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重そうな扉が音もなく開く。部屋の中は廊下と同じくらいの明るさだ。廊下から中を覗くと……ごく普通の部屋に見える。
低いテーブルの傍には一人掛けのソファー二脚と横たわれそうなソファー、それが三セット、いい具合に離れて置かれている。高い天井から、何枚か薄布が垂れ下がっているのは部屋の仕切り替わりか?
入室しても扉が消えることはなかった。音もなく閉じただけだ。
「ここが寝室だ――ベッドは全部で五台、好きに使え」
そう言いながらワイズリッヒェが一枚の布を捲り上げた。そこには寝心地の良さそうなベッド、布は天蓋替わりになっているらしい。
「布で閉ざされれば、内部は薄暗くなる。そのほうが眠り易いのだろう?」
試してみるとなるほど、真っ暗ではないが暗く、夜を感じられた。寝具はフカフカと柔らかく、かと言って沈み込み過ぎるということもない。
「で、誰がどこで眠る?」
ニンマリと笑むワイズリッヒェ、窺うように互いを見るピエッチェたち……
動いたのはクルテだ。ピエッチェの手を引いてカッチーに歩み寄る。
「三人で一緒に寝よう」
「えっ?」
驚くカッチー、ピエッチェは
「それじゃ、ベッドじゃなくってソファーで休もう」
クルテに賛成する。
「何を言っている? せっかく用意したベッドを無駄にする気か?」
ワイズリッヒェの抗議、
「申し訳ありません。野営に慣れてしまって、ベッドじゃ落ち着いて眠れそうもないんです」
そう言ったのはラクティメシッス、そして微笑んでマデルに言った。
「わたしたちもソファーにしますよ」
マデルがニヤッと頷いた。
メラメラと火を噴きそうなほど怖い目でクルテを睨みつけるワイズリッヒェ、何か言いたげだが何も言わずに天蓋の一つに入り込んだ。どうやらそこにあるベッドで眠るつもりなのだろう。
「自分もこの部屋で寝るのね」
マデルがボソッと言った。
「ここが寝室って言いましたからね」
ラクティメシッスが答えている。そして『襲うつもりだったようですね』と苦笑いした。
コゲゼリテが味わった喜びを味わってみたい……ワイズリッヒェの願望が消えたとは思えない。ピエッチェとクルテが同じベッドで寝たら、カッチーは一人、そしてワイズリッヒェはカッチーもカテルクルストの末裔だと知っている。クルテがベッタリ守っているピエッチェを諦めて、ターゲットをカッチーに変えないとは限らない。カテルクルストの血への拘りを捨てるなら、ラクティメシッスって選択肢だって出てくる。
「とにかく、油断できません。我々は離れずに居ましょう」
ラクティメシッスがカウチソファーの一つに腰を下ろせば、隣に座るのはマデルだ。カッチーが、
「俺もピエッチェさんと手を繋いでもいいですか?」
恥ずかしげに言った。ピエッチェとクルテ、ラクティメシッスとマデルはずっと手を繋いでいる。
クルテが
「手を繋ぐのは抵抗があるよね?」
カッチーに微笑む。そしてサックをゴソゴソし始めた。ラクティメシッスが覗き込みたそうな顔をしてマデルに小突かれる。
クルテが出したのは五本のリボン、纏めると端をくるっと結んだ。
「これを足首とか、邪魔にならないところに結んでおいて。そしたら手を放しても繋がっていられる」
「わたし、深紅がいいな」
マデルのリクエストにクルテがニマッとした。ラクティメシッスには朱鷺色、カッチーには浅葱色、ピエッチェには瑠璃色、最後に残ったのはクルテ、蒼白色だ。随分長いリボンで、誰もその場から動く必要がなかった。さらに余裕がある。もっと離れてもよさそうだ。
「寝入って手を放しちゃっても、これで大丈夫」
満足そうなクルテ、マデルは
「どうせクルテはピエッチェに抱き着いて寝るんでしょ?」
ニヤッとし、ラクティメシッスは
「五人で繋がる必要があったんでしょうか?」
と不思議がる。
「五人の力が合わさるってことじゃないんですか?」
と言ったのはカッチー、マデルが
「いいこと言うじゃない」
と微笑んだ。クルテはニマっとしただけで何も言わなかった。
『しかし……』とラクティメシッスが声を潜める。
「寝食の心配はないとは言え、いつまでもここに居るわけにはいきません」
ワイズリッヒェのベッドがある天蓋を気にしている。ピエッチェがフッと息を抜いた。
「取り敢えず、俺たちも眠ろう。このリボンで繋がってたら、アイツは何もできないんだろう?」
クルテを見る。
「こちらが望まなければワイズリッヒェは何もできない――あの林はメッチェンゼと重なっていて、わたしたちは通常のメッチェンゼ山に入るつもりで林の中に『自分の意思』で入ってしまった。まぁ、避ける方法はなかったと思うけどね」
「俺たちが行きたかったのはメッチェンゼ山だが、ここもまたメッチェンゼ山ってことか?」
「そう、そう言うこと」
クルテはニマッと笑む。
「で、この屋敷はワイズリッヒェの意思で林の空間のどこにでも出せるけれど、誰かを中に入れるには、その誰かの『入る』って意思が必要だってこと」
「入るしか選択肢はなかったような気もしますよ?」
ラクティメシッスが面白くなさそうに言うが、
「ワイズリッヒェは林の空間のどこにでも屋敷を出せる。それなのに、わたしたちを屋敷内に取り込む位置には出さなかった。こちらの意思を無視できるならそうしたはず。条件付きでなければ相手の意思を無視できない。そんな制約がワイズリッヒェにはある……んだよ、たぶんね」
クルテがまたもニヤッと笑う。
「屋敷にわたしたちを入れたいがばかりに、食事と寝床を提供するって言った。最初にあの場所に連れて行ったのは、ワイズリッヒェ自身も、あそこでしか火の魔法を使えないんだと思う。で、食材は自分で探せと言ったのは、なにが食べたいのか判らなかったからだ。具体的に『捌いたキジ肉』と言ったらキジ肉のぶつ切りを出し、野菜もジャガイモとかと指定して一口大に切ってと言えば、その通りの物を出してきた。願えば叶える、それがワイズリッヒェなんだと思った」
「だったら一番の願いをすぐに叶えて欲しいね」
ピエッチェがフンと鼻を鳴らす。
「もとの空間に戻せって最初から言ってるのに、ここに取り込まれたままだ」
「条件付きじゃなければ無視できないって、ちゃんと言ったよ。裏を返せば、条件を付ければ無視できるってこと」
「アイツの封印を解く方法を教えてやれなきゃ、ここに閉じ込められっぱなしか」
ピエッチェが舌打ちする。
「封印の解除方法を提示できたとしても、あの林に戻されたりしませんかね?」
「元の空間に戻すと確約した。その点は安心していいよ、ラスティン」
「それでピエッチェ、どうなんです? 思い出せそうですか?」
自分に目を向けたラクティメシッスからピエッチェが目を逸らす。
クルテが鼻で笑って言った。
「カティがそんなこと、知るわけない。知らないことは思い出せない。ワイズリッヒェはきっと、子孫をカテルクルスト本人と混同してる――まぁいいや。今は寝よう。寝入ったからってワイズリッヒェは襲って来ない。眠れば疲れが取れて、頭もスッキリする。何かいい考えが浮かぶかもしれない」
それもそうですね、と言いながらラクティメシッスが床に降りる。カウチはマデルに譲る気なのだ。
「それにしてもお嬢さん。随分ワイズリッヒェを理解してるんですね」
ピエッチェも床に降り、ソファーにあったクッションを背中に当てるとソファーに凭れて足を延ばす。その足にクルテが頭を乗せながら答えた。
「ワイズリッヒェが〝声にして〟話したことから推測した」
床に降りるか迷っているカッチーに、ピエッチェが『カウチに横になれ』と微笑んでいる。カウチに寝そべったマデルがラクティメシッスの髪を撫でている。
「なるほど……ワイズリッヒェの言葉に『嘘がなければ』、お嬢さんの言う通りの結果になりますね」
ラクティメシッスはマデルの手を取るとそっとくちづけてから『オヤスミ』と微笑んだ。カッチーの鼾が聞こえ始めている……
ひと眠りして気が付くと、身体を伸ばして横たわっていた。胸元にはクルテ、ピエッチェの腕はしっかりクルテを抱き込んでいる。眠れないのか? そう聞こうとしたピエッチェの唇を、クルテの指先がそっと塞いだ。仄明るい中で、クルテはピエッチェを見詰めていた。
カッチーの鼾は続いている。ラクティメシッスとマデルもよく眠っている。そして森の女神の気配……ワイズリッヒェに違いない。
「さて、カテルクルストの息子よ。どうだ、思い出せたか?」
すぐそこに、ワイズリッヒェが立っている。ピエッチェがゆっくりと上体を起こし、クルテがそれに倣う。
「まったく、姫は我儘で困る――人間どもを寝かせろと言われたから寝かせたぞ。我が魔法を解かない限り、カテルクルストの兄の子たちは目を覚まさない。これでいいのだろう?」
カッチーは目を覚ますかもしれないってことか? 女神の祝福を受けているカッチーには女神の魔法は効かないはずだ。いや、カッチーが獲得した祝福は幾つなんだろう? その数と女神の格で、魔法の効き目が変わってきそうだ。もっともカッチーは滅多なことじゃ、朝まで目を覚まさない。
ピエッチェの横でクルテがフンと鼻を鳴らす。
「ここに居る男は、確かにザジリレンの正統な王。だが、カテルクルストと顔を合わせたことはない。何かを聞いていると考えるのは無理がある」
「姫、ザジリレン王家に伝わる秘密があるはずだ。正統な王ならば知っているはずだ」
「前王は急死し、現王は秘密を受け継げなかった――グレナムの精霊さえも知らないと言った」
あ、クルテ、それは俺の嘘だと見抜いてたんじゃ? いや、それをここで言ったら墓穴を掘る。
ワイズリッヒェが考え込んだ。
「では、我は未来永劫、この空間に閉じ込められると?」
「自分がしたことを考えれば仕方のないことだ」
「我がいったい何をした? 一度きりでいいからと、情けを望んだだけだ――我は人間の願いを幾つも叶えてきた。人間だけではない、獣や鳥や草や木や……命あるものの望みはでき得る限り叶えてやった。そんな我の、初めての望みがなぜ受け入れられない?」
「ワイズリッヒェ……」
クルテが溜息交じりにワイズリッヒェを見た。
「おまえはなんのために他者の望みを叶えてきたんだ?」
「何を可怪しなことを? 望んだから叶えてやった。それのどこが悪い?」
「それは本当に本人のためになっていたか?」
「本人のため?」
「まぁ、結果はどうでもいい。肝心なのは、おまえが『本人のためになるか』を考えたかどうかだ」
「本人の望みが本人のためにならないはずもない」
再びクルテが溜息を吐いた。
「ここに七年前、そろそろ八年か……黒いヤギが迷い込んでこなかったか?」
クルテがワイズリッヒェを睨みつけた。
黒いヤギ? 七年前? クルテ、それって?――




