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迫りくる矢に射抜かれる直前、クルテが魔法を発動させた。言うまでもない、見えず聞こえずの結界だ。そしてリュネが屋根を蹴り上げ、上空へと飛翔した。馬とともに忽然と消えた男、取り残された兵たちはさぞかし驚き慌てふためくことだろう。だがそれを、のんびり見物している暇はない。
ラクティメシッスたちはどうしている? コッテチカ街道口に集結した兵は一部に過ぎない。巧くやり過ごせただろうか?
もしも街中で国軍の部隊と遭遇したら、やはり見えず聞こえずの結界を張って駆け抜けろと言っておいた。兵は結界内部に入り込めず、馬の勢いで弾き飛ばされるだろう。多少の怪我人が出るのは仕方ない。
『わたしの得意は検知術だと知っているでしょう? 兵の気配を感じたら、裏路地だろうが避けきれる道を選びます』
ラクティメシッスはいつもの穏やかな笑みを見せた。それに笑んで応えはした。だが場は荒れている。いつも通りと行かない時だってあるはずだ。
「ねぇ、あそこ……」
クルテが軍本部の建屋を指す。大通りでふんぞり返って偉そうに立っているのは、さっきジジョネテスキの横にいた男だ。
「ドロギャスじゃない?」
十騎ほどを前に、何か命じているようだ。
「そうみたいだな。兵に何か命じてる――山狩りの指示か?」
数騎がコッテチカ街道口の方向に、残りはキャルティレンぺス山、ラクティメシッスたちが入り込む予定だったあたりに馬を走らせた。
街道口方向に走り去った騎兵は軍兵たちを呼びに行ったのだろう。どうやらラクティメシッスは既にキャルティレンぺス山中に潜り込んだと見える。
ピエッチェの奇襲ですっかり統率を失くしている国軍は立て直すのにも時間がかかりそうだ。山狩りが始まる頃には、獲物はとっくにジャムジャンヤ街道に出ているはずだ。
リュネが動いた。向かっているのはキャルティレンぺス山、上空から仲間の居所を探すつもりだ。クルテがピエッチェを見上げる。ピエッチェがクルテに微笑み、
「しっかり掴まってろ」
抱き締める腕に力を込めた――
空を見上げるマデルとカッチー、ラクティメシッスが
「見えず聞こえず魔法を使っているはずです。見てたって見えませんよ」
三杯目のお茶をカップに注ぎながら片頬で笑う。さっきまで、少しも心配してなかったクセに今さらですか?……と、二人に感じている。
しかし、確かに少し遅すぎはしないか? いいや、わたしたちが早すぎた?……この茶を飲み干したら単騎で街に戻り、探ったほうがいいかもしれない。でも、そうなると残るのはマデルとカッチーだけだ。
「ラスティンは気にならないの?」
マデルの苦情、カッチーが『あっ!』と呟いてケトルの蓋を取った。湯の残量を確かめている。
「ピエッチェさんとクルテさんの分まで飲んじゃいましたね」
カッチーまで苦情だ。フン! と鼻を鳴らすが少しだけ気まずげな顔になったラクティメシッス、自分の水袋を出すとカッチーに渡した。
「お湯が沸く前に戻ってきたらどうしよう?」
「カッチー、それ、戻ってきて欲しくなさそうに聞こえる……」
「早く戻って欲しいに決まってます!」
マデルとカッチーを横目に茶を啜るラクティメシッス、二人をここに残すのとコッテチカに連れて行くのと、どちらがよりリスクが高いか考えている。
コッテチカに戻るのはどう考えても悪手だ。もしもピエッチェが捕らえられているとしたら、自分も捕らえられてしまう危険を伴う。クルテが一緒にいるのにピエッチェが捕らえられたのだとしたら、いくら魔法を駆使したとしてもラクティメシッスだってどうなるか判らない。そんな場所にマデルとカッチーを連れてなんか行けない。
でも、二人をここに残したら? そしてピエッチェ救出に失敗したら?
一定の時間を決めて先に行けと言ったら、ちゃんと従ってくれるだろうか? ここで待ち続けないか? 行ってくれたとしてもそのあとは? ジャムジャンヤまで辿り着いてくれれば他の魔法使いが二人を守ってくれるだろう。コッテチカの街に戻る前に、部下にその場合の指示を連絡具で出しておけば済む。問題はジャムジャンヤまで無事に行けるか、だ。
しっかりしろ、ラクティメシッス――ラクティメシッスが自分に言い聞かせる。マデルが王室魔法使いだということを忘れるな。それにここはザジリレン。我らを脅かせる魔法使いがそう居るはずもない。街道を行けば魔物の襲撃も回避できる。カッチーだって、守られるだけの存在ではなくなっている。
もうしばらく待ってピエッチェが戻らなかったら、二人を先に行かせよう。乗馬技術に不安はあるが、ゆっくり行くならカッチーだって大丈夫だ。そして自分はコッテチカの街に戻る。
もしピエッチェが捕らえられていたなら、なんとしてでも〝生きているうちに〟取り返さなければならない――
キャルティレンペス山を上空から見下ろしているのはピエッチェとクルテ、
「計画通りローシェッタ方面に誘導しているようだな」
馬が通った痕跡を認め、ピエッチェが呟く。
『ピエッチェ盗賊団』が山に分け入ったと思しき当たりでは、先ほどドロギャスに命じられていた騎士たちが下馬し、応援の到着を待っている。馬を傷つけるのを恐れ、徒歩で山に入るのだろう。
「あの辺りから方向転換してジャムジャンヤ街道方面に行くはずなんだけど……」
誘導のために残した痕跡がプツンと途絶えたところから、ピエッチェが視線をジャムジャンヤ街道方面に走らせる。
鳥や獣、弱小魔物の気配は感じるものの、キャルティレンぺス山中には人間や馬の気配はない。
「とっくに街道に出ちゃったとか?」
地上から目を離さずにクルテが言った。なんの合図もなしにリュネが動き出す。ピエッチェにしがみつき、クルテがなぜか『ふふっ』と笑んだ。
ジャムジャンヤ街道が見えてくるが、ラクティメシッスたちの姿は見えない。
「あれがジャムジャンヤ街道?」
問うクルテに『そうだ』と答えるピエッチェ、
「蹄の跡はまだ新しそうだな」
目がジャムジャンヤ街道に沿って動いていく。
「先にジャムジャンヤに向かった?」
「かもしれない。そうしろって俺が言ったからな」
「ねぇ、馬、どうしたんだろう?」
「馬?」
「そう、ピエッチェの馬とわたしの馬」
「あぁ……カッチーが一頭使うだろうけど、もう一頭残るのか」
「カッチー、リュネじゃなくても大丈夫かな?」
「一頭ぐらい、牽いていくだろうさ」
そうクルテに答えたものの、本当にそうだろうかと思うピエッチェ、
「おまえはどうしてると思う?」
クルテの意見を聞いてみる。
「わたしに判るはずない」
はいはい、そりゃあそうだよな。
「でも、リュネになら判るかもしれない」
「えっ?」
と、思う間もなくリュネが下降を始めた――
とうとう三杯目も飲み干した。足りないと言ってカッチーが追加した湯もシューシューと湯気を立てている。フッと溜息を吐くラクティメシッス、つい空を見上げた。
「何よ。見たって見えないんでしょう?」
マデルの言葉の厭味は薄味だ。
「うん、そうですよね……」
苦笑してマデルを見るラクティメシッス、自分に視線を寄こさないマデル、さて、なんと言って説得しようか?
とにかく何か言おうと、
「見えず聞こえず魔法を使ってるんだから、見えるはずありませんよね」
呟いた。そう、見えるはずも――えっ!?
「マデル! わたしはなんて馬鹿なんだ?」
「ラスティン?」
「ラスティンさん!?」
いきなり立ち上がると駆けだしたラクティメシッス、ジャムジャンヤ街道に躍り出る。マデルとカッチーが追おうとしたが
「二人はそこにいなさい!」
ラクティメシッスが首だけ後ろに向けて叫ぶ。そして――
下降したリュネがジャムジャンヤ街道に降り立った。
「どこにも居そうにないぞ?」
首を傾げるピエッチェ、
「うーーん……リュネの魔力でも無理なのかな?」
きょろきょろとあたりを見渡すクルテ、そこに『ドン!』と何かがぶつかった。
魔物か!? すかさず剣を抜くピエッチェ、ひゅるんと金属の擦れる音、
「待って!」
叫ぶとともに自分たちに掛けた見えず聞こえず魔法をクルテが解除する。そして、
「わたしです!」
声とともに姿を現したのはラクティメシッス、尻餅をついている。
「あぁ、よかった! ぶつかる感触に、きっとあなたたちだと思いました」
ホッとしているのか泣きそうなのか、その中間あたりの顔でピエッチェたちを見上げた。が、それも瞬時、すぐに立ち上がり、服を払いながら笑う。
「両方で見えず聞こえずじゃ、いつまで経っても見つかるはずありませんよね」
木立の中の結界では、マデルとカッチーがそっと微笑みあっていた――
二人のためにカッチーがお茶を淹れて待っています……その言葉に、ピエッチェたちも木立の中に入った。すぐさま結界内部に引き入れられる。
「クルテ……」
抱きついてきたマデルを抱き返すクルテ、
「心配させてごめんね」
そっと謝っている。
カッチーはピエッチェに頷いただけだ。すぐにリュネを牽いて、桶に水を注いだ。甘えるように鼻さきでカッチーの頭を小突くリュネに嬉しそうな顔になる。
「できるだけ兵を誘き寄せるつもりが、追い詰められちゃってね」
茶を啜りながらピエッチェが苦笑する。微笑むラクティメシッス、
「我らが山中に駆け込むには、充分でした」
遅すぎると心配したんだ、なんて恨み言は言わない。
「上空から見たが、山狩りに行くな、あれは」
「こちらの狙い通りですね」
「ピエッチェ盗賊団の名は?」
「はい、部下が抜け目なく叫んでくれました――ジジョネテスキにも聞かせたんですよね?」
「大通りを隔てていたけど、聞こえたと思う。聞こえてなくたってアイツは聞こえたって言ってくれる」
「カッテンクリュードにこの話が伝わるのは?」
「明日中にはってところじゃないかな? 普通なら二・三日、だけどコッテチカ街道に伝令兵を置いているはずだから明日、そう見込んでる」
「次はレシグズームですね」
「魔法使いたちは?」
「無事に出立しました」
ラクティメシッスの部下たちとはレシグズームと山を隔てたジャムジャンヤで落ち合う約束だ。
「また山越えになるなぁ」
ピエッチェが苦笑した。
クルテはマデルとカッチーを相手に、コッテチカで使った弓の話をしていた。弓と言うより『矢』か。
「まさか、あんなことになるとは思わなかった」
「あんなことって、何かあったんですか?」
心配そうに訊くカッチー、マデルも
「何か怖い思いをしたの?」
と蒼褪める。
「ううん、面白かったよ」
あっけらかんとクルテが笑う。
「好きに射っていいって言われてたから、ジジョネテスキを狙ったりね」
「まさか、命中させちゃった?」
ますます蒼褪めるマデル、クルテはクスクス笑っている。
「クルテさん、百発百中でしたっけ?」
カッチーも蒼褪めた。




