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ラクティメシッスはなかなか姿を現さない。話し込んでいるらしい。
連絡具には誰からの連絡か、持ち主にだけ判る魔法が掛けられているとマデルが言った。いつもなら席を外してからなのに、今回はいきなり姿を消したラクティメシッス、それほど急いで対応しなければならない相手か内容だということだと表情を曇らせた。
「誰が連絡を寄こしたか、わたしにも判らないのよ」
ラクティメシッスがいるであろう場所をチラッと見てからマデルが言った。
「彼は連絡具を王室魔法使い全員に開放しているから相手が部下とは限らない――誰かに頼まれた魔法使いが相手なら、その誰かと話すこともできるわ」
マデルが心配しているのは王都ララティスチャングでの異変ではないか? それって……真っ先にピエッチェが思い浮かべたのはラクティメシッスの父、ローシェッタ王の容体急変だ。最悪の場合も考えなければならないんじゃないのか? きっとマデルも同じことを考えている。顔色が真っ青だ。
もしそうならば、さすがにラクティメシッスも帰国するだろう。王太子の婚約者として、マデルも帰国しなくちゃならないんじゃないのか? 当然そうするだろうし、そうして欲しい。けれど……
今、魔法使いたちに帰国されるのは困る。同志たちとの連絡手段を失うことになる。もしも部下はこのままザジリレンに置いて行くと言われても、ラクティメシッスとマデルが居ないのに魔法使いたちと連絡が取れるんだろうか?
背後にとつぜん気配を感じ、ピエッチェが振り返る。
「ラクティ!」
正面に座っていたマデルが、ピエッチェの背後に呼び掛ける。つい愛称で呼んでいる。ウトウトしていたクルテが、ピエッチェの胸元で『ラスティンだってば』と呟いた。
「何かあったのか?」
ピエッチェの問いに、
「いえ、何も……」
難しい顔をしたまま、ラクティメシッスが元いた場所に腰を下ろした。カッチーが不思議そうな顔で『消えたのとは違う場所?』と独り言のように言えば、
「姿を消してから、移動したんですよ」
と苦笑した。
「何もなかったようには見えないぞ」
なんだか、素っ頓狂な声を出した時の仕返しみたいになってると思いながらピエッチェがラクティメシッスを見詰める。そんなピエッチェから視線を外したラクティメシッス、
「えぇ……何かがあったというわけではないんです」
と溜息を吐く。
「ジランチェニシスのことでした」
ローシェッタ国王への心配は消えた。いや、未だ意識が戻ったと聞いていないのだし、心配は心配だ。でも今は……
ジランチェニシス――コテージの少年……ギュリューではギュームからコテージの絵を手に入れた。ギュームを森の聖堂に閉じ込めたのもきっとジランチェニシスだ。聖堂の鐘の魔物化にも関与している可能性がある。ギュームの息子レムシャンをギュリューの宿に送り込んだのもジランチェニシスかもしれない。いや、ジランチェニシスに、他人を操れるほどの魔法が使えるとは思えない。誰かが後ろにいるはずだ。きっとそれはノホメだ。
ローシェッタ王女フレヴァンスを誘拐したが、コテージの絵に逃げ込まれて手を焼いていた。デレドケではセンシリケの妻と娘を誘拐し、フレヴァンスの相手をさせるために人身御供と金品を要求した。その手段としてカードゲームに必ず勝てるよう、センシリケの手に魔法をかけた。
ギュリュー清風の丘の屋敷に潜伏し、誘拐してきた人々とともに偽カテロヘブを騙りとも知らず眠らせたまま幽閉していた。ザジリレン王と懇意になれると信じてもいた。
偏った魔力の使いかたしか知らないのは、他者が意図した結果と感じていた。同情できないものの、哀れさは感じていた。意図した誰かはノホメだろう。そのノホメの素性も行方も不明なままだ。
そのジランチェニシスの父親の素性が判ったということか? ローシェッタ王家に繋がる誰かと言うのは、ベスクの森の女神から聞いて判っている。王家のどのあたりに繋がっていた?
それともノホメの素性か行方が判ったのか?――そうだった、ノホメはザジリレン出身の可能性があるんだった……ジランチェニシスの母親がザジリレン王家の娘の可能性があると、ラクティメシッスには言っていない。
ラクティメシッスが難しい顔をしているのは、ジランチェニシスの母親やノホメがザジリレンに関係すると判ったからだろうか? もしそうなら、ローシェッタ国だけでジランチェニシスの処分は決められない。母親が〝失われた王女〟なら、その子はザジリレン王家に繋がる者だ。
失われた王女を否定したばかりなのに……このタイミングでジランチェニシスの母親の素性が知られるのは実に気まずい。どのみち、いつかは知られると思っていたが、とにかくここは『知らなかった』ことにしたほうが無難だ。巧く驚ける自信はないが、ジランチェニシスの母親がザジリレン前々王の妹だったなんて、と驚いて見せるしかない。
整理してから話したい――ラクティメシッスがそう言うとカッチーがお茶を用意して配った。クルテは差し出されたカップをチラッと見ただけで受け取ろうとしない。ピエッチェが受け取って自分の分と一緒に、テーブル代わりにしていた石の上に置いた。
ラクティメシッスはカップを手で包み込んでしばらくじっとしていた。カップの中を見たまま、考え込んでいる。お陰でピエッチェも、いろいろ考えることができた。ただ、もしもラクティメシッスが、ピエッチェの知っている事とは別のことを言い出したらどうするかまでは決められずにいた。いや、それは違う、と訂正するべきか?
ラクティメシッスが空になったカップを岩のテーブルに置いて、ゆっくりとピエッチェを見た。ようやく話す準備ができたのだろう。
「何から話したらいいのか迷っていましたが、時の流れに沿って話すのが一番いいようです」
頷いたピエッチェにラクティメシッスが安心したような微笑みを見せた――
ザジリレン王都カッテンクリュード――王宮内国王代理の執務室ではグリアジート卿ネネシリスが溜息を吐いていた。
妻で王女、そして国王代理のクリオテナは私室に籠りきりで会いに行っても追い返される。カテロヘブ王は未だ生死不明、王都内には不穏な流言が蔓延り、トロンパからはローシェッタの盗賊団に入り込まれたと連絡があった。
ローシェッタ国にカテロヘブが幽閉されていると確かな筋からの情報に、当該国に問い合わせたものの知らぬ存ぜぬと返された。重臣たちから『国王を取り返せ』と責め寄られ、ならば開戦するのかと詰め寄り返したが『覚悟を決めて開戦せよ』と言い放たれてしまった。
(重臣どもめ……ヤツら、元よりわたしのことを、いいや、王であるカテロヘブでさえも若造だと思って舐めているんだ。国王代理と呼びはするが、クリオテナのことだってほとんど無視しているじゃないか。何を言っても『王女さまにはお判りになりますまい』だって? ふざけるな!)
悔しいが覚悟を決めろと言われれば自分が口にしたことだ、後戻りもできない。このままでは開戦もあり得るとローシェッタ国を脅してみたが、何を根拠に言うのやらと『呆れている』と返事が来れば、その根拠、カテロヘブがローシェッタにいることを証明するしかなくなる。それにはローシェッタ国に攻め入り、カテロヘブを見つけ出すしかない。
それこそ覚悟を決めて国軍を動かすことにした。もちろん重臣の中に反対する者はいなかった。自分たちが煽ったのだ、反対するはずもない。どうにかジジョネテスキを呼び戻して従軍させ、コッテチカにて睨みを利かせろと内密に命じた。ローシェッタ国との開戦は避けたいと、本心を明かしてのことだ。
『カテロヘブがローシェッタに捕らえられているのは間違いない。だからもし、下手に開戦なんて事になればアイツの命がどうなることか?』
そう打ち明けたネネシリスをジジョネテスキは不思議そうな顔をして見た。
『アイツがローシェッタに居るのは確実なのか?』
『あぁ、信用できる人物から聞いた。向こうの王宮でカテロヘブに会ったと言っていた。ヤツら、カテロヘブに懸賞をかけて探したらしい』
『その信用できる人物って誰なんだ?』
『それはジジョネテスキにも言えない。王宮内、閣議での最重要機密だ』
ジジョネテスキは納得できなさそうだったが、それでも承知したと言ってくれた。
開戦なんかしたくない。戦争なんかしたってなんの得もない。それが本心だ。だけどカテロヘブはなんとしても取り戻したい。だから、コッテチカに行軍させればローシェッタ国も考え直すのではないかと期待もした。だがその様子も全くない。それどころかローシェッタ国からは『こちらはトロンパから攻め込む』と返事が来た。
トロンパだって? 確かに国境は接しているがミテスクの山は険しい。大軍で攻め込むのは無理だし、そもそも王都までかなりの距離がある田舎だ――馬鹿にされたと思った。やれるもんならやってみろと言われたと感じた。そこへ今度は、トロンパに来たのはローシェッタ軍ではなく盗賊団だと聞かされ、どれほど悔しい思いをしたことか。
さらに王都ではカテロヘブについて奇妙な噂が広まっている。ローシェッタの魔法使いによって魔物に変えられてしまった。人間に戻すには、魔法をかけた魔法使いを殺すしかない。
そんな馬鹿なと思った。そんな重要事項をローシェッタ王宮が漏らすはずがない。魔法使いの国なのだから、もしも漏洩しそうになったら魔法で揉み消すだろう。だからデマか、恐怖心が生んだ何かだ。そう思ったのに……
噂の出どころを調べさせたら、国王代理クリオテナだと報告があった。カッテンクリュードの街医者スリメンテランドがクリオテナに聞いた話として吹聴した……
湿疹ができやすいクリオテナが頼りにしている医師スリメンテランドはネネシリスも知っていた。快活で話し好き、そして皮膚科医としては申し分ない。そんな男だ。
「本当にスリメンテランドがそんな話を流したのか?」
調べてきた臣下を詰問した。すると
「本人が真実だと言いました。それに……クリオテナさまから街の人々にも知らせるように依頼されたと言っていました」
と答えが来た。
「投獄しますか?」
「いや、その必要はない」
そう答えるネネシリス、まずはクリオテナに確かめてからだと思っていた。だが、そのクリオテナに会えずにいる。
クリオテナは食が喉を通らず、吐き気もあるらしい。『らしい』というのは召使に聞いたことだからだ。
『クリオテナさまは体調が思わしくなく、誰ともお会いになれません』
会えないほど具合が悪いのなら、どうして皮膚医のスリメンテランドではなく、しかるべき医師を呼ばないんだ? ネネシリスが焦燥を募らせる――




