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三日目には風が治まり、雷雲が発生することもなかった。クルテがピエッチェにしがみつくこともなくなった。だがほとんど二日間、ロクに飲み食いしていないし寝ていない。見るからに消耗していた。霧雨に近い小糠雨、先に進めないわけではなさそうだったが、翌日の晴天を待つことにした。
退屈しのぎに食べ物を探してくると言って、洞穴を出たラクティメシッス・マデル・カッチーの三人、戻ってきたラクティメシッスが真面目な顔でピエッチェに言った。
「山狩りをしている気配を感じられません」
周辺に気を張り巡らせて探ったが、人間は検知できなかったらしい。
ピエッチェは嵐だったからだろうと答えたが、
「だとしても、今日は山狩りができないほどの悪天候じゃありません」
ラクティメシッスは納得しない。
「カテロヘブ王が目撃されてから今日で四日か……やっと許可が出たって頃だ。今頃サウゼンあたりで隊を編成してるのかもしれないぞ」
「なんだか嫌な予感がするんです……ちょっと部下に訊いてみます」
そう言ってラクティメシッスはフッと姿を消した。貝殻の連絡具を使うため隠れたのだろう。
そう言われるとピエッチェも気になり始め、日記帳を取り出して『変わりはないか?』と書き込んだ。日記帳は二冊、ジジョネテスキとトロンペセスに繋がっている。
ジジョネテスキはザジリレン国軍を統率し、コッテチカにてローシェッタ国ゼンゼンブに向けての行軍準備を進めているふりをしているはずだ。トロンペセスは任された兵とともにカッテンクリュードで待機中、出陣命令が出るのを待っている。
時刻的には点呼が終り、鍛錬を始める頃か……夕刻まで返信できないかもしれない。それでも気になって仕舞い込まずに日記帳は手元に置いた。そんなピエッチェをクルテが見上げる。栗の鬼皮を剥いて欲しいと言われたのに手つかずだった。
洞穴から出られないのならと、雷の合間に栗を出したクルテ、マデルに茹でるよう頼んだ。そして自分じゃ鬼皮を剥けずピエッチェを見上げてきた――まぁ、いつものことだ。茹で卵でさえ上手に剥けないのだから、栗が剥けるはずもない。
全部で十五個剥けと言う。
「マデルとラスティンは二個ずつ、カッチ-は三個、わたしは五個食べたい。残りはカティが食べる」
ってことは俺は三個か。カッチーと同じだ。
剥いた栗をクルテが出した木の皿に乗せていく。ニンマリ嬉しそうなクルテ、最後の一つを乗せると
「これで十五個」
と言った。俺が数を間違えないか監視していたのか?
「十五個剥いてもまだ残るぞ?」
「それは後でまた食べる」
「茹で栗って日持ちするのか?」
「今日中に食べる」
「じゃあ、ついでに全部剥いておくか?」
「そんな時間はない……たぶん」
「たぶん? って、あっ?」
途端に頭の中で響いた声に、ピエッチェが日記帳を見る。もう返信が来た?
頭の中の声は『早く読め』と言った。しかも立て続けに二回だ。二冊ともに返信が書き込まれたということだ。さて、ジジョネテスキとトロンペセス、どっちを先に読む? それにしてもクルテ、おまえ、返信が来ると察知していたのか?
クルテを見ると、関心はピエッチェからマデルに移ってしまったようだ。剥き栗の皿を持ってマデルのところに行ってしまった。空いた皿をマデルに持たせ、栗を四個乗せると『ラスティンと食べて』と微笑んでいる。それからカッチーを呼び、同じように皿を持たせた……ラクティメシッスは姿を消したままだ。
ジジョネテスキたちがなんと言ってきたか、クルテは気にならないのか? それとも内容まで察知している? クルテなら、そんなこともありそうだ。そしてクルテは戻ってきそうにない――重ねておいた日記帳の、上を手に取りピエッチェが表紙を開いた。
ページがペラペラと勝手に捲れていく。新たに書き込みがあったところが自動的に開く魔法だとラクティメシッスが言っていた。
手にしたのはジジョネテスキのほうだった。開かれたページには『王宮の動きは我らの予測通りとはいかなかった』と書かれていた。
『王宮はカテロヘブ王の書付を偽りだと決めつけた。国王の命を騙る者どもを、まずは一掃する。ローシェッタ遠征は先送りされた』
同志隊には同時に動き出すよう指示を出しておいた。決行は昨日の正午、夕刻には予定通り開始されたとラクティメシッスの部下たちが報せを寄越した。
各部隊は百人規模、全部で八編成だが、出発地はそれぞれに違う。そしてカッテンクリュードに近付くにつれ、沿線の街や村でその地の同志が合流する手はずになっていた。王都目前で推定される兵数は千五百だった。
『わたしの軍にも帰都命令が出された。が、ローシェッタ国への備えとして兵数の半分をコッテチカに残す』
ジジョネテスキはカッテンクリュードに向かう気でいる。
書付の真贋が取り沙汰されるのは想定していた。何しろ八枚の書付全てに『王都に帰還するにあたり、護衛の任につくよう命じる――ザジリレン王カテロヘブ』と書いたのだ。書付を読む限り、隊列のどこかにカテロヘブ王がいることになる。八隊が同じ主張をするのだからカテロヘブは八人いることになる。どう考えたって、少なくとも七人は偽カテロヘブだ。
しかも、どの書付もカテロヘブ王の直筆、紋章印も間違いなく本物……だから対策に苦慮し、判断に時間がかかると踏んでいた。その間にでき得る限り王都に進めればいい。だが、あっさりと『すべて偽物』と切り捨てられた。昨日の今日だ、ロクに検討などしていないのだろう。
ジジョネテスキは既に王都に向かう馬車の中らしい。
『副官ドロギャスに監視されている。もっともアイツはわたしがレシピを書いていると信じて疑っていない。カボチャがお好きなようですな、などと詰まらなさそうに言っている。今度アイツにもカボチャ料理を馳走してみるか? どんな顔をするか見てみたい』
ジジョネテスキの返信はそこで終わっていた。
トロンペセスからの通信文を読み始めた時、ラクティメシッスが馬たちの近くに姿を現した。見えないうちに移動したらしい。難しい顔つきで戻ってくるとピエッチェの隣に腰を下ろし、日記帳を覗き込んだ。
ほぼジジョネテスキと同じ内容、だが王都にいるトロンペセスは出陣を延期されて、王都警備隊として動くことを王宮より命じられていた。
『主だった将校はローシェッタ侵攻のため王都を出ている。王都の守りを固めるつもりらしいがそう簡単にことは進まない。それに加えて地方から集められた警備隊はこちらの味方、安心して王都に進まれよ』
この機に乗じて入都せよとトロンペセスは言っている。
しかし……たかだか百人程度の兵の集まりに、いくらそれが八隊だとしても、なぜここまで軍が乱れる? 隣国に攻め込まんとする直前に、統轄司令官を王都に呼び戻すなんて考えられない。国王の名を偽るなんて重罪だ。討伐を考えるのはもっともだが、なにも国軍を動かすか? 各地の警備隊で充分ではないか? 警備隊が戦に備えての招集で手薄になっているのなら、招集した兵を戻せば済む話だ。
王宮は何を考えている? 牛耳っているヤツはそこまで間抜けなのか?――ピエッチェが、王宮に集まる人物を思い起こす。グリアジート卿ネネシリス、コイツはそこまで馬鹿じゃない。モバナコット卿ターンミクタム、軍総帥のアイツはこんな愚策を考えるはずがない。実権を奪われ、何も言えずにいるのか? そうだ、だからこそ長子ジジョネテスキがコッテチカに送られた。では、ジジョネテスキの弟ラチャンデルは?……次々に思い浮かべる顔、だが誰一人として『コイツだ』と思わせてはくれない。
まさか? カテロヘブ王は生きていると確信し、ローシェッタ国への侵攻や、ザジリレン各地の混乱の責任をカテロヘブ王に全て追わせる気か? だからますます国が混乱するよう仕向けているのか?
「七隊は囮だと判断して、本物の護衛隊を探すと踏んでいたんですけどねぇ」
日記帳での通信内容を話すとラクティメシッスが苦笑した。
「しかし……たかが総数八百足らずに、軍をこんなに大規模に動かすのは不自然ですね」
どうやらピエッチェと同じ疑問を感じたようだ。
「ラスティンの部下はなんと?」
「ほぼ同じですね。ローシェッタ侵攻は先送り、ザジリレン王宮はカテロヘブ王を騙る不届き者の断罪に動いている。ですが……王宮の旗振り役が誰なのかが掴めないんです。クリオテナは体調不良を理由に自室に籠り切り、グリアジート卿は『国王代理の意見を聞かなければ決められない』と言っている。そんな状況で、誰なら国軍を動かせるんですか?」
ピエッチェがすぐさまジジョネテスキに繋がる日記帳を手に取った。
『帰還命令は誰からだ?』
僅かな時を置いて返信が紙面に浮き上がった。
『そう言われてみると署名がなかった――伝令兵は『カテロヘブ王から』だと言っていたがな。そんなはずがないのは判っている。だが、否定もできないからそのまま受け取った』
覗き込んでいたラクティメシッスが
「キジの塩焼き?」
と首を傾げる。
「キジは王宮を示す符丁だ……」
暗号文を説明しつつ、読み進めることにした。
通信はまだ続く。
『伝令兵は、返事を聞いて来いと言われているらしい。だからその場で読んで、承知したと答えた……あの伝令兵は王宮に戻ったら、誰に報告するんだろうな? それを追えないのが残念だ』
すかさずピエッチェが日記に書き込む。
「その伝令兵、特徴は?」
『あぁ、アーネムリセコって若いのだ。騎士になってまだ間もない』
思わずラクティメシッスを見たピエッチェ、
「伝令兵はアーネムリセコだそうだ」
と言えば、ラクティメシッスが
「偽ジジョネテスキとつるんでいたヤツですね。でも、本人なのかな?」
と考え込む。
ジジョネテスキはアーネムリセコの説明を始めたが、ピエッチェは『聞いたところで判りそうもない。不要だ』と通信を終わらせた。ソイツの偽者なら会ったことがある、とは言えなかった。おまえの妻の弟キュレムギルドの偽者と一緒だったなんて言えば、ジジョネテスキの心を乱すだけだ。
「名前が判っているなら追跡できるかもしれませんね」
ラクティメシッスの呟き、そして珍しくピエッチェの前で二枚貝を使った。
「えぇ、王宮騎士団アーネムリセコです。ジジョネテスキへの伝令としてコッテチカに行かされたはずです――ん? それは本当に?」
二枚貝を仕舞ってからラクティメシッスがピエッチェを見た。
「アーネムリセコなんですが……部下が監視対象の一人としていました。ゴランデ卿の息子の一人なのだとか」
「ふむ……」
やはりゴランデ卿か……いや、しかし、ジジョネテスキのところに来たのが〝本物の〟アーネムリセコと限ったわけでもない。




