? クルテはこの部屋にいたし、敵は一階にいた。
「今朝の食事って、何か残したっけ?」
「料理のこと? カッチーが全部平らげてくれた」
「この宿で出された食事は全部そうだったよな? いやさ、ひょっとして調理したヤツが残飯を見て頭に来たとかって考えたんだけど、カッチーのお陰でそれはないようだな」
「向こうの敵意はわたしだけで、ピエッチェたちには向かっていない。この部屋に出した料理を食べなかったのがわたしと限定できるはずないよ。それに、食べきれないで残されるなんて厨房じゃ日常茶飯事だと思う」
「それもそうだな……俺たちに向かう敵意も察知できるんだ?」
「ピエッチェたち三人はわたしの獲物だ。危害を加えられることのないよう、気を張り巡らして用心してる。だから見逃さない。多分」
獲物って言われようには抵抗があるが、ま、仕方ないか。それにしてもクルテの能力はいろいろ制約があるようでないようで複雑、理解するにはよくよく聞かなくてはならなさそうだ。
それよりもクルテを狙う理由が先か。ほかに何が考えられる?
「そう言えば、あの給仕係ってことはない?」
「わたしの名を聞いたあの男?」
少しだけクルテが考え込むような顔をした。そして、
「彼がわたしに向ける感情は恨みとか憎しみってのとは違う。それに、彼なら知ってるから判る。知らない誰かじゃない。なんで?」
と小首を傾げる。
「つれなくされて、好意が敵意に変わるってのはよくあることだ。顔を知ってると離れてても心が読めるってこと?」
「うん。見えないところに居てもわたしの能力が届く範囲なら読める。あとはさっきも言ったけど、たとえ知らない相手でも向こうが強くわたしのことを考えていると勝手に入り込んでくる。それ以外の感情は、こちらからは読めない。それと、当然知ってる相手ならより強く入り込んでくる」
「それじゃあ、カッチーやマデルが今、何を考えているかも判るんだ?」
「昨日、買い物に行った時は途中まで読めたけど、結構遠くに行ったみたいで坂を降り切ったところで曖昧になった。感じ取ろうと強く思えば読めなくもないけど、そんな必要もないからそこまでにしといた。でも、あの二人が恐怖とか、強い感情を持てばすぐに判るよ。わたしに助けを求めるとかね。すっごく遠くだと難しいけど……今日は部屋を出てから追うのを止めてる。二人が心配?」
「いや、参考までに聞いただけだ。おまえの能力も詳しく知っといた方がいいかなと思って。心を読める以外の能力は変身とか姿を消すとか?」
「知っている人や物には変身できる。姿を消すっていうより本来に戻るってのがあっているかも」
「それって俺やカッチーにもなれるってこと?」
「そうだよ。なってみる?」
「今はいい。いつか役に立つかもしれないな――俺に化けたら、俺と同じ能力になれるのか?」
「多分それは無理。コピーできるのは見た目だけ。もし能力をコピーできるなら記憶もコピーできるでしょう? フレヴァンスに変身しても彼女の記憶には干渉できなかった。できてれば居所もすぐに判るのにね」
「なるほど」
何が『なるほど』なのかはよく判らない。
考えたところで理由を思いつくものでもない。だからって、相手を確定できれば判るのだろうか?
「誰だか判れば、なぜ、向こうがおまえを狙うのかも判る?」
ピエッチェの問いに、
「顔を見れば相手の気持ちが読めるようになるんだよ? 理由も、わたしに何をしようとしているのかも、丸まるお見通しになる」
「あぁ、なるほど」
今度の『なるほど』は納得のなるほどだ。
「すると、なにしろ相手が判れば怖くなくなる?」
「それは相手の正体や企みが判ってからじゃなんとも言えない。対処できれば問題ないけど、できるとは限らないでしょ」
「顔が判れば感情の流入を遮蔽できるんじゃ?」
「普通じゃ入って来ないのに、殴られたって感じるほどの激情だよ? 遮蔽しきれる自信がない。ジワジワ入り込んできて虐められる、どうしよう!?」
再び毛布をひっかぶったクルテに、
「ソイツ、常におまえのことを考えてるのか?」
とピエッチェが訊くと、
「ううん、今は何も感じない。でもさっきのなんて言うか、ネットリ絡みつくようなのがまた来るかと思うと、それだけでも怖いんだよ」
毛布の中からクルテが答える。
「そうか……」
ピエッチェが、そっとクルテの毛布を剝いで失笑する。
「わかった。俺がソイツと話を付けてやる。どっちにしろ、おまえがなんでソイツに恨まれる? 恨まれるとしたら八つ当たりか誤解だ。会ったこともないヤツに恨まれるはずないだろう?」
「そうなのかな?」
「そうに決まってる。それと、毛布を被ったところで、ソイツから隠れられるわけじゃない。それとも毛布で感情の流入が止められるのか?」
「まさか……だけど、なんとなく?」
「俺が傍にいてやるから、毛布なんかに頼るな。判ったな?」
「判った。でも、その代わりピエッチェにしがみ付いてていい?」
そう来たか! と思ったが、まぁいいか。今さらだ。
何が今さらなのかよく判らないが、ピエッチェがクルテの肩を抱き寄せた。ソファーからずり落ちたクルテがピエッチェと並んで床に座り込む。
「ピエッチェ……ピエッチェは温かいね」
胸元でクルテが呟く。
「こうしてると落ち着くだろう?」
「うん、凄く落ち着く。怖くなくなった」
「少し、じゃなくて?」
「このままずっと平和でいられる気がする。でも……」
「でも?」
「ピエッチェは温かいけど、床がすごく硬いし冷たい」
そこかよっ!?
「少し早いがスナックサロンに行こう」
クルテの手を引いてピエッチェが立ち上がる。
「今日は祭りだ。宿に入る時に見たが、スナックサロンは道に大きく窓を取ってあった。あの窓から山車見物しようって客も多いだろうな。早く行かないと満席になるかもしれない」
「いったん通りにでないとダメなんだよね? 肩を抱いて連れてってくれる? そしたら眩暈を起こさないでいられそう」
「あ、その問題があったか……肩を抱いてけばいいんだな? まぁ、眩暈を起こしてもすぐ店に入るから、大丈夫だとは思うけど」
男同士でも体調の悪い相手の肩を抱くのは奇怪しくないが、急な体調不良なら宿に帰るのが自然だ。クルテの肩を抱いてスナックサロン、周囲から奇妙に思われるないだろうか? そんなピエッチェの考えを読んだクルテ、瞬時に服装を女物に変えた。
「これなら問題ないかな?」
「えっ? あぁ、まあな」
コイツ、なんで魔物じゃなくって人間の〝女〟じゃないんだ? 一瞬そう感じたのを、やはり瞬時に打ち消したピエッチェだった。
マデルに借りた服は品の良いものだったが少し落ち着き過ぎで、クルテが着ると若い娘が大人ぶって無理しているように見えた。金貸しに話を聞きに行った時の服の事だ。
今日は柔らかな色調の、若い娘が好んで着そうな服だ。黒髪は緩く編んで、お祭りらしく白い小振りの花を数輪差して華やかさを増している。
「そんな服、どうした?」
「ギュリュー千年史にあった挿絵を真似してみた。可笑しい?」
「上出来だよ」
似合っていると言おうとしてやめた。嘘っぽく聞こえそうだ。
肩を抱いていたら二人揃って転がり落ちそうだったので、階段は手を引いて降りていった。気分だけは貴婦人をエスコートしているみたいだと感じるピエッチェ、
「そんなことしたことないのに?」
とクルテに指摘される。
「おまえさ、心が読めるのは仕方ないにしても、もうちょっとは考えろ」
「ピエッチェが怒るなんて思わなかった。言っちゃいけない事だった?」
「怒ってないけど――でも、思ったままをその通りに言っちゃダメだ。相手がどう感じるかも考えないと」
「怒ってないけど、イヤだった? えっと……考えたら判るようになる?」
「うーーん、それはなぁ」
クルテは生後六か月の赤ん坊みたいなもの、そしてそれは秘密なんだから俺がいろいろ教えるしかない。でも、どう教えたらいいんだろう?
「まぁ、いい。また今度話そう。誰にも聞かれないようにな」
廊下を行く人の気配に、ピエッチェは話を打ち切った。
一階ではピエッチェたちに気が付いた受付係がカウンターから慌てて出てきて、
「お祭り見物ですか?」
と玄関の扉を開けた。宿賃は今日を入れて三日先まで支払い済み、宿で一番高額料金の特別室、しかも朝夕の食事はルームサービスを取るピエッチェたち一行を、お金持ちの上客と認識しているのだろう。
「あぁ、そこのスナックサロンの前を山車が通ると聞いたので……まだ営業前と知ってるが、席が無くなる前にと思ってね」
すると受付係が顔色を変えた。
「今日はお祭りで、営業時間を前倒ししておりまして……少しお待ちください。お席をご用意いたします」
またも慌てて受付に戻り、繰りぬかれた入り口から奥に入っていった。その先は事務室、さらに奥が控室と厨房だったはずだ。厨房からはレストランにもサロンにも行ける。
待てと言われて
「なんだろう?」
訝るピエッチェに
(もう満席だって。どうにか窓際の席を開けさせるつもりみたいだよ)
クルテが意識に話しかけてきた。
(なんだ、それ? 誰かが俺たちのせいでせっかくの席を追い出される?)
(そうはならないみたい。少しずつ詰めて貰って、もう一席作るって――それから、受付の前を通って宿の中からもサロンに入れるようになってるね)
見ると、受付の向こうに並んだ仕切りは全部窓だと思っていたが扉もあった。
(そうか、助かったな。外に出なくて済む)
(それがそうでもない……お祭りって、人間を興奮させるものなんだね)
(えっ?)
言われて漸く気が付くピエッチェ、さっきからヤケにギュッと手を握ってくるとは思っていたが、クルテの顔は真っ青だ。
(やめて部屋に戻るか?)
(ううん、わたしたちがここに来たことをヤツが知った。受付係が中で特別室の客が来たって言ったんだ。そしたらまた、わたしに強烈な……殺意を抱いた)
(殺意? 殺意っておまえ……)
(少なくとも顔を見てから部屋に戻ろう。誰だか判るだけでも少しは安心できる)
(そりゃそうだが)
(まさか人が大勢居るところで襲ってきたりしないさ。人間ってそんなものでしょう?)
(だって、おまえ、立っているのも辛そうだぞ?)
(うん……寄り掛かってもいい?)
ピエッチェが返事をする前に撓垂れかかってくるクルテ、反射的に支えるピエッチェ、抱き合うような形になった。
「お待たせしました」
声を掛けてきたのはさっきの受付係より少し年輩の男だった。
「お席がご用意できました。こちらへどうぞ」
遠慮しているのだろう。伏し目がちでそう言ってサロンに向かって歩いていく。お陰でクルテの体調不良を気取られることはなかった。受付係をチラリと見ると、こちらもサッと目を伏せる。きっとピエッチェとクルテが部屋に戻れば、宿の従業員たちは噂話に興じることだろう。
他の客たちにジロジロ見られるのを感じながらクルテの肩を抱いて店の中を進んだ。通された席はもちろん窓際、しかも窓枠からもズレている。
(よかった、思ったほど店の客はわたしたちを悪く思ってない)
(そうなのか? ジロジロ見られてたぞ?)
(上流貴族がお忍びでいらしているってことになってる。おまえやわたしを見て、名前が知りたいって。自慢できるって思ってるんだ)
(訊かれたら困るな)
(大丈夫、無礼のないようにってフロア係が釘を刺した)
「何をお持ちいたしましょう?」
さっきとは違う男が注文を取りに来て愛想笑いを浮かべた。チラリとクルテを盗み見たのをピエッチェは見逃さない。噂の〝謎の美女〟だ、仕方ないか?
「注文はお茶だけでもいいかな?」
「もちろんでございます。お紅茶をお二つですね。すぐにお持ちいたします」
「あ、ごめんなさい」
フロア係を引き留めたのはクルテだ。
「何かフルーツはありますか?」
尋ねるクルテに頬を染めてフロア係が答えた。
「それでしたら、オレンジかピーチをご用意できますが?」
「紅茶は一つに変更で、わたしにはオレンジを絞ってお湯で割ったものを。それとピーチもお願いします」
「オレンジのお湯割りですね。ハチミツもお入れしましょうか?」
「お願い。甘さはお任せします」
「畏まりました」
どことなく嬉しそうにフロア係は奥に戻っていった。
(食ったり飲んだりして大丈夫なのか?)
(どうせここで姿は消せない。果物を頼めば貴族っぽさが増すかなと思って……それに『お茶だけなんて本当に金持ちなのか?』って思われてた)
(さすがにお茶だけじゃケチ臭かったか? まぁ、確かに、他の客がちらほら『いったいどこのご令嬢でしょうね』なんて囁き合ってるな)
(近づき難さが増したと思うよ)
(で、例のヤツは? まだ殺意を持ってる?)
「うっ!」
「うっ?」
いきなりクルテが顔を顰めた。
「どうした?」
驚いたが、ここはピエッチェ、周囲を気にして小声で問う。
(ヤツ、厨房だ。オーダーを聞いた途端、さらに憎悪をわたしに向けた……僻みなのかな?)
(大丈夫なのか?)
(ここは堪えるしかない。あとで慰めて)
(そりゃあ吝かじゃないが、そんなんでいいのか?)
(しっ! 近づいてくる。バックヤードを出てこっちに向かってる)
(なに?)
カップを二つとピーチの盛られた皿を運んでくるのは女だ。ピエッチェが自分を見たのに気が付いて慌てて眼差しを変えた。きっとクルテを睨みつけていたんだ。
「お待たせしました」
女の声にクルテも女を見る。目が合った瞬間、クルテがふらっとテーブルに突っ伏した。慌ててピエッチェが立ち上がる。
「おい、しっかりしろ――急で申し訳ないが部屋に運んでくれないか? 連れの具合が急に悪くなった」
クルテは半ば気を失っているようだ。
「お医者さまをお呼びしますか?」
席に案内してくれた男がすっとんできてそう言ったが
「それには及ばん。いつもの貧血だ――騒がせた。本当に申し訳ない」
クルテを抱き上げ、急いでサロンを出たピエッチェだ。クルテは魔物だ、医者に診せられるものか。
部屋に戻りベッドにクルテを寝かせたが、ぐったりしたまま意識が戻らない。
「クルテ?」
呼びかけにも反応しない。
そっと頬に触れてみるとフワリと温かい。ならば気を失っているだけだ。存在を維持できなくなったわけじゃない。そうだ、まずは実体が消えるんだった。ならば大丈夫だ。ホッとピエッチェが息を吐く。
部屋の扉をノックする音が開け放しの寝室の向こうから聞こえた。サロンでの注文品を部屋に運べと言ったのを思い出す。クルテから離れがたい気持ちを抑えて寝室を出た。
運んできたのはいつもの給仕係、
「お嬢さまのお加減はいかがですか?」
部屋を覗き込む。寝室のドアを閉めておいてよかったとピエッチェが思う。クルテの寝室がどこかを知られたくないと感じていた。
「いや、心配ない――サロンの代金は?」
言われた金額を、前もってクルテから預かっていた金で支払い、チップも渡す。
「そうだ、テーブルに運んでくれた女性に、謝っていたと伝えてくれないか? 驚かせてすまなかった」
「えっ? あぁ、はい。畏まりました」
なんとなく給仕係が口籠ったような気がした。




