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またしても黙り込んだピエッチェにラクティメシッスが
「まぁ、わたしはお嬢さんの身の上話は作られたものだと思っています」
と笑う。
「だって、わたしはお嬢さんを森の女神か娘だと思っているんです。人間の家族がいるはずもない。それにお嬢さんを助けたのはどこの警備隊なのか? お嬢さんが住んでいた森はどこの森? そのあたり、お嬢さんに訊いても笑って誤魔化させるってマデルが言ってました」
ラクティメシッスが目を伏せる。後ろめたさを感じてるのかもじれない。責めるような言いかたが心苦しいのか? 訊いても答えられないと判っている質問に気が引けるのか?
「調べましたがローシェッタでは該当する事件は見つかりませんでした。そうなるとザジリレン――ここ数年のザジリレンでの出来事なら掌握しているのでは? 心当たりがありますか?」
クルテの話は作り話だ。そんな事件、ザジリレンにだってない。答えられずにピエッチェは黙り込んだままだ。
ラクティメシッスの指摘は正しい。クルテの身の上話を初めて聞いた時は、よくもそんな出任せが言えたもんだと俺だって呆れた。
女神の娘は森の女神の分身、女神の意思でいくらでも作ることができる。だが、クルテを生み出した女神は愛する男の命を享けた子を産みたいと願い、男の精を取り込んで誕生させたのがクルテだと俺は聞いている。
通常なら女神の娘は生まれたては〝うっすら〟した影のような存在で、森の女神と同じ姿で現れる。それがだんだんと実体を持って行くのだが、クルテの場合は人間の赤ん坊の姿で現れた。そして人間の子と同じように育っていった。だが、それでも森の女神が『産んだ』わけではない。森の女神は生殖機能を持たないとクルテは言っていた。
森の女神も女神の娘も〝精霊〟だと、これもクルテが言ったことだ。そして自分を精霊でも人間でもない中途半端な存在だと言った……複数の森で遭遇した女神やジェンガテク湖の人魚はクルテを精霊と呼んだが〝なりそこない〟と呼ばれることもたびたびあった。だから、と言うのも微妙だが、クルテが俺に訊かせた話は事実なんだろう。少なくともクルテにとっては事実だと思う。
人間の赤ん坊の状態で生まれたのなら、その頃の記憶はなくて当然だ。出生時の話や幼い頃の話はクルテを生み出した森の女神やその娘たちから聞いたのだと考えるのが順当……なんとなく、コゲゼリテの森の女神を母さまと呼んでいるのを思い出し、フッと心が温かくなった。クルテにだって家族はいる。そう思えた。唆魔に見付かってしまうまでは母さまと大勢の姉妹たちに守られて、ごく普通に幸せに暮らしていた。そう思えた。
「それにね、ピエッチェ」
ラクティメシッスはピエッチェから目を逸らしたままだ。
「お嬢さん、十八歳って言ってるけど、本当は十四歳なんだとか? まぁ、本人の申告だから年齢は怪しいものだと思っていますが……いくつの時から一人で森に居たのでしょう? それは何年間? 人間の子どもが? 加えて魔法も弓も剣も自己流って点や、あれほど使いこなせるのも女神か女神の娘と考えれば納得できると言うものです」
「きっと、ラスティンの言う通りなんだろうな。それでも……俺はあいつを人間だと思っている」
今度こそ話は終わりだ。どんなに話しても、質問されても、俺はラクティメシッスに言える言葉がない。クルテは人間だと、意地でも言い続ける。なにがあっても、『俺にとってクルテは人間だ』と宣言した。
ゆっくりとピエッチェが立ち上がった。
「もしも、だ。もしもアイツの身の上話がデタラメだとしても、それを咎め立てたって誰にも益はない――けどな、アイツが男を怖がるのは事実だ。ギュリューの宿で人間の男に襲われた時の様子をマデルに聞けば判る」
ラクティメシッスも今度は引き留める気がなさそうだ。言いたいことはすべて言ったのだろう。この先はピエッチェが考えて判断するしかないと判っている。それでも、
「その件については執拗いと思われるかもしれませんが、もう一度言います。お嬢さんが同じことを望んでいるのか確かめたほうがいい」
ピエッチェを見上げて心配そうにそう言った。
ラクティメシッスも複雑なのかもしれない。ともに行動するうちにピエッチェにはクルテが必要だと感じているのではないか? 事実、今までどれほどクルテに助けられたことか?
命の恩人って話ではない。ピエッチェが迷えば助言し、決意すれば実現に向けて力を尽くし、そして何より心を支えてくれた。ともすれば冷静さを失しそうな時、現実に引き戻してくれたのもクルテだ。
それが判っているからラクティメシッスも、クルテを王妃にすることに反対しない。ラクティメシッスはクルテが将来は王妃になると考えている。でも、やっぱり引っかかる。なぜならクルテは人間じゃないと知っているから……乗り越えなければならない問題を提示し、でき得る限り助力すると言ってくれた。
それでも、同盟国の王妃が森の女神や女神の娘だなんて簡単に受け入れられるものじゃない。ましてや『実は魔物』だなんて論外だ。だから言えない。クルテは人間、ただの魔法使いだと、俺は言い続けるほかない。だけど……
クルテの正体と俺の思いを正直に打ち明けたら、ひょっとしたら……ラクティメシッスはクルテを人間にする方法を知っていはしないか?
いや、それはない。そう考えるのは俺の心の弱さだ。甘えたいだけだ。誰かに頼りたがってるんだ。
クルテは『思い出せ』と言った。俺が思い出すしかないんだ――
クルテたちのところに戻ると、マデルがホッとした顔でピエッチェに言った。
「クルテったら山ブドウのジュース、もう三杯も飲んだのにもっと作ってって聞かないの。やめておけって、ピエッチェからも言ってよ」
見るとクルテは悲しそうな顔でピエッチェを見上げている。
「山ブドウはまだあるのか?」
カッチーに訊くと、
「まだ半分しか使ってないんですけど……」
やめたほうがいいと言いたそうだ。
「何をどれくらい食べたんだ?」
これに答えたのもカッチー、
「サルナシとアケビを三個ずつです」
そこに山ブドウジュースが三杯か……いい加減腹がタプタプじゃないのか?
「山ブドウのジュース、美味しいよ。マデルがギュッと絞ってくれた」
泣きそうな顔でピエッチェを見上げたままクルテが呟く。ふぅん、なるほどね。
「マデル、悪いな。俺にもそのジュース、貰えるか?」
途端にクルテの顔がパッと明るくなった。ピエッチェの予測通りだ。
「そりゃあ、いいけど……ピエッチェがジュースを飲みたいなんて、珍しいね。でもクルテにお替りはないから」
マデルに睨みつけられたクルテはケロッとしている。
「でもジュースはあと二杯作って。カティとラスティンの分――わたしはもうお腹いっぱい。搾り滓は捨てないで桶に入れておいて」
搾り滓なんてどうするのよ……ぶつくさ言うものの、マデルは木を刳り貫いて作った桶に絞り布に残った滓を入れている。料理に使うか、馬たちに食べさせるかのどちらかだろう。
ラクティメシッスが戻ってきたのはマデルが最後の一杯の搾り滓を容器に入れているところだった。
「あんたの分はそこに置いてあるから」
マデルが山ブドウのジュースが入ったカップを指す。ちょっと不機嫌だ。
「それは搾り滓? 山ブドウでワイン擬きでも作る気ですか?」
「滓だけじゃ無理でしょ? 果汁もなくちゃ」
「ワインの搾り滓で作るお酒を聞いたことがあるんで、てっきり酒好きマデルが作ろうとしてるのかと」
「ラスティン、わたしを怒らせたいの?――さっさとジュース、飲んだら?」
怒らせたいのか訊いているが、マデルは既に怒っている。もともと機嫌が悪かったのに、ラクティメシッスがさらにイラつかせた。
苦笑いして定位置に座るとラクティメシッスはピエッチェを見て、
「あなたも山ブドウのジュース? 珍しいですね」
自分もカップを手にした。
「ふぅん。甘いけど渋みも強いようです」
「なんだか知らないが、クルテは俺とラスティンに飲ませたかったみたいだぞ」
「へぇ、お嬢さんが? わたしにまで何かを飲み食いさせようなんて、どんな風の吹き回し?」
「果物を食べさせたかったんじゃないかな?」
「おやおや、体調を心配されてしまいましたか」
ラクティメシッスはちょっと嬉しそうな顔をしたが『まずは自分でしょうにね』と皮肉る。そして
「で、お嬢さんはミノムシみたいにピエッチェにへばりついてる?」
ピエッチェの後ろを覗き込んで笑った。
ラクティメシッスが戻る少し前までピエッチェの横でニマニマしていたクルテだったが、急に毛布を被るとピエッチェの背中にへばりついた。マデルの機嫌の悪さの原因だ。
マデルがクルテに『ピエッチェはまだ飲んでる』と窘めたのに、当のピエッチェが『気にするな』と言って背中にへばりつくのをクルテに許した。なんか、わたしってバカみたい……マデルがボソッと言った言葉には、いろいろな意味が込められていると感じた。
ラクティメシッスとマデルは二人きりの時、どんな話をしているのだろう? クルテはいずれ王妃になると、やはり話しているんだろうか? だとしたら、マデルはクルテを王妃に相応しい行いができるようにと考えているんじゃないか? 家臣の前で同じことをしたら、クルテはきっと非難される。
「ミノムシとは巧いこと言うね」
ニヤッとピエッチェが笑う。
「そろそろまた、雷が近づいてるんじゃないのかな?」
「えぇ、風が急に強くなりました」
ラクティメシッスは山ブドウジュースを持て余していたがカッチーを見て、
「馬たちのところに飼葉用の草を積んであるんですが、搾り滓をその上にぶちまけといたらどうですか?」
と言った。すぐにカッチーが桶をもって入り口に向かった。馬に食わせていいのかと思ったが、背中のクルテが笑ったような気がした。ならば大丈夫だ。
「あのままだと発酵してしまいます」
ラクティメシッスが微笑んで、ピエッチェに言った。
「リュネが酔っぱらったらどんなだろうね?」
ピエッチェもラクティメシッスに微笑み返す。
「馬も酔うと踊るらしいですよ」
「へぇ、そりゃあ見てみたいもんだ」
「山に生えてる草で、馬を酔わせるものがあるって話を聞いたことがあります」
それはアセビのことだ。絶対馬に食わせるなと教えられている。
「アセビのことかな? 酔うんじゃなくって、毒に当たって苦しみのあまりフラフラになる」
「毒ですか……山には他にもたくさん有毒物がありそうですね」
「そうだね。毒キノコとか?」
黙って聞いていたマデルがクスッと笑った。機嫌を直したのだろうか?
クルテがギュッとしがみ付く手に力を込めた。すぐに雷鳴が轟いた。嵐になるのも時間の問題だ――




