5
揺れるカーテンの向こうには黒髪の女、若草色の服を着ている。
「あれが女神か?」
ピエッチェの問いに、クルテも屋敷を見るが
「あれって?」
と問い返す。
「右から二番目の窓。カーテンが少し開いていて、隙間からこっちを見ている」
「ふぅん。手招きしてるね」
「あぁ……」
舌打ちするピエッチェ、
「来いってか? どうする?」
クルテの顔を覗き込むが、クルテは屋敷を睨みつけるように見続けている。
「カティはあの屋敷に入りたい?」
「なに言ってる? 近づきたくもない」
「そうだよね……」
「当り前だ。怪しいこと、この上ないだろうが? それともおまえはあそこに行きたいのか?」
やっとクルテが屋敷を見るのをやめて溜息を吐いた。
「わたしだってカティを行かせたくない。だからわたしが行く。わたしが行けば、アイツの魔法は解ける。ここは〝通常〟のメッチェンゼ山に戻る」
「なんだって?」
立ち上がろうとするクルテの身体を抱き締めるピエッチェ、放すものかと力を籠めれば、
「痛いっ!」
クルテの涙声、それを無視して、
「ちゃんと説明しろ!」
ピエッチェが怒鳴りつける。
「どうかしましたか?」
冷やかな声はラクティメシッス、カッチーの鼾でもピエッチェの怒鳴り声を消せなかった。ゆっくりと上体を起こし、静かな眼差しを向けてくる。
「いや……」
なんと答えればいいのか? 俺が行きたくないと言ったから、コイツは自分が行くと言った。でも、それじゃあなんだか説明不足過ぎる。迷ったピエッチェが屋敷を見れば、ラクティメシッスが視線を追った。
「何かが居ますね。人間の女に見えるけど、本当にそうなのか怪しいところ……手招きしてます」
「コイツ、一人であそこに行こうとした」
「それで怒鳴って止めた? しかも羽交い絞め」
クスッと笑うラクティメシッス、顔が熱くなるのを感じるピエッチェ、少し力を緩めたが、手はクルテの腕をがっしりと掴んでいる。クルテはピエッチェの顔を食い入るように見詰めている。
「お嬢さんは行きたいけど、ピエッチェは行きたくない?」
「行きたいか訊かれたから、行きたくないって答えた。そしたら自分が行くって」
「ってことは、招待されているのは一人だけ?」
「そうなのか、クルテ?」
問われたクルテは見詰めるのをやめて、ピエッチェの胸に顔を埋めた。そして溜息をつく。
「あの女はカティをここに置いて行けって言ってる」
「へっ?」
「頭の中に話しかけてきた――カティと離れれば、他の人は領域から出す。そんなことできないって答えたら『だったら代わりにおまえがここに残れ』って言った」
顔を見交わすピエッチェとラクティメシッス、
「そんなのダメに決まってる!」
叫んだのは飛び起きたマデル、カッチーの鼾も聞こえなくなっていた。
「なぜ俺なんだ?」
訊く必要もないと思いながら問うピエッチェ、
「ザジリレン王だから。カテルクルストの血が流れているから」
予測通りのクルテの答え、
「ここはザジリレン、森の女神は王家を護る……ってことは、あの女は森の女神ではない。だったら魔物?」
ラクティメシッスがもう一度屋敷を見た。
今度の答えは意外だった。
「ううん。森の女神は森の女神、自分でそう言った――でも、ザジリレンじゃなくってローシェッタ」
「ローシェッタ? なぜここにローシェッタの森の女神?」
驚いたのはラクティメシッス、クルテが
「ワイズリッヒェって知ってる?」
と問えば、
「あっ……」
心当たりがあるのだろう、蒼褪めた。
「ワイズリッヒェ? なんか、聞いたことがあるような?」
呟くピエッチェ、クルテが
「怪我が治って、川下りの果てに辿り着いたのがワイズリッヒェ」
と言えば、ピエッチェも思い出す。
ヘビの腹で眠っているうちに、気が付けば木陰に寝かされていた。すぐそこに流れる小川、河原で魚を焼いていたクルテ、コケモモを食べながら魚が焼けるのを見ていた。
見渡せば、寝かされていた木陰を作っていた木が一本あるだけの原っぱ、遠くに見える森を目指して歩いた。その森を通って着いたのがコゲゼリテ村だった。
それにしても、ラクティメシッスはどうして顔色を変えた?
「ワイズリッヒェに何かあるのか?」
「あそこは……昔は豊かな森だったって言われているの」
答えたのはマデルだ。
「コゲゼリテの森とよく似た森だったそうよ。だけど女神に放棄されて、原っぱになってしまったんだって」
とっくに目覚めて、剣に手を乗せたまま話を聞いていたカッチーが、
「コゲゼリテにこんな話が伝わっています。ワイズリッヒェは女神の務めではなく人間の男を選んだって」
静かに言った。
「恋した相手はザジリレン建国の王カテルクルスト、彼に会うため森を出てザジリレンに行ってしまった――幸いワイズリッヒェの横には川が流れてた。だから、木は枯れてしまったけれど、森ではなく草原になった。皮肉なのは、ザジリレンに行くため女神はその川を泳いでいったってところですね」
「ローシェッタで――」
ラクティメシッスが怖い顔でピエッチェを見た。
「恋に破れた森の女神は絶対に相手の男を許さない、と言われている元凶の女神なんです。なぜカテルクルストに会いに行ったか? 女神の心に沿わなかった彼を殺すためです」
ギュッとクルテがしがみ付いたのを感じた。
「それで? ワイズリッヒェはザジリレンに辿り着けたのか?」
ピエッチェが独り言のように訊く。ラクティメシッスに訊くべきか、カッチーに訊けばいいのか判らなかった。
「それが……そのあと、ワイズリッヒェの女神がどうなったのかはよく判らないんです。一説によると女神は泳げなかった、川に飛び込んだのは自死だってのもありますし、ちゃんとザジリレンに着いたはいいけれどカテルクルストを守るザジリレンの森の女神たちの返り討ちにあったってのもあります」
とラクティメシッス、カッチーが
「ザジリレンの女神たちがどこかに閉じ込めたんですよね」
とラクティメシッスを見る。
ピエッチェが唸る。
「ワイズリッヒェはメッチェンゼ山に閉じ込められた……」
「どこの森かまでは、ローシェッタの伝承にはありません」
ラクティメシッスの答えにカッチーも頷く。が、
「クルテが言ったのを聞いてないのか? アイツは自分で『ワイズリッヒェ』って名乗った――そうだな、クルテ?」
ピエッチェが覗き込むと、クルテが頷いた。
カテルクルストの恋人はコゲゼリテの森の女神じゃなかったのか? それとも?
「ワイズリッヒェとカテルクルストは恋仲だったのか?」
クルテに訊くと、今度は首を横に振った。
「アイツが言ってた。別の女神を選んだカテルクルストが憎いって。カテルクルストはもういない。だから、息子を恋人と引き離して苦しめるしかないって」
ピエッチェがカッチーを盗み見る。カッチーも『カテルクルストの息子』だ。ひょっとしたらクルテが言わないだけで、ワイズリッヒェはカッチーをも狙っているんじゃないのか?――いや、カッチーに恋人はいない。引き離す相手がいないのなら対象にはならないか? たまたま俺にはクルテがいて、余計にワイズリッヒェの神経を逆なでした。だからクルテが居なければ、ターゲットを俺に絞らなかったかもしれない。
「そうなると、なおさらピエッチェを行かせるわけにはいきませんね」
ラクティメシッスが考え込む。
「だけど女神の魔法が相手では、わたしたちでは太刀打ちできません。どうしたらいいものか……」
マデルが『なんとかならないの?』と詰る。ラクティメシッスが『今、考えてる』と苦笑した。
「だから……」
と、呟いたのはクルテ、それをピエッチェが先制する。
「おまえが一人で行くのは許さない。行くなら俺も行く」
「でも、カティ。わたしが行けば、ひとまずみんなを解放するって」
「ひとまず?」
「ザジリレン国の現状をワイズリッヒェは知ってた――わたしを人質にすれば、やるべきことを終えたカテロヘブが取り返しに来る。だから、カティが残れないのならわたしって、ワイズリッヒェは言った」
ムッと黙り込んだピエッチェ、おまえを人質に差し出せるもんかと怒鳴りたいのを抑えた。抑えたのは怒鳴ることをだ。ピエッチェに、クルテをワイズリッヒェに渡す気なんかサラサラない。
「だからって、お嬢さんをおいて行けるわけないじゃないですか」
ピエッチェを代弁したのはラクティメシッス、マデルが
「クルテ、ピエッチェを怒らせちゃダメよ」
呆れて笑う。
「知っているでしょ? 誰かを犠牲にできる人じゃないって。その誰かがクルテ、あなたならなおさらよ」
「女神って言っても、この森の女神じゃないんですよね?」
そう言ったのはカッチーだ。
「ここの女神はどこに居るんでしょう?――それと、他の森から女神を応援に呼べませんか?」
「女神を応援に呼ぶ?」
そんなことができるもんかと言いたげなラクティメシッス、カッチーが
「ワイズリッヒェはザジリレンの女神たちに閉じ込められたんですよね? つまり複数の女神が力を合わせたんです。同じことをしましょう」
と、ピエッチェを見る。
「もしそうだとしても、どうやって女神を集めるんだ?」
賛同できない心苦しさ、
「きっと女神たちの意思だ。カテルクルストが頼んだんじゃないと思う――おまえはどう思う?」
クルテに訊けば、
「女神は気位が高い。きっと、頼めば余計に動かない」
俯いたまま答えた。
「つまり、カテルクルストが頼んだってわけじゃないってことだな」
女神の招集は不可能と悟ってがっかりするカッチー、ラクティメシッスが
「魔法は通用しない。きっと剣で倒せる相手でもない――じゃあ……」
キッとピエッチェを見た。
「ほかの女神ではなく、ワイズリッヒェ本人に頼み込みましょう!」
「へっ?」
言われた意味がすぐには飲み込めないピエッチェ、キョトンとラクティメシッスを見る。ラクティメシッスはそんなピエッチェを真直ぐに見た。
「もう、こうなったら負けを認めて助けてくれって頼みましょう。負けました、お手上げです、勘弁してくださいって言っている相手を、女神だって許さないわけにはいかないのでは? それに、あなたはカテロヘブであってカテルクルストじゃない。いわば八つ当たり――女神の気位が高いのなら、巧く交渉すれば見逃してくれるのでは?」
それってラスティン、破れかぶれだ……ついピエッチェが吹き出した。
「なに笑ってるんですか!?」
ラクティメシッスはいたって真面目、まぁ、そりゃあそうか。冗談を言ってる場合じゃない。
「判った、行ってくるよ」
クルテを放してピエッチェが立ち上がる。一緒に立ち上がろうとするクルテ、ラクティメシッスとカッチーまで立ち上がる。よいしょっと勢いをつけて立ったのはマデルだ。
「一人でなんか行かせない――あなた、口下手だもの」




